私の母は21歳で結婚した。当時の年齢の数え方なら、数えで22歳だ。翌年には私が生まれて母親になった。21歳と言うと私の一番上の孫娘よりも1歳若い。孫娘はまだ学生で、就職できるかどうかで精一杯だから、今はとても結婚などは考えられないが、母の頃はそれが結婚適齢期だった。私の妻は23歳で私と結婚したが、その頃では早くも遅くもなかったようだ。長男夫婦も次男夫婦も同い年同士で、それぞれ26歳で結婚した。
今では女性の結婚年齢はだんだん上がってきて、30歳近くなるまで結婚しないのはざらにいる。卒業生のF子には2人の娘がいるが、どちらも30歳前後で、まったく結婚する気配もないようで、学校卒卒業後も親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者を言う「パラサイトシングル」のような状態らしく、F子も何となく諦めているように思える。
このような女性達は少なくないようで、それは若い女性に高学歴者が増え、仕事の上でもそれなりの経験と地位を持つようになっていることにもよるらしい。だから今では結婚適齢期は一定の年代を言うのでなく、「結婚したくなった時が適齢期だ」などとも言われるようだし、結婚適齢期という言葉自体が不適切という意見もあると言う。
今はともかく、かつては女性が結婚することは母親になることの前提のようなもので、そうすると身体的にも精神的にも十分に成熟していることが望ましく、そこから適齢期などということが言われたのだろう。私の母親は昭和7年に結婚したが、それ以前の明治大正期にはもっと結婚適齢期は早かっただろう。特に農村では、童謡の『赤とんぼ』に「十五で姐やは嫁に行き」とあるように、農家の働き手としても早く結婚することが必要とされていた。現代ではおおむね15歳以下での結婚を認める国はなく、男女平等が進んでいるとされるスウエーデンでは、婚姻適齢が男子21歳以上、女子18歳以上となっているそうだ。日本の民法では男子は18歳以上、女子は16歳以上が「婚姻適齢」と定められているが、将来的に政府方針として男女共に18歳に統一する方向だと言う。
江戸時代には庶民の女性は16歳にもなれば結婚可能とされていたようで、適齢期は17~19歳、19歳を過ぎると良い縁談は期待できなかったそうだ。まして20歳を過ぎると娘盛りは過ぎたとして年増(としま)と言われ、23,4歳も過ぎて30歳間近ともなると中年増(ちゅうどしま)とされ、30歳を過ぎると大年増(おおどしま)などと呼ばれて、結婚には無縁のようにみなされていたようだ。40歳を過ぎるともはや婆さん扱いされた。「アラフォー」などと言って、熟女とか女盛りのようにもてはやす今時とははなはだしい違いだ。実際、今のアラフォーは若々しく活気がある。江戸時代は栄養面や、環境の苛酷さへの対処の面で、現在よりは老けるのは早かったのだろうし、とりわけ生活の厳しい農村部では早く老いただろう。男でも40歳半ばを超せば隠居同然に見られたようだ。
ある新聞のインタネットのMSNに「恋人探し」という、若い男女が自分の写真を掲載して自己紹介し交際や結婚相手を求めるという企画がある。どれくらい本気なのか分からないが、登録している男女は洗いざらいに自分を紹介している。今時風のあけすけな感じだ。その中のある女性が、「明るく楽天的なオンナノコです。27歳です」と紹介しているのを見て、27歳でオンナノコでもあるまいと笑ってしまったが、本人はまだ女の子だと思っているのかも知れない。江戸時代なら立派な中年増で大年増に近いのだが、まあ、ご愛嬌と思えばいいのだろう。
最近は男女ともに10代でも身体的には成熟しているが、精神的にははなはだ未熟というのが増えているように思う。だから10代で結婚する者は少なくないようだが、どうも精神面では結婚という現実に付いていけないようで、マスコミの話題になるようなことをしでかしている。家事一つとってみても、江戸時代は10歳近くにもなれば女の子は飯炊きや掃除などをするのが当たり前のようだったらしいし、それほど昔のことでもなくても、私の子どもの頃でも家の「お手伝い」をするのは当たり前だった。妻も小学生の時には末の妹を負ぶって遊んでいたと聞いた。今はお手伝いよりも勉強ということなのか、そのようにして成長していけば、結婚ということには関心が薄れるのかも知れない。
最近では晩婚化が進んでいて、日本人の初婚の平均年齢は男性29.1歳、女性27.4歳 という調査もあるらしい。そうするとこのあたりが、結婚適齢期ということになるのだろうか。私には孫が4人いるが、せめて一番上の孫娘の結婚は見たいと思っているが、今は22歳、見られるかどうかははなはだ覚束ない。まして曾孫の顔を見ることなどは不可能ではないかと思っている。