中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

上海の猛暑

2013-08-19 18:32:28 | 中国のこと

 上海の邵利明(明明)に電話しましたら、このところ上海も非常に暑いそうです。40度だと言っていました。雨は降らないようです。こんな記事がありました。

 「記録的な暑さが続く上海で、地元のテレビ局がある実験を行った。連日四〇度前後まで気温が上がる中、コンクリートの地面で豚ばら肉を焼くことはできるのか。リポーターが厚切りのばら肉を置くと、十分ほどで肉はピンクから白に色を変え、実験は成功した。

 インターネットの簡易ブログでも「玄関先で目玉焼きが焼けた」「うちの庭ではベーコンエッグだ」と書き込みが相次いでいる。江蘇省では、鮮魚を載せたトラックが横転したところ、地面に散乱した魚が焼き魚になったとのうわさまで広がった。それほど今年の夏、中国東部は暑い」

 少し大げさな、「白髪三千丈」という感じがしますが、それほど暑いということでしょう。実際40度と言っても公式なものですから、都市部ではもっと暑いでしょう。所によっては60度近くなるのではないかと思います。上海は海に面していますから湿度も高いだろうと思います。

 上海に隣接する浙江省や江蘇省では人工降雨がさかんだそうです。水蒸気を結晶化させる物質をロケットで打ち上げる手法ですが、本来は砂漠化や農作物の夏枯れを防ぐ目的で使用されていたものなのですが、今年は気温を下げるために乱用されているとのことです。現代的雨乞いのようなものですが、効果はあるようで、ロケットを打ち上げるとすぐ数時間の雷雨に見舞われ、気温が5~10度は下がるのだそうです。隣接省で人工降雨をするようになってから上海では夕立が例年より少ないとし言いますが因果関係は不明だそうです。

 日本ではやたらにロケットを打ち上げるわけにはいきませんし、悪くすると豪雨になることもあるでしょうから、自然というものはあまりいじりまわさないのが良いのでしょう。それにしてもこの暑さ、何とかならないものか。

 

 

 

 


毒餃子事件

2013-07-28 18:48:09 | 中国のこと

  今から5年前の2008年1月に中国で製造された冷凍餃子を食べた千葉と兵庫両県の3家族10人が一時意識不明の重体に陥るなどした事件がありました。この事件をきっかけに少々過剰にも思える中国製品忌避の動きが消費者の間に広がり、その影響は今も続いています。

 この事件で餃子製造元の食品会社の臨時従業員が危険物質投入罪で2010年に逮捕、起訴されました。中国側の発表によると、この従業員は賃金待遇や同僚への不満などから腹いせに有機リン酸系殺虫剤を混入させたというものです。

 事件から5年、容疑者逮捕、起訴から3年も公判は開かれず、何とも悠長なことで、中国当局は事件をうやむやにするのではないかとも疑われました。同年9月に沖縄県・尖閣諸島の日本領海で発生した中国漁船衝突事件をきっかけに日中関係が急激に悪化したため、「判決が中国社会や日中関係に与える影響に配慮し、開廷時期を探っていた」(日中筋)との見方が広がっていたようです。  

 何でも彼でも「尖閣」で、これさえ持ち出せば中国国民を納得させることができるのかと疑問に思います。「造反有理」ならぬ「尖閣有理」ということなのでしょうか。一方では人権問題なので国民を抑圧し、対日本の問題になると自分に火の粉がかからないようにするという中国当局のあり方は滑稽なくらいです。事件のあった中国河北省石家荘市の裁判所がすぐに公判を開かず、今頃になって開く(初公判は今月30日)というのは、日本など先進民主国家のような三権分立などはなく、裁判所も中国共産党支配のもとに置かれている実態を顕わにしたものでしょう。

 中国の刑法では危険物質投入罪は10年以上の懲役、無期懲役、あるいは死刑と規定されているようですが、このような裁判所の実態では裁判の結果もいろいろと屁理屈を振り回して、おそらくは甘いものになるのではないかと想像します。この事件は中国製品に対する信頼を極端に失墜させましたが、中国政府はどう考えているのかと思います。

 

 

 

 


人権無視の極み

2013-07-23 18:26:00 | 中国のこと

  中国湖南省臨武県の中心部で、路上でスイカを売っていた50歳代の農民男性が、街頭の秩序維持などを担う行政組織である都市管理局の職員に殴られて死亡したというニュースを見ました。男性の親族によると、この事件に反発した住民数百人以上が、警官隊と衝突し、住民数十人が負傷したようです。男性は、無許可営業を理由に、職員から罰金100元(約1600円)を徴収され、職員と口論になって殴られて死亡し、一緒にいた妻も殴られ負傷しました。その後、現場に残された男性の遺体の周りに住民多数が結集、駆けつけた警官隊とにらみ合いましたが、警官隊は警棒で殴るなどして住民を強制排除し、遺体を郊外に運んで屋外に遺棄しました。遺体は間もなく発見され、家族が引き取ったということです。

 英国のBBCはこれについて次のように言っています。  

 このような暴力事件は今回が初めてではなく、都市管理局員のイメージは今や地の底まで落ちている。警察の補助的な役割を果たし、都市の秩序管理や軽犯罪の処理を行う都市管理局員だが、人権団体は昨年発表した報告書で、都市管理局員の「暴力行為」は一般市民の大きな怒りを買っており、社会不安を招いていると指摘した。「暴力」「違法な拘束」「窃盗」というのが、人々の目から見た都市管理局員のイメージである。

 中国での人権無視の状態は今更のことではありませんが、改めてこのようなニュースを見ると、この国の状況はひどいものだと思います。経済的には大国ですが、法治国家、文化国家としては二流、三流以下です。やはりこの国の政治体制のありようが根幹にあるのでしょう。このような人民抑圧を続ける限り、この国の未来はないと思います。

 

 


臭いものには蓋

2013-06-04 07:36:11 | 中国のこと

 先日中国当局は北京や上海の大学に対して7項目について授業で教えることを禁止する指示を出したそうです。その7項目とは「報道の自由」や「公民権」、民主や人権の尊重を意味する「普遍的価値」、「公民社会」、「共産党の歴史的誤り」、「司法の独立」、一党独裁下で特権階級化した当局幹部による汚職を批判する言葉「権貴資産階級」などです。

 北京の評論家は「この7項目こそ中国の体制が抱える問題」と指摘し、上海の大学教授は「公民権や報道の自由を論じられないなんて、それでも大学と言えるのか」と反発していると言います。知識人として当然のことです。 

 この指示は、中国では貧富の格差拡大や環境汚染などに対し若者を中心に不満が高まっているので、思想や言論の統制を強化する狙いだと見られているそうです。「報道の自由」や「公民権」、「司法の独立」などこれらの7項目は日本ではどれも当然のことなのですが、それを抑えようとする中国政府の姿勢は、まさに臭いものに蓋をするものでしょう。元来中国は「民主的」ということを忌避していますが、こういうことで人民の不満を抑えつけようとするのは末期的現象とも言え、中国社会にいっそうの矛盾と危機を醸成するものだと思います。唯我独尊の一党独裁の弊害がここに極まったという感想を持ちます。このような状態はいつまで続くのでしょうか。前に中国に行った時に知り合ったガイドの女性は、「共産党独裁の体制は20年もたないですよ」と吐き捨てていました。この省では党の幹部が汚職で死刑になるなど、身近で起こる地方幹部の腐敗ぶりを目の当たりにしているようで、我慢ならないという様子でした。

 

 


抗日映画

2013-05-23 09:00:08 | 中国のこと

 中国で近年量産され、反日感情をあおる一因とされてきたゴールデンタイムに放映される「抗日ドラマ」が過度に娯楽化しているとして、中国政府が内容の審査強化に乗り出したというニュースがありました。最近の抗日ドラマの中には、カンフーで日本兵を殺したり、登場人物が宙を舞ったりするなど現実離れした演出があり、中国国内にとどまらず、日本政府も問題視していたと言うことで、北京の日本大使館はこうした動きについて「抗日ドラマが大量に放送されることは中国における日本のイメージにとって好ましくない。中国国内でもさまざまな声があると承知しており、関心を持って情報収集している」としているようです。 

 中国共産党の機関紙「人民日報」によりますと、抗日ドラマの放送を管理する国家新聞出版ラジオ映画テレビ総局の幹部は「最近放送されている創作態度は厳粛なものではなく、歴史を尊重しないものが乱造され、社会に良くない影響を与えている。改めなければならない」と述べたようで、過度に娯楽化した内容は改めたり、放送を取りやめたりすることなどを求め、既に複数の抗日ドラマの放送が中止されたと言います。このような質の悪い抗日ドラマが量産される背景には、当局の審査が比較的通りやすいことなどがあるとみられているようです。「反日有理」と言うことでしょうか。

 私は以前よく中国に行っていた時に、夜ホテルの部屋でテレビを点けていました。中国語は理解できないのですが、映像を追っているだけでだいたい筋が解る番組もあり、中にはかなり上質な番組もありました。「抗日ドラマ」も時折観ていました。しかしこの「抗日ドラマ」はC級と言えるような非常に質の低いものが多く、多くはただひたすらに日本軍の暴虐を描き、日本の兵士、とりわけ将校はこれでもかというくらいに醜く残酷に描かれていました。対する中国の共産党のゲリラ(八路軍)の兵士たちはみな高潔に描かれ、俳優もきりっとしたイケメンを多く出していました。私が観たものにはカンフーなどを扱うようなものはありませんでしたが、それでもかなり荒唐無稽に近いものもありました。 

 このような反日一辺倒の映画を見て育った子ども達が、日本や日本人に対してどのような印象を持つかは自明のことです。ある年、私が入っている貧困地区の子どもたちを援助する会のメンバー4人が、寧夏回族自治区の区都の銀川から北京まで夜行列車で移動したときに、小学生くらいの女児とその従弟と親しくなったのですが、その時その少年に日本人を知っているかと尋ねましたら、テレビで知っている、中国人に悪いことをすると答えました。それでは私たちはどうかと聞きましたら、テレビの日本人とはぜんぜん違うと言いました。その子たちとは北京に着く前まで仲良く話したり写真を撮ったりしましたが、もしこの子たちが私たちと親しくならなかったら、日本人に対して悪い印象を持ったまま大きくなるのだろうと思いました。 

 日本軍が中国で戦ったのはもう70年も80年も昔のことですが、中国人にとっては忘れがたいものがあることは分かります。それにしても質の悪い娯楽作品として多くの青少年に良くない影響を与えることをいつまで続けているのかと思います。観ている子ども達の多くは、今の日本人もそのような残酷な者だと思うでしょう。遅まきながら規制の方向を出したのは良いことで、青少年にはもっと未来志向の心を養うような教育をするべきです。

 

 

 

 

 


明明

2012-11-12 20:34:59 | 中国のこと

 上海の明明からメールがありました。 

 

爺爺

 おはようございます。

 月曜日から、中国国内出張で、ばたばたしていました。

 昨日、上海に戻ってきて、会社で溜まった作業をしていて、忙しかったです。夕べ9時ごろ寝ました。

 誕生日プレゼントなど、いろいろお気を使っていただき、ありがとうございます。

 小包がまだ着いていないですが、楽しみにしております。

明明 

 

 簡単ですが要領を得た近況報告です。明明は西安の李真や謝俊麗、袁毅などと同じように、西安の外国語学院日本語科を卒業し、これも李真たちと同じく西安中国国際旅行社に就職してガイドになりました、2003年ごろから西安やその周辺に旅行する時には、いつも李真の世話で私のガイドをしてくれましたが、通訳としての力は優れていました。それにとても熱心で、意味の分からない日本語があると尋ねてメモしていました。その後数年前に志望して大阪のある商社に入り、いろいろと苦労したようですが、今ではその商社が作った上海の会社に出向いて、通訳や翻訳の仕事をしています。それで日本語の力はいっそう上がっているようです。

 李真たちも日本語がうまく、話す時はまったく気にならないのですが、メールなどに書く時には時々中国人特有の誤記や訛りが出ます。しかし明明にはそれがほとんどありません。 

 明明についての心配は、ちょっと婚期を逸しかけていることです。この11日には誕生日を迎えましたが、もうアラフォーです。日本では少なくないのですが、上海や北京などの大都会では女性は30歳を越すと、結婚の機会を見つけることはなかなか難しいようです。上海などでは親が子供の婚活を熱心にするようですが、明明の母親もやったようです。父親はイスラム教系の回族、母親は漢族で、本人は背丈もあり美人でもあるのですが、婚活状況はなかなか厳しいらしいのです。本人にもその気はありますが、今は仕事に追われているようです。日本人の男性で40歳くらいの人がいないかと考えることがあります。

 

 

 


ラクダの過労死

2012-10-09 21:08:15 | 中国のこと

 中国甘粛省敦煌の郊外の砂漠にある鳴沙山は観光地として有名で、ここには約千頭のラクダがいて観光客はこれに乗って砂漠を見て回ります。9月30日から10月7日の中秋節や国慶節の大型連休中に、鳴沙山に毎日8千人近くの観光客が押し寄せて、休む間もなく酷使されて過労のために死ぬラクダが相次いだそうです。午前5時半から夜中まで10時間以上歩き続けたラクダもいたと言います。ツアー責任者は餌を増やすなどしましたが、客を制限して休ませたりはせず、連休中に2日連続でラクダが死んだそうです。

   

 中国では大型連休は5月と10月にありますが、国内の需要を高めるために設けられたもので、年々旅行者が増えて観光地はどこも大混雑するようです。鳴沙山のラクダはそのブームの犠牲とも言えますが、このラクダの過労死に関して、休暇の在り方を疑問視する見方も出ているそうです。

 鳴沙山には2000年に行ったことがあり、ラクダにも乗ったことがありますが、その頃はそれほど混雑していませんでしたから、多くのラクダも脚を折ってのんびりと座り込んで休憩していました。今の中国は何かにつけて金儲けが幅を利かせていますから、かつては重い荷を背にしてシルクロードを往復した頑丈なラクダも、金儲けのための酷使には耐えられなかったようです。ラクダのおっとりしたような、もの静かな表情を思い出すと、人間の欲望の犠牲になってと哀れを催します。

 蛇足ですがラクダの乗り心地は良くありません。特に立ち上がる時には腰を落としたまま急に前足を持ち上げますから、後ろ向きにのけぞって倒れそうになりますし、座る時には後ろ足はそのままで前足を折って屈みますから、急角度で前につんのめりそうになります。日本の観光客の高齢の婦人が、落ちてけがをしたと聞いたことがあります。歩いている時も決して快適なものではありません。それでも夕日を受けて砂漠に映る ラクダと自分の影を見るとロマンティックな気分にもなり写真を撮ろうとしましたが、落ちそうでできませんでした。目の前のラクダの顔を眺めていましたが、見ようによっては奇怪な顔つきです。

 


中国迷爺爺の憂鬱

2012-10-06 20:58:20 | 中国のこと

 私のブログのハンドル名は「中国迷爺爺(チョンコゥミィイェイェ)」で、中国の友人とのチャットの時にも使っています。西安の李真の結婚式で来賓挨拶した時もそのように紹介されました。「中国好き爺さん」くらいの意味ですが、中国によく行っていた頃に李真が「本当に中国迷だね」と言ったのがきっかけで、中国の友人たちは今では「爺爺」とか「おじいさん」と呼んでくれています。そういうことで私はこの名前に愛着を持っています。

 私はもともと中国の歴史や文物には興味がありましたが、実際に行ってみると風景などにずいぶん興味を惹かれ、現地の人たちにも親しみを感じましたし、李真や謝俊麗の両親や家族と親しくなって-、中国好きが高じました。知人には街を歩いていると、「日本鬼子(ルーベンクイツ)」と蔑称で呼ばれた人もありますが、私には不愉快な経験はありません。むしろ観光地やレストランの階段で腕をとって支えてくれた気持ちのいいことがありました。それに機会があって中国の西部の貧困な農村地帯の子ども達の教育を援助する会にも入りましたので、別な面でも中国に関心を持つことができました。

 ただ中国共産党の一党独裁支配と言う体制には違和感を持つことはありました。よく知られているように、中国には日本の府県に相当する省があって、その下に、市、県、郷(ごう)、鎮(村)と行政組織が続きますが、中国共産党の組織はその行政組織に密着していて、それぞれに書記が配置されています。見方によれば党組織で自治体をがんじがらめにしています。それでも初めのうちは、あの広大な国土を支配するにはこれも仕方がないのだろうと、どちらかと言うと好意的に捉えていました。そういう考えは、ブログにははっきり書きませんでしたが、それでも中国に好意を持っていると言うことだけで、非難めいたコメントを受けたことがありました。

 その後、中国での人権無視の状況や、官吏(ほとんどは共産党員)の底知れない汚職、腐敗、極端な貧富の差を知るようになり、中国の体制に疑問を感じるようになりました。それでも私は一部の政治家や言論人が言うような問答無用の「反中国」の言辞には不愉快なものを感じていました。「中国」と言うと体制や国民をごっちゃ混ぜにして「反中国」を叫び、「嫌中国」感情を煽る偏狭さは不愉快でした。

 しかし、近年の中国の領土拡大主義的なあり方や大国主義的なあり方には疑問を持つようになり、それが尖閣諸島問題とそれに端を発した反日暴動には、それを容認するどころか、自国の「正統性」を国連などで主張する尊大さにはまったく、どうしようもしない国だと思うようになりました。「そんなことは前から分かっていた」と言う人もあるかも知れませんが、そういう人の多くは中国には行ったこともなく、中国人には友人や知人がいないのだろう、「草の根の友好交流」をしたこともない人なのだろうと思います。

 現在の日中関係は「中国迷爺爺」の私にとってはとても憂鬱なことです。先日私のブログにこんなコメントがありました。「中国に文句ある人、中国の名前自分に使うおかしく。これ矛盾失礼といいませんか」。文面からすると中国の人ではないのかとも思いますが、意味がよく分かりません。「中国に批判や文句がある人が、『中国迷』などと自称するのはおかしい。矛盾していませんか。中国に対して失礼ではありませんか」とでも解釈したらいいのでしょうか。上に書きましたように私は友人をはじめとする多くの中国人や、歴史、文物などが好きで「中国迷」を名乗っていますが、中国が好きな者が中国を批判しては良くないと言うような偏狭な考え方には同意できません。好きだから無条件で一辺倒というのは正しい姿勢ではありません。もしこのコメントを入れた人が中国人だとすると、民主主義と言うことを軽んじ、国民に教えていない中国政府の在り方を示していると思います。

 再度言いますが、私は今の中国政府の在り方には批判していますし、今回の反日暴動を見ると一部の中国人の野蛮さと低劣さに憤りを感じます。そんな時には親しい友人、知人たちや、教育援助をした回族の娘である馬軍霞(マ・チュンシャ)の顔を思い出すことにしています。


魯迅の時代

2012-09-26 08:21:44 | 中国のこと

 前にこのブログにも書きましたが、先日、中国映画の「さらば、復讐の狼たちよ」(中国題名「譲子弾飛」)を観ました。中華民国成立直後の1920年頃の盗賊と、ある市の悪徳ボスとの対決を描いたもので、なかなか面白いものでしたが、20年代と言うと中国の偉大な作家の魯迅が小説で描いていた頃です。それで興味を持ち改めて岩波文庫の『阿Q正伝』(竹内好訳)を読み直したのですが、長篇小説の「阿Q正伝」やその他の短編の時代の人物描写はとても面白く、現代の中国を考えると、こんな時代もあったのだなと感じ入ることが多くあります。特に私は短編の「から騒ぎ」や「孔乙己」、「故郷」、「村芝居」などが好きで、何度読んでも飽きません。 

 今の中国では想像もつかない時代から100年くらいで中国は大発展を遂げたのですが、それだけに社会に生じたひずみも大きく、魯迅が生きていたら何と言うだろうかと思います。西安の李真は魯迅の時代に比べると。私たちの想像以上にめちゃめちゃと言いましたし、魯迅が生きていたら「死ぬほど怒るだろう」とも言いました。「死ぬほど」と言うのは「とても」を強調した表現で、中国人はよく使います。魯迅は今でも中国では敬愛されていますし、上海には旧居が保存されていますし、記念館や記念公園もあります。 

 旧時代の弊風を厳しく批判し、新時代の到来を期待した魯迅ですが、金権主義に毒され、官吏の底知れない汚職にまみれた今の中国には、失望し、厳しい批判の目を向けるでしょう。このような気骨のある文化人は今の中国には存在しないのでしょうか。

 


西安の反日デモ

2012-09-19 07:39:39 | 中国のこと

 チャットで西安の李真にデモの様子を聞いてみました。西安でも15日の土曜日のデモはひどかったようです。「今回は西安で今までで最悪のデモです」と李真は言い、日本車はほとんど壊され(李真の車はトヨタですが隠していたようです)、元の全日空ホテルや鐘楼飯店(日本料理店かどうか分かりませんが)のロビーが壊されたりしたようです。「それほど日本が憎いのなら日本製品は一切買わなければいいのに」と言いましたら、「中国の原発は日本の三菱重工業の協力でできたそうでそれならそれも壊したらいい、そんな勇気はないでしょう」と李真は言いました。そして「自分の住んでいる町がこんなに怖いとは思わなかった、悲しいです」とも言いました。直接暴徒たちの様子を見たわけでなくテレビで知ったのではないかと思いますが、よほど怖かったのでしょう。参加者の多くは若い世代で、彼らは経済的には最低だそうで、その鬱憤を「反日」に名を借りて晴らしているとしか思えません。それで「愛国無罪」として許されるのですから何をか言わんやです。「愛国無罪」と称して暴力を振るうことは許されないと毅然として言えない中国政府も情けない限りです。 

 また李真は「今回の事件の後、西安では海外に移民する金持ちの人が増えるでしょう」とも言っています。最近西安では富裕層が増え、彼らは今回の事件に恐怖したのではないかと思います。「自分の財産を政府が保障してくれないから」だそうです。李真は「もしかして文化大革命の時代に戻るか」と心配していました。あの狂気の沙汰だった文化大革命の時期には、「造反有理」のスローガンのもとで、多くの無辜の人命が奪われ、多数の人たちが塗炭の苦しみを経験し、莫大な数の貴重な文化財は破壊されました。その真剣な反省を今でも中国共産党はしていません。李真の父親は資本家層出身だとされて、進学できるはずだった北京の有名大学にも行けず地方に下放されました。前にどんな時代でしたかと聞いたことがありますが、何も物が言えない時代だったと父親は言っていました。その悪夢が甦るのでしょう。文化大革命のひどさとは比較できませんが、今回の反日デモも相当ひどかったのだろうと想像します。 

 今回のデモの中の不法分子は今後追及されるようで、李真が送ってくれた新聞の見出しには、「デモの中には法律を守らない者がいる。これからそのような者を捜索し、追及する」と言っているようですが、さてどこまでできるか、正直疑問に思います。西安城内(旧市内)でのデモは禁止だそうです。新聞の見出しに続く記事には、香港では5000人が平和に散会したとありましたが、長く英国の統治下にあった香港は中国大陸とは雰囲気が違い、デモをしても洗練されているのかも知れません。 

 「愛国無罪」にしても「造反有理」にしても程度の低い者に恣意的に利用されると混乱を招くだけです。