古い卒業生のY君が、ある大手企業グループの退職者でつくる美術展に招いてくれた。彼はその企業グループの住宅建築会社にいた。招きを受けて高校3年のときの同級生の女性4名と男性1名と一緒した。ほかに他のクラスの男子卒業生も1人加わった。会場は大阪梅田のスカイビルというところだったが、このビルは地上40階建て173mの世界初の連結超高層ビル(2棟のビルが連結されている)で、映画館やレストラン、イベントホールなどの多彩な機能を備えている。
美術展は「積美展」と言い、グループ企業のOB達の、絵画、書、写真などが展示されていたが、どれも力作揃いで、Y君は書を出展していた。退職以来ずっと書を学んでいたことは知っていたし、私は西安碑林博物館で求めた王羲之の『蘭亭序』の拓本を進呈したこともあった。それ以来ずっと研鑽を積んでいたようだ。彼の書を見るのは初めてだったが、のびやかな筆跡に感心した。
Y君と作品。書かれている短歌も彼が詠んだもの。
会場の窓から見た大阪市街。中央の川は淀川。
鑑賞した後は別室で昼食を接待してくれ、楽しく談笑したが、丁寧な心遣いに感謝した。その後で皆は最上階にある屋上庭園に向かったが、私は高所が苦手なので先に失礼した。Y君はずっと下の階のエレベーターの入口まで見送ってくれ、ドアが閉まるまで深々と頭を下げていた。
私は昭和33年(1958年)に高校の教師になったが、最初の年は所属学年はなく、通称「4年生」だった。次の年に1年の学年に入ったが、その学年にY君はいた。教えたかどうかは覚えていないが、当時私はなり手がなく困っていた剣道部の顧問を部員達から頼まれたので、剣道はまったく知らないから「四段=しだん=知らん」だと冗談を言って引き受けた。その剣道部にY君がいたが、明るい、冗談好きの礼儀正しい生徒だった。 2年生ではB組という女子の多い就職クラスにいて、私はそのクラスを教えたが3年まで持ち上がりの、明るく、仲のよいクラスで、今も毎年クラス会をしている。3年生のときの女性担任は退職して広島の方に住んでおられるので、生徒達から担任代行になって欲しいと頼まれ、ずっとクラス会にも出ている。 彼は非常に気立てのよい男で、皆に愛されていた。そのような性格は今もまったく変わっていない。今でもそうだが、高校時代の彼は頭が大きかった。3年生のときに担任した私のクラスにもS君という頭の大きな生徒がいて、皆からそのものずばりの「アタマ」と呼ばれていた。ほかのクラスにもU君という頭の大きな生徒がいて、皆は「3巨頭」などと呼んでいた。あの頃の愉快な生徒達や授業中の雰囲気を思い出すと懐かしくなる。 Y君からはがきで礼状が来た。丁寧な文面で、最後に「一句、梅田スカイビルにて」として句が添えられていた。 秋空に恩師囲むや𦾔き朋 68歳になるY君がますます元気で書の道を究めるようにと願っている。