中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

命日

2011-02-28 11:37:17 | 身辺雑記

 2月28日は妻の命日。月日のたつのは速いもので、逝ったのは1999年だから、早や年月は一回りめぐったことになる。

 

 12年、長いようで短かったが、さまざまなことがあった。先日も知人のSさんと話をしたのだが、もし妻が生きていたら何もかも今とは違っているだろう。お母さんがいなくなって、寂しいだろうからと長男に勧められてパソコンを買い、メールを始め、それが契機になって卒業生のK君に誘われて中国に行き、以来中国には友人も増えた。Sさんを知ったのも中国語を習うようになったからだ。中国の貧困農村地区の子ども達を支援する会にも入り、そこからの付き合いも広がった。パソコンでブログをするようになり、それを通じて知己も増えた。ネコのミーシャも来た。

 

このようなことはもし妻が生きていたらほとんど無いことだろう。それでは、現在の私の生活はどんなものになっていただろうと時折考えることもあるのだが、もちろん想像できない。妻がどのようなお婆さんになっているかなと思うことはあっても、それも想像できない。あれこれ考えても無駄なことで、結局は妻が逝き、私の生活は激変したのだ。それもまた運命だったのだろう。あれこれ考えてみても無益なことで、今を前向きに生きていくしかない。

 

「ゆく」は、「行く」、「往く」、「逝く」などと書かれる。「行く」には「帰る、還る」があるし、「往」には「復」あるが、「逝く」には戻りはない.行ったきりだ。それは分かりきったことなのに、妻が逝ってからの12年間、幾度となく戻ってくれることを願った。1日に1時間でいいから戻ってほしいとも思った。こうしてパソコンに向かっているときに、ふと「会いたいなあ」と呟くことがあり、そのたびに涙が滲み、妻にはもはや声も手も届かないことを思い知らされる。

 

 妻は息子達に優しい良い母親だった。最後の別れのときに長男は柩の側にしゃがんで何か話しかけていたし、次男は出棺の時には子どものように泣いた。30半ばを過ぎ結婚して子どもがいても、息子達にとってはいつまでたっても幼い頃に慈しまれた母親なのだろう。息子達の嘆く様子を見ながら、母親というものは子どもにとってかけがえのない存在だと言うことを改めて知ったし、それは私にとっても同じで、かけがえのない伴侶だった。

 

 今年も卒業生のサヨコさんから花が届いた。妻の1周忌からずっと続けてくれている。私が顧問をしていた生物部の卒業生で、卒業してから夭折したS君の姉で、「弟が生きていたらきっとしていると思います」と言ってくれる。有り難いことだと思う。

 

 今日は妻が好きだったちらし寿司でも供えよう。


ギバサ

2011-02-26 10:11:01 | 身辺雑記

 私は少年期を戦争末期、戦後の食糧難の時代に過ごしたせいか、口がいやしいようで、食べ物には興味がある。とりわけ、このあたりでは珍しい食べ物をインタネットの通販などで知ると取り寄せたりする。最近も秋田の郷土食にギバサというものがあることを知り、取り寄せてみた。

 

 

  ギバサは褐藻類のホンダワラ科の海藻で、正式にはアカモクと言い、北海道から鹿児島までの日本各地の沿岸に生育し、生命力が強く、長くなると7メートルにもなると言う。ギバサと言うのは秋田での呼び名で、山形ではギンバソウ、新潟ではナガモ、山陰地方では神馬草と呼ぶそうだ。秋田、山形、新潟、岩手、宮城、京都府、福岡などで好まれて食用にされているようだ。

 

 

                 アカモク(海藻海草標本図鑑より)

 

 

 

 取り寄せたギバサはあらかじめ湯通ししてあるが、このようにしたギバサは粘りがあり、ちょうど卸したヤマノイモのような感じがする。褐藻だが緑色なのは人口着色料を使用しているため。そのままでは見栄えがよくないので着色したのだろう。

 

   パッケージのラベルには、「酢醤油、酢味噌、又はたまり醤油に七味トウガラシを少々入れてかきまぜてください」とある。たまり醤油で食べてみたが、口に入れるとかすかに海苔のような香りがあるが、ほとんど無味無臭だ。ヤマノイモに、これも秋田特産の「とんぶり」(ホウキグサの実)を混ぜたような食感で、噛むと小さい粒がプチプチと潰れる。熱いご飯にかけて食べれば美味いのではないかと思う。 

 とんぶり(Wikipediaより)

 

  ノンカロリーであるが、ポリフェノールやフコイダン各種のミネラルを豊富に含み健康に良い食品として注目されているとのことだ。

  

 


盆梅展

2011-02-24 10:03:40 | 身辺雑記

 梅の季節。今年は梅を見に行っていないので、大阪天満宮の盆梅展に行った。

 

     

 

 大阪市の北区にある大阪天満宮は天神橋筋商店街のすぐ側にある。天神橋筋商店街は南北2.6キロメートルのアーケード商店街で、日本一長い商店街である。

 

 

 

 

 正門と拝殿。

 

 

 

 盆梅展は拝殿に向かって右にある参集殿で開かれていた。樹齢40年、60年のものから200年を超すものもあり、50鉢ほどの展示だが、品種も多様で、どれも古木の趣があってなかなか見ごたえがあった。会場に入ると梅の香が漂っている。参集殿は書院造り、百畳敷き。この盆梅展は関西最大規模と称している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 参集殿の庭

 

 

 

 

 

 

 

 

 


異様な司法のあり方(2)

2011-02-22 09:27:55 | 中国のこと

 90年に仮釈放になったNさんは、90年4月に刑務所の職員によって刑務所に連れ戻された。刑期がまだ残っているからだと言う。Nさんが裁かれる根拠になった流氓罪は97年の刑法改正で、罪状範囲が曖昧だとして廃止されていたが、Nさんの罪状は消されなかった。留守宅に送られてきた刑務所からの通知では、「逃亡していた」とされ、懲罰として刑期を2020年まで延長するという決定になっていた。

 

97年にNさんと結婚した妻は「戻れとは一度も言ってこなかったではないか」と刑務所に訴えたが、刑務所から送られてきた反論は、「刑務所に連絡もせずにいて、これが逃亡でなくて何なのか。刑期延長は法規に沿った正しい決定だ。罪を認めて、心から悔い改めろ」というものだった。自宅療養は刑務所が認めたもので、管理責任のある近くの派出所に定期的に届け出をしていたし、住所を変えたこともなかったのにこの処置だ。いったい誰が、どのような法規に基づいて決定したのか。無法に等しいとやり方だ。これも党の決定とでも言うのだろうか。

 

再収監から7年近くたち、Nさんは14年間を獄中で生活したことになる。2020年まで後9年ある。その時にはNさんは56歳になり、老境に入りかけている。北京在住の人権弁護士の周沢氏は「刑期延長は不合理だ。法的に不公平な上、あまりにも残酷で非人道的だ」という訴えの文書を司法省に送ったが、何の回答もなく、刑務所側も沈黙したままだと言う。

 

ノーベル平和賞を受賞した作家の劉暁波氏は、「中国には法はあっても法治がなく、憲法があっても憲政はない」と言っているそうだ。中国には「法治」というものはなく、「人治」だと言われているのは知っているが、このNさんの例は、その典型のように思う。二十一世紀の世に、このようなことがあること自体唖然とさせられる。近代国家とは思われない。

 

いかに世界第2の経済大国と言っても、これでは古代王権国家のようではないか。三権分立は認めず、すべてが共産党の支配下にあるから、もちろん民主国家ではない。それにしても、かくも人民を虫けら同然に恣意的に扱うことが、やがては国家にどのような結果をもたらすかは、歴史を重んじると言う中国の指導者に分からないはずはないと思うのだが。一部の富裕層の人間だけが国民ではない。それとも13億の国民の幸福に配慮することは今の政府には、手に余ることなのだろうか。

 

 


異様な司法のあり方

2011-02-21 13:16:31 | 中国のこと

中国という国については、時折日本人の常識では理解できないことがあるが、最近も一読して溜息が出るような新聞記事を見た。

 

 1988年の10月に北京市郊外の国営紡績工場で臨時工員をしていたNさん(当時20歳)は遊び仲間と一緒に路上で男性から帽子を奪ったり、知人宅のガラスを割ったとして逮捕された。半年後に北京市の裁判所は、「社会秩序を乱した。犯罪性は重大」として死刑(執行猶予2年の判決を下した。不良行為を禁じる流氓(りゅうぼう=ゴロツキ)罪の適用だった。

 

 中国では80年代の初めに文化大革命で農村に下放された大量の若者が都市部に戻り、就職難もあって治安が悪化した。当時の最高実力者の小平は「穏健な手法では問題は解決しない」として、1983年に大掛かりな治安強化運動を始めた。これを「厳打」と言い、流氓罪が適用されて、1年間の逮捕者は102万人、2万4千人が死刑(執行猶予付き?)になったと言う。中には恋人との喧嘩に対して懲役4年に処するなどの極端な刑が乱発されたそうだ。

 

 上に挙げたNさんは破目を外した行為をする若者の類だったのだろうが、それにしても帽子を盗んだだけで死刑とは信じられない話だ。「厳打」は中国政府の「捕まえるかどうか迷ったら捕まえろ。殺すかどうか迷ったら殺せ」というスローガンの下に実施されたそうだが、いかに治安の悪化があったにせよ、このような乱暴極まりないスローガンを打ち出した、当時の国家指導者のありかたは異様としか言いようがない。共産党一党支配の中国では、警察も司法も党の方針に言いなりであることはよく知られている。

 

 Nさんは北京から3千キロ離れた新疆ウイグル自治区でダム建設の労働を科せられたが、服役態度がまじめだったとして3年後の86年に無期懲役に減刑され、90年には懲役18年の判決が再度出されて、刑期は08年までとされた。Nさんは病気だったので、自宅療養が許され、年ぶりに北京の自宅に戻った。  (続)


こぼれ梅

2011-02-19 14:06:13 | 身辺雑記

 私は高田郁(たかだ・かおる)の時代小説で、若い女料理人を主人公にした『みをつくし料理帖』(角川春樹事務所)のシリーズが好きなのだが、そのつに、大坂(浪花)生まれの女主人公がふとしたことから知り合い、助力した味醂造りの職人から「こぼれ梅」というものをもらって喜び、大坂を懐かしむというくだりがある。

 

 この話を読んで、こぼれ梅というものがあったなあと思い出した。ずっと以前に食べたことがあるのだが、そのときにはあまり美味しいとは思わず、長い間に忘れてしまっていた。それで急にほしくなり、Hg君の奥さんに話したら買ってきてくれた。久しぶりに口にしたこぼれ梅は、ほのかなアルコールの香りがして上品な甘さがあり、美味しいと気に入って、150グラムの袋をすぐに空にしてしまった。

 

 こぼれ梅は味醂を造るときに出る絞り粕で、関西では昔から、神社の参道や商店街でおやつとして売られていたようだ。私が住む市に、清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)という真言三宝宗の寺院があり、その参道にはこぼれ梅を商う店が何軒かある。しばらく出かけたことがないので、こぼれ梅を求めて行ってみた。私の家から10分ほどの私鉄のターミナル駅から1駅のところだ。

 

    

 

 こぼれ梅の原材料は、もち米、米麴、焼酎(または醸造アルコール)で、梅の成分はまったく入っていない。

  

 

 

  口に入れて噛むとほのかなアルコールの香りと上品な甘さがあって素朴で美味しい。ちょっと量を過ごすと、私のようなアルコールに弱い者は軽い酔いを催すから、まったくの下戸にはだめだろう。

 

 見た目が梅の花が散りこぼれているような感じからつけられた名で、風情があるネーミングだ。 

 

 

 

 

 

 


街で

2011-02-17 10:48:48 | 身辺雑記

 近くのJRの駅にあるエキナカスーパーの喫茶室でコーヒーを飲みながら本を読んでいると、向かいの席に30歳そこそこの母親と幼い男の子が向かい合わせに座って、母親はコーヒーを、男の子は水を飲みながら菓子パンを食べていた

 

 男の子は3歳になろうかという感じで、色白の丸顔で目が小さく、とても可愛かった。もっと可愛く思ったのは母親と話しているその様子で、見た感じの年のわりにはよく口が立つようで、パンを食べながら、絶えず一心に母親に話しかけている。母親は無口のようだったが、それでも男の子の言うことにはうなずいて、小さな声で何か言っていた。話している内容はあまりよく分からなかったが、聞こえてくる男の子の声はあどけなく、これまたとても可愛い。あまり可愛い様子なので、思わず本を読むのを止めてその様子に見とれてしまった。見ていると自然に笑みが出て、何度も「可愛いなあ」と呟いた。

 

 途中で母親のコーヒーのカップに手を伸ばし、母親がカップを男の子の口元に持っていった。男の子は香りを嗅いだだけでカップを戻したが、「コーヒーのにおいをかいでごらん。いいにおいだよ」と言った。母親は男の子の言うとおりにコーヒーカップにちょっと鼻を近づけた。何気ない親子の遣り取りが何とも微笑ましく。ああ、きっと優しい母親なのだろう、だからこの子はこんなに無邪気で可愛いのだろうと思った。

 

 やがて食べ終わると男の子は椅子から降りた。すると母親は席に戻るようにという仕草をし、男の子が戻ると両手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、男の子はそれに習って手を合わせ「ごちそうさま」と言った。若いが、ちゃんと子どもの躾ができている母親なのだろう。男の子は席を降り、母親のそばを通る時に「パンはおいしかったね」と呟くように言ったのがまた可愛く思った。

 

 親子が出て行く後ろ姿を見送りながら、街に出ると時々こういう心温まるような場面に出会うからいいと思った。男の子の可愛い声と顔は、今も心に残っている

 

 

 


2011-02-15 11:41:13 | 身辺雑記

 きのうの昼頃から雪になった。初めのうちは牡丹雪で、大きな雪片が落ちてはすぐに融けて積もらないので、買い物に街に出たときには地面は濡れていた。湿雪というのだろう。2時間ほどして帰る頃には気温が下がり、小雪になって積もり始め、すぐに4センチほどになった。公園の桜の枝に積もった雪が花が咲いたようできれいだった。

 

 北国の人たちには笑われそうだが、こんな「大雪」はこの冬初めてのことだし、この数年にもなかったことだ。妻は雪景色が好きだったから、見ればきっと喜ぶだろうと思った。確かに久しぶりに見る雪景色は悪くはないが、やはり足元が覚束なくなるので難儀する。

 

 夜遅くになると時々ドサッという音が聞こえた。気温が上がってきて屋根の雪が融けて落ちてきているようだった。今朝起きてみると、雪はほとんど融けて、屋根からは雨だれのように水滴が落ちていた。やはりこのあたりは暖かいのだ。改めて積雪の多い地方の生活の大変さを思った。


浜納豆

2011-02-14 12:51:21 | 身辺雑記

 法事があってHr君は静岡の磐田に行って来た。磐田はHr君の父祖の地で、ここでHr君の父親は生まれ育ち、一族の墓所は今もある。Hr君もいずれはその一族の墓に入ることになるらしく、そこは菩提寺の裏手の小高い丘の上にあり、富士山を臨むなかなか良い場所らしい。磐田は高級マスクメロンの産地として知られていて、1本の蔓に1個しか作らないメロンは1個5万円もするそうだ。

 

Hr君はみやげに、磐田に近い浜松の名産の浜納豆をくれた。

 

   

        

浜納豆は、普通に売られて糸引き納豆と区別するために塩辛納豆とか寺納豆と呼ばれるものだが、糸引き納豆とは違って黒い粒状で、味噌の風味である。浜納豆はそのままお茶受けにもなるが、茶漬けにしても美味い。 

 

   

 

その歴史は糸引き納豆より古く、奈良時代に中国から伝来したのではないかとされている。平安時代には「納豆」と呼ばれるようになった。室町時代になると日本独自の糸引き納豆が考案されて日常食となり、「納豆」と言えば糸引き納豆を意味するようになった。同じ頃に北宋や南宋に渡った僧侶達が塩辛納豆を持ち帰り、寺院内で盛んに造るようになり、「寺納豆」と呼ばれるようになった。現在でも京都の大徳寺、天龍寺や浜松の大福寺などで造られ名物になっている。

 

 中国料理の重要な調味料の1つに豆豉(とうち)というものがあるが、これは塩辛納豆とルーツは同じで、塩辛納豆は中国の紀元前2世紀の遺跡からも出土しているそうで、古い漢語では「豉(し)」と呼ばれていた。この豉が日本に伝来したようだ。

 

   

 

浜納豆は栄養価が高く、保存性が良いために戦国時代には重要な兵糧となり、今川義元や豊臣秀吉などの武将達にも好まれとりわけ徳川家康は浜納豆がお気に入りで、江戸幕府の歴代将軍に献上されていたとも伝えられているそうだ。

 

 Hr君のみやげからいろいろと知ることができた。食品の由来はなかなか興味のあるものだ。

 

 

 

 


性犯罪の防止

2011-02-12 12:15:50 | 身辺雑記

 宮城県は、性犯罪の再犯のおそれが高い元受刑者の行動をGPSで監視する条例の制定を検討しているようだが、これに関連して県知事が「日本は犯罪者の監視が遅れていて、健全な国民をいかに守るかに力を入れるべきだ」と述べたというニュースがあった。

 

 性犯罪などから女性や子どもを守るため、警察などが、再犯のおそれが高いと判断した元受刑者に、GPS受信機を持たせて行動を監視するなどとした条例の制定を目指している。これに関して開かれた会議では学識経験者人権侵害のおそれがあるといった批判的な意見も出されたとのことだ。県内や国内からも賛否の両論が寄せられていると言う。

 

 反対論としては、「前歴者とはいえ、基本的人権は守られるのが当然。反省して二度と性犯罪に手を染めない人もいる」、「監視対象にされることで家族が社会的いじめに遭う」、「警察に強大な権力を与えることは危険」「ゆくゆくは性犯罪者以外にも監視が及ぶのではないか」などのようだ。仙台弁護士「憲法に抵触する恐れがある」として条例制定に反対する会長声明を出した。性犯罪前歴者の監視は「既に刑を終えた人に新たな刑を科すことに等しい」と、憲法が禁止する二重処罰に当たるとの主張のようだ。


 これに対して賛成者の意見は、「犯罪(前歴)者の人権も守る必要はあるが、それ以上に市民の安全が守られるべきだ」、「監視されていると思えば再犯抑制につながる。加害者を救うことにもなる」、「前歴者の教育や矯正も重要だが、現実に再犯は後を絶たない」、「女児、小学生を持つ親は(犯罪に巻き込まれる)心配を抱えている」として、「被害者の立場を優先すれば必要な施策」と評価している。

 

 前にも書いたが、法務省が公表した「平成22年版犯罪白書」によると、殺人、傷害致死など重大事件で服役した人のうち、出所後10年以内に31%が再犯に及んでいて、再犯率は殺人が17.2傷害致死32.9強盗39.1強姦38.5放火26.1%だった。また29人が出所後1カ月未満で次の犯行に手を染めていたという。特に強姦と強盗での再犯率が高い。

 

 性犯罪者は痴漢も含めて、性に対する病的嗜好があるのではないか。強姦の再犯率が高いのも、刑務所で過ごしたからと言ってその病的嗜好が簡単に収まるものではないのだろう。それに日本では性犯罪に対する刑罰が軽すぎるのではないか。性犯罪に対する最も重い強姦罪は3年以上の有期懲役で、よほど多くの婦女子に対する犯行があった場合には20年、30年の刑ということもあるが、多くは短期間で社会復帰する。性犯罪そのものが卑劣極まるものだが、とりわけ被害者の女性に、時には生涯消えない心の傷を負わせる強姦という行為は、もっともっと重い刑罰を科すべきだ。私はこれまでにも強姦罪に対しては、「宮刑」を課すべきだと言ったことがある。極論、暴論と批判されるだろうが、かなり本気のつもりだ。

 

 人権というものはもちろん尊重され、守られなければならないが、悪質な性犯罪者については、病的であると専門家が慎重に判定すれば、刑期を終えた後でも監視することは当然なのではないか。加害者の人権に目を向けるのも結構だが、人権などを塵芥のように踏みにじられる被害者がまた出る恐れがあることを、いわゆる識者達はどう考えるのか。