中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

秋は寂しい

2008-09-30 08:26:31 | 身辺雑記
 長く続いた蒸し暑さは急に去り、肌寒くなった。朝から小雨模様で空はどんよりとして薄ら寒いと、ああ、また寂しい季節が来たなと思う。1年のうちで一番寂しさを感じる季節だ。

 ちょっと休もうと思って入った喫茶店で、Kさんという女性に久しぶりに出会った。昔の職場で一緒だった人だ。しばらく話したが、以前と変わらずしっとりとした穏やかな口調で話す人で、気持ちが落ち着く。

 涼しくなりましたねということから、Kさんは今頃になると寂しいですねと言った。彼女の夫君はかつて私が勤めていた学校で事務職員をしていたが、私の妻が逝った1年後にやはり癌で亡くなった。そうなんですよ、この季節になると寂しくなります、独りの生活には慣れましたが、独りの寂しさには慣れませんねと私は言い、彼女はうなずいた。連れあいを亡くした者には共通の感情があるのだろう。

 まだ暑いころに、やはりある喫茶店に入ったときに、隣の席に若い男女がいて仲よさそうに話していた。その様子は何かしら爽やかな印象だったが、ふと男性のほうが、夏から秋になると寂しくなるのはどうしてかなあ、春は寂しくないのにと独り言のように言った。若い人でもそう感じるものかと、何とはなしにほほえましいような気持ちになり、好ましく思った。

 もとから秋になると寂しいと思ってはいたが、独りになると、その寂しさはひとしお深くなってくるようだ。早く日が落ちてすぐ暗くなる。外から帰っても、夏とは違って家の中の暗さがことさらに空気をひんやりさせていて侘びしさが深まる。

 秋は嫌いではないがどうも物悲しい季節だ。ことに雨の日は家の中や近所もシンとしていてとても寂しく気が滅入る。

             

失言大臣の辞任

2008-09-29 10:55:02 | 身辺雑記
 国土交通相が辞任した。任命されて僅か4日である。問題発言を連発した結果で当然とも言えるが、過去にも問題発言があったこのような人物が、なぜ総選挙を間近にした内閣の閣僚に任命されたのか疑問に思う。

 問題にされた発言のうち、成田空港問題やアイヌ民族問題などは政治家としての資質の低さを暴露したもので、抗議を受けて発言を撤回して謝罪したものの、日教組に対する批判については謝罪も撤回もせず、強硬な発言を繰り返していた。

 彼は強固で先鋭的な日教組批判者で、その意味では最右翼的な信念の持ち主なのだろう。人それぞれに主義や思想信条があるから、日教組であろうと嫌ったり批判したりするのは自由である。しかし彼の発言で看過できないのは、昨年実施され、先だってその結果が公表された全国学力テストに関するもので、彼はこの学力テスト実施を決定した際の文部科学相だったが、「全国学力調査を提唱した理由も、自説(日教組が強いところは子供の学力が低い)を証明するためであり、証明が完了した以上調査の役割は終わった」と言っていることだ。この発言に対しては、現在の文部科学相は「持論だったと思うが、それは一議員としての考え方で、大臣としての発言ではない」と記者団に述べているが、身内かばいが過ぎるというもので、大臣としての発言の中で述べたものであることは明らかだ。公式の会見の場での発言が、ここは大臣としての考え、この部分は議員としての考えなどと使い分けることなどは許されない。文部科学相も「所管の違うことについての発言は遺憾だ」くらいは言ってもよいのではないか。それにしても、もし彼の言うとおりであれば、一閣僚の強い信念(?)を証明するために、莫大な経費を使って全国学力テストを実施したということになるが、権力とはそういうものかと空恐ろしさを感じる。学力テストの公開問題で話題を賑わしている大阪府の知事は発言を擁護しているようだが、最近のこの知事の言動にも危うさを感じる。

 それにしても、彼はよほど日教組憎しで凝り固まっているのだろう。贈収賄事件のあった大分県についても「教育委員会のていたらくなんて日教組ですよ。」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い」と、もうむちゃくちゃである。確かに大分県は47都道府県中38位で低いほうに属し、日教組の組織率は高いほうだが、それだけで双方に絶対的な相関関係があるということはあるまい。ある新聞の調査では、日教組の組織率と学力との間に全体的な相関関係はうかがえないとしている。「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」に至っては何を根拠にしているのか、きわめて侮蔑的な暴論である。

 彼は地元の党の県連の会合での挨拶の中では、ますます発言をエスカレートさせ、子殺し、親殺しなどさまざまな犯罪が起こっているのも日教組に問題があると主張し、日教組をぶっ壊す運動の先頭に立つと、まことに勇ましい。集まった県連の出席者もさすがにげんなりしたようで、会の後で県連会長は「持論というよりは持病」と言ったそうだ。結社の自由は憲法で保障されている。それをいかに気に食わない団体だからといって、権力の側の者が、解体する、ぶっ壊すなどと言うのは、きわめて危険な考えだ。

 これまでにも失言で辞任した大臣は何人かあり、辞任の弁はさすがに神妙だったが、この人物はそのような気配もない。辞任の記者会見でも性懲りもなく同様の発言を繰り返すのは、ほとんど病的という印象で、異様なくらいだ。おそらくはかつての政府と日教組の激しいせめぎあいの時代の日教組観が染み付いて離れないのだろう。私よりも10歳も若く、東大を出て大蔵省のエリート官僚となった彼は、私などは及びもつかない優秀な人物なのだろうが、高学歴で優秀な者はかならずしも知性は高くないという見本のようなものだと思う。

 新聞には京都市のある60代の女性の声があって、「言いたいことを言って辞められるんだから、大臣ってずいぶん気楽な商売ねえ」と言っている。大臣の値打ちが下がっている昨今とは言え、庶民にそう思わせる罪は小さくない。


新内閣

2008-09-27 14:27:29 | 身辺雑記
 3日間上海に行って帰ってみると、新しい内閣が発足していた。

 留守中に配達されていた新聞を見ると、「総裁選で応援した仲間で固めた」とある。かなりワンマン的に組閣をしたようで、組閣の過程では長老から強い反発もあったらしい。

 新首相も含めて閣僚18人のうち実に12人が祖父や父親が政治家だった世襲議員で、この党の拭いがたい体質が現れているように思う。歴代首相の2世、3世も4人もいる。34歳という史上最年少の女性閣僚もその一人で、首相だった父親が急死した後で、後援会に担ぎ出されて衆議院選に立候補し大勝した経歴を持つ。以来、政治家としてどのような研鑽を積んできたのか経歴は不明だが、私には衆議院の議事進行係という、時代がかった発声で議事進行を求める役をしたことが記憶に残っているくらいだ。

 この内閣は選挙管理内閣と言われていて、それぞれの閣僚はどのような意気込みを持っているのかは分からないが、私のような平凡人ならどうにも気合が入らないように思う。そこはボスのお眼鏡にかなって選ばれた人達だから、求められればそれなりの抱負は語るだろう。その閣僚の1人が早々に暴言じみた発言をして問題になっていることも新聞で知った。それを見ると実にひどいもので、大臣というよりも政治家としての資質が疑われる。これまでにも新首相も含めて何人もの政治家が、放言、失言を繰り返してきたが、つくづく呆れ果てる体質だ。

 「劇場政治」で日本中をかき回した元首相が政界からの引退を表明した。出処進退は本人の決断だから、とやかく言うことはないが、ただ自分の後継者に次男を指名したようで、これはいただけない。「自民党をぶっ壊す」とか大見得を切って、雪崩現象的に選挙で大勝を収めたこの政治家も、所詮は世襲議員が横行するこの党の持つ古い体質を身にしみ込ませていたらしい自分はぶっ壊せなかったようだ。







結婚式

2008-09-23 22:39:18 | 身辺雑記
 上海の唐怡荷(タン・イフ)が結婚式を挙げる。実際には一昨年の11月に結婚登記をすませて一緒に住んでいるが、中国では落ち着いた頃に式を挙げることが多いようだ。だから結婚式は日本の披露宴である。怡荷とその夫君は、結婚式は挙げないことにしていたようだが、それではいけないと両親達に言われたとのことだ。親としては我が子の晴れ姿を見たいと思うのは当然の願いだろうし、親戚や世間に対してもお披露目をしてけじめをつけたいのだろう。

 届いた招待状を開くと、左の面にめでたいことばや式の日時、場所、新郎新婦氏名などが記されている。面白いのは式の場所や開始時刻、連絡の電話番号などには、幸福席設、幸福時間、幸福主角(主役)というようにすべて「幸福」と言う文字がつけてあることだ。縁起担ぎだろう。右面には2人の結婚衣装姿の写真が貼ってある。中国では結婚式の前に結婚写真を撮る。



 式は明後日の夕方に開かれる。昨年の西安の李真の時のように祝辞を頼まれている。怡荷はいろいろと計画したようだから、どのような結婚式になるか楽しみだ。

             

日本の首相

2008-09-22 16:42:20 | 身辺雑記
 自民党の新しい総裁が決まった。出来レースとも評された茶番劇めいた総裁選挙戦の大方の予想通りの結果だった。臨時国会で承認されれば第92代内閣総理大臣となる。新憲法下では46人目だ。

 それにしても日本の首相はよく交代する。平成に入った1989年以来約20年で13人目だ。暗記はできないが、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田と並べると、ああそうだったと改めて名前は思い出すものの、何をやったかと聞かれても劇場型政治の首相以外にはほとんど思い出せない。多くは短命内閣で、中にはスキャンダルで辞めた首相のように69日や、それより短い64日という首相など超短命もある。

 この20年間で、G8と呼ばれる世界主要先進国の指導者は何人代わったのかをちょっと調べてみた。まず米国は3人で、英国は4人、ドイツ3人、フランス3人、カナダ5人、ロシア3人となっている。大統領制で単純に比較はできない国もあるが、いずれもあまり指導者は代わっていない。政情不安が取りざたされるイタリアは交代が多く10人で、日本と似ている。あまり長期政権だと問題やひずみが起こることもあるだろうし、米国の大統領のように、2期目の4年間にはlame duckなどと呼ばれて指導力がとみに低下することもあるが、やはり数年間は安定するほうがいい。日本やイタリアなどは他国から見ると、国としてのあり方、方向性が疑問視されるのではないだろうか。

 新総裁が総裁選の時に言ったことは、「日本の底力 強くて明るい日本をつくる」だったが、何やらこれまでは底力のない、弱くて暗い日本だったようにも聞こえる。政治家たる者いたずらに言葉をもてあそぶのではなく、もっと具体的な言葉で語るべきで、とかく「美しい国」のように抽象的、観念的な言い方をするのは願い下げだ。それに自らがこれまで内閣や党の要職にあった時はどうしていたのだと、意地の悪いことも呟いてみたくなる。それはさておき、10月3日に衆議院解散ということに与党は合意したようだから、総選挙は近い。総選挙の結果によって与野党の勢力が逆転したら、またもや短命内閣ということになるのだが、もうこのあたりで、総選挙の洗礼を受けた首相が誕生した方がよい。

                 





白い飯

2008-09-21 10:29:02 | 身辺雑記
 H君夫妻が、知人から送られた新米を分けてくれた。炊いてみるとふっくらと白くてなかなか旨い。久しぶりに旨い炊き立ての米を食べた。

 今でこそ白米飯は普通になってしまったが、前の戦争末期や戦後はそうはいかなかった。麦やサツマイモ、大豆などで増量したもので、特に麦飯は黒っぽいものだった。戦争末期には東京の小石川区(現在の文京区)にいた。戦火が激しくなり、東京も空襲の危険が大きくなったので、小学校の児童(当時は学童と言った)は学校ごとに地方へ避難することになった。学童疎開あるいは集団疎開と呼ばれたものである。私が在籍した小学校は宮城県の古い温泉町である鳴子温泉のある温泉宿で生活することになった。

 当時の生活は父母から遠く離れた寂しいものではあったが、さほど惨めなものではなかった。未来を担う小国民のためだと言うことで、毎日の食事はきちんと出されたが、それでもだんだんと貧しいものになっていき、米の代わりに水団(すいとん)なども出るようになったし、もちろん肉などはなく、山間部であったから魚も乏しかったように思う。それでもひもじい思いをすることは少なかったようだった。大体あの頃は東京の家にいたほうが食生活は貧しかったのだ。

 そんなある日、どういうことでそうなったのかは覚えていないが、私の学校から何人かの者が選ばれて、列車に乗ってある町か村の小学校に行った。今で言う姉妹校のようなものだったのかも知れない。そこで子ども同士の交歓があった後で昼食が出された。内容は覚えていないが、いつも宿で出されるものよりははるかに良いものだったと思う。とりわけ印象的だったのは、米のご飯が真っ白で、とても旨かったことで、今でもそのご飯の感じが思い出されるくらいだ。久しぶりにうまいものを腹いっぱい食べたせいか、その晩は宿に帰って腹を下したことを覚えている。

 やがて米軍の東京大空襲で小石川の家は焼失し、両親や弟妹達は大阪豊中の母の実家に移り住み、私と1歳年下の妹も引き取られ、そこで敗戦を迎えた。何ヶ月かたって私は1人で電車に乗って大阪に出かけた。改札口を通り駅がある百貨店の建物を出ると、前方一面は焼け野原だった。そこは大勢の人間で雑踏していて、たくさんの粗末な露天で物を売っていて、その物売りの声がかしましかったが、溢れるような活気に圧倒される思いだった。いわゆる闇市だったが、どんなものを売っていたのか記憶にはない。やはりひもじかったその頃だけに、食べ物が目に付いたが、どうしてこんなに食べ物があるのだろうかと不思議だった。中でも目を惹かれたのは、私とあまり年が変わらないように見える男の子が突き出した手に乗っている真っ白な握り飯だった。その子は「ギンメシだよ」と呼ばわっていた。当時白米の飯は、銀飯とか銀シャリとか呼んでいたが、まさしくそれは白色ではなく銀色に見えたのだ。実際に私には、日の光を受けているその握り飯が眩しく思われたものだ。しきりに食べたいと思ったが、持ち金もなく見過ごしただけだった。

 白いご飯を前にして、久しぶりに昔のひもじかった頃のことが思い出された。今では飯の色が白くなっただけではなく、やれコシヒカリだ、アキタコマチだなどと銘柄にもこだわる。実際、米の食味はとてもよくなった。その一方では栄養にも気を遣うようになって、五穀米などと言って雑穀を混ぜることも多くなっている。新米を分けてくれたH君の家では必ず雑穀を混ぜている。奥さんのこだわりらしい。麦飯も見直されてきているようだ。その麦も今では炊きやすい押し麦になっているが、昔の麦は脱穀したままのもので種皮が硬く、米に混ぜて炊く前には麦だけを炊いたものだったが、それでも消化はあまりよくなかった。もちろん米が乏しいときの増量材だから、麦の量はとても多かった。

 かつて江戸の人間は白米を食するようになり、その結果として江戸患い(脚気)が増加した。今では白米を食べても、他の食べ物でビタミンBを補うから脚気になることはないが、それでも都会で1人住まいして、日々の食べ物はインスタントラーメンくらいで済ませているような若者の中には、脚気が増えていると聞いたことがある。豊かさの中の食の貧しさがもたらした現象なのだろう。

                    

汚染米

2008-09-20 11:07:53 | 身辺雑記
 農林水産大臣が事務次官に続き辞職した。閣僚と事務方トップの2人がそろって辞任するのは異例とのことだ。

 大阪の米粉加工販売会社「三笠フーズ」が農薬やカビに汚染された輸入米を、非食用とされているにもかかわらず、長年にわたって大量の汚染米を食用や酒造用として転売した事件は、底なしの広がりを見せている。当初は、監督責任はないかのように言い逃れをしていた農水省もやっと対策に動き出した矢先の大臣の辞任だ。遅きに失したと言う声もあるが、この大臣は、この米の問題については「汚染米から検出されたメタミドホスは低濃度で、人体への影響はないと自信をもって言える。だから、あまりじたばた騒いでいない」のような失言とされる発言を繰り返して批判を浴びていたから、おそらくは更迭に等しいのだろうと言われているし、総選挙を控えてマイナス要因を除去したいという党の意向あったのだろうとの推測もあるようだ。

 そもそも「フーズ」を名乗る米粉加工会社に、なぜ非食用の米を卸していたのか、工業用の糊の原料にするという名目らしいが、その辺りがどうもよく分からない、農水省が甘いのではないかと思っていたら、当の会社の担当者が、農水省の検査はおざなりだったと証言し、しかも不正転売を監視するべき農林水産省の近畿農政局大阪農政事務所の元消費流通課長が現職時にこの会社の社長らから飲食店で接待を受けていたことも明るみに出た。農水省は汚染米とか事故米とか言うようなこの厄介な代物を、積極的に購入してくれるような企業は有難い存在だから、監視は甘かったのだろうと言われても仕方がない。

  日本では米が余り、減反政策を取っているのに、なぜ米を輸入するのか。国際的な取り決めがあって、一定量は輸入することになっているそうだが、安く買い叩き、その結果として粗悪な米を輸入したことはなかったのだろうか。輸入時に汚染されていると分かったいわゆる「事故米」などはたとえ工業用としてでも業者に売却する必要があるのだろうか。工業用の糊の原料と言っても、接着剤製造会社では、糊の原料としては小麦やコーンスターチを使い、米はほとんど使わないと言っているそうだ。それならどうせ使い道のないのだから焼却処分には出来なかったのか。

  この事件で初めて知ったことだが、米の販売、流通のルートは実に複雑で、酒造会社や食品加工会社に行き着くまでにいくつもの仲介業者が介在している。末端の業者はもちろん、中間の業者も非食用米とは知らずに扱ったのだからいわば被害者だ。農水省は、「消費者の食の安全確保」と言う名目で、三笠フーズや、同様の不正転売が発覚した愛知県の業者からの流通先の業者数を調査し公表したが、その数は375。業者名も公表したが、杜撰なやっつけ仕事だったのか、業者名を誤って表記するなどのミスが続出し、中には米とはまったく関係のない種苗店までが含まれていたというから呆れる。その店の近くにある食品業者と間違えたそうだが、チェックしたときに店名で不審に思わなかったのか。そもそもチェックなどしないで、ただ調査員が調べてきたものを機械的に集約しただけだったのか。まったくお役所仕事だ。

 三笠フーズなどから流出した米が行き着いた先は、酒造会社や菓子製造会社だけでなく、中学校や養護老人施設、幼稚園もあったようで、いかに直接の健康被害は出ていない、毒性は低いと言っても、市民の不安は大きいだろう。風評被害が出やすい市民気質だから、業者は製品を回収しているが、大きな損害だろう。

 汚染米は、通常の食用の米に比べると二束三文のような価格で売られるそうだが、三笠フーズなどはそこに目をつけて買い受け、食用と偽って転売し、多大の利鞘を得ていたと言うからまったく悪質である。農水省から購入してからしばらく保管しておき、毒性が弱くなってから転売したと、さも安全だったと言わんばかりで盗っ人猛々しいとはこのことだ。「商は詐なり」と言われ、儲けるためには何でもする傾向はあるが、一方では商のモラルというものがあるだろう。まして「食の安全」に厳しい今の世の中、米だけでなく食に関わる者は、これだけはしてはならないという最低限の自覚を持たないと、このような事件は繰り返されるだろう。

                  

高齢化

2008-09-19 09:15:36 | 身辺雑記
 東京の都心新宿区に65歳以上の住民が半数を超える団地があるそうだ。

 この団地は総戸数が約2300戸で、住民の過半数が65歳以上と推定されたようだ。この団地で75歳以上の高齢者の約6割が独居らしい。今年、小学校に入学したのは5人、成人式を迎えたのは10人だが、昨年亡くなった高齢者は50人だそうだから、いかに高齢化が進行してきたかが分かる。

 65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合を高齢化率と言う。日本の高齢化率は私が生まれた頃に近い1935年の4.7%が過去最低で、その後1950年から1979年までは出生率の低下により、それ以降は死亡率の改善によって高齢化が進み、2006年には20.8%となって世界最高水準になっている。 2025年には、30%になると予測されているようだ。このような高齢化の要因は死亡率の低下や少子化などが複合したものだと言う。因みに私の家の近辺の一角の10数軒の住民の高齢化率は、大雑把だが30%を超えている。

 高齢化社会とは高齢化率が7%以上14%の未満の場合を言い、さらに14%以上21%未満を高齢社会、21%以上を超高齢社会というようだから、日本は超高齢社会に到達寸前である。

 地方の農村部では、働き手としての青壮年世代が都市部に移っていくことによって過疎化が進み、その結果として高齢化率は上昇した。過疎化の進行と高齢化率の上昇によって農地の維持はもちろん冠婚葬祭などの社会的共同生活の維持が困難になる。このような集落は「限界集落」と呼ばれて存立の瀬戸際にあるが、新宿の高齢化団地も自治会の運営などが困難になってきて、限界集落のような状況になっていると考えられているようだ。この団地のある高齢者は「ここは都心の姥捨山だ」と言ったそうだが、高齢の住民にとっては、そのような思いが強くするのだろう。

 高齢者、とりわけ独居の老人にとっては、家族がいない寂しさに加えて、いつ看取る者もなく死ぬかという不安があるはずだ。現に独り暮らしをしている私は、孤独死だけはしたくないと思っている。このような境遇にある者にとっては、人との接触、交流が何よりも必要だ。私の場合は幸い、ささやかでも近所づきあいがあるが、団地などではその構造的なこともあって、老人でなくとも近所づきあいということは乏しく、隣人でさえよく知らないということがある。まして独り住まいで、体に不自由なところが出てきたような老人の孤独感や不安はなおさらだろう。実際、団地住民には高齢者の孤独死は少なくないと聞く。敬老の日のテレビ番組を見たが、超元気な老人達の裏には悲惨な孤独死の実態があった。

 豊かな長寿社会と言われる日本にも、医療、年金などさまざまな深刻な老人問題がある。すべての者は必ず老いの時を迎えるのだ。自分がその年齢になったから言うわけではないが、老後を可能な限り平穏で安らかなものにするのは家族だけの問題、責任ではない。国民が等しく考えるべきことなのだ。老人を社会の邪魔者扱いにするような国、社会であってはいけない。

                    



大食い、早食い

2008-09-17 22:34:50 | 身辺雑記
 たまたま見ていたニュース番組で、「スィーツの早食い競争」というのがあった。

 場所はニューヨーク、規定時間内に何とか言うイタリアの菓子を食べる競争だ。この菓子は小麦粉を焼いた筒状のケーキの中に生クリームチーズを詰め込んだもので、肥満した大男達が競っていた。早食い競争だからゆっくり味わうことはもちろんなく、ただひたすら口に押し込むだけで、口の周りはクリームだらけ、持つ手の中でも崩れてぐしゃぐしゃになり、それも頬張る。見ているだけで胸が悪くなりそうだった。

 19歳の青年が28個だったかを食べて優勝したが、感極まって泣いていた。この菓子は1個で500キロカロリーもあるそうだから、この青年は1万キロカロリー以上を一時に食べたわけだ。この日に備えて毎日4リットルほどの水を飲んでトレーニングしたそうだが、どれくらいの賞金が出るのか、いやはや涙ぐましいことだ

 これまでにもこの手のコンテストがよく紹介されている。たとえば米国で毎年行われる「ホットドッグ早食い競争」で、日本の29歳の男性が規定の12分間に53個3/4を食べた記録を、米国の23歳の男性が59 個半食べて更新したというニュースは各紙に掲載された。あまり見たことはないが、テレビでもこの種の番組があり、京都府在住の若い女性が大食い選手として有名らしい。テレビでの大食いを競う番組は、2002年に愛知県の中学生が早食い競争をして死亡した事故を契機に自粛されていたようだが、喉もと過ぎれば何とやらで、最近はまた復活しているようだ。

 昔からある岩手の椀子蕎麦も、近頃では食べた数を競い合うようなこともするが、本来は小さい椀の中の蕎麦を食べるとすぐに給仕人が新しい蕎麦を投げ入れて、満腹して箸を置くまで続けるというものらしいから、それほど意地汚いという感じはしない。それでも、競技化するのは嫌な気がする。

 私はこのような大食いや早食いの行事や番組は好きではない。食べ方は行儀が悪いし、味わうということもなく意地汚い。健康にもよくないだろう。何よりも飽食時代の悪ふざけのように思えて仕方がない。大食や早食いが人より優れていると言って、それが何ほどの価値があるのか。まして、それに備えてトレーニングするなどばかばかしいことだと思う。

 食べるということは、すべてと言うわけにはいかないが、本来はゆっくりと味わいながら楽しむものだ。Nという茶の企業のテレビコマーシャルで、若い俳優が大きな音を立てて茶漬けをガツガツと一気に掻き込むのがある。1人住まいの若者らしさを出しているつもりだろうが、行儀が悪くて好きではない。

出産

2008-09-16 22:04:01 | 中国のこと
 中国西安の謝俊麗が予定より早く出産した。俊麗の友人の李真がチャットで知らせてくれた。「謝さんは9月16日08:08分7斤6両の男BABYを出産しました。帝王切開ではないそうです」。

 最近は俊麗のおなかの子はとても元気で、しょっちゅう蹴っていたようだから、私がたぶん男の子だろうと当てずっぽうで「予言」していたのが当たった。詳しくは分からないが母子ともに無事で健康(母子平安)だったのだろう。まずは一安心である。俊麗は孫と言うのには少し年齢が大きいが、それでも曾孫が生まれたような感じがする。

 子どもの体重が「7斤6両」と言うのがいかにも中国らしくて、ちょっと笑ってしまったが、1斤は500グラムだから3800グラムということだ。中国では市場などで売る商品はすべて斤が単位になっている。魯迅の短編に「から騒ぎ」という、ある農村を描いたものがあるが、その中に出てくる村人は「九斤ばあさん」とか「曾孫娘の六斤」とか「7斤」という主人公とか、皆「斤」をつけた名前で呼ばれている。「この村の習慣はすこし変わっている。母親は子を産むと、秤で重さをはかって、その斤数をそのまま幼名にする」と説明されていて、篇中のこの呼び名をめぐるやり取りが、ユーモラスで面白い。斤数を幼名にすることはともかくとして、生まれた子の体重を斤で示すことは、キロやグラムを使ってなかった昔のことではないかと思っていたが、どうやら今でもそうらしい。

 妊娠の途中で逆子らしいということが分かったので、俊麗は帝王切開で出産する予定だった。その後正常体位に戻ったらしいが、それでも自然分娩よりも帝王切開にすると言って、この22日に予定していた。結局自然分娩になったわけだ。李真も来年の2月に出産予定だが、やはり帝王切開でと言っている。自然分娩は痛いだろうから怖いと言う。産みの苦しみを味わったほうが、母親としての愛情が強くなると聞くがと言ったが、やはり怖いらしい。大阪の会社にいる邵利明は、中国では帝王切開が多いと言った。そのほうが病院は儲かるから勧めると言う。案外そういうこともあるのかも知れない。もっともそれは都会の話で、地方、とりわけ農村部では自然分娩が多いのだろうと思う。

 謝俊麗、李真のほかにも李真の友人の上海の孫璇もやがて出産の予定で、慌しいがおめでたいことだ。俊麗の子は10月に西安を訪れる時に抱けるだろう。迷信、俗信の類だろうが、生まれて1ヶ月たたないうちは、家族以外の者に会わせてはいけないということが言われるそうだから、10月下旬にするつもりだ。楽しみである。