次男がまだ幼かった頃、急に「カンジンコ ブブネ」と言い出したことを思い出した。よほど気に入ったのか、歩きながらでも何度も繰り返していた。いったいあれは何だったのだろうか、次男に電話してみた。
「君が小さい時に、カンジンコ ブブネと言っていたのを覚えているか」
「覚えているよ。幼稚園の頃だったかな」
「どういう意味だったのかな」
「さあ、多分どこかで聞いたことばが気に入ったのだが、上手くまねができな いから、ああ言ってたのじゃないかなあ」
40年くらい前のことを本人も覚えていたのはよほど印象に残っていたのだろうが、結局どういうことだったのかは分からずじまいだった。
私の妻はいわゆる専業主婦だったから、長男が生まれて以来2人の息子が家を出るまでの20年以上、子ども達の世話をしてきた。妻は賢母と言えたかどうかは分からないが、間違いなく慈母だった。息子達にはずっと優しく接していて、声を荒げたことなどは一度もなく、息子達も妻を愛していた。だから妻が逝った時の嘆きようは見ていて辛いほどだった。
そんな妻だったから、子ども達については私が知らないいろいろなエピソードを知っていたはずだ。今になったらもっと聞いておけばよかったと思うことは多い。ひょっとすると次男の「カンジンコ ブブネ」の由来も知っていて、おかしそうにころころと笑いながら話してくれるかも知れない。
朝目覚める直前の夢か現かと言うような状態の時に、よく妻に聞いてみようと思うことがある。その途端に目が覚めて、「ああ、いないのだった」と思う。その瞬間がとても悲しい。それでも頭がぼんやりしているから、本当なのかと思い、臨終の時のことなどを思い出してやっと納得する。もう13年もたとうとしているのにこれは辛いことだ。
妻のお蔭で息子達は大過なく育ち、それぞれ良い相手に出会って家庭をもち、孫もできた。私が息子達にしてやれたことは妻に比べると微々たるものだったように思う。
長男が中学生の頃、朝学校に出かけようと玄関で靴の紐を結んでいるのを、私も出勤しようとしていたので見たことがある、妻が傍にしゃがんでいて、結び終わると当然のように頬を息子に近づけて、「はい、チュは?」と言う。そんなことをするのはもう恥ずかしく思う年頃だし、私が傍にいたからだろう、息子はいかにも面倒くさそうに、「しょうがないな。してやるわ。はい」と、ぞんざいな口調で言ってキスすると妻は満足そうだった。甘いと言えば甘いことだが、その時の情景が今もはっきりと思い出されて、ふと涙ぐんでしまう。