中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

女性専用車

2008-01-31 10:27:03 | 身辺雑記
 優先座席のことを書いたついでにもう1つ、女性専用車のこと。各私鉄やJR、大阪の地下鉄などでは女性専用車を設けている。ラッシュアワーの時間帯に限って、指定された車両には男性は入れない。

 新幹線の新大阪まで行こうとして乗った在来線は大阪駅止まりだった。降りるとちょうどホームの反対側に停車していた電車があったので乗り換えた。空いていたので座席に腰を下ろし一息入れたがどうも雰囲気がおかしい。周りを見ると乗客は少なかったが、皆女性ばかり、はっとして隣の車両に通じるドアを見ると、女性専用車と書いてあった。ラッシュの時間帯が切れる直前だったので気が付かなかったのだ。慌てて席を立ちいったんホームに出て隣の車両に移ったが、何となく白い目が後を追ってくるような思いをしたし、いまいましいような気もした。

 これもJRだったが、私が降りる終点まで行く電車に乗ったとき、女性専用車だった。その時は女性専用の時間帯ではなかったので座ったし、ほかにも男性乗客はいた。しかし車内に書いてある時間帯を見ると女性専用になる時刻には後20分くらいはあるのだが、終点に着く前にその時間帯に入ってしまう。勤め帰りの女性達ばかりがどんどん乗ってくるだろう。時間帯前に乗ったのだと弁解することもできないし、また白い目を向けられるだろう。落ち着かなくなって早々に隣の車両に移ったが、また何かしらいまいましい感じがした。後日知り合いの女性に、こういうときはどうするのだろうねと尋ねたが、さあどうしたらいいのでしょうねと言うだけだった。女性には関係のないことだろう。その時刻が来ると車内放送があり、男性どもは移動するようになっているのか、よく分からない。このようなことがあったせいか、女性達の顰蹙を買いそうだが、私はどうも女性専用車というものに好感が持てない。

 女性専用車が設けられたのは、男性に比べて女性のほうが弱いからではもちろんないし、女性を尊重しているのでもないと思う。要するにラッシュ時には車内は身動きできないほどになり、そのような状況をいいことに痴漢行為を働く不埒な輩が少なくないからだ。それに男性の方も思いもよらずあらぬ疑いを掛けられることもあるようだ。実際、痴漢の嫌疑が掛けられて逮捕され、後に冤罪だと分かったケースもある。最近の若い女性は強いから、車内でも大声を上げて痴漢だと叫び、駅で駅員に突き出したりする。いったんこうなると警察も女性の言い分ばかり聴いて、男性の方はほとんどが痴漢とされてしまうらしく、たとえ濡れ衣であっても晴らすことは非常に難しいと言う。どうにも理不尽な話だが、そうなると痴漢はともかく、普通の男性は女性専用車があった方が安心して押し合い圧し合いできるというわけだ。

 よその国では、このような女性専用車というものはあるのだろうか。もし、日本独特のものだとするならば、何か日本社会の恥ずかしい状況の象徴ではないかと言えば、言い過ぎか。
 

大雪(2)

2008-01-30 19:42:33 | 中国のこと
 今日李真とチャットしたら、中国の大雪は相変わらずのようで、各地で死者も出ているようだ。

 西安の雪は止んだようだが、湖南も100年来の大雪で、故障した送電線の復旧のために鉄塔で作業していた3人の作業員が52メートルの高さから転落して死亡したようだ。李真は「烈士になった」と表現したが、殉難者になったということだ。湖南省には私が入っている会が教育援助をしている県があるが、子ども達はどうしているだろう。

 17万人が溢れていた広州駅では、鉄道の復旧が遅れるので、皆解散したようだ。料金の払い戻しはするそうだが、これはまた大変な混雑になるだろう。

 重慶から貴州に向かっていた長距離バスが谷に落ちて25人が死亡。おそらくは春節で故郷に帰る人達だったのだろう。痛ましいことだ。貴州では雪は降っていなかったが、凍雨と言って雨粒が地表に落ちた途端に凍る現象が原因のようだ。転落しなくても立ち往生し、ガソリンも切れて乗客は3日間バスの中で泊まったということもあったようで、食べ物もなかったらしいが、よく死者が出なかったものだ。貴州省では毎日2時間だけ電気と水を供給するということだから、暗く冷たい生活なのだろう。

 他にもおそらく多くの被害があって、死者も出ているのではないか。この雪は2月2日まで続くとの観測らしい。楽しみにしていた春節前にこのような大きな自然災害に見舞われ、まして命を落とすなどは、気の毒としか言いようがない。

大雪

2008-01-30 10:21:31 | 中国のこと
 中国では広い地域が50年ぶりとかの大雪、豪雪に見舞われ混乱しているようだ。

 西安の李真や袁毅とチャットしたら、西安では3週間雪が降り続いていて、とても寒いと言っていた。高速道路は閉鎖され交通は混乱しているとのこと。2月7日は旧暦の正月(春節)で、中国では最も重要なお祝いの期間が始まり、故郷に帰って親族達と団欒のときを過ごそうという人達が既に移動を始めている帰省ラッシュ(春運)の時期だ。今年の春運は23日ごろから始まったということだが、鉄道や道路事情が雪のために悪くなっているから、西安の謝俊麗は故郷の山西省に帰るのは早々に諦めたようだし、ブログを通じて知り合った広西壮族自治区の南寧で日本語を学んでいる院生のH君は、19日に発ち4日かかって陝西省北部の故郷の延安に帰り着いたそうだ。

 一昨日には南の広州発北京行きの列車が運行停止になり、広州駅は大混雑らしいと李真に聞いたので広州の旅行社にいる伍海珠に尋ねたら、足止めを食っている旅客17万人(!)が駅や周辺に溢れているとのことだった。ほとんどが故郷に帰ろうとする人達だろうが17万人とは想像もつかない。弁当は50元にはね上がったとかで、人の難儀につけこもうとする商売人はどこにでもいるものだ。雨も降ってきたそうだし、広州としては気温が低いようだから、気の毒なことだ。伍海珠は「このような人達を見ると、幸せとは暖かい家の中で食事できることだと思った」と言っていた。この人達はいつ故郷に帰りつけるのか。春運の時期の列車の切符を手に入れることは難しいようだから、切符を手にしたらそう簡単に諦めるわけにはいかないのだろう。

 雪の規模にしても被害を受ける人の数も、日本からすると桁外れの大きさだ。折角の楽しい旧正月、皆が故郷で楽しい時を過ごせるようにと願うばかりだ。

優先座席

2008-01-29 08:59:53 | 身辺雑記
 よく利用する私鉄で、昨年の秋に車内に優先座席を復活した。
 

 あまり気が付いていなかったが、この私鉄では「全席が優先座席」という理想を掲げて平成11年から車内の優先座席を撤廃していたらしい。気が付いていなかったというのは、それほど大きくキャンペーンされたという記憶がないし、その後も別に変わったことがないように思えたからだ。それがまた復活したわけだ。

 この「理想」が理想倒れに終わった原因は車内モラルの低下のようで、席を譲ろうとしない雰囲気が広まったからと言う。実際、高齢者や妊娠女性、肢体不自由者などに席を譲っている光景はあまり見ることがない。私は今やどこから見ても立派な老人となったが、この10年ほどの間に席を譲ってもらったのは1回くらいしか記憶にない。滅多にないことだから、その時に席を譲ってくれた青年の笑顔としぐさをいまだに覚えている。もちろんその時には有り難く礼を言って座った。年寄りの中には譲られるとそんな年ではないと言って不愉快そうに拒否したり、そうでなくてもやたらに遠慮するのがいらしいが、そういう素直でない老人にはなりたくない。特に若い人の行為は素直に受けるべきだろう。もっとも私は混雑した電車に乗っても席を譲られることはまったく期待していないし、どうしても座りたかったら、急いでいない限り1便遅らせればよいと思っている。

 ひねくれているようだが、私には優先座席と言うものに何かしら嘘っぽいものを感じてしまう。嘘と言うのが言い過ぎなら、きれいごとと言えばいいのか、当節の都会の人間に楽観的過ぎると思う。車内に限らず今の世の中自分本位で、他に気配りすることなどは少なくなっている。いくら優先座席を設けアナウンスしても、馬耳東風と言う風潮はなくならないだろう。優先座席を復活してからも別に車内の雰囲気が変わった様子もない。優先座席でなくても、今でも僅かながら老人や肢体不自由な人に席を譲っている光景を見る。それでいいではないかと思う。それが今の日本の現実の姿だ。

  JRの優先座席


  

大学院生の犯罪

2008-01-28 17:19:30 | 身辺雑記
 大阪の電子通信系の大学の24歳の大学院生が、テレビアニメを無許可で使っていたとして著作権法違反容疑で逮捕され、コンピューターウイルスを作成していたことが分かったという。

 この男が作ったウイルスは、近頃流行している3大ウイルスと呼ばれるものの1つだそうで、与える被害は広範囲で大きかったようだ。彼はさらにこのウイルスの亜種を100種あまり作ってもいた。これらのウイルスに感染するとパソコン内に蓄積されていたデーターが消えたり、ファイルなどの個人情報がネット上に流出するというからたまったものではない。このウイルスは人気アニメなどの愛好者が利用するウィニー(ファイル交換ソフト)を介して広がるようで、人気アニメの動画だと思わせて、それをダウンロードするとウイルスが働きだすという仕組みらしい。新作アニメの動画を無断で流すことで「有名人」とされていた2人の男も逮捕されたが、大学院生は会ったこともないこの2人の男になりすまして感染の拡大を図ってもいたそうだ。悪知恵が回ると言うか、モラルのかけらもない。

 パソコンを持つようになってからウイルスの感染には注意するようにと折に触れて言われてきたが、これまでは感染対策ソフトを使ってきたためだろうし、ウィニーなどには興味がないので被害はなかった。知人の中には感染したためにパソコンをリカバリーしなくてはならなくなった人もいたようだ。感染力の強いウイルスは、短時間で世界中に広がるようだから、その被害は甚大なものがあるだろうし、企業や公的機関にとっては由々しい問題だろう。

 かねがね、ウイルスを作るのはどのような輩だろうと思っていた。私はコンピューターのことについては無知に等しいから、このようなものを作る人間はおそらく私などは足元にも寄れない頭のよい連中だろう。しかし悪い奴らであることは確かだ。こんなのを愉快犯と言うのだろうが、他人が自分の作ったもので被害を受けるのを楽しみ、ひそかに己の「才能」を誇る歪んだ性格の持ち主、異常性格者だと思う。どうしてこのように心が歪んだ人間ができるのか。現代社会にはそのような暗い面があるのだろう。

 逮捕された大学院生は、成績は中くらいで、後輩の面倒もよく見ていたそうだ。そういうことではごく普通のコンピューター好きの、どこにでもいるような若者なのかも知れない。それがどうしてこのような犯罪に手を染めるようになったのか。本人には善悪の分別は付かなかったのだろうから、性格のどこかに欠陥があるように思う。逮捕されてから「特定されるとは思わなかった」と言ったらしいから、やはりよくないことをしているから息を潜めたいという思いは、心のどこかにあったのかも知れない。

 初めて知ったことだが、ウイルス作成を罰する法律はないそうだ。この院生についてもいろいろ検討したが、結局著作権法違反と言うことになったようだ。社会に与えた被害は甚大だから執行猶予は付かないだろうが、おそらく科せられる刑はそれほど大きくはないだろう。それに、まともに生きてきた者には理解できないことが多い昨今のことだから、後になってこの男の「才能」を買ったり、利用しようとする者や組織が出てくるかも知れない。まったく文明の発達は鬼子を生み出すものだ。


生きる

2008-01-27 10:07:17 | 身辺雑記
 電車の中で、ある劇団の公演のポスターを見た。その中に次のような言葉があった。

 生きるって 生きているって なんて素晴らしいことなんだろう

 いじめの問題に正面から取り組んだ時代劇だということだ。それを見ていると、ふと教師時代の脳の働きの授業のことを思い出した。その時には人間の「生きている」と「生きていく」とは違うと言い、「生きている」ということは、意識がなくなり重態になった状態うでもある状態だし、アメーバーでも生きている、「生きていく」ということは大脳の前頭葉を使った能動的な生き方だと話した。このポスターの演劇は、もちろん積極的に生きることをテーマにしたものだろう。

 中国語で生きるは活(フォア)と言う。この字は日本語でも使うが、概して「生きる」を使う。以前、中国の有名な女優の鞏俐(コン・リ)が演じた「活着フォアチュ」(邦題「活きる」)という映画があった。40年代から80年代にかけての、元は資産家であり博打で財産を失った男とその妻の波乱に満ちた生き方を描いたもので、邦題の「活きる」は「生きる」よりもいいと思われるものだった。

 この夫婦には息子と娘がいたが、息子は50年代のある日に事故死し、聾唖の娘は文化大革命のさなかに出産し、10代の紅衛兵の看護人ばかりの病院で出血多量のために子どもを残して死ぬという不幸に見舞われる。息子は国が推進する集会の夜に外の石垣にもたれて眠っているところを、父親の親友の党の幹部が誤って轢き殺してしまう。葬儀も終わってから、憔悴したその友人が訪れて来て詫びるが、母親は責めようとしない。そして悄然として帰っていく男の背後から、「活着(活きるのよ)」と呼びかける。我が子を失いながら、なお男を励ます母親の言葉は短いが強く心に残った。この夫婦はその後、遺された孫を育てながら豊かではないが静かに生きていく。

 私は今年、70代の半ばにさしかかる。思えば長く生きて来たものだ。功成り名を遂げてと人に言われ、自分でも誇れるほどの輝かしいものではなく、平凡なものだった。つまずいたこともあったし、悩んだこともあったが、一応は積極的に生きてきたつもりだ。悔いはないことはないが、舌打ちするほどのことでもない。問題はこれからだ。かねがね75歳を老後の最初の大きな壁と考えてきたから、これをどのように乗り越えるかだ。幸い頑健ではないが、まずまず健康だし、若い頃からの好奇心はまだ衰えていないから、何とか壁を乗り越えようと思っている。妻が逝って以来、死というものをかなり淡白に考えられるようになってはいるが、まだもう少し後でと思っている。それまでは、とにかく活きていこう。

 

不快な事件から思ったこと

2008-01-26 11:36:21 | 身辺雑記
 先月、次のような事件のことをインタネットで読んだ。

  成田空港で、仕事のために北京に向かう40歳の会社員の男が、預けたスーツケースの中の缶ビールが漏れ、ノートパソコンが濡れたことに腹を立て、応対した航空会社の男性職員を土下座させ、「どうしてくれるんだ」などと言いながら、頭から別の缶ビールをかけた。男はそのまま出国せずに逃走したが、通報を受けた警察に逮捕された。

 「頭にきてやった」と言ったそうだが、まったく無茶苦茶な理不尽な行為で、40歳と言うと私の息子達より若いが、社会人としての分別があっても当然の年齢で、いったいどういう性格の人間なのだろうかと呆れてしまった。すぐに切れる暴力的な性質なのか、やってしまった後で仕事で北京に行くのに出国せずに逃走するとは、後先を考えずに行動する欠陥人間なのか、いずれにしてもまともな人間ではない。その後どういう処置になったのか、お客様大事の会社は告訴はせず、微罪釈放になったのかも知れないが、こういう人間にはきついお灸を据える必要がある。私がこの男の会社の幹部だったら、突発的にこのような事件を起こしたうえ、仕事を放り出して逃げるような欠陥人間は不適格社員として辞めてもらうだろう。もっともこんな人間は逆恨みして、また傷害事件を起こすかも知れないが。

 この事件の記事を読んで思ったことが2つある。

 1つはこの男が航空会社の職員を土下座させたと言うことだ。土下座とは「土の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの意を表す場合に行われる」(Wikipedia)もので、上の事件の場合は、もちろん高圧的に威嚇して謝罪を要求したものだ。、私は土下座して謝らせるということが大嫌いで、深い嫌悪を感じる。

 かつて教師をしていた時に、ある学年の数名の男子生徒が1人の同級生をトイレに連れ込んで因縁を付け、土下座させて謝らせたということがあり、このことが職員会議に報告され論議された。事の詳細は覚えていないが、私は土下座させたという行為に非常に憤りを覚え、厳しい処置を求める発言をした。また、私の長男が学生の頃、駅ですれ違った数人の学生と目が少し合っただけで因縁をつけられ、土下座して謝らせられたことがあり、私はその顔も知らないその連中をひどく憎んだものだった。薬害エイズの訴訟問題で、原告団が製薬会社の幹部達と会見した時に、土下座の謝罪を強要したテレビニュースを見た時も、非常に不快に感じた。土下座して謝罪する姿は醜く、当事者にとって屈辱以外の何物でもない。被害者達の心情は十分に分かっていても、土下座を強要したことは許されないことだと思った。今も土下座する幹部達の姿と、それに向かって罵っている1人の母親の顔を、どちらも不愉快なものとして思い出す。

 もう1つは、日本人の中にはサービス業に従事する人たちを一段と見下げるような気持ちがあるのではないかと言うことだ。あからさまに蔑視はしないけれども、どうも心の奥深いところでは、何か自分より下の存在、自分に奉仕する存在のように思っていて、それが何かの弾みで態度や言葉遣いに表れるような気がする。店員などに対する言葉遣いは概してぞんざいで、少しこじれると大声を出したり暴力を振るったりすることはよく見聞きする。かつて近くのデパートで、30代と思われる男がしつこく店員に文句を言い、挙句の果てに手近に置いてあった陶器の小物を床に投げつけた。特に暴力的な感じの男ではなかったが、相手が弱い立場の者だと感情がエスカレートして制御できない性格なのだろう。惨めな人間だと思った。

 私は店で買い物をして支払いをした時や、飲食する時に注文した品や水を持ってくると「有難う」と言う。ずっと以前に何かで、米国人はスーパーで買い物をした時も店員に「サンキュー」と言うという記事を読んで、ああ、これはいいことだなと思ってからかも知れない。店員はそれが仕事なのだし、礼を言うのは店の方だと言ってしまえばそれまでだが、もう習慣になってしまっている。もっともそう言っても言葉が返ってくることは多くないが、言って損をすることではない。中国ではレストランで食事をする時には、湯飲みやコップの茶が少なくなると、すぐに店員が注いでくれるが、その時にも「謝謝」と言うと、多くの場合小声で「不客気ブカチ」(どういたしまして)と返ってくる。去年西安の李真の結婚式に出た折に泊まったホテルでチェックアウトを済ませた時に「謝謝。再見」と言うと服務員は「再見」と返してくれたが、そばにいた李真が「爺爺は丁寧だね」と言って笑った。

 何も大げさに感謝の意を表すということではなく、ちょっとした挨拶なので、彼我の心と心の潤滑油のようなものだろう。相手は売り手、こちらは買い手と言うだけで立場は平等で、客の方が偉いということはない。士農工商の時代ではあるまいし、サービス業が劣る存在ではない。最近は本当にそう思っているかどうかは別にして、お客様は神様というような考えがサービス業にあり、日本のサービスは世界一とも言われているが、それを当然としていると、自分の方が偉いと錯覚するような品性卑しい者が出てくるのだろう。


いい加減な見出し

2008-01-25 09:07:53 | 身辺雑記
 パソコンを開くと「Windows Live トゥデイ」というウインドウが画面に出る。以前はMSN毎日ニュースが提供していたが、現在はMSN産経ニュースの提供になっている。その日のニュースを何本か選んで、その見出しを載せているので、興味のあるものをクリックすればいい。

 数日前に「ウッズ、TV中継で人種差別発言」という見出しを見た。ウッズと言えば、米国のプロゴルファーのタイガー・ウッズのことだろうと思ったが、彼は複数の人種の血が混じっていて、その彼が人種差別発言とはいったいどうしたことかと疑問に思い開いてみた。

  現われた画面の見出しは太字で大きく「ウッズをリンチしろ!米司会者がTV中継中に人種差別的発言」となっていて、何だ、まったく違うじゃないかと思って記事を読んでみた。要約すると、テレビ中継の解説者の男性が「ウッズに勝つにはほかの選手が一丸となって戦うしかない」と発言すると、同席していた女性司会者が「リンチ・ヒム(やつをつるせ)ね」と冗談で応じたというものだ。リンチという言葉は、かつて黒人差別が激しかった時代に南部の黒人が私刑で絞首されたことを想起させるので、ウッズの代理人が不快感を示し、女性司会者は2週間出演を自粛することになったと、こういう話だ。

 記事を見るといきさつはよく分かったのだが、なぜ最初の画面の見出しが「ウッズ、TV中継で人種差別発言」と、まったく反対の内容になったのか分からない。実際このトゥデイの見出しを見て開いてみると内容が違っていたり、たいしたものではないということはこれまでにもあって、何かしら粗雑だと言う感想を持っていたのだが、今回の場合はあまりにもお粗末だ。新聞の紙面づくりではかなり校正、チェックが入ると思うのだが、このようなインタネットの記事には慎重なチェックの仕組みはないのかも知れない。若い記者が適当に書いて、チェックもせずに出してしまうという、いい加減な体制なのかとも思った。もし気を引くためにわざと、正反対の見出しをつけたのなら論外だが、いくら偽装ばやり昨今でもまさかそんなことはあるまい。

毎日の会話

2008-01-24 09:30:50 | 身辺雑記
 毎日のようにWindows Live Messenger という、リアルタイムに短いメッセージをやりとりすることができるWindows版のインスタントメッセンジャーを使って中国の友人達とチャットしている。

 リアルタイムにメッセージを遣り取りできるから、会話しているのと同じだし、料金もかからないので楽しんでいる。チャットする相手は西安や上海、広州、広東省中山の友人達で、東京にいる施路敏などとはほとんど毎日の遣り取りだ。その日、その時の天候などの様子もすぐに分かるし、今日は何をするかとか、何をしたかもよく分かる。顔は合わせないが、何かしら毎日のように会っているような気持ちになり、昨年西安に行き1年ぶりに友人達に会った時も、久し振りという感じがしなかった。

 写真の右側はメンバーリストで、メンバーが開いていると「オンライン」、閉じているときには「オフライン」と表示される。この他にも、「一時退席中」、「通話中」、「昼休み」などがある。「取り込み中」だったら遠慮するし、「一時退席中」や「通話中」ならしばらく待つというわけだ。
 写真の左側はチャットの記録。いろいろな感情表現や挨拶ができる絵文字もある。


 友人達はそれぞれ個性的で面白い。例えば西安の謝俊麗とは絶えず冗談を投げ合っていて、「壊老婆好」(悪妻こんにちは)、「偏心爺爺好」(えこひいき爺さんこんにちは)などと始めたりする。皆日本語は達者だから日本語で話すが、時々簡単な中国語の遣り取りをすることがあり、分からなかったらどういう意味かと聞き返すし、日本語がおかしかったら直してやったりもするから、お互いにちょっとした語学の勉強にもなっている。他愛のない話をすることもあるが、これまでには悩みの相談なども聴いてきた。話が込み入ってくると、電話に切り替えて話したこともあった。中国へ行くときにホテルなどの手配やコースの計画作成を頼んだりするのには、メールより速く遣り取りができるので便利だ。

 もっとも四六時中やっているわけではなく、午前中があいている日の朝の10時ごろから昼までのことがほとんどだ。暇人だと笑われそうだが、暇があることは良いことだと思うし、その暇を友人達とのコミュニケーションに使うのはなお良いことだと思っている。


品のない政治家達

2008-01-23 10:32:41 | 身辺雑記
 テレビをつけると、たまたま衆議院本会議での野党民主党の代表質問の場面が出た。

 しばらく見ていたが、質問の内容よりも与党の議員達の野次のひどさに辟易した。国会での野次のひどさなど今更と言われそうだが、久しぶりに聞いてみるとやはり不快な感じだ。どうも質問者の質問内容などは聞いていないようで、質問に間が入るととたんに野次が飛ぶだけでなく、発言の途中でも怒号がひどい。甲高い女性のような声もあり、しつこく野次を飛ばしていたが、こういうのは与党の特命野次係ではないかと思うほどだ。

 以前テレビで自民党の動議提案係(正式にはなんと呼んでいるのかは知らない)の訓練を見たことがある。本会議場で質疑打ち切りの動議を出す係だ。自席から大声で叫ぶのだが、一種独特の調子がある。まず「ぎちょう~~~」と声を張り上げ語尾を長く伸ばす。続いて質疑打ち切りの動議を提案すると叫ぶのだが、最後は「・・・・提案しまあ~~す」とまた長く伸ばしながら終わる。閉会中の議場で新たに任命された議員が先輩議員の指導で練習していたが、聞いていると滑稽でばかばかしくなり、やはり政治家の世界は一般国民からかけ離れた特殊なものだなあと思った。このような慣例はいつから始まったのか。今でもやっているのだろうか。動議提案係を決めるのはいいとしても、なぜ普通の調子でできないのだろうか。議場が広いからと言うのかもしれないが、野次る時に喚くくらいの声があれば聞き取れるだろう。こんな奇妙な係があるから野次係もあるのかと思ってしまう。

 このような野次を飛ばしている議員をテレビで映せばいいのにと思うが、見ている間に写ったのは1人だけで、卓を叩いて怒鳴っていた。何やら横柄な感じで、こういう手合いがしばしば傲慢な政治家タイプになるのだろう。しょっちゅう野次っている議員に焦点を当てて大写しにでもすればよいとさえ思ったが、特定の議員はアップしないと言う決まりでもあるのかも知れないし、もし写しても議員根性など度し難いものがあるようだから、写された本人は選挙民に顔が売れたとかえって得意になるのかも知れない。

 国会で野次を飛ばすのは必ずしも悪いことではないと思うが、あのようにのべつ幕なしに怒鳴るのは、やはり下品で知性の乏しさを感じさせる。頃合いを見計らった寸鉄人を刺すような鋭い、あるいは機知に富んだ気の利いた野次ならいいのだが、彼らにそのようなことを期待するのはおよそ無理なこと、無いものねだりのことなのだろう。とにかく国会議員などには品位(流行の言葉なら品格)は無用のものかも知れないが、このような「先生」方の高額の歳費を税金で賄っているのかと思うと情けなくもなる。