中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

バラ園 (2)

2011-05-31 09:37:17 | 身辺雑記

 私はバラについての知識は乏しいが、バラにはオールドローズとモダンローズとがあり、ヨーロッパで古くから栽培されているオールドローズは一季咲きで、1867年以降に作出されたモダンローズは多くは四季咲き性とのことで、このモダンローズの性質はヨーロッパのオールドローズと日本や中国のバラとの交配によって獲得されたものだそうだ。播磨中央公園のバラの多くはモダンローズだと言う。

 

 アイスバーグ 

 

 

 イエロウ・シンプリシティ 

  

 

 オフェリア 

 

 

 ゴールド・シャッツ 

 

 

 ジャルダン・ドゥ・フランス 

 

 

 ジュビレ・デュ・プリンセス・ドゥ・モナコ 

  

 

 チャールストン 

  

 

 ニコール 

 

 

 ピース 

  

 

 プリンセス・ドゥ・モナコ 

 

 

 プリンセス・オブ・ウエールズ 

 

 

 

 

 ヘレムット・シュミット 

 

 

 ホワイト・クリスマス 

  

 

 マチルダ 

 

 

 ラ・セビリアーナ 

 

 

 リビン・イージー 

 

 

 

 

 琴音 

 

 

  

 

 春風 

  

 

 うらら 

 

 

  

 

 その他  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


バラ園

2011-05-30 09:20:00 | 身辺雑記

 Hg君の車で県の西方、加東市にある「県立播磨中央公園」のバラ園に行った。メンバーはいつものHg君夫妻と、Hr君。Hr君は先だって仕事をやめた。Hg君夫妻には子供はなく、Hg君は定年退職後は悠々自適の身だから、これで私も加えて4人が皆、自由が利く身になった。

 

 播磨中央公園は加東市の丘陵地帯に開発された公園で、その中に、面積1.5haのバラ園があり、平日の午前中だったが、夫婦連れや友人連れが訪れていて、園内をゆったりと散策したり、ベンチに腰掛けたりしている。あたりにはバラの香りが漂っていて心地よい。

  

 

 

 駐車場からバラ園に。 

 

 

 171種、4155株が植えられているというが、立体的な景観を作るように設計されている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


素性の分からない猫(その後)

2011-05-28 09:30:31 | 身辺雑記

 前に紹介した「素性の分からない猫」は毎日のように我が家にやって来る。たいていは午前中だが、暗くなって来ることもある。例によって、ニャアともミャアとも言わずに黙ってガラス戸の向こうに座っている。来たらドライフードを一掴みやるのだが、時折あたりを窺いながらがつがつと食べる。他で食べていることはないのだろうか 家のミーシャならゆっくりと少しずつ食べるのにと、ちょっと哀れに思う。

 

 

 

 来るようになってもう何日かたったが、いっこうに親しげな様子は見せない。私がちょっとそちらのほうに手を動かすと、さっと逃げる。逃げてもまたすぐに戻ってくるのだが、私を見ようとしない。目は伏せたままだ。

 

 

 

 一瞬目が合うことがあるが、とたんに視線を逸らしてしまう。

 

   

 

  

 

その様子はしおらしくもなければ、と言ってふてぶてしくもない。いつでも緊張していて油断がない。やはりノラなのだと思った。我が家のミーシャなら声をかけるとすぐに私をじっと見る。顔を近づけるとこちらに首を伸ばすようにする。そういう時には鼻と鼻をちょっと触れ合わせ、こすり合わせるのだが、おとなしく私を見つめている。そうするとひとしきり愛情が湧く。ノラの方は目を合わせようともしないので、可愛いとは時には思っても愛情など感じることはない。

 

 「素性の分からない猫」では不便だから何か名をつけようと思ったが、なかなか思いつかなかった。可愛い名前は何かそぐわないので、結局「ローニン(浪人)」と呼ぶことにした。多分オスだろうと思ってそういうことにしたのだが、メスであってもそのままでいいと思う。

 

 そのローニンが来るようになってから、ミーシャは玄関から出て行っても、裏庭から帰ってくることが少なくなった。ローニンが居座っていることがあるので敬遠しているようで、どうも相性がよくないらしいし、ローニンのほうが強いのかも知れない。何となくミーシャがかわいそうにも思うが、動物の世界のことだから仲良くしろよと仲介するわけにもいかず、放っておくしかない。餌をやるのを止めてもよいのだが、毎日やって来てガラス戸の外に座っているローニンを見ると哀れにも思えて続けている。ローニンは案外おとなしい性格ではないかと思い、それで慣れ親しむようになってくれれば良いのだが、あの顔つきと様子ではそれは期待できない。と言って厄介なことになったとも思わない。これも成り行きだろう。

 

 


もうトシですよ

2011-05-26 09:06:46 | 身辺雑記

 街へ出ようとした時に道で犬を連れた婦人に出会った。近所の農家の奥さんで、普段は出会っても目礼するくらいなのだが、出会ったところが狭い路地で互いに譲り合う姿勢になり、間近に顔を合わせたので、自然に「こんにちは」と声を掛け合った。そしてその奥さんは離れて行きながら「お元気そうですねえ」と言った。

 

 それを聞くと、「お元気そうですね」は年寄りに対する挨拶のような気がして少し苦笑した。ある新聞の川柳欄に「老人と言われたよなもの お若い!は」という句があったがそんな感じだ。「いえ、もうトシですよ。もうすぐ78になります」と応えると、「今頃は78なんて若いですよ」と返された。半分はお愛想なのだろうが、何年か前に亡くなった彼女の舅はかなりの年齢まで元気に自転車に乗って自分の田畑に行っていたから、そう思うのかも知れない。しかし、自分ではまだ若いとはどうにも思われない。

 

 俳優の長門裕之さんが亡くなった。私と同じ77歳だった。つい先だってはやはり俳優の児玉清さんが77歳で亡くなった。気のせいかこの2,3年あたりから芸能人の死去の知らせをよく聞くようになったのだが、皆それなりに長生きして元気だったのだなと思う反面、長門さんや児玉さんのように私と同い年の人の訃報に接すると、やはり、私もそろそろ近いのかなと思ったりする。

 

 そんなこともあってか、最近は「トシだな」と感じることが多くなった。相変わらず血圧は正常だし、糖尿の気もない。他人からは顔色が良く艶があるとか、声に張りがあるとか言われたりするから一応は「元気」なのだろうが、足腰はめっきり弱くなった。トシということもあるかも知れないが、やはりこれまでの運動不足のツケが来ているのだと思う。

 

 日々老化の波に洗われるのは仕方がないにしても、精神的には老いたくないと思う。年をとると頑固になるとよく言われるが、そうはなりたくない。もっとも、会うことの多い卒業生のHr君などは私が頑固になっていると思っているようだ。どういうことでそのように思うのかは訊ねたことはないが、彼の言葉の端々にそれを感じることがある。自分ではそれほどとは思っていないなどと言うと、それが頑固の証拠だと返されそうだから、黙っていることにしているし、年寄りが頑固になって何が悪いと居直る気もない。

 

 青春再び返らずと言うが、青春はともかくとして、まだ活力のあった頃には戻りたいと詮無いことを考えることがあり、古代中国の皇帝達が不老長寿の仙薬を渇望した気持ちも何となく分かるような気もする。

 

 さて、あと何年残されているのだろうか。こればかりは知りようがない

 

 

 


愛国教育

2011-05-24 09:35:01 | 中国のこと

東日本大震災の被災に対しては,世界各国から義援金や激励が寄せられた。少し前のことになるが、中国ではインターネット動画サイト「優酷(ヨウク)」などに、東日本大震災の被災者への応援ソング「日本不悲傷(日本よ悲しまないで)」が投稿されていて話題を集めているという記事をある新聞の電子版で見た。

 

「涙を流さないで。愛が全ての災難を止める」と女性が中国語で歌い、「にほんよ、にほんよ」と日本語混じりで呼びかける部分もあるそうだ。作者とみられる中国人はサイトで「われわれの隣人を愛し、幸せを祈ろう」とコメントし、同サイトには「加油チャアヨウ(がんばれ)日本!」「(被災地の)立派な日本人に敬服した」など、応援ソングを後押しする中国国内からの書き込みが寄せられたという。

 

 中国にもこのように心優しい支援者がいるのかと思うと心が和むが、それでも他方ではこの歌の作者に対して「おまえには愛国教育が足らない」とか「実は日本人が作ったんじゃないか」などと、反日感情をむき出しにした心無いコメンとも多数あったと言う。一部の中国人の反日感情にはどうしようもないものがあるが、そういう人間は日本が不幸になれば喜び、被災者に対する同情の気持ちや、死者に対する哀悼の念など微塵もないようだ。しかし、日本人の中にも、あの中国の四川大地震に対して、ある女性が「罰が当たったのだ」と言い捨てたのを聞いたことがある。その国が嫌い、憎いとなると人間としての感情も荒れたものになるのだろう。

 

 ところで、「おまえには愛国教育が足らない」という、その「愛国教育」だが、1993年に中国国家主席となった江沢民は一貫して反日強硬路線を採り、1994年には「愛国主義教育実施要綱」を制定、1995年からは徹底した反日教育を推進した。愛国主義教育は必ずしも反日教育ではないとも言われるが、実際には反日教育が中心になっていたようだ。だからこの教育を受けた世代は非常に強い反日感情を持っていると言われている。江沢民自身はきわめて強硬な反日主義者だとも言われているが、そのような一個人の考えが国家の方針となり、多数の国民に洗脳的影響を与えるところが、中国が独裁国家などと言われるのだろう。

 

 ある評論家は、学校の教科書はすべて書き換えられ、日中戦争の日本軍の残虐行為をあげつらうものになった。相変わらず小学校の教師は、授業で日本軍の残虐行為を語るときに、感極まって泣き崩れる。壮絶な話に興奮した生徒たちは泣き叫び、教科書を黒板に叩きつけ、机をひっくり返し、集団ヒステリー状態に陥る。しかし、それが収まった後には、教室の中に恍惚とした一体感と日本に対する激しい憎悪が生まれるのだという」と書いている。

 

この評論家は中国生まれで、日本に帰化した反中愛日者として、日本の右派言論陣で大いにもてはやされている人物であるから、その現体制の中国に対する批判は一貫しているが、この愛国主義教育の実態は為にする創作ではあるまい。このような常軌を逸したような授業がすべての学校で行われていたとは思われないが、日本を憎む心情が植えつけられる教育がかなり行われたのは事実だろう。「おまえには愛国教育が足りない」というのは、要するに「日本を憎む気持ちが乏しい。愛国教育を不十分にしか受けていない」という誹謗だろうし、このコメントをした者は、骨の髄まで反日に染まっているのだろう。

 

 国を愛することは大切なことだし、自分の信条から自分の国のあり方に批判を持ち、それを変えようとすることも「愛国」の形と言える。しかし過去の日本にもあったし、今でも存在する偏狭で過激な「愛国主義者」は、自国のみを正しいとして他国を侮る独善的な思考にとらわれている。このような「愛国者」達が国のあり方に影響を持つようになれば、その国はやがては孤立し、世界の鼻つまみ者になるだろう。

 

 

 

 


犬はワンワン

2011-05-22 09:19:08 | 身辺雑記

 日本人なら犬の鳴き声は「ワンワン」だと言う。子どもは「ワンチャン」などと言う。中国語でも「ワンワン(汪汪wangwang)」で、あるブログで北京の美容室に「ワンワン(旺旺(wangwang)」という名の犬がいたと書いていた。旺は「盛んである」と言う意味だが、鳴き声にかけた愛称だろう。

 

 それでは世界のどの国でも犬の鳴き声を「ワンワン」かまたはそれに近い音で聞いているのかと言うとそうではなく、中学生でも知っているが、英語では「バウワウ」だ。そのほかの国では、調べてみるとフランス語で「オウアア オウアア」、ドイツ語で「ワウ ワウ」、イタリア語で「バウ バウ」、ロシア語で「ガウ ガウ」などとなっていた。どれも日本の「ワンワン」とは違うが、声に出してみると犬の声らしくは聞こえる。では日本人はずっと昔から犬は「ワンワン」と鳴くと聞いていたのかと言うと、どうもそうではないらしい。

 

 山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた』(光文社新書)は、日本語の擬音語(オノマトペ)や擬態語の研究者の著書だが、なかなかおもしろい。この本の第二部「動物の声の不思議」の最初に「昔の犬は何と鳴く」という項があり、それを見ると「ワンワン」は確かに江戸時代の絵本にも描かれてはいるが、それはたかだか江戸時代の初め頃までしか遡れないのだそうだ。江戸時代以前には「ワンワン」と記された文献は見当たらないようだ。

 

 時代を遡ると平安時代末期に成立した「大鏡」に、清範律師という説教の名人が、愛犬の法事を頼まれた席で、「この世を去った犬の霊は、今頃は極楽浄土の蓮の台の上で、「ひよ」と吠えていらっしゃるだろう」と言い、聴衆はどっと笑ったとあるそうだ。しかし犬の声が「ヒヨ」とは信じにくいのだが、著者は昔は濁音表記がなかったので、「ヒヨ」は「ビヨ」と濁音で読むのではないかと推察する。また「ビヨ」は長音化して「ビョウ」となったとも言う。

 

 この「ビヨ」も「ビョウ」も、今の私達には犬の声としては奇妙に聞こえるが、江戸時代中頃までは使われていた。しかしそれ以後は「ビョウビョウ(あるいはベウベウ)」は犬の一般的な鳴き声ではなく、遠吠えを写すものとされるようになり、他方では「ワン」も使われるようになった。そして「ワン」の勢力がしだいに圧倒的になると「ビョウ」は方言としてのみ残り現在に至ると説明されている。今でも島根県益田市、高知県、長崎市では、犬の声を「ビョウ」と聞いているそうだ。ではなぜ「ビョウ」が「ワン」になったのかと言うと、著者は文献を基にして、飼われている環境の変化が、犬自体の吠え声の変化を写し出していると推測している。

 

 犬は「ワンワン」だが、犬とともに私達に身近な猫の鳴き声は「ニャオ」、「ニャア」だ。前に西安に行った時、ある遊園地で猫のそばを通ったときにその猫が小さな声で鳴いた。同行していた李真に「ニャオと鳴いたね」と言うと李真は「ミャオと言いました」と言った。「いや、ニャオだよ」、「いいえ、ミャオです」とひとしきり言い合って笑ったのだが、中国語の猫の鳴き声の表記は「miao(口+苗)」だ。他の国でも犬と違ってだいたい同じようなもので、英語ではmeow,イタリア語でmiao、ドイツ語でmiau、フランス語でmiaouなどでほとんどがmで始まっている。日本語のようにnで始まるのは、韓国語の(n)ya-ongとギリシャ語のniaouぐらいだった。

 

 http://animalssounds.web.fc2.com/ 

 

 http://ushi8.com/mau/design2/animals/index.html


風刺

2011-05-20 08:44:37 | 身辺雑記

 フランスのある民間テレビ局が時事問題を風刺する番組の中で、東日本大震災の被災地の仙台の町並みと、原爆が投下された直後の広島の写真を並べて、「日本は60年間も復興に向けた努力をしていない」というせりふをつけたりするなどしたそうだ。

 

 この番組は時事問題を人形劇で風刺するものらしく、上記の内容のものの他にも、福島第一原子力発電所で復旧作業に当たる作業員をテレビゲームのキャラクターに見立て、原発の事故処理をあたかもゲームのように伝える場面や、日の丸の上に放射能のマークを入れた映像なども映し出されたと言う。これに対してフランスの日本大使館は、「被災者感情を著しく傷つける内容だ」として、書簡などで強く抗議したが、テレビ局側は「いかなる対象も風刺する番組で、人を傷つけるのが目的ではない。表現の自由がある」などと回答し、謝罪は一切していないそうだ。その後どうなったかは知らない。

 

 風刺とは「①遠まわしに社会・人物の欠陥や罪悪などを批判すること。②それとなくそしること。あてこすり。」(広辞苑)ということだが、原爆と今回の大震災の被害状況を並べることで、いったい何を風刺しようとしたのか。広島について、60年間も復興に向けた努力をしていないと言うのははなはだしい誤認、と言うよりも虚偽で論外なものだが、それと大震災の被害状況を並べて、被災地も60年間は復興できないとでも言いたかったのか。「人を傷つけるのが目的ではない」と言うが、公共放送の当事者としては当たり前のことで、まして「表現の自由」があるなどというのは「盗人猛々しい」の類だ。日本の国旗に放射能のマークを描いた映像は見たが、日本全体が放射能に汚染されている風刺のつもりか。バカにしているとしか思えない。

 

 根本的には原爆や震災の被害を軽く捉えているとしか考えられないのだが、それとも世界一の原発保有国である自国のあり方に警鐘を鳴らしたつもりなのか。実際にその番組を観たわけではないから、断定はできないが、それにしても、被害者の心情に対する配慮がないと思うし、時折思う欧米人、白人の優越意識、傲慢さを感じさせる。このような番組をつくる連中の程度の低さはもちろんだが、見て喜んでいるのも品性が低いと思う。

 

 


素性の分からない猫

2011-05-18 09:54:04 | 身辺雑記

 我が家のミーシャは玄関のドアを開けると外に飛び出し、コンクリートの道の上でごろごろ引っくり返ったりしてから、やおら散策に出かける。縄張りはあまり広くないようで、30分か1時間ほどすると、裏の庭に面した部屋のガラス戸の向こうに戻ってくるので開けて入れてやる。

 

 

 

  

 

 数日前の朝、パソコンに向かっていると、そばのガラス戸の向こうに茶色い姿が見えた。ミーシャが帰ってきたのだろうと思ってガラス戸を開けると、外に積んであるプラスティックの箱の上に見慣れない猫がいる。一瞬ミーシャかと思ったが、すぐに違うことが分かった。毛の色も顔かたちも似ているのだが、薄汚れしているし、それに親バカのようだが、ミーシャの方がかなり品があって可愛い。一見して野良猫そのものという風体だ。

 

   

 

 最初はいかにも野良猫というように警戒心を丸出しにして、私がちょっと動くとさっと逃げる。そのくせまた近寄ってきて私をじっと見つめる。「おまえ、だれなんだ?」と言ってみたが、ニャンともスンとも応えない。ミーシャは声をかけるとニャオと返事するが、この猫はいやに無口だ。思いついてミーシャに時々やる煮干を少し持ってきて新聞紙の上に乗せて差し出すと、ちょっと匂いを嗅いで、途端に乱暴な手つきで新聞紙を叩いたから、煮干は飛び散ってしまった。その行儀の悪い仕草は、どうも飼い馴らされているようではなかった。やはりノラなのだろう。

 

 家の近くで時折ミーシャとよく似た猫を見かけることがあるが、それかも知れないとも思ったが見当がつかない。どうして急に我が家に現れたのかもわからない。初めて現われてからは毎朝やって来るようになった。ガラス戸を開けるとじっと座っていて、私を見つめる。まだ一度も鳴き声を聞いたことがない。だいたいミーシャもそうだが、猫の行動にはどうも解りにくいところがあって、何を考えているのかと思うことがよくある。犬に比べるとどこか陰性なところがあるから、なおさらそう思うのだろう。煮干ではだめだと思ったから、ミーシャが子どもの頃使っていたステンレス製の器にドライフードを一掴み入れてやるようになったので、それを当てにするようになったのだろうか。

 

 毎日顔を見ているうちに、初めの頃と違ってちょっと可愛く思うようになってきた。前足を揃え尻尾を前にもってくる、Hr君が言う「猫してる」という格好で、ガラス戸を閉めてもじっと動かないでいる様子が何となくいじらしいようにも思う。しかし、家の中に入れるつもりはないし、我が家の飼い猫にする気もない。ミーシャと仲良くなればそれも良いだろうと思ったが、部屋の中のミーシャを見ると歯をむき出してフーッと威嚇したから、無理なようだ。

 

  

 

 馴れてきたせいか表情が少し穏やかになり、ミーシャに似ているようにも思えてきた。鼻の両脇に傷跡のようなものがあるが、他の猫と喧嘩した名残かもしれない。そうするとオスなのかなとも思う。

 

 

 

 

 


洋蘭(2) ―コチョウラン―

2011-05-17 09:21:51 | 身辺雑記

 洋蘭の中ではシンビジュウムのほかに、カトレヤ、パフィオペディルム・デンドロビウムの四属が有名で、四大洋蘭とも言われるが、最近はコチョウラン(胡蝶蘭)もよく普及している。

 

  カトレヤ

 

  パフィオペディルム

  

  デンドロビウム 

 

 「あんみつ館」には、シンビジュウムのほかにコチョウランも展示されていた。コチョウランは花が蝶が舞っている姿に似ているところから名付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 200万円のコチョウランの寄せ植え。愛知県豊橋市の園芸店の作品で、日本最大の寄せ植えと言う。これだけの数を寄せ植えするのは至難の技で、花の咲き具合を出荷する日に合わせて調整し、仕上がりの姿をイメージしながら、一気に2,3人で鉢に寄せて仕上げると説明されていた。

 

 

 

 コチョウランはかなり高価なもので贈り物などによく使われるが、私としては変化の多彩なシンビジュウムの方が好ましいと思う。

 


洋蘭 ーシンビジュウムー

2011-05-16 09:36:55 | 身辺雑記

 うだつの町並みのある徳島県美馬市脇町に、「あんみつ館」という洋ランを展示している施設がある。この地には「河野メリクロン」と言う、昭和42年に設立されたシンビジウムなどの洋ランの培養、繁殖をしている企業があり、「あんみつ館」は、その企業が経営する洋ランの展示、販売の施設だ。

 

 「メリクロン」は、植物の茎の先端部にある分裂組織(メリステム)を組織培養して無性生殖的に増殖した個体群(クロ-ン)のことで、培養の難しいランなどの繁殖技術として使われている。「あんみつ館」とは変わった名前だが、ここで1986年に作出され、販売されたシンビジュウムの一品種につけた名称「あんみつ姫」から来ているとのことだ。同社によるとこの「あんみつ姫」は最高級鉢物品種として爆発的な人気品種となったそうだ。「あんみつ姫」は1950年頃の少女漫画の主人公の名で、その後テレビのアニメにもなって人気があった。

 

     

 

 

 展示場。「お蘭見(おはなみ)広場」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンビジュウムは、ラン科シンビジュウム属植物の総称で、日本のシュンラン(春蘭)や中国のチュウゴクシュンラン(中国春蘭)などもこの仲間だ。

 

 

 

 とくに熱帯原産の豪華な花をつけるラン科植物がヨーロッパで栽培されるようになったものが洋蘭としてのシンビジュウムである。