今回の南京への旅は行き帰りに上海に寄ったので、出発から帰国までは1週間の比較的短いものだったが、経験したことは多く、それだけに思い出も多い。
私は中国に行くにしても一人旅が多い。もっとも中国語の力はきわめて低いから、旅先ではガイドについてもらう。ガイドと言ってもほとんどが友人達だ。団体ツアーにはこれまで3回ほど参加したが、少々気ままなところがある私は一人旅の方が気兼ねがなくていい。旅行社が企画する団体ツアーの謳い文句は、良いホテルに泊まり、美味しい料理を食べて、名所を見ると言うものだが、一人旅に慣れるとそれだけでは何か物足りなくなる。
ホテルは寝ることができればいい、食事もレストランの料理でなくてもいい、観る所も決まりきった観光地にあるものでなくてもいい、ちょっとしたことでも人との触れ合いがあると、それだけでとても満足できる。たとえば前に書いた南京の朝の公園での孫を連れた夫婦との出会いなどは、ほんの短いもので、孫を中心にして少し言葉を交わし笑顔で挨拶して別れた、ただそれだけのことだったのだが、何かしらほのぼのとした思いが残った。まして南京の敏敏の祖父母や親戚の人達や、上海での敏敏の両親と弟などの温かい歓迎は毎日笑顔が溢れていて、言い知れない嬉しいものだった。今回の旅の最大の収穫は、そのような人の情けと笑顔に多く触れたと言うことだった。
帰国する前日のことも忘れられない。前の日の夜に上海の唐怡荷と敏敏と食事をすることにしたが、その前にホテルのロビーで翌日のことで話し合った。怡荷は勤務があり、敏敏は取引先の会社を訪問しなければならないので空港まで見送れないと言う。私はこれまでに何度も上海の空港で乗り降りして手続きもできるから、タクシーで空港に行くと言ったが、2人とも頑として承知しない。怡荷は何とかして車と運転手の都合をつけると言う。敏敏はどうしてもなければママにタクシーで空港まで送ってもらうと言う。2人とも絶対にいけないと言う。1人だし、年寄りだし、脚が悪いしと、もっともではあるが、私にしては格好の悪い理由を並べ立てたので苦笑してしまった。1人ではなぜいけないのかと聞くと、敏敏は悪い運転手だったら怖い、まっすぐに空港に行かないであちこち曲がり道をして高い料金を取るかも知れないからと言う。空港までは一直線の道じゃないか、そんなことはないと言っても、ダメと言って聞かない様子は真剣で可愛かった。何だか娘か孫に心配されているような気持ちになってきて、結局は素直に彼女達に従うことにした。敏敏と話している間に怡荷はキャリアウーマンらしくてきぱきとどこかに電話していたが、やがて自分の会社の車とドライバーの手配ができたと言った。それからホテルの係員と交渉して、チェックアウトが午後になるが超過料金は取らないように話をつけてくれた。確かに2人とも今では私とはとても親しい仲だが、このようにまるで身内のように心配し、惜しみなく世話をしてくれるのは本当に嬉しかった。
こんなことも含めて、今度の南京、上海の旅で改めて強く感じたのは、やはり旅と言うものは人の情けに触れるのが一番だと言うことだった。食べる、観る、泊まるだけではつまらない。どんな小さなことでもいい、また行きずりのことでもいいから、人との心の触れ合いができれば、旅をした甲斐があると思っている。幸いなことに、これまでの旅は人との触れ合いがいろいろあって、そこから若い友人達が多くできたことに満足している。
私は中国に行くにしても一人旅が多い。もっとも中国語の力はきわめて低いから、旅先ではガイドについてもらう。ガイドと言ってもほとんどが友人達だ。団体ツアーにはこれまで3回ほど参加したが、少々気ままなところがある私は一人旅の方が気兼ねがなくていい。旅行社が企画する団体ツアーの謳い文句は、良いホテルに泊まり、美味しい料理を食べて、名所を見ると言うものだが、一人旅に慣れるとそれだけでは何か物足りなくなる。
ホテルは寝ることができればいい、食事もレストランの料理でなくてもいい、観る所も決まりきった観光地にあるものでなくてもいい、ちょっとしたことでも人との触れ合いがあると、それだけでとても満足できる。たとえば前に書いた南京の朝の公園での孫を連れた夫婦との出会いなどは、ほんの短いもので、孫を中心にして少し言葉を交わし笑顔で挨拶して別れた、ただそれだけのことだったのだが、何かしらほのぼのとした思いが残った。まして南京の敏敏の祖父母や親戚の人達や、上海での敏敏の両親と弟などの温かい歓迎は毎日笑顔が溢れていて、言い知れない嬉しいものだった。今回の旅の最大の収穫は、そのような人の情けと笑顔に多く触れたと言うことだった。
帰国する前日のことも忘れられない。前の日の夜に上海の唐怡荷と敏敏と食事をすることにしたが、その前にホテルのロビーで翌日のことで話し合った。怡荷は勤務があり、敏敏は取引先の会社を訪問しなければならないので空港まで見送れないと言う。私はこれまでに何度も上海の空港で乗り降りして手続きもできるから、タクシーで空港に行くと言ったが、2人とも頑として承知しない。怡荷は何とかして車と運転手の都合をつけると言う。敏敏はどうしてもなければママにタクシーで空港まで送ってもらうと言う。2人とも絶対にいけないと言う。1人だし、年寄りだし、脚が悪いしと、もっともではあるが、私にしては格好の悪い理由を並べ立てたので苦笑してしまった。1人ではなぜいけないのかと聞くと、敏敏は悪い運転手だったら怖い、まっすぐに空港に行かないであちこち曲がり道をして高い料金を取るかも知れないからと言う。空港までは一直線の道じゃないか、そんなことはないと言っても、ダメと言って聞かない様子は真剣で可愛かった。何だか娘か孫に心配されているような気持ちになってきて、結局は素直に彼女達に従うことにした。敏敏と話している間に怡荷はキャリアウーマンらしくてきぱきとどこかに電話していたが、やがて自分の会社の車とドライバーの手配ができたと言った。それからホテルの係員と交渉して、チェックアウトが午後になるが超過料金は取らないように話をつけてくれた。確かに2人とも今では私とはとても親しい仲だが、このようにまるで身内のように心配し、惜しみなく世話をしてくれるのは本当に嬉しかった。
こんなことも含めて、今度の南京、上海の旅で改めて強く感じたのは、やはり旅と言うものは人の情けに触れるのが一番だと言うことだった。食べる、観る、泊まるだけではつまらない。どんな小さなことでもいい、また行きずりのことでもいいから、人との心の触れ合いができれば、旅をした甲斐があると思っている。幸いなことに、これまでの旅は人との触れ合いがいろいろあって、そこから若い友人達が多くできたことに満足している。