中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ふぐ鍋

2009-11-30 09:00:10 | 身辺雑記
 Hr君が、新聞に載っていたけれど今年はフグが安いそうだと言った。私もその記事を見ていたが、旬を迎えたトラフグや贈答用のメロン、コシヒカリなどのブランド米などの高級食材の卸値が消費不況の影響を受けて下落しているというものだった。トラフグなどは昨年に比べると半値なのだそうだ。

 いいじゃないか、年末はふぐ鍋にしようかと言ったら、Hg君の奥さんが年末と言わずに来週にでもと言ったので、それではと早々にHg君の家で実現した。ふぐ鍋のセットはHg君夫妻がスーパーで買ってきたが、やはり安かったそうだ。


 Hr君も加わってふぐ鍋を囲んだが、期待通りに美味く満足した。


 ふぐ鍋、ふぐちり、主に関西では「てっちり」。「てつ」は「鉄」で、「鉄砲」の略。「当たれば死ぬ」ということから、ふぐを言うことはよく知られている。

 中国でもふぐは美味なものとして好まれるようだが、やはりその毒は恐れられていて、江南地方には「命がけで河豚を食う」という古い諺があるという。古くからかなりの死者も出ていたようだが、その魅力には抗し難いものがあるらしく、『中国美味礼賛』(青土社)という本の中で洪燭(ホンチュウ)という随筆家は「河豚を食べるには苦しみに甘んじなければならず、『九たび死すとも猶お未だ悔いず』の精神がなければならない」などと書いている。 

 この人の引用によると古人のふぐの料理法は、「(前略)肉は四角に切り、猪油[豚油]で爆炒[最大の強火で炒める]したのち黄豆醤[大豆で造る醤]を加え、鍋に入れて煮る。(後略)」とあるが、これは現在でもたぶん同じだろう。要するに中国によくある「紅焼ホンシャオ」という調理法のようで、このように調理したふぐはおいしいのだろうかと思ってしまう。やはり日本人にとっては、ふぐは刺身かちり鍋でなくてはというところだ。濃厚な味付けを好むか、淡白さを好むか、彼我の好みの違いだろう。




直立二足歩行

2009-11-29 11:07:00 | 身辺雑記
 西安の謝俊麗から息子のナオナオの動画が送られてきた。これまでに写真もたくさん送ってきたが、動画はこれで20本になる。

 見て驚いたのは、ナオナオが室内を元気に歩き回り、時には小走りもしていることだった。10月の中旬に西安で会った時にはまだヨチヨチという感じで、両手を動かしてバランスをとるようにしてペンギンのように歩いていたのに、1ヶ月もたつとこのように進歩するものかと感心した。本人も嬉しいらしく休むことなく動き回っている。跳び上がることに興味があるのか、腰をかがめてから「アイッ、アイッ」と叫びながら両手を挙げ背筋を伸ばして跳ぼうとする。まだ脚の筋肉はそこまで発達していないようで両足は床に着いたままだ。それでも飽きずに繰り返しているから早晩跳べるようになるだろう。

 ナオナオの初めての動画は、うつ伏せになってボールをもてあそんでいるものだった。その前には座ることができたようで、おそらく母親がうつ伏せにさせたのだろう。まだ這うことはできないで、ボールが少し前に転がると取ろうとして両腕を漕ぎ、体をくねらせるが前には進めない。そのうちに自力で起き上がろうとするようになった。
 ベッドの縁の木を掴んで寝返りを打とうとする。

 やがて初めて這った時の動画も送られてきたが、体をくねらせてまるで陸に上がったイモリのようだ。そうこうするうちに、トカゲのようにすばやく這うようになった。


 そして立ち上がって伝い歩き。後はどんどん進歩していった。


 このような様子を見ていると、過去の人類の進化の過程を見ているようだった。ナオナオは今では立派に人類の仲間入りをしている。

 直立二足歩行の起源についてはいろいろの学説があるようだが、それが人類と類人猿を区別する根本的な特徴であることは確かなようだ。その過程には長大な時間が必要だった。それを今、人間の子どもは半年くらいで再現しているわけだが、幼児の頼りない歩き方を見るにつけ、初期の人類の生活はどんなものだったのだろうかと思う。

 直立二足歩行をするようになって人間は非常に進化したが、同時に上半身の全体重が足腰にかかるようになり、年を取るにつれて故障を生じるようになった。私の坐骨神経痛のことでかかりつけの医師と話をした時に、坐骨神経痛は多いようですねと言うと、人間は直立二足歩行ですから、どうしてもその傾向がありますねということだった。

 ナオナオが元気に跳び上がろうとしている様子を見ながら、今では数センチしか跳び上がれなくなっている我が身は、ああ退化したなあと慨嘆する。こうなればせめて人類のもう一つの進化の賜物である頭脳の働きだけはできるだけ衰えさせないようにと思うのだが。




ちょっとほのぼの

2009-11-28 10:14:30 | 身辺雑記
気持ちのよい店
 近頃開店したイタリア料理店、と言ってもスパゲッティとピザがメインの店だが、私の口には合うのでよく行くから、チーフらしい30歳近い女性とは顔なじみになった。数日前にも行ったのだが、席はちょうど厨房からでき上がった料理を出すカウンターが見えるところで、ウエイトレス達が立ち働く様子がよく見えた。
 その日はそのチーフ以外に2人の20歳そこそこのウエイトレスが働いていたが、それがなかなかよく動き回る。注文されたものを厨房に伝えたり、料理を注文者のテーブルまで持っていくのはもちろんだが、それ以外にも紙ナプキンやフォーク、スプーン類、ドレッシングなどの補充もしているし、店内に絶えず気を配っている。きびきびしていてぼんやりしているところがない。それでいてせわしないという感じはしない。見ていてまことに気持ちがよかった。こういう店に限らず緩慢な動作の店員を見ると、何となくその店の雰囲気が分かるような気がするものだが、この店の娘たちはその点ではとても爽やかで良かった。
 レジで支払いをするときにチーフの女性に、この人達はとてもよく働くから気持ちがいいね、可愛いと褒めたら、今頃の子にしては良く動いてくれますと言った。


行きずりの挨拶
 人ごみの中を歩いていて、少し気を取られて横を向いていたら「あぶない」という声が聞こえた。前を見ると50歳代くらいの男性がいたのでよけてから振り向くと、その男性も振り向いていて、もう一度「あぶない」と言った。屈託なさそうな笑顔だった。「すみませんね」と言うと笑顔のままで「気をつけて」と言って右手をさし伸ばしてきたので、私も笑顔になって手を出して握手した。
 最近はとかく巷での対人関係がギスギスしていることもあるから、このような場合でも「危ない。気をつけんかい」と噛みつかれることもあるかも知れない。このまったく見知らぬ人との一瞬の触れ合いは、何かほっとするようなもので、その男性の笑顔が心に残った。



ネコ

2009-11-27 10:18:14 | 身辺雑記
 猫は寝子で、よく眠る。1日の内10数時間は眠っていると聞いたことがある。我が家のミーシャもいつも寝ている。夜行性で夜は起きているのかと言うとそうでもない。時折歩き回ることはあるらしいが、だいたいいつも寝ている。敵もいないし気楽なものだ。昼間は時々2階から下りてきて、私に向かってニャオンとか言うが、そのときには返事してやることにしている。

 猫には妙な習性があって、狭い場所に好んで寝る。もともと野生時代に狭い穴に潜り込んで敵から身を守った習性の名残だと言うがどんなものか。






 この習性を利用して小さい土鍋の中に潜り込ませ「猫鍋」と称してユーモラスな写真を掲載しているサイトがいくつかあって、いっときは流行ったものらしい。


 
 気温の変化には敏感で、暑いときには涼しい階段の所で寝ているし、少し気温が下がると私のベッドのフトンの上に来て足元にいる。もっと寒くなると布団に潜り込んでくる。今頃は居間では石油ストーブをつけているから温風の吹き出し口あたりに寝そべっている。時々妙な声を出すことがあって、寝言なのかとおかしくなる。寝言とすると夢を見ているのか。見ているとしたらどのような夢なのかと思う。

 ミーシャが我が家に来てもう10年以上になるが、猫の気持ちなどはなかなか分からないものだ。




集団暴行

2009-11-26 10:35:00 | 身辺雑記
 女子高校生に集団で乱暴したとして集団強姦罪に問われた男女3人に判決が下りた。裁判長は犯行を主導したとして、福岡市の20歳の男には求刑の懲役4年を上回る懲役5年を言い渡した。

 この男らは7月に知人少年宅で、顔見知りだった女子高校生に集団で乱暴した。おぞましい犯行だが、犯行に加わった元大学生の20歳の女が求刑通り懲役4年の判決が下されているし、共謀に加わったとして41歳の女も別に起訴されている。同性としてこのような犯行に加わることに何の痛痒も感じなかったのか、呆れるほかはない。屑のような女どもだ。確かに「強姦」の定義からすれば女性が女性を強姦することはないが、共謀に加わっただけでも罪は重い。

 集団で高校生に性的な暴行を加えるのはもちろん許しがたい行為で、この判決は主導者に対して求刑以上の量刑だったというので各紙に取り上げられたようだが、それにしても懲役5年や4年はいかにも軽いという感じがする。強姦罪は性犯罪に対するものとしては最も重くて3年以上20年以下の懲役ということになっているが、集団強姦罪は4年以上の有期懲役となっている。女性の一生を損ないかねない犯罪としては最低限が3年とか4年というのはいかにも軽いという感じがする。それはともかくとして今回の事件の求刑は法定刑の最低だったわけだが、なぜこのような軽い求刑になったのか、被害者にも隙や落ち度があったとして「情状酌量」されたのか。

 性犯罪、特に強姦という卑劣で狂暴な行為は跡を絶たない。これまでにも言ってきたことだが、もっと厳しい刑が課せられるべきだし、またまた非現実的な持論を言うようだが、去勢などの付加刑が課せられてもいいと思う。

「人参果」の正体

2009-11-25 09:32:46 | 中国のこと
 少し前(11月17日)に、Hg君夫妻が西安で買った「人参果」という木の実のことを書いた。
 


 珍しいものかと興味を持っていたが、天野秀二『世界のくだもの366日事典』(講談社+α文庫)を見ていると、タマリンドというのが出てきた。図や説明を見るとどうも人参果らしいのでインタネットで検索してみると、「果実は長さ7-15cm、幅2cmほどのやや湾曲した肉厚な円筒形のさやで、黄褐色の最外皮は薄くもろい。 1個ないし10個の黒褐色で扁平な卵円形の種子との間隙はペースト状の黒褐色の果肉で満たされる」とあり、写真を見てもまさしく人参果はタマリンドであることが分かった。



 タマリンドは熱帯アフリカが原産で、インド、東南アジア、アメリカ州などの亜熱帯、熱帯の各地で栽培されているようだ。樹高が20メートル以上にもなる常緑高木で、街路樹にもされているとのことだ。



 日本でもドライフルーツとして売られているとのことだが、寡聞にして知らなかった。



 分かってみるとさほど珍奇なものでもないのだが、それに「人参果」という伝説の不老長寿の霊果の名を借用するとは、さすがに中国だと思った。前に西安の副食市場で売っていた砂糖漬けのドライミニトマトには「聖女果」という名がつけられていた。




坐骨神経痛

2009-11-24 10:25:05 | 身辺雑記
 この1年余、歩くと時々右の臀部の大腿骨の付け根あたりが鈍く痛くなり、やがて右足が痺れてくる。しばらく休むと徐々に治まるのだが、どうにも鬱陶しい。MRIで検査してもらったら脊髄管狭窄による坐骨神経痛だろうということになった。それ以来特に悪くも良くもならないのだが、坐骨神経痛ということで一応納得し、人にも言ってきた。

 同じように足が痛む、痺れるという症状を持つ人は意外に多く、皆60代以上なので加齢現象なのかと思っていた。西安の謝俊麗の夫の劉君の父親は、坐骨神経痛で痛みが激しく手術したと言う。私の妹の1人は脚の痛みがひどく、買い物などで少し歩いても強い痛みがくるし、寝ても脚を伸ばすと激しく痛むので起き上がってうとうとするそうだ。本当に辛いと言っていた。強い痛みに絶えず襲われるのはさぞ辛いことだろう。そんなことで、私のような症状は本当に坐骨神経痛なのかどうかと思うようになったので、インタネットで調べてみた。

 すると坐骨神経痛というのは特定の疾患を指す病名ではないとある。坐骨神経痛は、何らかの原因(疾患)によって坐骨神経が刺激され、坐骨神経が通る領域(臀部から太もも、ふくらはぎなど非常に広範囲)に生じる痛みや痺れといった症状そのものを指す名称だそうだ。そういうことだと私の場合も坐骨神経痛なのだろう。原因にはいろいろあるが、高齢者によく見られる疾患で、脊柱管が狭くなり、神経が圧迫されることで起こるもので、数分の歩行で腰や足に痛みや痺れが現われるが、休息をとることで回復するという傾向があると言うから、私の場合にぴったり当てはまっている。

 坐骨神経は、腰部・骨盤部から足の末端までに至る、人体の中で最も長い末梢神経で、坐骨神経のどの部分がどのように障害されるかにより、症状の出る範囲や症状の出方もさまざまなのだそうだ。その症状としては腰の痛み、臀部の痛み、臀部、太もも裏、足の痛み・痺れ、前にかがめない、体を後ろへ反らすことができない、痛くて座っていられない、体を動かすと痛みや痺れが悪化していく、痛みのため歩行が困難になる、足に力が入らなくなる、足に触ると感覚が鈍くなっているなどがあるようで、私の場合はどうやら軽い症状のようだ。

 今ところ強い痛みを感じることはないから、歩くと痺れるのは不愉快だが辛抱しなければならないのだろう。




年始欠礼挨拶状

2009-11-23 11:22:53 | 身辺雑記
 今年もある女性の卒業生から夫君を亡くしたのでという挨拶状が来た。年末になると年始の欠礼挨拶状が来るが、中でも配偶者を喪ったという挨拶があると、妻を喪った身としてはひとしお哀悼の気持ちが強くなる。さぞ寂しいことだろうと思って電話した。

 本人と同じ60歳半ばで、1年前に癌であることが分かったそうだ。告知もされた本人は覚悟していたとのことで、毎日のように感謝の言葉を口にし、最後には別れも言って逝ったそうだ。聞いていて胸が熱くなった。喪中欠礼挨拶状は作ったが、見るのも嫌で出すのを止めようかとも思ったくらいだったと言ったが、その気持ちはよく分かった。

 いつも思うことだが、いつかは死ぬにしても、いったいどのような病で死ぬのだろうか。妻を亡くしてからは死ぬことには淡白になってきているが、せめて余命は後いくらというくらいは知りたい。いまさら執着するようなことも無いが、やはり感謝したり別れの挨拶をしたりしたい人は少なくない。けじめだけはつけたいと思うが、こればかりは思うようにはいかないだろう。

 その卒業生には、妻がいなくなった最初の大晦日や正月には言葉では尽くせない悲しみを味わったことを話し、寂しいだろうが元気に過ごしてほしいと言って電話を終えたが、改めて、11年前の寒く冷たかった年末年始を思い出した。

           
 


携帯電話依存

2009-11-22 11:19:53 | 身辺雑記
 外国のある調査会社が実施した携帯電話ユーザーを対象に調査で、大半のユーザーが携帯電話なしには生活できないと感じていることが明らかになったという。

 調査は今年6月、11の国と地域でオンラインにより実施し、回答した約8000人のうち、3分の2がどこに行くにも携帯電話を持っていくと答えたそうだ。ロシア人とシンガポール人がその割合が最も高かった。

 回答者の3分の1以上が携帯電話なしで生活できないと感じているようで、台湾人とシンガポール人が最も多かったそうだ。「携帯電話か財布のどちらかを紛失するとすれば」との質問には4人に1人が「財布」を挙げ、財布よりも携帯電話が大切と考えているようだ。携帯電話は「体の一部」のようなものと感じている人も少なくないらしい。

 約3分の2の回答者が寝るときも携帯電話を近くに置き、情報を取り逃がすことに不安を感じ、電源を切りたくても切れないとしているとのことで、まさに強迫観念に取り憑かれているようだ。

 しかし、37%が自分の携帯電話のすべての機能を理解していないことも明らかになったそうだ。携帯電話の機能は最近ますます多様、複雑になっているようで、それをすべて使いこなせないのも当然だろうが、日本での様子を見ると、携帯電話は本来の通話機能の他にはメール機能がよく使われているように思う。それにカメラとしても使われていることは多いようだ。私の携帯電話はもう何年も前の製品だが、それでもいろいろな機能がある。しかし私はメール機能の登録はしていないから、時折使うのは通話機能くらいのもので、他には中国に行ったときに中国で通話できるように切り替えたり、アラーム機能を使うくらいだ。カメラ機能もあるが、買った当初に猫のミーシャを撮っただけだ。

 この調査会社の台湾支社の責任者は「携帯電話は、われわれに安心感と情報を与えてくれる。ときに面と向かってのコミュニケーション以上に、携帯電話はわれわれのコミュニケーションにおいてナンバーワンの手段だ」と語ったそうだが、すぐには納得できない少々能天気なコメントのように思う。便利なものが何事にもベストであるとは限らない。
 
 外では依存症らしい姿はよく見かける。どちらかと言うと女性に多いように思える。電車に乗ったり喫茶店に入ったりした途端に画面を見る。道で立ち止まって見る。自転車に乗りながら見る。公園で遊ばせている子どもをそっちのけで見入っている。のべつ幕無しだ。前にも書いたが、1度駅の階段から転げ落ちてきた大きな体格の中年男に巻き込まれそうになったことがある。携帯電話の画面を見ながら階段を下りていて足を踏み外したのだ。こんなこともあってか、偏見かも知れないが、私は携帯電話の画面に見入っている、無表情で取り憑かれたような顔を見ると鬱陶しくなってくる。


有馬瑞宝寺公園の紅葉

2009-11-21 11:49:46 | 身辺雑記
 いつものメンバー、Hg君夫妻、Hr君とHg君の車で有馬温泉にある瑞宝寺公園の紅葉を観に行った。瑞宝寺公園は紅葉の名所として知られ、元は黄檗宗の禅寺があったところだが、明治6年(1873年)に廃寺となった跡を神戸市が昭和26年(1951年)に公園として整備した。

 出かけてみると、平日であるのに大勢の主に中高年の人たちが来ていた。観光バスで来ようだ。温泉、神戸牛、紅葉をセットにした企画らしい。

 公園の入り口。公園は年中24時間無休で、入園料は要らない。














 紅葉の盛りは10日ほど前だったようでかなり落葉していたが、それでも名残の美しさはあって、最盛期はさぞ見事だろうと想像した。







 ドウダンツツジも美しい。



 黄葉もいい。






 有馬の温泉は太閤秀吉と縁があり、秀吉も訪れたようで、今も「太閤湯」などと称する温泉がある。その秀吉が碁を楽しんだと言われる「石の碁盤」。ここは秀吉が清遊した「日暮の庭」の跡地とされている。



 この公園でHg君たちの1学年上の、やはり生物部員だった女性の I さんと落ち合い、散策を楽しみ、帰りは彼女の家に立ち寄ってしばらく過ごし、手作りの干柿をたくさんもらって帰った。天候にも恵まれ、ゆったりと過ごすことができた好い日だった。このように50年近くも前の卒業生達と過ごすのは本当に心の休まる嬉しいことだと改めて思った。