中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

制服

2009-07-31 08:27:02 | 身辺雑記
 前に書いたように、東京や大阪の公立高校では60年代末から70年代にかけて「服装の自由化」運動が起こり、その結果多くの学校で制服は廃止された。「自由」を主張する高校生にとっては、校則の根幹に位置しているとも言える制服は、自由を制約する象徴のように映ったのだろう。それはいささか近視眼的とも言えるし、自由とは何かをもっと掘り下げて考えればまた違った考えも生まれたのではあろうが、当時の高校生達が日常に埋没しないで自分達のことについて一度は疑って考えようとしたことは評価できたのではないかと思う。大阪の公立高校では今でも制服のないところがかなりあるとも聞く。私が住んでいる兵庫県では制服のない公立高校はないのではないか。私は基本的には私服でもよいのではないかと考えているが、おそらくそんな考えは論外で議論にもならないのかも知れない。

 とは言うものの、世界的にも学生の制服についての考え方はいろいろあるようで、ある学生服の企業のHPで『6ヶ国の高校生の制服に関する意識調査』という記事を見るとなかなか面白い。対象は日本、アメリカ、イギリス、オーストラリア、韓国、中国の高校生各100名の計600名。韓国や中国には制服があることを知っていたが、欧米でもあるのかと少し興味を惹かれた。以下要約する。

 制服の有無については、あるのが韓国97%、オーストラリア93%、中国92%、日本81%、イギリス73%となっていて、アメリカは11%と他の国に比べてぐんと少ない。オーストラリアが非常に高いのは意外に思った。

 学校の制服が好きかどうかについては、「好き」が最も多いのはオーストラリアで48.4%、「嫌い」が最も多かったのは中国で52.2%。日本は「嫌い」が最も少ない22.2%という結果になっている(日本では「どちらでもない」が53.1%と最も多い)。肯定する理由は欧米では「いじめを防ぐため」というのが多かったようだが、私服だと服装によって差別されたりいじめたりされるのだろうか。否定する理由はどの国でも「個性が表せない」があったようだ。これはよく聞かれる意見だが、そもそも個性とは何なのかと言うことにもつながることだろう。

 「学校指定の制服の必要性」については、「不要」と回答したのは日本が21.0%、アメリカ68.0%、イギリス32.0%、オーストラリア14.0%、韓国11.0%、中国16.0%。アメリカの制服否定は飛びぬけて高い。中国では「制服は嫌い」としながらも、「必要」という回答が約80%あるのは面白い。この調査をした企業は、「これらの違いは、国による文化や習慣の違いがもたらしていると思われます」と結論付けている。

 制服と言うと日本では男子は詰襟の学生服、女子はセーラー服かブレザーが多かったし、色も黒や紺が基調だったが、最近は男女ともに多様になってきている。とくにある時期に高校生が増えて新設校が多くなると、そのような学校ではかなり制服にも神経を使ったようで、いろいろなタイプのものが見られるようになった。特に私学では多様になり、それとともに制服も一種のファッションとして見られるようになったようで、「女子高校生制服図鑑」のようなマニアックなものも出るようになったし、変質的な売買の対象にもなっているようだ。

 制服に限らず服装というものはきちんとしていることが望ましく、成人社会の制服には乱れた着方は見られないし、許されるものではないが、高校生ではかなり乱れているのが目に付く。男子のネクタイ姿は多くなっているが、だらしなく緩めて、カッターシャツの裾をズボンの外に出していたりすると酔いどれを連想する。女子のスカートも極端にミニにしていたりして、修学旅行の団体を見ると、これが制服かと思われるくらい丈がさまざまな学校がある。学校側でももはや諦めて、ことさらに指導をしないで野放しにしているのだろうが、やはりきちんとした服装をすることを教えたほうがいい。そのほうがかえって、一人ひとりの個性が表れるように思うのだが。

盛り下げる

2009-07-30 09:22:15 | 身辺雑記
 私のブログはgoo で編集しているが、その編集画面に「ブログのネタ帳」というのがある。goo のランキングの上位にあるブログの紹介でもあるようだ。その中に「デート中に彼女にこんな態度をされると盛り下がります」というのがあって、興味を惹かれて開いてみた。

 「盛り下げる」には引っかかったが、内容は見出しで十分に分かるから要点を抜粋すると、

  1位 おごられて当然という態度をとる
  2位 店員に横柄な態度を取る
  3位 携帯メールのチェックばかりしている
  4位 混んでいるだけで不機嫌になる
  5位 別行動をしたがる
  6位 他の異性をチラチラ見る
  7位 足が痛い・疲れたと言う
  8位 携帯の着信にいちいち出る
  9位 おごったことに恩を着せる態度をとる
 10位 自分から話をしない

 なるほどどれもよく分かる。私はもう女性とデートするような年ではなくなったが、もし今若者だとして、デートで相手にこのような態度を見せられたらいっぺんに興醒めして、2度と誘うことはしなくなることもあるだろう。参考までに、挙げられた項目に対してこのブログの管理人のコメントは、たとえばランキング1位の「おごられて当然という態度をとる」について、「はじめからおごるつもりの男性にしてみれば、こんな態度を取られてはなんともやるせない気持ちになってしまいます。『有難う』、『ごちそうさま』というたった一言があればそれだけで男性は満足してしまうものなので、その後の時間を楽しく過ごすためにも、感謝の気持ちは忘れないようにしましょう」と言っているが、至極当然のことだ。おごられるのに慣れきっているような態度は、お姫様でもあるまいし傲慢だ。

 他の項目に対するコメントも当たり前のことを言っているが、要するにこのような当たり前のことができない女性は少なくないと言うことなのか。

 これらの項目の中には男性としても注意したほうがいいと思われるのは、2位の「店員に横柄な態度を取る」だ。これは若い人のデートではないが、ある知人の女性が夫と食事に行ったレストランが混みあっていて、ちょっとした店側の手抜かりがあったことに夫は腹を立てて他の客もいる中で、大声で店員を怒鳴りつけたそうだ。せっかく久しぶりの夫婦での外での食事の雰囲気はすっかり台無しになってしまって、食事中その女性は小さくなって無言でそそくさと食べるしかなかったと話していた。

 6位の「他の異性をチラチラ見る」については論外の態度のように思う。大阪にいる邵利明(明明)は西安にいたときにある男性とレストランで食事したが、食事中その男が絶えず近くの席にいた女性に気を取られるので不愉快になり、付き合いを止めたと言っていた。当然だろう。

 どの項目を見ても相当するような女性は、どれもわがままでデリカシーに欠けているか、気が利かなくて愚かしい。デート中に携帯電話に気を取られるなどは携帯依存症だ。このような女性ばかりではないとは思うのだが、最近の若い女性も変わってきているのかとも思う。

 「ブログのネタ帳」というとおり、私はこのように「デート中に彼女にこんな態度をされると盛り下がります」を自分のブログのネタに利用させてもらったが、それにしても「盛り下がる」とは何という言い方か。「盛り上がる」の反対語として造語したのだろうが、ちょっとひどい。あるいは一部ではこのような言い方をするのか。「盛る」自体が上向きの方向を意味しているから、「下がる」とは結びつくことはない。いろいろなブログを見ると、たぶん若者が書いているのだろうと思われるものには、どうも言葉を恣意的に軽々しく弄んでいるようなのがあって、独りよがりだなと嫌な感じがすることがある。勝手気ままに造語したり、省略語を使ったり、馴れ馴れしい調子の文であったり、何か仲間内の符丁のように言葉を使うのは、言葉の乱れを助長しているようで苦々しい。・・・などと言うと年をとった証拠だと言われるかも知れない。

 




コアジサシ

2009-07-29 10:17:19 | 身辺雑記
 ある新聞の電子版で可愛い写真を見た。渡り鳥のコアジサシの雛が餌を待っている姿だ。


 小さな翼を広げ、大きな口を開けて、親が持ってくる小魚を待っている姿はまことに愛らしい。この写真は東京都大田区の下水処理施設の屋上で撮られたものだそうだ。

 コアジサシ(漢字で書くと小鰺刺)はチドリ目カモメ科の鳥で、空中でホバリングして狙いをつけ水面にダイビングして小魚を捕らえるのが名前の由来とも言われる。
Wikipediaより

 本州以南に飛来して繁殖する夏鳥で、9月にはオーストラリアやニュージーランドに越冬のために飛び立つ。繁殖地の減少やカラスによる捕食などで減少し、絶滅が危惧されている。この大田区の下水処理施設には6年ぶりに1000羽以上が飛来したそうだ。

 動物の子どもには顔や姿がとても可愛いものが多いが、鳥の雛にはあまり見たつきのよくないのがいる。しかしこのコアジサシの雛は愛くるしく見える。カラスなどの天敵に襲われたりしてかなりの雛が巣立つ前に命を失うようだが、無事成長すると秋には親子ともども大洋を越える長旅に発つ。


首相の外遊経費

2009-07-28 10:04:06 | 身辺雑記
 野党議員の質問趣意書に応えて、政府は麻生首相の外国訪問にかかった経費について答弁書をまとめた。首相は任期中に13回外国に出かけているが、答弁書に示すのは清算済みの8件で計約8億7900万円だったそうだ。1回当たりの平均は約1億1000万円になる。
 
 1回の外遊にかかる経費の内訳はどのようなものなのか。思いつくものを挙げてみると政府専用機の経費、現地での宿泊費、随行員は13回で延べ916人だと言うから平均して1回あたり約70人で、この経費、他に事務連絡費などもあるかも知れない。普通の公務員の出張には日当が出るが、この場合にもこのような名目のものがあるのだろうか。このようなことについての知識は貧弱だから、当たっているかどうかは別にして、これくらいしか思いつかないが、それでも1回あたり1億1000万円とはたいした金額だ。明細を見たいとも思う。

 麻生首相の10ヶ月の任期中の外遊回数13回は、その前の安部元首相と福田前首相の在任約1年で8回よりも多い。訪問日数は計44日間、訪問国は12で、米国が3回、中国が2回。国会審議の合間を縫った強行日程が多く、一度に複数の国を訪ねたのは2回だけだったようだ。「外交の麻生」を自認していただけあってなかなか精力的に動き回ったと言えるが、単純に計算してざっと13億の金を使ったその成果はどれだけのものだったのか。もう先がない首相ということで各国からはあまり重くは見られなかった言う向きもあるが、日本にとって実りのある外遊だったのだろうか。

 われわれ庶民からするととてつもない金額だが、いくら首相が地方財閥の御曹司で生活は贅沢と言っても個人の好みでこのような金額になったのではないだろうとは思う。一国の首相の外遊ともなればそれくらいの金額になるのかも知れない。しかし、精査すればもっと経費を節減できるのではないか。巷で言われている政権交代が実現して新しい首相が誕生したら、このあたりについても考えるべきだと言っても、決してみみっちいことではあるまい。

 巨額の国費を使って多数の随行者を従えての、大名行列を思わせる首相の外遊、何か現実のこととは思えないような気がするのは貧乏性なのかな。

格安ツアー

2009-07-27 08:08:26 | 身辺雑記
 新聞を開くと、大手の旅行会社の2面ぶち抜きの「アジア特集」という広告が目についた。中国、韓国、沖縄、サイパン、グアム、ハワイ、バリ、ボルネオなどさまざまで、よくこれだけのツアーを企画するものだと感心もしたが、何よりも驚くのはその価格の安さだ。例えば『ボルネオ島5日間 3.98万円~8.18万円』などというのがある。他のツアーもとても安い。

 中でも驚いたのは広告のトップにあった『上海4日間 19,400円』というものだ。内容を見ると、航空会社は日本航空や中国民間航空で、上海3泊、華晶賓館同等クラス、食事は朝3、昼1、夕1、添乗員なし(現地係員)となっている。華晶賓館というホテルはどの程度のものか分からないが、インタネットで検索すると出てきて、どうやらこの旅行会社の格安ツアーでよく利用するホテルらしく、ごく普通のクラスのようだ。現地係員がいると言っても、おそらくガイドではなく空港での送り迎えやホテルへの案内をするくらいではないか。朝食は普通はバイキング形式で、宿泊したらついているので3回は分かるが、昼食と夕食は1回しかついていないから、自分で探さなければならないだろう。まあ、飛行機と宿と最低限の食事は保証しますから、後はご自分でということなのだろうが、それにしても19,400円は安い。いったい旅行社はどうやって利益を上げるのだろう。

 格安ツアーは現地、たとえば中国の旅行会社泣かせだということは前にも書いた。今は日本から中国への観光客激減しているようだから、現地旅行社は仕方泣く泣く見積もりに応じているらしい。それにしても飛行機代にもならないのにどうして、ということがよく言われるが、聞くところによると航空運賃というものはファーストクラスやビジネススクラスの運賃で成り立っているようなものだと言う。その席が埋まれば、エコノミークラスの料金はどうにでもなるそうだが、そんなものなのか。だが上海行きの飛行機などにはファーストクラスはないし、ビジネスクラスの座席は少なく、それも空席があることが多い。採算はとれるものか。

 インタネットで次のような質問があった。

 「上海に旅行に行きます。安いパック旅行なので日本夕発、上海早朝発で3泊4日で1日はツアーで次の日が自由行動。色々行きたいところはガイドブックや前日のツアーでもう一度行きたい街に行こうと思うのですが・・・。ホテルについて不安が残っています。華晶賓館ですが、どんな感じのホテルかご存知の方はいらっしゃいますか?(中略)あと1元って大凡15円程度で換算で間違いないですか? 両替は空港でしようと思うのですが、日本でしていった方が安全ですか? どこかで偽札があるから気をつけるようにって書いてあったので、これまた不安です。 最後に・・お手頃(ロンTなら3000円未満、JKTなら6000円前後)なカジュアル服(韓国ミョンドンの服屋さんは店が多くて楽しめました♪)が多くありそうな街はどこでしょうか? 」

 おそらく質問者は若い女性で中国は初めてなのだろう。4日間と言っても1日目は上海で泊まるだけ、4日目は早朝に発つから正味2日間で、たいした経験はできないだろう。だいぶショッピングに関心があるようだが、両替のことなどごく初歩的なことも知らないようで、若者らしく勇気はあると思うが、読んでいるとこちらまで不安になってきた。旅行社は顔を顰めるだろうが、あまりべらぼうな低料金のツアーは避けたほうがいい。まして初めての旅であるならば、少しは高くついても安心できるものがいい。


頭髪の自由化(2)

2009-07-26 08:20:27 | 身辺雑記
 生徒と「対決」する当日、体育館に全校生徒が集合し、私はその前に立った。あまり緊張感はなかったように思う。どうせ反論は出るだろう、過激で攻撃的なものもあるだろうと予想はしたが、別に想定問答のようなことは考えなかった。今ではどのような遣り取りがあったのかはあまり記憶していない。どうせ教師は反対だろうと予想はしていたのだろうが、発言者は意外に冷静で、噛み付いてくるというような態度の者はなかった。床に座って聴いている生徒達の中から野次が飛ぶこともなかった。生徒の発言の中にはまことにもっともで、賛成論者の私はうっかりすると同調したくなるようなものはあっても、個人的な意見は出さないように注意したし、未熟な意見があっても揚げ足を取ってやり込めるようなことはしなかった。要するに君達の要求は受け容れられないということに徹した。それでもやはり私の言動は自己矛盾だという忸怩たる思いは消えなかった。

 やり取りの最中にふと気が付いたことなのだが、生徒の後方に立って聴いている教師が意外に少ない。生徒指導担当の者は参加していたとは思うが、多くの教師は出てこなかったらしい。賛成論者を自分達の反対意見の代表に送りだしながら、何だこれはとひどく索漠とした気分になったことを覚えている。集会が終わってから職員会議のあの反対意見は何だったのか、自分の代わりに意見を言ってくれるということに、後方にでも参加して支援するという気持ちにはならなかったのか、教師が全員参加したら生徒達を威圧すると考えて遠慮したのか、などとあれこれ考えたが、結局はこういう教師集団なのだと自分を納得させた。

 あれからもう40年近くたった。今ではあの生徒達のエネルギーが懐かしい。大学紛争は終結し穏やかな学園生活が戻ったが、代償として何か気が抜けたような雰囲気も醸成されてきて、学園祭などは屋台が盛んな単なるお祭り騒ぎに堕してしまった。高校も同じで、しかめっ面して議論し教師に挑んでくるような気風は失われて、どの学校も個性の乏しい雰囲気になってしまった。職員会議も教師が意見を述べ合う場ではなくなり、ただ「管理者」の学校長の考えを伝達する場になってきているようで、特に東京都などは徹底しているらしい。おそらくは教師たちも平凡な事なかれ主義的な雰囲気になり、個性的な教師集団を形成することなどはないのだろう。私はたぶん旧い考えの時代遅れの人間なのだろう。だから試行錯誤はあっても、教師も生徒も何か「自分達の学校」というものを心に描いていて、時にはぶつかり合うこともあったような気がする頃を懐かしく思う。

 ところで頭髪の自由化のほうは、その後どのような経緯があったのかは覚えていないが、時の流れだったのだろう、やがて認められて現在に至っている。自由化になるとさすがにちょん髷はないが、耳にかかるどころか肩のあたりまで伸ばすようにもなり、さすがの私もこれはどうかなと感じることもあったし、今頃は巷で見かける高校生の髪型には男子のものも女子のものも顔を顰めたくなるようにもなっている。とにかく高校生の髪型は清潔感のあるものがいいと思っているのだが、これももはや旧い考えなのかも知れない。




頭髪の自由化

2009-07-25 11:33:18 | 身辺雑記
 街中で見かける高校生の姿かたちはさまざまで、男子は目や首筋にかかるような長髪、女子は超ミニスカートなどはざらにいる。男子の長髪については学校でどのように決めているのかは分からないが、女子のスカート丈には一定の規定があるのではないか。規定があってもどこ吹く風というようで、特に大阪やその近辺の私学はかなり「乱れて」いるように思える。教師はもはやお手上げなのかも知れない。

 今となっては、こんなこともあったのだなあと昔話になってしまったようなことが、私が経験した「頭髪の自由化」運動だ。

 60年代末から70年代初めにかけて大学では全国的に学生運動の嵐が吹き荒れたが、一部の高校にも波及した。大阪では公立高校で「制服の自由化」要求が出され、多くの学校で認められた。大阪の高校ではなかったが、私が勤務していた高校では「頭髪の自由化」を生徒が問題にし、過激なものではないが、生徒自治会が中心になって学校に対して要求してきた。当時学校は校則で男子は丸刈りであること、女子は頭髪を加工してはならないと定めていたので、それに対して男子の長髪を認めよということだった。どういうわけか生徒の自由化要求は、女子の頭髪加工禁止規定には触れていなかった。アイロンを使ってゆるやかにウエーブをつけるような加工を施す女生徒はいなくもなく、指摘されると天然ですと言い逃れをする者もあったが、当時は高校生がパーマをすることまでは女生徒自身にも考えられなかったのだろう。

 生徒の要求を受けて学校では職員会議をもって議論した。職員会議というものはさまざまな意見が出されて面白いところもあるのだが、このときも盛んに論議され、私は認めてもいいという意見だった。賛成論者の中には、ただし耳にかぶさるような長さはうっとうしいから制限するべきだと言う人もいた。それに対して私は、自由化と言うからにはたとえちょん髷にしてくる生徒がいても容認しなければならない、細かい制限を加えるべきではないと、いささか青臭い意見を述べたことを覚えている。議論も一段落したところで、生徒の要求を受け容れるかどうかということで採決したが反対者が多く、要求は認められないという結果となった。

 次の問題は、この職員会議の決定をどのように生徒に伝えるかということだった。当時の生徒達は「全共闘」というほど過激ではなかったが、それなりに高揚していたから、ただ職員会議の決定を伝えるだけではすまない、必ず議論になることは予想された。今なら学校長がその任に当たるのが当然のようになっているが、当時はやはり教師が決めたことは教師が責任を負うという考えが強かった。そこで教師側の決定を生徒に伝える役目の者を選ぶことになったが、投票の結果、何と賛成論者の私が選ばれてしまった。賛成論の者が、反対意見の代表者になることは矛盾したことで、唖然としたが仕方がないので受けることにした。 (続)


バカ

2009-07-24 09:17:00 | 中国のこと
 アホもバカも、相手をからかったり、貶めたり罵ったりする言葉だが、アホは主に関西圏で、バカは関東圏で使われている。関西人はバカと言われると非常に強く、それこそ馬鹿にされたように感じるし、関東人はアホと言われると、その語感の軽さで不愉快になると言われている。

 中国語でバカは、混蛋(フンタン)とか王八蛋(ワンパアタン)、糊涂(フトゥ)などと言う。それぞれニュアンスは違うようだが、中国の友人は使わないほうがいいよと言うが、もちろんそのような言葉が使えるほど中国語は話せない。西安の李真は学生時代に、日本人の日本語教師が授業中の何かのときに「ワンパタン」と言ったので、なぜそんな言葉を知っているのだろうと学生たちは顔を見合わせたと言っていた。実は教師はone paternと言ったのだと後で分かったらしい。

 もうひとつ儍瓜(シャアグア)と言う言葉があるのを、一海知義・筧久美子・筧文生共著『漢語いろいろ』(岩波書店)で知った。筆者の一人は上海在住時代に書店を歩き回って書物を買い漁ったので「書呆子(シュウダイズ)」と呼ばれたらしいが、呆子は間抜け、のろま、アホウの意味だ。その筆者の家にいた上海娘が口癖のように儍瓜と言っていたので、その後に家にいた天津娘との会話で使ったら、いやな顔をされたようだ。それで「アホ・バカに地域差があるように、中国にもそれがあるらしく、使い方がむつかしいのだ」と書いている。

 それで東京にいる上海人の施路敏(敏敏)にチャットで聞いてみたら「馬鹿という意味です。よくない言葉でしょう。あまり使わないほうがいいです」と言った。次に西安の謝俊麗に尋ねたら、やはり「馬鹿って言う意味だよ」と言った。さらに、混蛋や王八蛋などより強い意味かと尋ねたら、混蛋や王八蛋は人を叱る(罵る?)意味、軽蔑の意味で、儍瓜は「例えば恋人同士では使うし、親子でも使う」と言った。どうやら「バカだなあ」「オバカさん」という軽いニュアンスもあるのだろうと思った。

 そこでさらに、地域によって違った意味にとられるのかと尋ねたら、地域と言うより使う人の気持ちやその時の雰囲気とかで違うと思うと言った。愛情がある場合にも使うようだ。劉君(夫)や麦豆(息子)にも使うかと聞いたら、「大笑い」の絵文字が返ってきて、麦豆には使ったことがないと言った。と言うことは夫には使うのだろう。俊麗とは時どきチャットで罵り合いをするが、私が「壊老婆 フアイラオポ(悪妻)」と言うと「偏心爺爺 ピエンシンイエイエ(えこひいき爺さん)」と返してくる。これからはそう言われたら「儍瓜」と言えばいいのだなと言ったら、また「大笑い」の絵文字が来た。ちなみに麦豆には「小壊蛋 シャオファイタン」と言うそうだ。壊蛋は悪者、ろくでなしという意味だが、「小」は「ちゃん」という愛称のようなものだから、「いたずら坊や」「腕白ちゃん」くらいの意味だろう。

 中国語には相手を罵る語彙が豊富だと言うが、バカ一つとってもいろいろある。微妙なニュアンスなどは到底分からないから、やはり中途半端には使わないほうが無難だろう。それにしても「馬鹿の一つ覚え」のようだが、ほんのちょっぴり物知りになったような気もした。





桜が見られなくなる?

2009-07-23 10:48:05 | 身辺雑記
 インタネットのある記事を見たら、地球温暖化が進行すると100年後には東日本より西の太平洋側では桜(ソメイヨシノ)が開花しなくなるという予想が載っていた。

 ある気象情報会社が、気候変動に関する政府間パネルのデータや、同社が過去6年に集めた全国約2万地点の開花情報を基にシミュレーションした結果、最悪パターンではこのように予測されるのだそうだ。気温が今後全般的に上昇すると、開花に必要な冬の寒さがなくなることが原因と言う。桜が開花するためには冬の間に花芽が目覚める「休眠打破」ということが必要なのだそうで、100年後の平均気温が最大7度上昇すると、この「休眠打破」が起こらなくなると予測されるようだ。

 そのため、今から35年後の2044年には八丈島で咲かなくなり、74年に鹿児島、81年に和歌山、87年に宮崎、98年に静岡、2107年に愛媛、2109年に東京と、開花しない地域が広がっていくという予測だと言う。

 今から35年後には私がこの世にいることもないし、まして100年後ともなると遠い先の話のようだが、実際に地球温暖化が進んで、最大で7度も気温が上昇したら、桜が開花しなくなるだけではすまないいろいろな影響が出るだろう。植生の様子だけでなく漁業にも影響が出るかもしれない。平均気温が7度上昇することになれば夏はどうなるのだろうか。いくら100年先のこととは言っても私たちの子孫のために心配したくなる。

 地球温暖化が取り上げられるようになり、それを防止するための国際会議が開催され議論されるようになってから久しいが、その進捗は遅々としている。地球温暖化の最元凶とされる二酸化炭素の排出量の規制についても中国やインドなどの発展途上国が反対して、なかなか前進しない。経済の拡大によって国の発展を期すと言うことはよく分かるし、先進国はそうやって発展してきたのだから、なおさら途上国としては納得できないものがあるのだろう。しかし、目先の発展にとらわれているだけでは子孫に負の遺産を遺すことになる。それでは現在の人間のエゴと言うものではないか。大国の賢明な協調が望まれる。

 目の当たりにできる子や孫は愛おしい存在で、彼らのためなら労を惜しまないと言うのが普通の人間としての感情だろう。100年後の子孫はもちろん見ることはできないが、やはり今の私たちと血のつながりを持つ愛おしい存在のはずだ。彼らも美しい桜が見られるように努力することは、現在を生きる我々の責務ではないか。

            

解散

2009-07-22 08:11:37 | 身辺雑記
 「やっと」と言うべきか「とうとう」と言うべきか、すったもんだした挙句に首相は衆議院を解散した。

 小泉首相の「郵政選挙」以来3年11カ月、この間選挙の洗礼を受けることなしに3人の首相が自民党内のたらい回しで誕生し、そのうちの2人が続けさまに政権を投げ出して国民の顰蹙を買った。3人目の現首相は「選挙の顔」とか言われながら、その選挙の実施については引き伸ばしに引き伸ばして、解散のチャンスを2回逃したとされている。当初は選挙管理内閣として短命に終わるだろうとも言われていたが、内閣や自民党に対する支持率の続落にもかかわらず、とにもかくにも今日まで来た。何かをしたいから首相になりたかったのではなく、首相になりたいからなったのだからと党内の一部からも酷評されもした。

 8月30日投票と決まったが、それまでの40日間、各政党は選挙戦を戦うことになるが、それぞれのマニフェストに基づいて正々堂々とした論戦をしてほしい。米国の選挙のような相手のスキャンダルを暴露するネガティーブキャンペーンじみたことはないだろうが、党名や候補者の名前を連呼するだけの「運動」は願い下げにしてほしい。

 今のところ小選挙区と比例をあわせて1236人が立つようだ。解散に至るまでに党内は「麻生おろし」とか何とかごたごたしたが、あの「郵政選挙」の時の「刺客」騒ぎのような愚劣なことは起こるまい。あのときの「小泉劇場」に踊らされたマスコミの騒ぎようは異常とも言えるものだったし、それに煽られた国民の熱狂も度を越していた。その付けが、今になっていろいろな面に現われていると指摘されているが、今度の選挙は冷静に臨みたいし、マスコミも国民の判断に資するような報道をしてほしい。

 それにしても・・・とテレビで解散の瞬間を観たときに思ったのだが、議長が解散の詔書を読み上げた瞬間に満場の議員達が万歳をしたのは、今に始まったことではないにしてもどういうことなのだろう。引退議員が22人いるらしいが、それ以外は選挙戦を戦う。全員がまた戻ってくることはあり得ず、むしろ大敗するとも予想されている自民党は、前回選挙で大量当選した「小泉チルドレン」を含む少なからぬ議員は落選(失業)する可能性が高い。それを予感した悲壮な、あるいはやけっぱちの万歳でもあるまいが、だいたいこんな場面で万歳はそぐわないのではないだろうかと、見ていて何か奇妙な感じがした。