中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

初夏の白い花

2007-04-30 08:30:52 | 身辺雑記
 花を作る家が多くなっているように思う。道を歩いていても色とりどりの花が目を楽しませてくれる。原種は地味な色でも園芸種になると鮮やかな色彩のものが多い。どんどん新しい品種が創られているのは、いわゆる「バイオ技術」の進歩が与っていることもあるのだろう。

 そのような鮮やかな色彩の花の中にあって、私にはとりわけ美しく思われるものは白い花だ。鮮やかな緑の葉の中にある純白の姿は飾り気がなく、清楚で気品があり、これこそが花と言うものだと思わせてくれる。

 利休梅(りきゅうばい)
  和名はバイカシモツケと言うバラ科の落葉低木。中国長江下流域原産。豊臣秀吉に仕えた千利休にゆかりがあるように思えるが、明治の末に渡来したものだから利休には関係がない。関西でおこり生花店などで使われている名称だそうだ。






 沙羅(しゃら・さら)
  山地に自生するツバキ科の落葉高木。和名はナツツバキ。仏教で釈迦入滅時に、臥床の四方に2本ずつあったとして聖樹とされる沙羅双樹に間違えられたことに由来する名称と言う。沙羅双樹はインド産で日本には野生せず、沙羅双樹としてよく寺院に植えてあるものはこのナツツバキだそうだ。高さは10メートルほどにもなるとのことである。

  

  


 鉄線(てっせん)
  中国原産のキンポウゲ科の落葉蔓性植物。漢名は鉄線蓮(tiexianlian)。蔓が強く針金のようであることに由来する名前である。江戸時代から観賞用として栽培されてきた。中国産のテッセンや日本産のカザグルマなどをヨーロッパで交配して四季咲きのクレマチスが創出された。最近園芸店などで売られているものはクレマチスが多いようだ。クレマチスも含めてテッセンと通称することも多いと言う。



「おいしい」

2007-04-29 09:09:17 | 身辺雑記
  私はテレビをあまり見ないほうだが、時折漫然と点けているときに、グルメ番組と言うのか、タレント、それもたいていは若い女性が有名な料理屋やレストランなどで料理を食べる番組に出くわすことがある。私は戦争末期から戦後の食糧難の時代を過ごしたせいか、食べることや食べ物には興味が惹かれるので、つい見てしまう。

 そのような番組を見ながら、いつも気になっていたことがあった。それはレポーターの若い女性が、料理を口に入れてすぐに判で押したように「うーん、おいしい」とか「おいしいです」と言うことだ。口に入れてすぐに味が判るものだろうか。やはり口の中でゆっくり味わわなければ、その料理の本当の味は判らないだろう。最近、こんな川柳があった。

 口に入れうまいと言う間短かすぎ 

  それに口の中に食べ物を入れたままで言うことも気に入らなかった。口の中に料理を入れたままだから「うーん、おいしい」もくぐもったような声になり聞き苦しい。昔は親から「口の中に入れたまま話しちゃいけない」と叱られたものだ。 

 もう1つ、これはちょっと酷な言い方かも知れないが、本当にこんな人生経験も浅いような若い子が、高級な料理の味など分るのだろうかとも思ったものだ。意地悪な言い方をすると、レトルト食品とは違う上等の料理だ、美味しいのに決まってるじゃないか。私などは有名料理店やレストランの料理をいただく機会などほとんどないから、何でも美味しいと思うね。だいたい、君が「おいしい」と言っても、どのように美味しいのかさっぱり分らないよ。

  ところが、さすがに一つ覚えのように「うーん、おいしい」では芸がないということになったのか、近頃では、口に入れた後の表情や感想にバラエティーが出てきて、何やらもっともらしいことも言うようになっているようだ。それとても、その料理の味がどんなものかは分るものではない。だいたい料理の味を言葉や文字ではっきり表そうと言うことは難しい。かと言って、「この味は私にはちょっと」とか「もう少し淡白な方が」などと批評はできまい。そうなると、やはり単純に「うーん、おいしい」くらいが無難と言うことか。

  聞くところによると、最近はこのような番組での食べ方や表情、言い方についてのマニュアルがあるそうだ。要するに演技指導書だ。テレビなんだ、結局すべてが演技なんだと言うことだろう。ただ、そのような演技指導の成果なのか、近頃は別に有名料理でなくても、タレントか何かが箸で料理を口に運ぶとき、真正面に持ってきてから口に入れるのには何か違和感がある。少しわざとらしいし、ぎこちないし、あまり見た目も良くないのでないか。私の箸の運び方が一般的なのかどうかは知らないが、そんなに真正面に持ってくることはなく、少し右斜めに持っていく。それに、時には真正面から大きなものを大口を開けて押し込むのは見苦しい。食べるときには小さく一口でと、これも以前は言われたものではなかったか。

 私は、食通とかグルメとか言うのはあまり好きではない。もちろん私自身がそのようなことからほど遠いからでもあるが、ことさらに味に拘り、あれこれ小難しいことを言うのは煩わしい。幸いそのような人物に出会ったことはないが、同席したら鬱陶しい思いをすることだろう。食事は楽しむもので、難しい顔をして肩肘張って、あれこれ言いながらするものではないと思う。

  食べることをテーマにした番組で、一番嫌いで見ていて不愉快になるのは、早食い、大食いを競うものだ。岩手の郷土料理の椀子蕎麦は椀を空にすると次々に新しく足していき、満腹すれば合図して止めればいいから、その様子を見ても不愉快になることはない。そうではなくて、味わうことなどまったく無視して、ただむやみやたらに口に押し込んでいるような番組では、終わり頃には口に食べかけのものを入れたまま大きく息をついて胸ををさすったりして、見ているだけで胸がもたれる感じになり、出演者が動物のように見えてくる。いや、動物でもこのような意地汚い食べ方はしないのではないだろうか。飽食時代の愚劣な番組だと思う。

                                                                  
                             


                             
  
                       
                      


倉敷

2007-04-28 09:08:43 | 身辺雑記
  卒業生のH君が運転する車で、彼の奥さんと同級生のH君の3人と一緒に倉敷を訪れた。

  岡山県倉敷市は岡山市の西に位置する人口約47万人の、岡山市に次ぐ県下第2位の都市で、中国地方でも広島市、岡山市に次いで第3位にある。しかし都市の喧騒は感じられない、落ち着いた雰囲気の市に思われた。

  「倉敷観光Website 」には次のように書かれている・

  「今をさかのぼること約350年前の江戸時代、倉敷は江戸幕府の直轄地『天領』でした。倉敷川畔は米や綿花などの物資の集散地として栄え、商人たちが白壁の土蔵や屋敷を構えました。倉敷美観地区は『伝統的建造物群保存地区』としてその当時の面影を色濃く残し、今に伝えます。
  明治になると紡績業で再興が図られ、代官所跡に倉敷紡績所が建設されました。創業当時の原綿倉庫を利用した倉紡記念館は当時の産業の歩みを現代に伝えています。」

 倉敷紡績所は、地元の大地主であった大原家の出資で設立され、倉敷紡績(クラボウ)として発展した。


 倉敷美観地区を流れる倉敷川河畔の風景。白壁の家屋が印象的である。江戸時代の頃の風景はこのようなものだったのか。柳の新緑が美しい。












 大原美術館。倉敷の実業家大原孫三郎が昭和5年に設立した、日本最初の西洋美術中心の私立美術館。


 
 赤煉瓦造りの紡績工場を改装した「倉敷アイビー・スクェア」。ホテル、レストラン、文化施設などがある。




 蔦の緑が美しい。




 帰る途中で買った岡山の菓子。手前が黍団子。以前は経木の菓子折に入れてあったが、今は紙箱だから、あの経木の良い香りがしないのが物足りない。後はむらすずめ。黒い気泡の跡を稲田に群れる雀に見立てたものか。







カリフォルニアジャスミン

2007-04-27 09:32:42 | 身辺雑記
 前に紹介した花つくりの上手な奥さんの家にあった。黄梅かと思ったが奥さんが「カリフォルニアジャスミンです」と教えてくれた。そう言われると葉や茎の様子が違う。かすかに芳香が感じられて、ジャスミンらしく思われた。





 黄梅には芳香はないがジャスミンの仲間で、花の形はよく似ている。

 黄梅  雲南黄梅 

 ハゴロモジャスミン

日本の若者

2007-04-26 08:30:29 | 身辺雑記
 上海のホテルのロビーで、尋ねてきた友人の唐怡荷と話をしていると、私の横にドスンと乱暴に腰を下ろした者がいた。見ると日本人の若い男で、体をソファーに沈みこませ、開いた脚を長く投げ出してタバコを吸っている。その向こうには仲間らしい2人の若者がいた。何やら声高に喋っていたが、やがて立ち上がってエレベーターの方に歩いて行った。皆最近の若い男によくあるひょろりとした痩せ型で、シャツとジーパン姿、髪はぼさぼさ、無精ひげで、手には火のついたタバコを持って、だらしなく歩いてエレベーターの中に姿を消した。上海に遊びに来ていたのだろう。このホテルでは他にも同じような様子の若者を何人か見かけた。3月の初めだから、春休み中の学生だったのか。

 着ているものが垢じみてボロボロということではない。ぼさぼさ髪もそれなりの彼らのファッションなのかも知れない。不精ひげは私自身が最近はひげ面だからとやかく言えないだろう。しかし清潔感が感じられず、何かしら薄汚いのだ。歩き方も腰を落とし、少し背を丸めてシャキッとしていない。その姿で火のついたタバコを持ったりくわえたりしながら廊下を歩くのは、だらしがないとしか言いようがなかった。

 おそらく、彼らは日本にいる時とまったく同じ服装、スタイル、しぐさなのだろう。それがなぜ悪い、外国だからと言って何もよそ行きの格好をすることはなかろうと言われればそれまでだし、考えようによっては外国だからと言って物怖じせず、普段と同じように振舞えるようになったのは、昔に比べて「進歩」したのかも知れない。しかし汚くはないが、なぜ若者らしい清潔感が感じられないのだろう。気取る必要はないがもう少し何とかならないものかと思う。だが、そもそも「若者らしい清潔感」を求めるということ自体がもはや錯誤なのか。前に読んだことがあるが、オーストラリアを訪れる各国の若者達の中で、日本の若い男が一番だらしない印象を与えていると言うことだった。

 私が見かけた若者達は例外だと思いたいが、無作為抽出のようなものだから、たまたまこのような若者に出会ったというよりも、やはり同類は多いのではないかと思う。美輪明宏氏は「世なおしトークあれこれ」(PARCO出版)で次のように言っている。

 ・・・今や若者はどこへ行くにもTシャツとジーンズ。平気でお尻を出したり、オッパイを放り出した物欲しげなきわどい服装で街を歩く女性もいます。TPOをわきまえない、だらしなく汚れた、前世はゴミの精だとしか思えないへアスタイルと「ぞうきんファッション」。これらすべての元凶は、アメリカにあるのです。
 日本人が失いつつある「つつしみ」「節度」「折り目正しさ」を取り戻すためには、戦後、アメリカから輸入して正当化されてしまったアメリカのスラム文化を、一度、全部洗い流してゼロにして再出発する必要があるのです。(以下略)

 確かに、識者にこのように言わせるような現象はあると思う。年長者としては、日本の若者が世界のどこに行っても認められ、すがすがしさを感じさせるようになってほしいと願う。


                            
                          
 





 

            

花水木(ハナミズキ)

2007-04-24 09:27:28 | 身辺雑記
 桜が終わってしばらくするとハナミズキが咲き出す。以前はそれほど見かけなかったが、最近では街路樹として植えられていることが多くなったし、庭木としてもよく見かける。人気があるのだろう。



 ハナミズキは北アメリカ原産のミズキ科の落葉。米国の首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だが、これは明治の終わりごろに尾崎行雄(咢堂)東京市長が、米国のタフト大統領夫人の希望を受けて寄贈したもの。その返礼として、1915年にハナミズキが米国から東京市に贈られたのが日本でのハナミズキの起源で、日米親善の木とされる。その原木は日比谷公園に残っているそうだ。花言葉は「返礼」。



 4枚の大きな花弁に見えるのは苞(花序の基部につく葉)で、それに囲まれた中心部に小花がある。

  

蕾と言うのか。開き始めた苞。





苞が花弁に見える花に、よく見られるドクダミがある。

 「種類で探す花図鑑」(インタネット)より


 近縁種に、日本原産のヤマボウシがあり、ハナミズキはアメリカヤマボウシと呼ばれたことがある。

  「四季花ごよみ 夏」(講談社)より

金柑

2007-04-23 10:11:16 | 身辺雑記
 

 

 昔から親しまれている小型の柑橘類。果肉は非常に酸っぱく、果皮だけが甘いので歯で果皮を齧って剥きながら食べた。何しろ小さいから、いくつ食べても満足感がなかったが、子どもの頃から好きだった。砂糖漬や砂糖煮にすると果肉まで食べられる。あちこちの庭などで見かけるが、おそらくは酸っぱいものだろう。近頃は完熟金柑と言う普通のものより少し大ぶりのものがが出ていて、これは果肉まで甘いが、比較的高いのが難点。完熟金柑と言うが、普通の金柑でも完熟したら果肉まで甘くなるのか、それとも品種改良されたものかは知らない。

 中国の長江下流が原産地。漢名は金橘(jinju)、英名はkumquatで、これは「金橘」の広東語読みの「カムカッ」から来ていると言う。江戸時代に遠州灘で遭難し清水港に寄港した中国の船員が、砂糖漬けの金柑を地元の人に贈り、その種子が全国に広まったという言い伝えがある。幕末に日本に来たドイツ人のシ-ボルトは、さまざまな日本の植物の標本を作り図版を発行しているが、その中に金柑があるから、当時(1820年代)は既に金柑は日本に定着していたのだろう。

 「シーボルト:フローラ・ヤポニカ」(八坂書房)より

 「キンカン」と言うと思い出すのは、子どものころに切り傷の傷口につけた液状の薬だ。メンソールの強い香りがして、傷口につけると非常に痛く「うーん痛い」とうめいて息を吹きかけたりしたものだが、痛いだけ効き目があるように思えた。虫刺されの跡にもつけた。今でもあるのだろうか。

 スーパーやデパートの鶏肉売り場で時折、鶏の排卵前の卵が輸卵管と一緒に「玉ひも」と言う名で売られていることがあるが、これも業界用語で「キンカン」と言うらしい。形、大きさ、色からの連想だろう。醤油煮にして食べたが、硬い食感で、味にもコクがなくて美味いものではない。


投票日

2007-04-22 09:21:58 | 身辺雑記
 統一地方選挙後半の選挙運動、舌戦も終わり、今日は打って変わった静かな朝を迎えた。ともあれ、投票所に向かう。まだ早いせいか、あまり人は多くないが、さて今回の投票率はどれくらいになるのだろうか。





 4年前の記憶が薄れていることもあるのか、定員削減で激戦になったためなのか、選挙カーの連呼が毎日うるさかった。近頃はプロの「うぐいす嬢」を雇うとかで、そのせいかオクターブの高い声で、しかも大音量で名前を連呼されると、まことにうるさい。先日もある会議中に、あまりうるさいので窓を閉めた。駅前で演説している候補者もいるが、やはりスピーカーの音量が大きい。この場合はまだしも政策らしいことを言っているが、選挙カーの場合は、「人に優しい町つくりを目指す」とか「若さ溢れる」とかをつけて名前を叫ぶだけだから、うるさいなと思うだけで逆効果ではないかとも思う。

 それにしても選挙運動中は、新顔はもちろん現職も低姿勢だ。かつて私がある市の教育委員会事務局にいた頃、仕事上市会議員のもとを訪れることがよくあったが、概して横柄な態度が多く、中には怒声を上げて「おまえは我が党をバカにするのか」などと脅迫まがいの物言いをする者もいた。私は父からも「おまえ」呼ばわりされたことがなかったので、きわめて不愉快だった。またある若手議員は、たまたま私が勤務していた高校の卒業生だったが、こちらは職務上ていねいな物言いをしているのに終始タメ口で、生意気な感じがした。その男が選挙期間中に街で出会った時、向こうから満面の笑みを浮かべて走り寄って来て「先生、よろしくお願いします」と握手を求めてきたのには、これが議員根性と言うものかと浅ましく思ったものだ。いわゆる長老議員の中には鼻持ちならないくらい傲慢で横柄な者もいた。そのような議員も選挙中は笑顔で腰が低いのだろうか。もちろん、現職中も選挙中も終始物腰低く、丁寧な物言いの議員もいたが、少数だった。

 「選良」などと言う言葉は、もう死語に近いものになったのかとも思う。当選したら昨日まで下げていた頭(ず)が高くなり、ふんぞり返るようにはなってほしくないが、多くの場合は高望みと言うものだろうか。議員は特権階級ではない。「落選すればただの人」と言われるが、当選しても「ただの人」であってもらいたい。何のために、誰のために政治に関わっているのかを常に謙虚に考えて身を処していくためにも、「ただの人」であることを心掛けるべきだろう。



紅花常磐満作(べにばなときわまんさく)

2007-04-21 16:10:04 | 身辺雑記
 近頃は、従来からあった植物に品種改良が加えられて、花樹にもさまざまなものができている。

 よくコーヒーを飲みながら本を読むホテルのレストランの植え込みにこの花を見つけた。花の形にどこかで見覚えがあるが名前が出てこない。

 それで植物、特に園芸種の名をよく知っている卒業生夫婦に撮った写真をメールして尋ねたら、ベニバナトキワマンサクです、家の北側にも植えてありますと返事が来た。なるほどマンサクか、どうりで見たことがあるはずだと思った。これまで見慣れていた満作の花は黄色だったから分らなかった。そう言われてみると、近くの家の庭にもあったから、近頃では黄色のものよりも紅色の方が好まれるのだろうか。インタネットの「種類で探す花図鑑」(http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan.html)と言うのをその卒業生を教えてもらって見たが、従来のものは「木の花」に、紅花のものは「庭木」にあった。

紅花常磐満作



満作(「種類で探す花図鑑」より)


 吉野のみやげ物屋の店先にあったミツマタも、野生のものとは違うと思ったが、これも花木として改良されたもののようだ。

野生種のミツマタ(「種類で探す花図鑑」より)



庭木のミツマタ



 庭木に改良されたものと、従来からある野生のものを比べると、野生のものの方が概して地味だが、素朴で野趣に富み、好ましいと思う。


2007-04-20 19:20:27 | 身辺雑記
 筍の旬の時期になった。町の青果店にも「朝掘り」と言って売られている。



 筍は缶詰や袋詰めとして年中見ることはできるが、やはり今の時期の採れたてのものに及ばない。今時は野菜も果物もハウス栽培のものが多く、旬と言うことがわかりにくくなっている。魚でも冷凍技術が発達したから、さんまなどもいつでも見られる。それはそれで結構なことなのだが、日本のように四季の移り変わりがはっきりして、その季節でなければ見られないものがあって、それがまた季節感を誘い、「ああ、もう苺の季節か」とか「目には青葉山ほととぎす初鰹」などと新鮮な感じを与えていたのだが、季節感と言うことでは、今はノッペラボウな感じになってしまった。その点、筍はハウス栽培のものなどは多分ないだろうから、季節感溢れるものと言える。

 近くの商店街の惣菜店で、可愛い男の子が若い母親に抱かれているのを見た。その店の主人夫婦の娘の子だそうで、京都から遊びに来ているとのことだった。愛嬌の良い子で、あまり可愛かったので何枚か写真を撮らせてもらった。



 翌日プリントして持っていくととても喜んで、ちょうど京都に帰ると娘に持たせてやる、そのお裾分けですと言ってきれいな赤い器に入れた炊きたての筍ごはんをくれた。夜食べたが、味付けと言い炊き具合と言い素晴らしいもので、妻がこの時期になると1本の筍でさまざまな料理を作ってくれたことを懐かしく思い出した。筍ごはんはもちろん、木の芽和え、わかめ汁、てんぷら、煮物などどれも口福を感じさせてくれたが、とりわけ先端の甘皮の部分を細く刻んで醤油で薄く味付けした料理の味は忘れられない。

 何かで読んだが、筍がほんの少し先端を見せるか見せないかの状態のときにその周りを掘り、竹の落ち葉を置き火を点け蒸し焼きにすると、非常に美味だとあった。これは竹林の持ち主でもなければできないことだが、野趣のあるもので、一度は食べてみたいと思う。