中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

西安で(4) ちょっと麺で昼食②

2008-10-31 17:50:37 | 中国のこと
 西安の外国語大学日本語科を卒業して日本にも留学し、現在は広西壮族自治区の南寧大学の大学院に在籍している向日葵(ひまわり)君という青年が「向日葵荘園」というブログを開いている。このブログで彼は7月に「一番『難しい』ラーメン」と言う文章を載せ、biangbiang(ビアンビアン)麺という麺を紹介していた。この麺に興味を持ったので、今回は西安で食べてみた。

 店に行き看板を見ると、見たこともない文字が並んでいた。この字をbiangと読むらしい。
  

 向日葵君が「biangbiang面というのがあり、一番『難しい』ラーメンだと言えよう。しかし、此処で言う『難しい』は作り方や食べ方でなく、書き方を指す」と言っているのがこの文字のことだ。彼によると「歴史は秦に遡ることができ、宰相李斯が始皇帝をごまかすため、創り出した漢字であると」言う。そして「また発音において、biangbiangというのは訛のようで、正式にビンイン(中国語の発音記号)で発音できないようである。このbiangbiangという音の源について以下のような説がある。何れも「擬音語」のような感覚だ。1)作る時、面を俎板に引っ張ったり、叩いたりする時に発する音。2)鍋に入れる時、鍋の縁と接触する時に発する音。3)箸で出来たものと調味料とを攪拌する時に発する音でもある。4)さらに、美味しく食べる時に発する音」と説明している。この文字についての民謡もあるらしい。

 入った店は間口が狭く、昼食時でもあったのでひどく混み合っていた。それに中国人特有の大声が店内に満ちていて、大変な喧騒であった。その庶民的な雰囲気が楽しい。


 運ばれてきた麺は具が多く載っていて、かき混ぜてから食べる。麺はかなり幅が広い。 味も食感もとてもよく、汁まできれいに平らげた。




 この麺は有名らしく、友人たちもよく食べるようだ。この麺に限らず昼食には麺がちょうどいい。中国の麺はボリュームがあり、それだけで十分に満足できるし、何と言ってもとても安いのが魅力だ。また西安に行けばこの麺と前に紹介した岐山麺は必ず食べたいと思うし、友人には他の麺も紹介してもらおうと思う。



茅葺き民家集落

2008-10-30 23:31:41 | 身辺雑記
 H君夫妻たち卒業生4人と日帰りバスツアーに参加した。ツアーは「丹波味覚大秋穫祭」と称するもので、丹波地方特産の黒大豆狩りや栗拾いをしたり、梨や米などが土産につくものだったが、それはともかくとして、見学地として京都府丹後地方の南丹市美山町の「かやぶきの里」があり、かねがね訪れてみたいと思っていたので参加した。

 美山は茅葺きの民家の数としては日本で最も多いとも言われているそうで、今回訪れた北村と言う集落には50戸中38棟が茅葺き屋根の建築があり、岐阜県白川村萩町、福島県下郷町大内宿に次いで集落の茅葺き数としては第3位だと言う。平成5年に国の重要伝統的建築物群保存地区の指定を受けている。

 北村地区遠景


 茅葺きの家は何か心温まるような印象を与えてくれる。それぞれの民家に個性があって見飽きない。日本の農村の原風景と言えるのだろう。


















 屋根は釘を使わず木材と藁縄を使って葺かれている。昔は近くの山で茅が取れたが、今では入手が難しく、葺き替えには1千万円以上も要し、簡単には替えられないようだ。しかしいずれにしても葺き替えには多くの人手が要り、集落全体の協力がなくてはならないだろうから、そういうこともあって共同体意識には強いものがあったのだろう。




 集落内風景。レトロな郵便ポスト。現役である。


 地蔵堂。


西安で(3) ちょっと麺で昼食

2008-10-28 08:28:54 | 中国のこと
 楊貴妃墓を見ての帰りに、ガイドの趙さんが昼食は麺でいいですかと聞き、岐山麺(チイシャンミエン)は食べたことがあるかと言うので、それにすることにした。

 岐山麺の店。面は中国の現代表記で麺である。岐山は西安の西方にある県の名。


 
 まず、夾肉モウ(モウ=食+磨)というものを注文した。モウというのは小麦粉を固く練って扁平にしたもので、これに炒めた肉などの具を挟んで揚げたもので、なかなか旨かったが、これだけでも腹は満足した。


 次に出たのは麺皮、小麦粉を練って薄く延ばし、細く切ってゆでたものを醤油で味付けたものである。これはまあまあの味。


 最後に出たのが岐山麺で、具が多く旨いものだったが、満腹して少し残した。


 張さんは元気で岐山麺を2杯食べた。運転手の分も含めて麺が4杯、夾肉モウ3個、麺皮1皿で、勘定は30元(約500円)。いったいどういう勘定になっているのかと思うくらいの安さだった。

 

政治家の資産、金銭感覚

2008-10-27 07:25:59 | 身辺雑記
 閣僚の資産が公開された。筆頭は鳩山総務相で7億6千480万円、次いで麻生首相の4億5千548万円。1億円以上は18名中5名だ。最低は1千376万円。

 日本には金持ちは多いから、そのような者から見ると、政治家の資産なんてこれくらいのものかとせせら笑う程度のものかも知れないが、私のような、たまに資産運用についての電話勧誘があると、即座に断わって情けない気分になっているような者にとっては、4億とか7億と言うとやはり目のくらむような額だ。

 親から議員の地位だけでなく財産も受け継ぐから、このようなことになるのだろうが、結構な話だ。安部首相のときに軽井沢の別荘で組閣人事をしたと報道され、私たち庶民の感覚からはどこかずれていると感じたものだが、この公開された資産を見てもそんな印象だ。

 庶民感覚と言えば、首相が毎晩のようにホテルのバーや高級料理店で飲食や会食をしていることを記者たちから質問された。今のように金融危機など問題が山積し、不景気感が満ちている時期に庶民感覚からずれているのではと言うことだ。これに対して首相は「ホテルのバーは安全で安い」と反論したらしい。ホテルのバーが安いかどうかは行ったこともないので知らないが、それこそ庶民感覚からすればかなり高いのではないか。資産額トップの鳩山総務相は「喫茶店でお茶を飲むのに毛が生えたようなものだ」と擁護したそうだが、そんなものかねえ。

 記者たちの質問の場では、首相はかなり興奮して喧嘩腰で、質問した記者に「例えば安いとこ行ったとしますよ。周りに30人からの新聞記者がいる。警察官もいる。営業妨害と言われたら何て答える? 新聞社として私たちの権利ですって、ずっと立って店の妨害をして平気ですか? 今聞いてんだよ。答えろ」といささか支離滅裂気味に言い、その後もまくし立てたようだが、日ごろの首相から感じるあまり品の良くない雰囲気から、そのような言動はよく想像できる。

 首相は「これまでのスタイルだし、変えるつもりはない」と言い切ったそうだが、それはそれでいいだろう。そもそも金は唸るほどあると言い、若い頃は自分の財布から払ったことがないと言われる金持ちのお坊ちゃん育ちの人間に、庶民感覚を分かれと言うこと自体が無駄なことではないか。スーパーをちょっと覗くようなパフォーマンスなどは止めて、これからも自分のライフスタイルを貫けばいい。ただし間違っても庶民感覚が分かるなどとは言ってもらいたくない。ベランメエ調でまくし立て、コミックを愛好し、秋葉原で「凱旋」演説をしたからと言って、庶民感覚の持ち主、庶民の代表と言うことではないのだ。

西安で(2) 楊貴妃墓

2008-10-26 10:35:20 | 中国のこと
 西安の西約70キロの興平県の馬嵬坡に唐の第6代皇帝玄宗寵愛され、後に非業の死を遂げた美女楊貴妃の墓がある。




 玄宗皇帝は楊貴妃を寵愛するあまり、酒と歌舞におぼれ政務を怠った。楊貴妃の従兄の楊国忠は高位に取り立てられたが専横の振る舞いが多く、このことから政治情勢は次第に悪化して、755年に安禄山の乱が勃発し、玄宗は楊貴妃を伴って長安を脱出し四川の蜀に逃れようとした。馬嵬坡に至ったときに近衛兵と指揮官が騒乱を起こし、楊国忠を殺し、楊貴妃も殺すことを要求した。玄宗はやむなく楊貴妃を縊死させて部下たちの不満を鎮め、遺体を簡単に埋葬して蜀に逃れた。楊貴妃は享年38歳だった。

 その後遺体はどのようになったかは分からないが、現在の墓には遺体はなく、衣装だけだと言われる。当初は墓は簡単な土盛だったが、この土を顔につけると美人になるという噂が広まって、多くの若い女性がその土を取ったので盛り土はなくなり、現在のように煉瓦で覆われたものになった。

 墓の背後の黄土台地には堂や亭が復元され楊貴妃の像もある。この像の楊貴妃は、唐代の美人は肥満型を良しとされていたのに比べるとやや細身である。
  

 墓苑内の唐代婦女生活展にある婦人像。

 
S字型の姿態が良いとされていたようだ。


  楊貴妃は中国古代4大美女の1人に挙げられている。4大美女は、他に春秋時代の西施、前漢の王昭君、後漢の貂蝉(ちょうせん)があるが、この内の貂蝉は小説『三国志演義』に描かれた架空の女性である。ガイドの張さんによると日本人観光客に尋ねると、やはり悲劇の女性である秦末の楚の項羽の愛人であった虞美人を挙げることが多いそうだ。


西安で(1) 阿房宮

2008-10-25 11:38:43 | 中国のこと
 西安の城外西13キロの所に秦の始皇帝(在位前247~前210)が建設しようとした阿房宮の遺跡がある。
 

 始皇帝が即位すると、それまでの咸陽宮が手狭であると言うことから新たな宮殿を建造することになり阿房の地に前殿が造られた。前殿は東西600―800m、南北113―150mあり、1万人を収容できたと言われるが、秦の滅亡で未完成に終わった。

 阿房宮の遺跡の土台は、版築工法で造られている。これは板で枠を作り、土をその中に盛って1層ずつ杵で突き固めるもので、新石器時代から現在に至るまで中国に伝えられている工法である。基壇の規模は東西1270m、南北426m、高さ9~12mと言うから、気の遠くなるような作業である。


 中央の部分は復元されたもの。


 今も版築の跡が見られる。


 基壇の上は、今では広い畑や雑木林になっているが、前殿の広壮さが想像できる。今でも時折、瓦の破片が見つかるそうである。




 
 阿房宮は秦王朝を滅亡させた楚の項羽によって焼き払われ、3ヶ月間燃え続けたと歴史書にあるが、最近の調査では草木の灰や焦土の痕跡は発見できず、燃やされたのは咸陽宮だったのではないかと言われているそうだ。

 阿房宮跡の近くに阿房宮の前殿を復元した場所がある。テーマパークのようなものであるが、特にイベントをやっているでもなく、閑散としていた。大きな割に空虚な感じがする面白くないものだった。

 「阿房宮」とあるが、この名称は後世のものである。





円と年

2008-10-14 08:32:16 | 身辺雑記
 無職の年金生活者には時間がたっぷりある。しかしそれに慣れてあまり時間を大切にしていない。忙しいこともないのに時間だけは速く過ぎていくように思う。暇なときには時々ぼんやりと取り留めのないこと考えたりする。先日もふと、同じ数字でもそれに付く単位によって、その大小の印象は違うものだと何気なく考え、それから「円」と「年」という単位をあらためて考えた。

 円も年も日常生活でもっとも身近にある言葉であり単位と言っていい。これを見聞きしなかったり口にしない日はおそらくないのではないか。言うまでもなく円は日本の通貨の単位で、明治4(1871)年の新貨条例の制定以来使用されている。現在は円と言う単位しかないが、戦前の私の子どもの頃には銭と厘があった。補助単位である。当時は両親がお金を持たせてくれることはなかったから、それがどのような図柄の貨幣だったかは覚えていない。1953年に廃止されたが、今でもお好み焼きの前身のようなものに「1銭洋食」という名が残っている。ただし200円以上はするが。円の前の江戸時代の通貨単位には両や文、分があり、現在でも金がないことを文無しと言うことに生きている。

 年は時間の単位である。太陽の周囲を地球が1周するのが1年で万国共通であるし、円のようにその時どきで価値が高下することもない。しかしその大きさは円のように日常的に自覚されるものでなく、過去や将来を考える時に思うものだ。

 円も年も極めて日常的に親しんでいるものだが、この2つの言葉(単位)から受ける大きさの感じはずいぶん違っている。そのことは円と年に数字をつけてみると分かる。

 1円は小さなものだ。1円アルミ貨は重さ1グラム、今時1円で買える物などはなく、道に落ちていても子どもでも拾おうとしないくらい軽く見られている。小銭入れの中にたくさん入っていると煩わしく思うこともあるが、やはり要る時にないと困るのも1円だ。それに対して1年の大きさや重みは人によって受け止め方は違うだろう。私などは1年がだんだん短くなっているように思うことが多い。それだけに残された1年1年は貴重なものに思う。

 さて、10円だが、これも今ではあまり大きいものとは思われていない。やはり今10円で買える物は思いつかない。しかし、10年となると「十年一昔」と言うように、かなりの年数と感じられる。とりわけすべてにおいて進歩の速い現代では、10年前と言うと本当に遠い過去に思えることがあるし、私にとっては後10年の時間が残されているかどうかは覚束ない。。

 そして100円。これでやっと買える物はあるが、それでも「百均ショップ」のように安いという印象になる。百均ショップでも消費税がつけば100円では買えない。郵便局でははがきが2枚買える。しかし100年となると人間の寿命を超えたもので、途端に数字が大きく思われる。100年前は明治時代で父が生まれた頃だし、100年後には今いる人間のほとんどはいない。いったいどのような世の中になっているのだろう。

 後は1000,10000と数字が大きくなるに連れて、円と年から受ける感じはどんどん変わっていく。年金生活の私でも、いつも1万円くらいは持っているし、10万円、100万円も無縁ではない。ところが1万年は人類の文化が誕生した頃になるし、10万年ともなると私達現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生した頃であるから、100万年は悠久の太古である。

 後は数字が大きくなるほど円と年の「値打ち」は開く一方である。私の住む市の本年度の当初予算の一般会計は約634億円であるし、国家予算ともなると兆の規模になる。どこまでが現実的かは分からないが、円にはいくらでも大きな数字がつけられる。兆の1万倍は京(けい)であるが、超インフレになるとこの単位が姿を現わすかも知れない。インドや中国にはもっと巨大な数字はあるが、たぶんに観念的なものだ。ところが年の方には限界がある。宇宙の始まりであるビッグバンが起こったのは137億年前と言うから、もはやこれ以上は遡れない。宇宙の年齢を示す数字には兆などは無い。光年と言うのはあるが、これは宇宙空間での距離の単位だから意味が違う。

 ぼんやりと取り止めもなくあれこれ考えながら、曖昧な点は調べたりする。結構時間潰しになるし、考えをまとめるのにもいい。もっともまとめたところでどうと言うこともないのだが、頭の体操にはなるようだ。
 

                      




厚顔無恥

2008-10-13 09:29:44 | 身辺雑記
 この春退職した北海道の副知事が、道の関与団体の公社の理事長に天下りした。その理事長が就任当日の理事会で自身の年間報酬660万円を1440万円に引き上げるよう提案したと言う。

 北海道では道の関与団体に再就職する場合の報酬額の上限を、退職時のポストに応じて再就職要綱で規定していて、これは退職したOBが多額の報酬を受け取ることは道民の誤解を招くと言う考えからだと言う。当然のことだと思う。この元副知事の天下り先の報酬660万円はこの要綱に基づくもので、本人は承諾書を出して再就職した。

 ところが再就職してみると、同じ公団の民間出身の役員の報酬が1300万円を超えていることを知り、自分の報酬額と差があるとして、報酬引き上げに向けて道と協議するとの提案をした。道の再就職要綱には上限額について「特段の事情があるときは道と協議しなければならない」との例外規定を設けているため、彼は自分のケースが「特段の事情」に該当すると考えているようだ。今のところ複数の理事から異論が出て認められてはいないが、本人は「職歴によって報酬に倍以上の差がつくのは差別以外の何ものでもない」と言って後には引かない考えのようだ。

 インタネットでこの記事を読んで唖然としてしまった。生え抜きの道職員上がりなのか中央省庁から天下ってきたのかは知らないが、何と言う感覚、神経の持ち主かと思った。いったん承諾したのに、自分より報酬が多い者がいるのを知ってごねるとは浅ましい限りだ。それも「差別」とは。副知事時代にどれほどの報酬をもらっていたかは知らないが、再就職先の報酬の660万円は、道の一般職員の年間給与額に比べても少ないと言うものではないだろう。理事長と言っても名誉職みたいなものだろうから、謙虚に受け取っておけばいいのだ。比較にはならないが、道副知事というお偉方ではなかった私が再就職した時の年間給与は200万円少々だった。

 この公社がどのような規模のものかは知らないが、1300万円の報酬の役員がいることにも驚く。何人理事がいるのかは知らないが、天下りも少なくないかも知れない。役員報酬だけでもかなりの額だろう。何かおかしい気がする。

 この話、どういう決着になるかは分からないが、こんな品性の低い人物のゴネ得にならないように、道当局は毅然とした姿勢を示すべきだと思う。

                 

金木犀

2008-10-12 09:53:05 | 身辺雑記
 朝刊のコラムで金木犀が咲いたと言う記事を読んだ翌朝、外に出ると空気の中に爽やかな香りが漂っていた。この花の香りは秋の空気をいっそう爽やかにするように思う。近所の家の木のもので、近寄って見るとまだ黄色く色づいた程度だったが、いくつかは開花しているのだろう。わずかでも濃厚な香りを漂わせる。近くに大きな木があるがこれも開花していた。

 それからは日を追うごとに香りは濃厚になっていったが、夜に雨が降った翌日にはもう散り始めた。開花してから5日目である。今年は例年よりも花が多いように思っていたので、地面に落ちた花も多い。




 まだ木にはかなり花は残っていて、ちらちらと散っている。金木犀は香りの好きな花のひとつだが、いかにも短命だ。佳人薄命と言うところか。今年は咲いてからずっと汗ばむような天候が続いて金木犀には似合わないようにも思うが、ともあれこの花が終わると例年ならば秋は深まる。