私のブログのハンドル名は「中国迷爺爺(チョンコゥミィイェイェ)」で、中国の友人とのチャットの時にも使っています。西安の李真の結婚式で来賓挨拶した時もそのように紹介されました。「中国好き爺さん」くらいの意味ですが、中国によく行っていた頃に李真が「本当に中国迷だね」と言ったのがきっかけで、中国の友人たちは今では「爺爺」とか「おじいさん」と呼んでくれています。そういうことで私はこの名前に愛着を持っています。
私はもともと中国の歴史や文物には興味がありましたが、実際に行ってみると風景などにずいぶん興味を惹かれ、現地の人たちにも親しみを感じましたし、李真や謝俊麗の両親や家族と親しくなって-、中国好きが高じました。知人には街を歩いていると、「日本鬼子(ルーベンクイツ)」と蔑称で呼ばれた人もありますが、私には不愉快な経験はありません。むしろ観光地やレストランの階段で腕をとって支えてくれた気持ちのいいことがありました。それに機会があって中国の西部の貧困な農村地帯の子ども達の教育を援助する会にも入りましたので、別な面でも中国に関心を持つことができました。
ただ中国共産党の一党独裁支配と言う体制には違和感を持つことはありました。よく知られているように、中国には日本の府県に相当する省があって、その下に、市、県、郷(ごう)、鎮(村)と行政組織が続きますが、中国共産党の組織はその行政組織に密着していて、それぞれに書記が配置されています。見方によれば党組織で自治体をがんじがらめにしています。それでも初めのうちは、あの広大な国土を支配するにはこれも仕方がないのだろうと、どちらかと言うと好意的に捉えていました。そういう考えは、ブログにははっきり書きませんでしたが、それでも中国に好意を持っていると言うことだけで、非難めいたコメントを受けたことがありました。
その後、中国での人権無視の状況や、官吏(ほとんどは共産党員)の底知れない汚職、腐敗、極端な貧富の差を知るようになり、中国の体制に疑問を感じるようになりました。それでも私は一部の政治家や言論人が言うような問答無用の「反中国」の言辞には不愉快なものを感じていました。「中国」と言うと体制や国民をごっちゃ混ぜにして「反中国」を叫び、「嫌中国」感情を煽る偏狭さは不愉快でした。
しかし、近年の中国の領土拡大主義的なあり方や大国主義的なあり方には疑問を持つようになり、それが尖閣諸島問題とそれに端を発した反日暴動には、それを容認するどころか、自国の「正統性」を国連などで主張する尊大さにはまったく、どうしようもしない国だと思うようになりました。「そんなことは前から分かっていた」と言う人もあるかも知れませんが、そういう人の多くは中国には行ったこともなく、中国人には友人や知人がいないのだろう、「草の根の友好交流」をしたこともない人なのだろうと思います。
現在の日中関係は「中国迷爺爺」の私にとってはとても憂鬱なことです。先日私のブログにこんなコメントがありました。「中国に文句ある人、中国の名前自分に使うおかしく。これ矛盾失礼といいませんか」。文面からすると中国の人ではないのかとも思いますが、意味がよく分かりません。「中国に批判や文句がある人が、『中国迷』などと自称するのはおかしい。矛盾していませんか。中国に対して失礼ではありませんか」とでも解釈したらいいのでしょうか。上に書きましたように私は友人をはじめとする多くの中国人や、歴史、文物などが好きで「中国迷」を名乗っていますが、中国が好きな者が中国を批判しては良くないと言うような偏狭な考え方には同意できません。好きだから無条件で一辺倒というのは正しい姿勢ではありません。もしこのコメントを入れた人が中国人だとすると、民主主義と言うことを軽んじ、国民に教えていない中国政府の在り方を示していると思います。
再度言いますが、私は今の中国政府の在り方には批判していますし、今回の反日暴動を見ると一部の中国人の野蛮さと低劣さに憤りを感じます。そんな時には親しい友人、知人たちや、教育援助をした回族の娘である馬軍霞(マ・チュンシャ)の顔を思い出すことにしています。