中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

私の明治

2008-02-29 08:50:39 | 身辺雑記
 今、『明治百話』(岩波文庫)という本を読んでいる。明治4年生まれの篠田鉱造という人が報知新聞の記者をしていた明治35年に幕末維新期の実話を採取して、新聞に連載した。その後、明治末年頃から明治の話を集めだし、昭和6年に出版されたのが『明治百話』である。話題を持っている人がいると聞くと出かけていって聞き書きしたもので、なかなか面白い。テープに録るということもなかった時代なのに、話者の語り口が生きいきと再現されていて、当時はこのような話し言葉だったのかと、その点でも興味を引かれる。

 俳人の中村草田男の名句とされる「降る雪や明治は遠くなりにけり」が発表されたのは昭和11年のことだから、昭和8年生まれの私にとっては、明治は遠いどころか、知ることもない暗い闇の中に沈んでいるもので、祖父母や両親が明治生まれであることだけで、明治を知っているに過ぎない。父方の祖父は明治3年生まれだったが、その祖父と東京で同居している時に教えてもらったような気がするのが、次のような歌のようなものだった。

 狆ワン 猫ニャア チュウ 金魚に放し亀 牛モウモウ 狛犬に鈴ガラリン 蛙が三つでミヒョコヒョコ 鳩ポッポに立石石灯籠 小僧がこけてるカイグリカイグリ 布袋大黒にちんば恵比須 がんが三羽に 鳥居におかめにヒュウドンチャン 天神西行子守に相撲取り どっこい天王 わいわい五重の塔・・・(以下失念)

 記憶間違いのところもあるかも知れないが、これは縁日か何かで出ている露店に並べられている種々雑多な小物玩具を羅列したものらしい。メロディーのようなものはないがリズミカルなので覚えやすかった。声に出していると、がらくたのようなさまざまな玩具とそれが売られている様子、さらには縁日の様子までが想像される。

  もっとも祖父は元裁判官で謹厳な人だったから、教えてくれたのは父だったかも知れず、そのあたりははっきりしないが、父にしても明治38年生まれで、幼い時にこの歌を聴かされたのだろうから、いずれにしても明治の頃のものだ。だからこの歌は私の中にどうにか存在している明治なのだ。

  もう1つ私の心の中にある明治としては、父方の祖母から聞かされた話がある。祖母の父は濱野定四郎と言って大分の中津の出身の士族で、同郷の福沢諭吉の弟子であった。福沢諭吉に従って上京して維新期を江戸、東京で過ごし、諭吉が創設した慶応義塾に学び、後に慶応義塾の3代目の塾頭になった。曽祖父の家と福沢諭吉の住まいは近かったようで、祖母の話では「大晦日に尻からげをなすって杖をつかれた福沢先生が枝折戸を押して庭に入っておいでになってね、大きな声で濱野さんいらっしゃるかとおっしゃった。私たち姉妹は縁側に並んで座ってお迎えし、手をついてご挨拶して・・・」というような情景があったらしい。どういうことで祖母が私のこのような話をしたのか、福沢先生の記憶はあるかと尋ねたからか、記憶は定かではないが、ただ祖母が話してくれたこのエピソードがひどく印象的に思われて、今も覚えている。

  私にとっての明治はこの程度のもので、それは息子たちにも伝えていないので、私限りのものだ。明治の古老と言っても、私の母が明治の末の44年生まれで生きていれば今年97歳になるから、もはや明治生まれのほとんどが鬼籍に入っていて、往時の話を聞くこともかなわない。しばらくは『明治百話』で楽しむことにしよう。


上海寸描(8)

2008-02-28 09:06:44 | 中国のこと
上海浦東空港
 上海には空港が2つある。1つは西部の上海虹橋(ホンチャオ)空港で、かつては国際線と国内線の両用だったが、今では国内専用になっている。もう1つは上海浦東(プトン)国際空港で、1999年に上海市街地から約30キロの浦東新区の東端に開港した。総面積40平方キロの巨大な空港で3本目の滑走路を建設中。関西国際空港間は2時間足らずで近い。中国東方航空のハブ空港なので、西安に行くときには便利になった。
 Wikipedia より

 たそがれの上海浦東空港。







上海寸描(7)

2008-02-27 09:27:35 | 中国のこと
浦東新区の高層ビル
 以前は広大な原野と僅かな農地が広がるだけの土地だったが、1992年に当時の小平主席の南方講和を受けて新区となってからは大規模な開発の結果、わずか15年ほどで人口150万人の上海副都心に変貌した。上海市は北京、重慶、天津とともに中国の省に相当する直轄市だが、その上海に属する浦東新区は区であっても副省級市として大幅な自主権が与えられている。2010年には万博が開催される。

 黄浦江に面した地域には現代上海を象徴する高層ビルが林立している。



 

  
 上海のシンボル、東方明珠塔。世界第3位、アジア第1位の高さ468メートルのテレビ塔。球状の部分は展望台になっているが、まだ上がったことはない。


 金茂ビル。1999年にオープン、高さ420.5m、地上88階、地下3階で、50階まではオフィスビル、53階から88階までは金茂凱悦大酒店(グランドハイアット・ホテル)となっている。88階の展望台で夜景を見たことがあるが、そこに至るまでの内部の造りは豪華なものである。


 金茂ビルに隣接して建設中の上海環球金融センタービル。環球は全世界という意味。すぐそばまで行き見上げると、首が痛くなるほどの高さで、一番上で作業中のクレーンが今にも落ちてきそうな感じがした。


 このビルは、日本のビル建設会社のグループが造っている。地上101階、高さ492mで、完成すると世界一の高さとなる。「垂直の複合都市」と称される複合施設となる。



 左から東方明珠塔、1つおいて上海環球金融センタービル、金茂ビル。

上海寸描(6)

2008-02-26 08:59:07 | 中国のこと
夜景
 上海市の中心街は南から北に流れて長江の河口に入る黄浦江(フアンプゥチアン)によって東西に分けられ、西側の浦西(プゥシイ)の黄浦地区が旧来の上海の中心地、オールド上海である。東側は近年目覚しく開発されてきた浦東(プゥトン)新区で、東端には上海浦東空港がある。

黄浦江と蘇州河の合流点付近


 黄浦江が上海市中の北を西から東に流れる蘇州河と合流するあたりから南の浦西地区の東岸には、旧外国人租界時代の西洋建物が立ち並び、「外国人の河岸」の意味の外灘(ワイタン)と言う。英名はBand。ライトアップされた景観は有名で、河畔の公園には夜景を見ようとする観光客が大勢集まる。







 この公園から浦東地区を見ると、上海市の象徴のようなテレビ塔(東方明珠塔)など多くの高層建築が林立し、これも夜にはライトアップされる。





 黄浦江には多くの観光船が行き来している。


十年祭

2008-02-24 20:16:11 | 身辺雑記
 妻が逝って10年になった。我が家の宗教は神道なので、西宮市内の越木岩神社という由緒ある神社で、十年祭を執り行ってもらった。命日は28日だが、息子達の勤めや孫達の学校のこともあるので、日曜日の今日にした。

 10年の歳月はまたたく間に過ぎた。十年一昔と言うが、10年もたったのかと何か信じられないような気もする。神道ののりとは聞いていても意味が分かる。そして故人の経歴や人柄などを詳しく述べるので、祭壇に置いた妻の写真を見ながら聞いていると、辛抱強く病の進行に耐えていた妻の最後の頃の姿など、改めていろいろなことが心に甦ってきて、やはり涙ぐんでしまった。

 終わって、家族揃って中国料理のレストランで食事をした。妻との最後の別れをした時に、泣きじゃくりながら妻の胸の上に花束を置いた当時小学校3年生だった孫娘は、この春から女子大生になる。目に涙をためて妻を見送った小学校1年生の孫息子は高校生で、家族中の誰よりも背が高くなった。葬儀の最中に疲れて眠ってしまい、母親に抱かれて見送った2人の孫娘の1人は中学3年生に、もう1人も中学に進学する。やはり10年の歳月は孫たちをそれぞれ成長させた。この席に妻がいたら、孫達の様子を見てどんなに嬉しがることだろうと、孫達にパッチャンと呼ばれていた妻の幸せそうな笑顔が見えるような思いがした。

 10年の歳月は私にも平等に流れ、ずっと独りの生活を続けてきたが、それなりに慣れてはきている。しかし独りの寂しさには慣れることはない。何かのことですぐに妻を思い出して、寂しいなあとしみじみ思うことはよくある。十年祭の次は二十年祭。85歳になるその時まで生きられるかは分からないが、これからもおそらく妻への懐かしさと、妻がいない寂しさを抱えながら過ごしていくのだろう。

            

公訴時効

2008-02-23 09:12:47 | 身辺雑記
 前回に、凶悪事件の解決について書いたが、それに続けて時効について考えていることを書く。

 刑事での時効は公訴時効と言い、刑法第250条には、死刑にあたる罪については25年と定められている(平成6年までは15年)。2004年にかつて東京の区立小学校で警備員をしていた68歳の男が、26年前にこの学校の女性教諭を殺害して自宅の床下に遺体を埋めたと自首した。公訴時効となって起訴はされなかった。公訴時効成立寸前に逮捕されたと言う事例や、公訴時効期間が経過して迷宮入りとなった事件もニュースになることがある。

 公訴時効ということが設けられた理由としては幾つかの説があるようだが、法律的なことは私にはよく分からない。俗説では長い年月がたつと、その間に犯人も日陰者としての生活を送り、罰を受けたも同然だからとか言われるが、どうも納得できない。中には自分が犯した罪の重さに苦しみ、被害者の冥福を祈って過すという殊勝な者もいるかも知れないが、それなら自首してくればいいので、やはり我が身がかわいいのだろう。おそらくは時効を迎えるとほっとして喜び、これで青天白日の身になったかのように思うのがほとんどではないか。

 上の元警備員について書いたルポを読むと、この男は自首するまでの26年間に悔悟の念を抱いていたとは思われない。遺体を埋めた家は「周囲を2メートルほどの塀で覆い、その上には金属性の網や有刺鉄線が張り巡らされ、入口には防犯用のカメラまで設置されていた。近所とは挨拶も交わさず、子供が騒ぐと言っては怒鳴り散らし、棒を手に追いかけ回したり、宅配便が来ても門の外で受け取るなど、自分の家から人を遠ざけていた。ゴミだしも自分でやり、妻ですら外出させていなかった」とルポにはある。ひたすら犯行が明るみに出ることを恐れ、異様なほどの警戒心を持っていたようだ。またこのルポを書いた記者が、この男の現在の住まいを訪れ、いろいろ質問をしたが一切答えず、謝罪の言葉もなく「自分の姿や音声を放送したら告訴する」とだけ言ったという。遺体を隠した家は道路拡張のための区画整理事業が進められていたため、かなり前から立ち退きを迫られていた。住んでいた家が取り壊され更地になれば、隠してきた遺体が発見されるだろうから、男は強く立ち退き拒否してきた。この男の犯罪には以前の刑法の条項が適用されるから、公訴時効は15年である。男はそれを知っていたが、立ち退きを拒否するのに限度があると思って自首する気になったようだ。どこまでも身勝手な人間である。

 私は法律的にはいろいろな説があっても、やはり公訴時効ということには疑問を感じる。アメリカやイギリス、カナダには公訴時効はない。先日もテレビで見たが、カナダで起こったある婦女暴行殺人事件は30年後に解決した。決め手は保存してあった被害者の衣服に付着していた体液のDNA型が、容疑者のものと一致したことで、30年前の鑑定技術では血液型しか知ることができなかったが、近年のDNA鑑定の著しい進歩によって特定が可能になったのだ。犯行後どんなに年月を経ていても、犯人のものと思われる血液や体液が残存していれば犯行を実証することは可能になっている。それを考えると時効と言うものは、社会正義を可能な限り実現するためにはないほうが望ましいと思う。もちろん証拠らしいものが採取できない事例もあるだろうが、やはり殺人という凶悪な犯罪が、ある期間が過ぎるとなかったも同然になることには納得できないものがある。

 さらに、批判を受けることを承知で言えば、時効成立後に犯人が明らかになった場合にも、その氏名を公表するべきではないかと思う。またぞろ「人権」が云々されるだろうが、被害者の遺族にとっては、犯人が判ったのに何の情報も与えられないことは、犯罪が行われた時の悲しみや苦しみ、怒りに加えて、さらにまた苦しみを与えられたことになるのでないか。法が加害者を保護し、被害者の遺族の悲しみは一顧だにされないことには怒りさえ覚える。因果応報である。公訴時効によって法的な刑罰は免れても、厳しい社会的制裁は受けるべきだと考えるのだがどうだろうか。




凶悪な事件の解決

2008-02-22 17:20:24 | 身辺雑記
 8年前の7月の夜に大阪で、アルバイトから帰宅しようとしていた中国人留学生の女性が、自転車に乗った男にバッグを奪われた上に刺殺された。通りすがりの男性会社員が追いかけたが、やはり刺されて負傷し、犯人は逃走して足取りがつかめなくなり捜査は難航していた。

 今月1日の夜、やはり大阪の複合商業ビルのトイレで神戸の会社員が刺殺され、1週間後に58歳の無職の男が自首して逮捕された。「盗みをしようと準備しているところを目撃され、警察に突き出されると思い、ナイフで刺した」と供述しているという。

 この男のDNA型が8年前の留学生殺人事件の現場に残されていた犯人のDNA型と一致した。今後はこの事件にも関与した疑いで取調べが行われる。

 留学生殺人事件は、当時から私の胸の中に重く蟠っていた。日本が好きで留学し、殺害された時には、中国に住む交際相手の男性と携帯電話で話していて、その男性は携帯電話の向こうで叫んでいる恋人の最後の声を聞いたという記事を読んで暗然とした。もちろん何の面識もないけれども、その留学生がひどく哀れに思われて、その後ニュースにもならなくなったが、喫茶店矢飲食店で夜遅く働いている中国人の若い女性を見たりした時には事件を思い出していたし、東京の会社に勤めている上海人の施路敏が、友達と遊んで遅く帰る時などは心配した。何とか解決すればと願ってもいたから、今回図らずも解決の方向に向かいそうなことになり安堵した。しかし、それもまた1人の若い生命が理不尽に奪われたことが契機なのだから、犯人である凶暴な男には心底怒りを覚える。

 留学生の交際相手だった男性は「当然の天罰」と言っているようだが、まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」という心境なのだろうと想像する。だがこの事件の場合はともかく、現実には天網にも綻びがあってなかなかそうもいかず、時効になって迷宮入りになってしまう事件も少なからずあるようで、それを補っていく警察の地道な努力や、犯罪捜査に関わる科学や技術の発展も欠かせない。今回は最先端のDNA型の鑑定の結果だったが、これからもこのような技術が進歩して、凶悪な事件が解決されていくことを願う。





変な連中

2008-02-21 09:12:37 | 身辺雑記
 静岡県のある市のスーパーで、60歳の女性が消費期限切れの蕎麦を1袋陳列棚に混入させたのを見つかり、業務妨害で逮捕された。店に恨みでもあったのか、家にあった消費期限切れのものを処理しようとしたのか、単なる愉快犯なのか、動機や目的は分からない。

 横浜市に住む48歳の男が、出勤途中の61歳の男性を刺して重傷を負わせ逮捕された。この男は昨年9月まで被害者の男性宅の隣人だったが、自分の生活が落ちぶれたのはその男性が悪口を言ったからだと供述していて、警察では勝手な思い込みから犯行に及んだ可能性が高いと見ているようだ。 

 卒業生のH君がスーパーに行き、買い物を済ませてレジの前に並んでいた時、彼の番が来ると隣のレジの列にいた30代らしい子連れの女性が、私の方が先だからと前に割り込んだそうだ。隣の列は混んでいてその女性の前にはまだ客がいたようだが、その図々しい態度にH君は唖然としてしまって、何も言えなかったそうだ。

 私が入っている会の女性と事務室の当番をして帰る時、乗ったJRで座席に並んで話をしていると、その女性の隣の男性が何か言った。何を言ったのかと尋ねたら、うるさいとか静かにしてくれとか、そのようなことを言ったらしい。私がその男を見ると無表情な顔で携帯電話の画面を覗き込んでいた。後日その女性に聞くと、携帯の画面を見たままで顔も上げずに「注意」したらしい。私達は大声で話していたわけではなく、むしろ小声だったのに気に障ったのか、それにしても無礼なことで不愉快に思ったが、じっと携帯電話を見つめている40歳前くらいのその男の顔は気のせいか薄気味悪さを感じさせる雰囲気だったので、何も言うことはしなかった。


 騒音おばさんとかゴミじいさんとか常識からかけ離れたような行動をする奇人のことは時折ニュースになるが、そのような極端なことではなくても、身の回りには理解に苦しむ言動の者が少なからず存在するように思う。レジの列に割り込んできた女性にしても単に非常識と片付けられないもので、やはりどこかおかしいと思わせる異常さと紙一重のものだろう。

 このような一見些細な出来事を見聞きすると、正常と異常の境界は何だろうと考えてしまう。普段はごく普通の生活をしていて態度も普通の者が、時折人が見ると理解できないような行動をするのは、正常と異常の境界は曖昧なもので、誰でもちょっとしたことからそちらのほうに踏み込んでしまうのではないかと思うと怖くもなる。それとも正常の定義などはないのかも知れない。あるいは今の社会には、異常な行動を生み出すような土壌のようなものがあるのだろうか。

上海寸描(5)

2008-02-19 08:25:03 | 中国のこと
豫園商場から上海老街まで。
 豫園商場を出ると周囲にはさまざまな店がある。問屋のようなものもあり、雑然とした様子を見て歩くのも楽しい。












 中国で最大の尼寺の一つとされる沈香閣と言う寺院もある。明の万歴28年に淮河の河口に浮き上がった観音像を潘氏という人物が持ち帰って祭り、この沈香閣が建てられたと言う。観音像は例によって文化大革命の際に破壊されたそうだ。








 老街は豫園商場の南側にある歴史的な門前町。清代末期の上海を再現していると言う。





 


携帯事故

2008-02-18 08:40:02 | 身辺雑記
 最寄りの私鉄の駅に入る所に階段がある。そこを降りようとしたら階段の際に背の高い男性が立っていたが、その後姿の様子から携帯電話を覗き込んでいるようだった。

 じっと佇んでいるその男性を避けて階段を降りていくと、ドスドスというただならぬ音がして私のそばを人が転がり落ちていき、一番下でうつ伏せになって動かなくなった。後には携帯電話とそのカバー、それに持っていたらしい何かが入ったビニール袋が落ちていた。どうやら先ほど階段の際に立っていた男性のようだった。下にいた人達が助け起こして仰向けにしたが、ちょっと意識を失っているように見えた。近づいて見ると、すぐにぼんやりと目を開けた。額の右端に大きな瘤ができていて、血も少し流れている。応急処置の心得のあるらしい中年の男性が自分のハンカチを頭の下にあてがい、話をしないように注意し、学生らしい男の子が携帯電話で救急車を呼び、1人が駅員に知らせに行くなど、皆てきぱきと行動したのには感心した。男性は60代のようだったが、顔には赤みが差していたので心配はないだろうと思っているうちに救急車が来た。

 おそらく、携帯の画面を見ながら階段を降りかけて、足を滑らせたのだろう。10メートルくらいの短い階段だからよかったが、おそらく頭から転落したのだろうから、長い階段だったらもっとひどい、場合によっては致命的な結果になっていたかも知れない。そうでなくとも、もし私自身が後から直撃されていたらと思うと、体格のいい男性であっただけにぞっとした。

 近頃の携帯電話は聞き話すよりも、メールを見る機能のほうがよく利用されているようだ。私はこういう点では保守的だから、メール機能は契約していないので想像する他はないが、携帯の画面には魅入られるような何かがあるのだろう。電車の中などでは老いも若きも夢中になって見入っているし、歩きながら見入っているのにぶつかられそうになったこともある。周囲のことは目にも耳にも入らないような、中毒症状のようになるのか。階段を転げ落ちた男性もそのような状態だったのだろうと思う。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」だ。その男性には「携帯を見ながら歩くのは止めなさいよ」と声をかけ彼もうなずいていたが、これに懲りて慎むようになってほしいと思った。