8月15日
今日は67年目の「終戦」記念日。日本が太平洋戦争で連合軍に降伏し、第二次世界大戦が終結した日だ。あの日私は小学校6年生で、大阪市近郊の豊中にいたが、それまでは毎日のようにあった警戒警報も空襲警報もない晴天の日で、終戦の詔勅が放送される正午頃は異様なほど辺りは静かだった。
天皇の詔勅を聴くために母の祖父の家にいた私たちは皆二階の一室に集まって神妙に正座して首を垂れていた。天皇の実声(玉音と言った)などは初めて聞くものだったが、ことばは難しいし天皇の声は甲高くて意味はまったく聴き取れなかった。その間祖父は何か巻物を捧げて、それこそ全身を震わせて恐惶そのものという様子だった。祖父にしても「現人神」の声は初めてで、恐れ多い極みだったのだろう。
その時は何のことやらわけが分からなかったが、後で叔父から日本が戦争に負けたことを知った。私はその日の日記に「世界から正義は失われた」と書いたのを記憶しているが、愛すべき「愛国少年」だったのだ。その日から空襲警報で深夜に起こされることもなく平穏な日が続き、ずっと後になって父にあの時はどう思ったたかと尋ねると、つくづくほっとしたと答えた。今に思えば、それが連日の空襲や食糧不足で疲弊していた庶民の実感だったのだと思う。
8月16日
大津市の教育長が、さいたま市の19歳の私大生に教育長室で襲われて頭骸骨骨折の重傷を負った。この学生は教育長殺害の意志を持っていたらしい。
中学二年生のいじめによる自殺問題で紛糾している大津市、この事件に関する当該校の校長や教員、大津市教育委員会、教育長の在り方は苛立つほどの不可解な姿勢だ。加害者の母親がPTA会長だったとか様々な憶測が流されているようだが、真実は何なのか分からない。教育長に至っては、被害者の家庭にも問題があったかのような発言もしたようだ。卒業生のHg君の家のテレビでたまたま議会での議員の質問に対する教育長の答弁を見たが、何を言っているのやらさっぱりわからない要領を得ない答弁で呆れかえってしまった。
この教育長の事件の対応姿勢は批判を受けても当然だが、だからと言って殺害を意図した暴力を加えるということはとんでもないことだ。加害者の大学生にどんな背景があったのかは知らないが、正義の鉄槌を下すような気分になっていたのか。その上に驚くことは、市教委に殺到した電話やメールの大半がこの学生の行為を支持するものだったということだ。このようなテロ行為を容認し支持するような世相は恐ろしい。
大阪市水道局「水道記念館」は柴島浄水場の一角にある水道事業のPR施設だが、橋下市長による市政改革の影響を受けて施設の存廃が問われているために、今春から休館状態になっている。
98年から淡水魚の飼育を始め、現在では80種の淡水魚をはじめ貝や両生類など計155種、1万個体を飼育中だという。社団法人「日本動物園水族館協会」に加盟する全国152施設の中では、この記念館は国産淡水魚の種類で日本一、繁殖させた魚類数も全国5位だった。見学者も多く昨年度は約9万人、累計100万人が訪れたと言う。飼育魚の中には天然記念物のイタセンパラ約600匹や、国の天然記念物の京都府などだけに生息するアユモドキ、滋賀県の淡海湖だけに住むタンカイザリガニなどもいる貴重なものだ。
橋下市長は柴島浄水場の廃止を打ち出し、跡地を「街づくりに使う」としているそうだ。この記念館は2010年の市の仕分け事業では「市民の知らないところでどんどん税金が投入されている」として「要改善事業」の対象事業となった。
これについて、生態学や教育関係者から施設の存続を求めて今月要望書を市に提出したが、さてどういう結果になるか。文化や科学のことについては関心や理解が乏しい橋下市長の心を動かせばよいが、どうせ「市にそんなものは要らない。全国の施設に分けてやればいい」くらいのことを言うのではないかと危惧する。
14日に近畿地方は記録的な豪雨に、見舞われ、大阪府枚方市で女性1人が死亡したほか、府内約2100棟が床上・床下浸水する被害が発生していた。この日の朝、妻の実家がある福岡県に帰省中の松井一郎大阪府知事は、自分のツイッターで「うまい酒とさかなで充電中」とつぶやき、批判が集中したらしい。ネット上では「自ら防災の指揮を執らないのか」と批判が相次ぎ、府にも苦情が寄せられ、知事は謝罪した。
馬鹿げた能天気なことだと思う。彼は三期務めた自民党の大阪府議から「大阪維新の会」に転身し幹事長となり、橋下知事が大阪市長選に出た後を受け府知事選に出馬し当選した。「維新」と言うと旧弊を打破する新鮮なイメージを与えるかのようで、実際「人気」も上々らしいが、その幹事長と言っても、橋下氏が批判する「既存政党」の殻を引きずった、しょせんはこの程度の人物にしか過ぎないのだ。