中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

広東省の旅

2008-03-31 22:21:26 | 中国のこと
 3月7日から11日まで、中国広東省を旅した。

 広東省の省都である広州にはこれまでにも何度か行ったことはあるが、いつも貴州や湖南に行く途中に立ち寄っただけで、空き時間に簡単な観光をした程度だった。今回は中青旅広州国際旅行社の友人伍海珠(ウ・ハイチュ)に相談し、広州近辺の開平→肇慶→佛山というコースを計画してもらいガイドもしてもらった。

 古くから「食は広州に在り」と言われて、広東料理(粤菜ユエツアイ)は有名である。『中国美味礼賛』(鈴木博訳 青土社)の共著者の一人である洪燭は「広東人の食べ物」という一文の初めに

 広東人は食べるのが大好きである―飲食は広東人にとっては生理的な要求であるばかりか、嗜好でもある。広東人は飲食のなかで生活の滋味ないし本質を体得するのである。広東が沿海に位置するので、広東人は内陸の人々よりも口福に恵まれており、粤菜も新鮮な魚介類で有名である。水中を泳ぐものだけでなく、天上を飛ぶものも、地中を走るものも―広東人にはまるで食べられないものがないようであり、その生まれながらにして優れている胃は大きな関心をもってさまざまな食べ物に対処する。中国の古代に最初に蛇を食べたのは広東人であり、(以下略)

 と書いているように、広東人の食に対する執念は並外れていて、俗に空を飛ぶものは飛行機以外、脚のあるものは机以外、水の中のものは潜水艦以外は何でも食べると言われるほどで、最高級のものから日本人からすればゲテモノのようなものまでさまざまな食材がある。今回の旅では懐の具合もあるので、本格的な広東料理を食べるということはなかったが、それでも食べたものは簡単な小喫(軽食)でもなかなかおいしかった。せっかくの機会だから、珍しいものにも挑戦してみた。

①広州で
 最後の夜に「僑美食家」という店で食事をした。


 この店に入るとまるで水族館のように生きているさまざまな食材が、ガラスやコンクリートの水槽に陳列されていて、客はその中から気に入ったものを注文して、調理してもらうようになっている。私もその中の興味があるものを選んだ。








沙虫(シャアチョン)
 ホシムシ(星虫)という海産動物。ミミズのような形態である。


 大根と一緒にスープ(湯タン)にして出された。特に味のあるものではないが弾力性のある食感で旨かった。


ゲンゴロウ
 龍虱(ロンシィ)という。虱はシラミで、大きいシラミということか。池の中で泳いでいるもので、以前はよく見られた。水槽にたくさん泳いでいたが、自然のものを採ってくるのか、養殖なのか。


 空揚げにしたものを食べたが、まず黒光りしている硬い翅をむしり取ってから腹の中の白い身を食べるが、量はごく僅かだから食べ残した殻の方が多い。特有の臭いがあり、それほど旨いものとは思われなかった。どうしてこんなものを食べるようになったのか。

 
蚕蛹(ツアンヨン)。
 カイコのサナギである。箱の中に大量の蛹がうようよと蠢いているようすは、大方の日本人には気味悪く思われるものだろう。


 炒め物にして出されたが、噛むとねっとりした濃厚な中身が出て旨いものだった。高蛋白で栄養価は高いそうだ。


ドリアンの菓子
 中国語で榴蓮果(リュイリエンゴウ)というドリアンは果物の女王と言われるが、強烈な悪臭があり、ホテルや機内への持ち込みは禁止ということで有名だ。まだ食べたことがないので注文した。パイに挟んであったが、特に臭いとも思われず、とても甘いということだがそれほどには感じなかった。運転手の梁さんは口に入れた途端、くさいと言って慌てて吐き出した。


②開平で
 出発前にインタネットで、開平ではよく犬の肉(狗肉ゴウロウ)を食するということを読んでいたので、昼食のときに注文した。

 中国料理によくある紅焼(ホンシャオ)という、肝臓や腸などと一緒にぶつ切りにした肉を炒めて醤油で味付けした料理で、まずまずの味・・・と言うのは、やはり食べ慣れている牛肉や豚肉とは違い、犬と言うとどうしてもペットという意識が働いているようで、舌鼓を打つほどのことはなかった。これが猫なら、我が家のミーシャを連想して多分敬遠したことだろう。広東料理では猫はスープにすると聞いたことがある。


田鰻飯
 海珠が鰻ご飯はどうですかと言ったので注文した。食べ慣れている鰻と違って田鰻(鱔シアン)を炊き込んだもので、鰻飯のような香りはない。

 
 中国人はこの田鰻をよく食べるようで、上海の施路敏の家でも紅焼にしたものを食べたことがあった。

パソコン回復

2008-03-30 22:31:48 | 身辺雑記
 中国から帰った翌日(3月12日)にパソコンが故障した。

 ピーッという音が断続的鳴り、やがて画面が消える。仕方がないので、このパソコンを買った大阪の量販店に修理に出した。パソコンが手元になくなると何やら手持ち無沙汰で、これは依存症になったかなと思ったほど落ち着かない。勢いテレビを観る時間が増えてしまった。

 10日たった22日に修理会社から連絡があった。キーボードの不具合が原因だと言う。キーボードが不具合だとどうして画面が消えるのか、そのあたりはよく解らないが、修理代が1万7千円ほどだがよろしいかと言うので、高いものだと思ったがどうにもならないから了承した。

 それから1週間たった昨日(29日)、量販店から戻ったという連絡があったので受け取りに行った。家に帰って久しぶりに開いたが、キーボードは新しくなっているので、ちょっと気分をよくして、いろいろやっていると、小一時間ほどしてまたピーッという音が鳴り始め、またかと身構えているうちに画面が消えた。その後は開くとすぐに消えるので忌々しく思ったが諦めた。

 今日また大阪の量販店の故障診断の窓口に持ち込んだ。今度は係員がいろいろと調べてくれたが、どうやらアダプタの不具合が原因らしいということだった。そこでこの店で新しいアダプタを買って帰った。家に帰ってアダプタを繋ぎ、恐るおそる開いてみたが、どうやら診断は当たっていたようで、無事回復したので安堵した。アダプタは消耗品なのだそうだ。

 それにしてもこのパソコン、ある人はこれは優れものですよと言ったのだが、購入して3年くらいの間に3回も修理に出している。とても優れものとは思えないが、当たりが悪かったのだろう。そういうことはよくあるのだそうだ。

 パソコンのなかった20日足らずの間に、世間では何かと事件もあり、ブログに書きたいようなこともあったが、病気ではないかと心配していただいたブログ友もあり有難いと思った。昨年、上海や江南地方を案内してくれた梁莉(リャン・リ)、愛称莉莉はブログを読むと爺爺が元気にしていることが分かるが、ブログがないと元気にしているか心配と書いてきた。

 取り敢えずは、広東省の旅のことでも書いていこうと思う。

化粧顔

2008-03-12 09:33:55 | 中国のこと
 ある化粧品会社の研究所が電車内での女性の化粧についてインタネットで調査した結果を見た。東京、埼玉、千葉、神奈川に住む15~64歳の女性を対象にしたそうだが、その結果は車内化粧の経験者は、20代後半で43%と最も高く、次いで20代前半が34%と、20代の経験者が目立った。40代以上は10%以下で、全体の平均は19%だったという。

 ある日の午後の電車の中で、学校帰りと見受けられる1人の制服姿の女子高校生が一心に顔をいじり回していて、特に睫毛を整えるのにかなり執心していた。顔を見たが、どうも美少女というのはもちろん、可愛いということにも距離があるような芋っ子だったが、夢中になって化粧に打ち込んでいるのは、「馬子にも衣装、髪形」という娘心なのか。

 前にも書いたことがあるが、私は女性達が車内で化粧をするのは嫌いである。自分のことに夢中になって周囲から自分を遮断して籠っているような姿は嫌だし、公共の場を私的空間にする態度が不愉快だ。上記の調査では、車内の化粧に「とても抵抗感がある」と答えたのは、全体で76%に達し、車内化粧が最も多い20代後半でも60%が抵抗があると回答したというが、これまで私が目にした限りでは、そのような印象ではなかった。電車内の化粧に対して日本民営鉄道協会の調査では、「においが不快」、「みっともない」、「同性からみても不愉快」などの声が寄せられているそうだから、不愉快な現象と思っている人は多いのだろう。

  「おわっても変わらず車内化粧の娘(こ)」という川柳を見たことがあるが、かつて私が見た40代の女性は出発駅から終点までの15分間化粧に打ち込んでいて、終った顔を見るとあまりの変りように、思わず噴出しそうになったことがある。まさに化ける粧(よそおい)だと思った。東京にいる施路敏が会社の慰安旅行のときの写真をチャットで見せてくれたが、路敏の横にいる女性は可愛いねと言ったら、一緒の部屋に泊まったが、メークを落としたら別の人になったよと言ったのは可笑しかった。

 私は知らないが、欧米ではこのような光景が見られるのだろうか。人前で化粧するのは欧米ではいかがわしい商売の女性と思われるそうで、以前、化粧していた若い女性が欧米人の男に声をかけられ誘われたということを読んだことがある。中国にはよく行くが、人前の化粧は見たことはない。だいたい中国の女性は若くても化粧はしていないか、あっさりしていて素肌に近い。

 年のせいか、近頃の若い女の子には同じような顔が多いように思うと言ったら、化粧のせいでしょうと言われた。確かに目の周囲のアイシャドウを濃くし、睫毛を長くカールさせて、古代エジプトの遺跡の壁画に見られる女性の顔のようなのが目につく。私から見れば何か怖いような感じで、きれいだとは思えないのだが、自分達では良しとしているのだろう。かつてガングロと言う化粧が若い女の子の間で流行ったことがあるが、美的な感じはまったくしない、どうにも奇怪なものだった。

 化粧は、その人の内面をうかがわせるような個性的なものであればよい。流行に追われて没個性なものになるのでなく、自分の内面を引き立たせるようなものであればいいと思う。この春女子大生になる孫娘もおそらく化粧をするようになるのだろうが、このオジイが安心し、気に入るような爽やかなものであるようにと願っている。





「餃子事件」その後

2008-03-07 09:03:50 | 身辺雑記
 日本全国をおおいに騒がせ、週刊誌などマスコミがこれでもかというくらいに書きたて不安を煽った中国産の冷凍餃子事件は、日中協力して原因の究明に当たったが、まだ解決していない。新しいニュースでは、中国の公安省と国家品質検査権益総局は、実験の結果農薬成分のメタミドホスは包装の外部から染み込むと発表し、中国内で冷凍餃子にメタミドホスが混入した可能性は「極めて低い」と述べたという。日本側は外部から浸透することはないとしているから両国の見解は対立することになる。これでまた一部の週刊誌が中国を批判あるいは揶揄する記事を出すことだろう。ある週刊誌が、中国のことだから問題の会社の従業員の中から犯人を特定し即死刑にして、それでケリをつけるともっともらしいことを書いていたが、中国当局は55人の従業員を調べたが、毒物混入の疑いは見つからなかったとも言っている。これについてもまたかなりの反発が出ることだろう。

 事件の後しばらくして、私が読んでいる新聞の投書欄に、「『中国産=悪』短絡的と思う」という女性の意見が掲載された。その一部を引用する。

 日本人は安い輸入食材に頼って豊かな生活をしている。外国の生産者の労働力を安く買いたたくことで、それは成り立っている。事件の真相を究明中の今の段階で、「中国産食品=すべて悪」と短絡的な態度をとるべきではない。それはあまりにも傲慢ではないか。中国の生産者に対する態度が横着過ぎやしないか。

 私はこの意見に同感した。一部にある、「中国食品=危険」というような単純な思い込みが、「中国=危険」というような意識に変わっていくのではないかと危惧する。それに何かというと反中国、嫌中国感情を煽るような一部のマスコミが存在するから、なおよくない。実際、既に「中国=危険」というようなことは起こっている。西安の旅行社で日本からの観光客のツアーを計画、手配している李真とチャットしたら、餃子事件の影響で、最近260名のツアーがキャンセルされたそうだ。ニュースの記事にも、中国への旅行者は昨年よりも2~5割減少しているとあった。

 餃子事件は実際に中毒者も出ているから、看過してはならない重大なことだ。しかしそのことがなぜ中国観光旅行をキャンセルすることに結びつくのか、私にはどうしても理解できない。確かに中国では食の安全性については指摘され、その対策頭を悩ませている事実はあるようだが、それでも中国ではどこへ行っても有害物質が混入した食べ物が溢れていると言うわけではないだろう。そこまではなくても日本よりも危険が大きいと思うのか。かつて北海道の牧場でBSE(牛海綿状脳症、俗に言われた狂牛病)が1頭出て騒ぎになったことがあるが、そのニュースがあった日の夕方に、東京かどこかのスーパーの肉売り場で1人の主婦にインタビューしているのをテレビで見たが、「恐ろしいですね。今夜は牛肉を買いません」と言っていたのには苦笑してしまった。鳥インフルエンザが中国で発生した時も一部では旅行を控える動きがあった。このようことと言い、餃子事件の反応と言い、私たち日本人にはどうも何かあると冷静に事態を見て落ち着いて行動するのでなく、すぐにワッと浮き足立ってしまう傾向があるのかと思う。私自身はそういうことがないようにしようと常々自戒している。

 今日から11日まで中国南部の広東省に行く。もちろん食べるものには不安は感じていないが、いつも留守中に郵便物を預かってもらっている近所の奥さんにはおみやげをどうしようかと思案する。これまでは中国の菓子や干し果物などの食品をおみやげにしていたが、中国産の茶までが農薬漬けであるかのように書いていた週刊誌もあったから、何をあげても気味悪がられてはいけないので、餃子事件の後だけに今回は止めて、こちらの菓子にでもしておこうと思っている。 まったく、このようなことにまで気を遣わなければならないとは・・・。

あの世はあるか

2008-03-06 08:54:19 | 身辺雑記
 妻が逝ってからの10年の間、知人の死、とりわけ配偶者を喪ったという知らせに接すると心から痛ましいと思い、あれこれ死ということを考えたが、自分の死についてはだんだん淡白になってきている。

 一時期自分は無神論者ではないかと思ったことがある。人は暗黒から生まれ暗黒に還る。死ねば無である。神や仏の世界があるとは思えない。それでいいと思っていた。ところが、妻の死を経験してみると、英国の女流詩人のクリスティーナ・ロゼッティが、「私が死んでも、いとしいあなた」で始まる詩の最後で、

 そして日の昇り沈むことのないあの薄明かりの中に夢見ながら
 時折はあなたを偲び
 また 時に忘れもいたしましょう

と詠ったように、妻は薄明の中でまどろんでいるのではないかと思ったりしたり、時折「どこにいるのかなあ」と考えたりする。自分が死んでもこのようなことはない、無に還るだけだと考えているのに、どうも妻のこととなるとちぐはぐな考えに捉われる。今の私にはいろいろな楽しみがあり、これは妻からのプレゼントだと思ったり、元気で幸せに生きておられるから、きっと奥様は喜んでおられますよなどと言われても素直に受け止められる。また、宗教心の篤い人から「神のご加護を」と言われても有り難く受ける。冗談に妻は良い人間でしたから、きっと天国にいるでしょうし、私はたぶん地獄へ行くでしょうから、あの世では妻には会えないでしょうなどと言ったりするが、あの世や天国、地獄などがあるなどとはまったく信じていない。若い頃は死ぬのが怖かったが、今はとくに恐れもない。生まれてきたからには必ず死ぬことは決まっているし、死はいつかは来るものだと思うようになっている。それに自分の死は体験できるものではないから、その後のことをあれこれ思案しても始まらない。

 もう1つ、よく言われる転生、生まれ変わりのこと、これも意外に信じている人は多いようだが私には信じられない。何でも理屈っぽく考えると人から敬遠されるのだろうが、どうも理屈に合わない。すべての人間が人間としての前世を持っているとしたら、人間の数は大昔からまったく変化がなかったことになるし、人間以前の存在などは考えられないから、現在では確立されている生物の進化という考えとも相容れなくなる。

 米国には催眠術を使って前世を探るということをやっている学者がいるようで、これを紹介した日本のある大学の教員の本を読むと、もっともらしいのだがどこかおかしい。その学者は被験者が催眠中に話したことを記録しているのだが、その中である女性が「今は紀元前○○年、ここは○○です」と言ってその自分の様子を語るのがある。このくだりを読んで私は何やら胡散臭いと思った。だいたい紀元前に生きていた者が、今が紀元前などということがどうして分かるのか。紀元後のことにしても、今は紀元○○年と言うことが庶民にも知られるようになったのは、かなり後になってからのことだと読んだことがある。

 宗教があの世の存在や転生(輪廻)を説くのは分かる。それがなくては宗教の教義は成り立たないのかも知れない。だから宗教に帰依すれば、そういうことも信じるようになるのも分からないでもない。しかし、宗教心から出たものではないようなのに、前世や転生を信じる人も少なくないようだ。もっともそのように信じる根拠は、たいていは曖昧なようで、ただ何となくあると思うというようなものだ。それはおそらくは、そう信じることで、いつかは自分の命が終る虚しさや怖さを紛らわそうとしているのではないかと思ったりする。

 あの世のことをあれこれと思い煩うよりも、生きている今を充実させたいと考えている。

私と宗教

2008-03-05 09:22:36 | 身辺雑記
 私の家の宗教は一応神道ということになっている。「一応」と言っては不謹慎、不埒と言われるかも知れないが、3代前までは宗派は知らないが仏教だった。それが祖父の代に神道に変えた。祖父は五男で、昔の戸籍制度で自分はもちろん、つれあいである祖母や私の父も含めて子ども達まですべて祖父の長兄の戸籍に属していた。実際、父の妹は生後すぐになくなったが、祖父の長兄の墓苑に葬られていた。戸籍制度が変わったからなのか、祖父は独立して自分の戸籍をつくり、子どもたちにもそれぞれ独立した戸籍を持たせた。その折に神道に改宗した。祖父は大分県宇佐の出身で、宇佐神宮にゆかりがあるとか何とか言っていたようだが、改宗の理由はよく分からない。神道に改宗したからといって、祖父がとりわけ熱心に信仰していた気配もなかったし、私の両親も宗教心の乏しい人達だった。

 そんなことで、私も信仰心というものは極めて乏しい。むしろ、既成の大宗教に対しては腰が引けたようなところがある。とりわけ権威主義的なものには違和感を感じ、狂信的なものには嫌悪さえ覚えるほうである。宗教や宗派の違いだけで虐殺などの残虐な行為が行われたり、異文化の破壊をしたり、そこまで行かなくても他宗や宗派を罵ったりするのは納得できない。所詮は神も仏も制御できない人間の浅ましさ、非寛容さの表われだと思う。

  しかし宗教そのものを否定するつもりは無論なく、朝夕、神仏に祈りをささげるような信仰心の篤い人は立派だと思う。ただ宗教心があっても、別の面で人間の身勝手さや浅ましさを露呈するのを見せられたりすると鼻白むことはあり、宗教心と人間としてのあり方は別のことなのかと考えたりする。

 とりわけ宗教的信念から人のため、社会のために献身している人達、これは無条件に尊敬する。このような人達の見返りを求めない真摯な行動は、宗教心の乏しい私には到底できないことだと思う。

 また素朴な土俗信仰には温かいものを感じることがある。いつかどこかの山の中に住んでいる人が大晦日に、自分の周辺に存在する山や泉や竈などの神を祭り、祈る姿をテレビで見たことがあるが、その何の飾り気もない、自然の中に身を委ねているような様子がとても好ましく思われた。このような自然や身の回りに感じる存在を、恐れではなくむしろ親しい存在、自分たちの生活を守ってくれるものとする素朴な信仰が、宗教の原初の姿ではなかったのかと思ったりする。しかし、砂漠のような苛酷な環境で生きていれば、自然の中に感じる力は恐ろしいものであったのかも知れない。そこから人間に対して絶対的な力を持つ神が生まれたのか。

 かつて担任をしていたある女生徒は、ある宗教の熱心な信者だったが、放課後に話をしているときに、私と同じ信仰を持ってもらわないと先生を本当に信頼できないと言われ、そんなものなのかと少々情けなく思ったことがある。それはたぶん彼女がまだ若かったせいもあったのだろう、その後卒業してからも相変わらず信仰心は篤かったようだが、私にはとても親しみをもって接してくれるようになった。人はそれぞれの立場や境遇で、自分が信仰できる宗教に出会う。人と接するときには己と異なる信仰を持っているからと言って、軽蔑したり嫌悪したりするのは偏狭で排他的だから、嵩じると狂信的になる。それはどうにもご免蒙りたいと思う。

 私はこれまでの人生の中で、宗教によって心が揺さぶられるような経験をしたことがなかった。それでいまだに信仰心というものを持っていないのではないかと思う。だからと言って心寂しいこともない。信仰心があったらもっと内面が充実した生活を送れたかは分からない。信仰心の篤い人から見れば寂しく、虚しい生き方かと思われるかも知れないが、人が好きで、良い人に出会うととても嬉しく、優しい気持ちになれるし、毎日が楽しい。それでいいと思っている。

クローン犬(2)

2008-03-04 08:50:42 | 身辺雑記
 挿し木によって増やされた個体は遺伝子的には同一であると言っても、それらが育つ環境によってはまったく同一なものになることはない。生物の特性は何もかも遺伝的に決定されるものではなく環境の影響を多く受ける。それに高等な動物になるほど大脳を中心にした神経系の働きが大きい。

 例えば私の大脳は母の体内にいた時は空っぽの箱のようなものだったが、それが環境の刺激を受けて複雑な回路が出来上がってきて、その過程で絶えず外界に働きかけながら複雑さを増大させてきた。その結果として「私]が創られたのだ。この私は唯一無二の存在だ。仮に今、私の体細胞からクローンを創ったとしても、すぐに私と同じものができることはない。そのクローンはもちろん胎児状態からスタートして育っていくのだから、今の私と同じになるには74年かかる。その私のクローンがたどる過程は、何から何まで私のものとはまったく違うものだ。

 確かめようもないが、74年後の私のクローンは姿かたちこそ似通っているかも知れないが、いや、それもかなり違っていて、今の私とは別人のようになっているかも知れない。私の母は一卵性双生児だったようで、幼い頃に伯母と写した写真を見るとまったく区別がつかない、まさにクローンのようだった。私が幼い頃もまだ似ていて、よく間違えてばつの悪い思いをしたものだ。それが戦後に2人の環境が変わり、伯母は恵まれた生活をしたが、母は貧しさに苦労した。そのせいもあり、2人は外見も性格も変わっていった。

 私の成長期の頃は食糧事情が良くなくてあまり食べられなかったが、私のクローンが私よりも良い食環境で育つならば体格もかなり違うだろう。環境が違えば性格も変わるだろう。やはり私とは違う存在なのだ。私が「私」と意識するのは私の大脳の働きだから、クローンが意識する「私」はクローンの「私」だ。当たり前のことだが私とクローンは別人なのだ。

 愛犬をなくした米国の婦人は、おそらく死んだ犬とそっくりの犬を手に入れるだろうし、名前も前のものと同じにするだろう。しかし所詮は別物だ。米国産テリアというから、それなら同じ品種のものを買ったほうがいいのではないか。私の知っている卒業生の女性は、代々ビーグル犬を飼っていて、どれにも同じ名前をつけている。その程度でいいと思うが、そこは感情の問題で、死んだ犬の体細胞から創られたクローン犬は元の犬そのものという気がするのだろう。それにしても540万円とは高い買いものだ。今のところクローン動物は、原因にはよく分からないが欠陥があって短命だと言われている。羊のドリーも7年足らずで死んだから、米国の婦人もまた愛犬を失う悲しみを味わうことにならなければいいが。




クローン犬

2008-03-03 12:23:51 | 身辺雑記
 少し前になるが、韓国のソウル大学で犬のクローンを作ることに成功していたグループが、クローン犬の受注をすると発表し、米国の女性から初の注文があったという記事を読んだ。研究目的ではなく事業としてクローン犬をつくるのは世界初のことらしい。順調に行けば10月には誕生の予定とのこと。

 この女性は障害で歩行が困難になっており、飼っていた米国産テリアが死んだため、この犬のクローンを強く希望していたと言う。価格は5万ドル(約540万円)で私にとっては目を剥くようなものだが、それでも初の受注ということで、本来15万ドル(約1620万円)としていたのを値引きしたという。この研究者達のチームには、ヒトのクローン作りに関して論文を捏造して話題になった教授が所属していたが、クローン犬は本物だったようだ。

 クローンは分かりやすく言えば植物の挿し木のようなもので、同じ起源で遺伝子構成がまったく同じの個体なので、動物では一卵性多胎児がこれにあたる。人為的には動物のクローンは、発生初期の胚から作られていたが、1996年に英国で作られた羊のドリーは、初めての体細胞から創られたクローンとして有名になった。しかしまだまだ研究は初期の段階にあり、どんな哺乳動物でもクローンつくりが可能になっているわけではない。もちろん人間については公表されている限りは例はない。

 人間のクローンはSF的には興味がもたれるらしく、よく登場する。もしクローン人間が存在したらどのようなものなのか。たとえば、あのヒットラーのような人物のクローンが存在したらどうだろうかなどと言われる。クローンはいくらでも作ることが可能だから、恐ろしい独裁者がはびこるということになる・・・というのは面白いかもしれないが、SFの世界のお話だ。


老いの影

2008-03-02 09:34:06 | 身辺雑記
 街に行く途中に少し急な坂がある。この坂を下りていくと途中で上がってくる老人と出会った。74歳の私が人を老人と呼ぶのもおかしいが、この人は80歳を越しているようで、たぶん私よりもだいぶ年上らしいから、そのように言っておこう。

 少し苦しそうな足取りで上半身をかがめて上がってきた彼とは顔見知りなので、すれ違う時に「こんにちわ」と声をかけた。彼は少し顔を上げ、上目遣いに私を見て会釈した。何やら坂が辛そうな様子だったが、その表情を見た途端に、ああ、この人も急に年を取ったなと思った。

 この人を知ったのはまだ妻が元気だった頃だ。妻はその頃飼っていたペキニーズ犬を毎日散歩させていたが、その途中で大きな秋田犬を連れた彼によく出会ったようだ。この秋田犬は少々気性が荒く、他の犬に噛み付いたこともあったようだが、我が家の小さな犬とはどういうものか気が合ったらしく、出会うと互いに尻尾を振り合っていたようだ。そんなことで妻もこの人と言葉を交わすようになったらしく、私もその縁で挨拶するようになった。その頃の彼は元気な様子でその大きな犬を引っ張っていた。家には奥さんがいたが、少し気鬱気味のようで滅多に姿を見ることはなく、妻の話では時折奇矯な言動もあったようで、家事は彼が受け持っていたのか、買い物帰りの姿もよく見かけた。

 妻が逝った後で、この人の奥さんの気配もなくなった。寝たきりになったのか、亡くなったのかは分からない。犬も新しい若い秋田犬に代わったが、その姿も最近は見かけなくなった。この人も時々出会うとだんだん以前ほどの元気はなくなってきたように見えたが、昨年の半ばあたりから急にその姿に老いを感じるようになった。頬の肉が落ちて顔が小さく見える。体格は良かったのにそれが痩せてきて何か生気が乏しくなり、何よりも足取りが重くなっていた。寄る年波のせいなのか、それとも体のどこかに悪いところでもあるのかと、会う度に気になったが、挨拶を交わす程度の関係だから立ち入って聞くこともならなかった。坂道で出会った時にはとくに老いの影が濃くなっているように思った。

 このように名前も知らず、時折見かけるだけでも「ああ、年を取ったな」と感じさせられる人は他にも何人かいる。年齢的な変化や衰えは、なだらかな曲線を描くようなものではなく、階段状に起こるもののようで、たまに会うとその変わりように驚くことがあり、そのたびに私も人が見るとそのように思われるのかと思う。「やあ老けたなあと向こうも思ってる」という川柳があった。卒業生などに久しぶりに出会うと「若いですねえ」とか「変わっておられませんねえ」とか言われることがあるが、これは外交辞令のようなもので、5年前、10年前の写真を見ると明らかにその当時の方が若さがあるから、年毎に変わってきていることには間違いない。妻の十年祭をした時に、一番上の孫娘が「オジイは、なんか小さくなったようだね」と言ったが、そのとおりなのだ。年を取ると椎間板の軟骨が縮み、身長が低くなると言う。若い頃からの積極的な健康法を怠ったために足腰も弱くなり、老いは確実に私の身にも影を落としている。

 だが、負け惜しみを言うようだが、年を取ることと老いることとは違うのではないか。年を取れば即老人になるわけではない。精神の若さや張りというものを持続できれば、早く老いの影が差すことはないだろうと思う。それについては、私はまだ老いてはいないと自負している。まだまだ好奇心は強いし、人との交わりが好きだ。暗い気持ちでいることがほとんどない。体は白秋も半ばを過ぎた時期に入っても、精神はまだ青春の中にあるようでありたい。心の状態が玄冬に入るのはまだまだ先のこと、いや、いつまでも無縁なことにしたい。