中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

母親?

2009-04-30 10:38:52 | 身辺雑記
 東京都足立区の19歳の女が2人、幼女に対する傷害の疑いで逮捕された。1人は母親で、もう1人はその友人である。

 2人は自宅で食べさせたシューマイを熱いと吐き出した2歳の長女の様子を見て、熱湯に入るお笑い芸人の様子を思いだし、長女を熱湯に入れることを計画し、熱湯を入れたベビーバスに1分ほど入れ、両足に重症のやけどを負わせた疑いがもたれている。2人は自転車で長女を病院に連れて行ったが、医師には「ポットの熱湯がかかった」などと説明。しかし、虐待を疑った医師が児童相談所に通告し、そこから要請を受けた警察が捜査し、2人は容疑を認めた。熱湯は60度以上あったとみられ、女達は長女の肩を押さえつけ、茶碗で熱湯をすくって体にかけるなどした。「熱い」と床を転げ回る姿を笑って見ていたらしく、「泣き叫ぶ姿がおもしろかった」などと供述したようだ。「娘に申し訳ないことをしてしまった」などと反省もしていると言う。

 何というとんでもない女どもかと思う。徹底した幼稚なバカものだ。19歳で2歳児の母親というから、17歳の時には出産したのだろう。果たしてまともな結婚だったのか。それにしても幼児を熱湯に入れたらどういう結果になるのか、考える能力もないのだろうか。「泣き叫ぶ姿がおもしろかった」には呆れると言うよりも強い怒りと嫌悪を覚える。法的には「少女」とされるが、もう成人同様の女が2人、熱湯に足をつけられて、もがき泣き叫んだであろう幼な子の様子を見て「おもしろかった」とは、獣にもある母性本能も無い。いったいどのような家庭環境で育ったのか。

 この「母親」には8カ月の長男もいて、足首を持って子どもを振り回した際にできやすいという頭部外傷で入院しており、警察では長男にも虐待していた疑いがあるとして調べているようだ。まったく親としての資質はこれっぽっちもない。子ども達の将来を思うと、このような劣悪な「母親」からは隔離したほうがよいのではないかと思うが、法的には出来ないことなのだろうか。

 このバカ女どもの愚行は、お笑い芸人の「芸」に触発されたようで、「熱湯に入る様子」とか「熱いおでんを食べさせられるのを」とか、報道記事ではもうひとつはっきりしないが、いずれにしてもテレビ番組の影響のようで、そもそもそのような下らない、と言うよりは危険なパフォーマンスを見せること自体が問題だと思う。テレビ局の見識も疑われるものだが、今さらテレビ局の見識などとは言うも愚かなことかも知れない。低俗な番組が横行し、そのような番組を見て阿呆が育ち、倫理感皆無のバカなことをしでかす。まったくやりきれない。




藤見

2009-04-29 09:08:45 | 身辺雑記
  Hg君夫妻の車で、彼らの友人のK君も同行して、愛知県津島市に藤を観に出かけた。津島市はかつては「藤浪の里」と言われたほどの藤の名所だそうで、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、市内の天王川公園で「尾張津島藤まつり」が開かれる。


 水路の上に藤棚が架けられ、水路の両側に植えられたたくさんの藤の木が枝を張っている。12種類114本と言う。藤棚の長さは275m、面積約5,034㎡で、日本一と称している。


 樹齢はどれくらいのものか、非常に太く古木という感じである。


 花の房が長いのが九尺藤という品種。これは花の房が長いのでよく分かるが、他の品種は見分けられないのが多かった。


 













 これは他の藤とは違って花弁は八重なので分かる。八重黒竜藤と言う。葡萄の房のように見える。




 曙藤と言う品種か?




 水路の水面を埋めた花弁。



かゆい

2009-04-28 08:40:42 | 身辺雑記
 年のせいか、体のあちこち、特に背中にかゆみを感じることがよくある。「かゆい」は「痒」あるいは「癢」と書く。なぜ病垂に羊なのかと思ったが、ヒツジの意味はなく養と同じく音符(音を表す部分)なのだそうだ。また、「かゆい」は辞書によると、「皮膚を掻きたくなるような感じ」とあり、掻は手偏に蚤だが、字源的には蚤の上の部分の音符は「そう」で、これは又(て)の間に爪があることを示していて、爪でかくことを意味していると言う。それはともかくとして、蚤は昆虫のノミだから、いかにもかゆそうで分かりやすい。

 皮膚感覚には痛覚、温覚、冷覚、触覚などがあって、それぞれ皮膚に分布している神経の末梢部にある感覚点(痛点、温点、冷点、圧点)で刺激が受容されて起こる感覚である。かゆみを感じる特別な感覚点はなく痛点で感じるという。かゆみとは弱い痛みだということだ。そして掻くというのは痛みを与えてかゆみを抑えることだそうだ。

 かゆみが起きる詳しいメカニズムはまだ分かっていないようだが、ひとつには皮膚にある肥満細胞と呼ばれる細胞が分泌するヒスタミンという物質がかゆみを引き起こす重要な役割を果たすということは知られていると言う。ヒスタミンは、痛みやかゆみを知覚する神経に作用して、それが脳に伝えられてかゆみとして知覚され、同時にその刺激は逆行して皮膚の神経末端にも伝えられ、神経ペプチドと呼ばれる神経伝達物質を放出させる。そしてこの神経ペプチドはまた肥満細胞を刺激し、ヒスタミンの分泌を促すと言う、刺激-反応の循環が起こっているわけだ。

 背中のある一点にかゆみを覚える。孫の手を使ってそこを掻く。するとそこからかゆみは広がってあちこちがかゆくなるのはこういう仕組みなのか。頭の皮膚がかゆいときにも同じことが起こる。掻き始めると切りがなくかゆくなる。それは妙に快感のような感覚を伴うからますます掻くことになる。掻くのは気持ちのいいものだが、あまり度を過すと皮膚を傷つけてしまう。

 なお、「孫の手」は本来は「麻姑の手」で、麻姑は手の爪が長く、鳥のようだったと言われる中国の美しい仙女。後漢の蔡径という人物が、麻姑にかゆい所を掻いてもらったらさぞ気持ちがいいだろうと思ったと言うことに由来する。孫の手も初めのころは鳥の爪のような形をしていたそうだ。

 犬や猫もかゆみは感じているようだ。後ろ足を激しく動かして首筋や胸の辺りを掻いているのを見ていると、気のせいか気持ちよさそうでもある。やはり快感のようなものを感じているのだろうか。 

格安ツアー

2009-04-27 07:00:14 | 身辺雑記
 西安の旅行社に勤めている友人の話では、相変わらず日本人の観光客は少なく、日本の旅行社からのツアー見積もり要求も少ないようだ。

 団体ツアーはあってもいわゆる格安ツアーが多いようで、これはひどく買い叩かれるのだそうで、見積もりを出すのがとてもつらいと友人は言った。何しろ例えば「西安3泊4日」のプランの場合には、入場料、食事代、車代はすべて中国側で負担する。日本の旅行社からは接待費として1人あたり3$、約20元(300円弱)が支払われるだけという。入場料など日本の旅行社が出さない費用は誰が負担するのかと尋ねたらガイドだと言う。ガイドはその分「人頭税」と言って、観光客一人当たりいくらと決められた金額を会社に納めることになっている。そんなツアーのガイドを引き受ける者があるのかと思うのだが、できる者はあるようで、運がよければ黒字だと言う。これは客をショッピングに連れて行き、客の購入額に応じて店からのリベートがあるからだろう。もちろん運が悪ければ赤字になる。

 日本で時折見かける旅行社のツアー案内を見ると料金の安さには驚くほどで、いったいどうなっているのかと思うくらいだが、その裏にはこのような弱い者泣かせと言ってもいいような実態がある。安いツアーでは何度もみやげ物店に連れて行かされたという苦情があるが、そうでもしなければガイドは仕事をしても赤字になってしまう。また案内される者は、ガイドは会社から給料が出て、収入面では安定していると思うだろうが、実情はそんなものではなく、今頃はガイド達はツアーを担当する前には非常に心理的な圧迫を感じているのだそうだ。

 ガイドの辛さはこれまでにも何度も聞いてきたが、やはり不条理なことだと思う。人頭税のことなどはまったく理解できない。あるベテランのガイドと話したことがあるが、彼女もほんとうにおかしなことだと思いますと嘆いていた。日本の旅行社に言わせれば、それは中国の旅行社の問題で、我々には関係ないと言うのだろうが、常識はずれとも思われるような格安企画を押し付けるからこういうことも起こるのだ。

 中国へのツアーに限らず、格安ツアーは旅行社のまっとうな企業努力によるものなどではないだろう。その裏で苦い思いをしている者がいることくらいは知っておいた方がいい。ましてや中国は物価が安いから、中国へのツアーは安いのが当たり前などと考えるのは錯覚だ。以前ある知人が趣味の同好会の中国へのツアーの世話をしたことがあるが、企画の段階で中国へ行くのだから旅費は4万円くらいでなどという無茶な要求が出て困ったということを聞いたことがある。旅行社の格安ツアーの宣伝ばかり見ていると、こういう馬鹿げた錯覚を起こすようになる。

歌手泥酔事件

2009-04-26 09:13:08 | 身辺雑記
 人気アイドルグループの歌手の1人が深夜に公園で泥酔し、全裸になって騒いでいたことで公然わいせつ罪容疑で逮捕され、一晩警察に留置されたことがテレビや新聞を賑わせた。

 この歌手はタレントや俳優としても活躍していたようで、政府のイメージキャラクターとしても採用され、テレビでよく見かけていた。それほどの「有名人」だからマスコミが騒ぐのも分からないではないが、それにしても警察や、この歌手のグループが所属する事務所に多数の記者やカメラマンが押し寄せたり、釈放後には謝罪記者会見までさせて少し騒ぎ過ぎではないかと思った。今後はどうなるのかは分からないが、政府のイメージキャラクターや出演していたテレビ番組やCMからは降ろされるらしく、しばらくはテレビのワイドショーや週刊誌などで話題にされるのだろう。

 私は酒に弱い体質だから宴席などで軽く酔った気分になったことはあるが、酩酊したり、まして泥酔などは経験したことがない。この歌手は「飲んでいるうちに意識がなくなり、次に意識があったときは警察にいた」と言ったようだが、記憶がなくなっても公園に行って全裸になったり、警官に「裸になって何が悪い」と食って掛かったり、泥酔状態とはそんなものかと思う。その瞬間、瞬間には意識があっても、後から思い出せないという状態なのか。この歌手はかなりの酒豪らしいが、こういうのを本当は酒が強いというのだろうか。むしろ酒に飲まれてしまうのは弱いということではないか。知人に非常な酒豪がいたが、浴びるほど飲んでも正気を失うことはなかった。

 東京都の知事は「いろいろフラストレーションがあったんだろうね。裸になりたい気持ち、分からないでもないな」とコメントし、「ちょっと騒ぎすぎじゃないか」と付け加えたようだし、大阪府の知事は「ほめられたことではないが、僕なんか知事になる以前に山ほどやっている。CM会社や住民に謝れば問題はない。許された行為ではないが、かわいそうで仕方がない」と言ったようだ。なぜ1歌手の問題をわざわざ知事に、まして東京で起こったことなのに大阪の知事にコメントを求める必要があったのか。これもよく分からない。ただこの2人の知事のコメントを見ると、やはり日本はまだまだこのような行為には寛大で「理解」があると感じた。大阪の知事は、知事になる前にはテレビタレントのように見られていたこともあるし、とかく言葉が走る傾向があるように思う人物だが、「知事になる以前に山ほどやっている」と自慢げに言うこともあるまい。飲んで裸になって騒ぐことなど本来は恥ずかしいことで、酒を飲んだせいだと許される風潮があるからこのような軽いコメントをするのだと思う。同じ酒飲みとして、常識的で平凡ではあるが「社会的な立場もあるのだから、くれぐれも自重して酒には飲まれないように」くらいのことは言ってももいいではないか。

 私が言うのもおこがましいが、酒はきれいに飲むものではないかと思う。私の父は晩酌を欠かさない酒好きだったが、料理上手だった母の手料理を前にして、楽しそうに飲んでいた姿を今でも懐かしく思い出す。父が酩酊したのを見た記憶がない。楽しい雰囲気の酒席は私のような下戸にとってもいい気分になれるものだが、反対に荒れたり絡んだりする酒飲みは本当に嫌だ。これまでにもがらりと人が変わって、しつこく絡まれて不愉快な思いをしたことは何度かあるが、そのような経験をすると、以後は素面であってもその人物にあまり好い印象をもてなくなったものだ。


あいびき

2009-04-25 09:49:52 | 身辺雑記
 「逢引き」と書く。古風な表現なら「媾曳」。心寄せ合う男女が、人目を忍んで密かに会うことを言う。

 こんな少々古めかしい言葉を思いついたのは、ふと学生時代に観た英国映画を思い出したからだ。その映画の題名が『逢引き』だった。モノクロームで何か心惹かれるものだったが、何しろ半世紀以上も前のことだったから初めと終わりの場面以外はほとんど覚えていない。それでインタネットで調べてみたのだが、意外にメロドラマとしてはかなりの名作だったことが分かった。1945年の制作で、制作後すぐに日本でも上映されたのなら、当時まだ中学生だった私はそのような題名の映画を観に行くことはなかっただろう。おそらく大学生になってから観たものと思う。

 最初の方の場面はおぼろげだが覚えている。中年と思われる女性が列車の座席にいると、前に座った知り合いの婦人が話しかけてくる。初めのうちは話を交わしていたが、やがてその女性が物を思うような表情になり、画面の音声は前の座席の婦人がしゃべる声だけになり、やがてそれも聞こえなくなる。すると画面はその女性の回想の場面に変わるのだが、それから後のことはほとんど覚えていない。インタネットによるとこのような筋だ。

 地味な人妻のローラは会社員の妻で、息子が一人いる。毎週木曜、近郊の小都市への買い出しついでの昼食や映画鑑賞を楽しみにしている平凡な女性。ある夕方、帰りの汽車を待つホームで目に入った砂を医師アレックが取り除いてくれた。何となく感じの良い人物と思って別れたが、その後も待ち合いのバーで顔を会わすうち、次第に彼に魅かれていく。夫は愚直だが善良な男で、罪悪感に駆られ顔色を悪くする妻を優しく慰める。それが余計、彼女には辛かった。アレックにも妻子があったが、彼女への気持ちは本物だ。一時は全てを洗いざらいぶちまけて、夫に許しを乞うことも考えたローラだが、アレックの友人のアパートでの密会を友人に誤解されたのを契機に、2人して敢然とその思いを断ち切り、アレックは海外への赴任を打ち明け、想い出のためにも強く生きて--と彼女を諭して去っていった。

 これを見ると、ああ、そうだったなと、いくつかのシーンを思い出した。緊迫したクライマックスもない淡々としたラブストーリーなのだが、まだ若く多感な時代にあった私には非常に心に残る映画だった。最後は、その女性が家で夫と何でもない日常的な会話を交わす場面で終わり、それがこの映画の余韻を残すものだったと思う。だからストーリの詳細はほとんど覚えていないのに、その雰囲気だけは心に残り、何十年もたってふと思い出すことになったのだろう、

 題名の『逢い引き』の原題はBrief Encounterで、「短い出会い」とでも言うところだが、この日本語そのものは今では死語とまではいかなくても、知らない人も増えてきているようで、インタネットのあるサイトに「『逢い引き』という言葉が小説で出てきたのですが、意味を調べても分からなかったので教えてください」などという質問があるのを見た。私は今では、あの映画に『逢引き』という題名はちょっと、という気がする。説明しにくいが、本来はそうではなくても、この言葉には何となく淫靡な感じにさせられるのだ。まあ『逢瀬』くらいなのか。いずれにしても、「逢引き」という言葉は古臭いいものになってしまったのだろう。

 この映画のDVDは市販されているようだ。いつか見かけて、手ごろな値段だったら買ってみようか。以前は『旅情』とか『慕情』など大人のラブストーリー物がよくあった。しみじみとした情感の、抑制された男女の愛が描かれていて、悲恋に終わるものが多く、それが人気を呼んだようだ。その点今の映画に描かれる男女の関係は赤裸々過ぎて、かえって興を削ぐ。どんなジャンルの映画でもベッドシーンがなければ売り物にならないとでもいうように必ずと言ってよいくらい出てくる。私はベッドシーンが好きではないから、その場面では目を逸らしてしまう。三国志を下敷きにした中国映画『レッド・クリフ』を観たが、そこでも長々とベッドシーンが出てきて辟易してしまった。

 昔観た映画を何気なく思い出したことで、インタネットで調べたり、いろいろと考えが広がったり、またそれをこのように書いたりと、よほど暇なのだろうと笑われるそうなことになった。確かに暇がなせることには間違いないだろう。




ppm

2009-04-24 09:21:05 | 身辺雑記
 近頃次のような記事を見た。1つは、ある洋菓子メーカーで、菓子に使っている米国産のラズベリージャムから基準値を上回る農薬「ビフェナゼート」が検出されたという。基準値は0.01ppmで、含まれていたのは1.2ppmだったそうだ。同社は食べても健康には影響はないと説明しているが、このジャムを使っている商品5万5000箱を自主回収したようだ。

 類似の話はこれまでにもあったが、なぜ食べても健康には影響が無いと言うのに商品を回収しなければならないのか、私には分からない。このジャムだけを大量に食べるのならいざ知らず、このジャムは焼き菓子に使っていたと言うから、ごく少量でまったく問題ないだろう。ジャムそのものに基準値以上の農薬が含まれていたからと言って、焼き菓子そのものに含まれる農薬の量などほとんどゼロに等しいのではないか。

 回収した菓子はおそらく廃棄処分されるのだろう。飽食の国ならではの話だ。いっとき「モッタイナイ」と言う日本語が脚光を浴びたことがあったが、これこそもったいない話だと思う。こうまでするのは企業イメージに関わるものと考えたからか。「消費者から指摘を受けたわけではありませんが、私どものほうで分かりましたことで、自主的に回収いたしました」と言うと、いかにも企業の社会的責任を自覚した優良企業だという評価を期待してのことか、などと言うのは下種の勘繰りか。たしかに「基準値を上回る農薬が発見された」ジャムを使った菓子と言うと、なにやらおどろおどろしい印象になるかも知れないが、冷静に考えるとたいしたことではないだろう。

 よく分からないのが「基準値」というものだ。0.01ppmの基準値とはどんなものなのか。ppmは100万分の1を示すものだから、0.01ppmというと非常に微量なものだ。ではそのような基準値が決められているビフェナゼートと言う農薬は、どの程度の量を摂取すれば危険なのか。そこがどうも分からない。誰か教えてもらえないだろうか。どうも基準値という言葉が独り歩きしていて、「基準値を上回る」と聞くとすぐさまそれは赤信号だと受け止めてしまうような気がする。

 もう1つは、タイから輸入された生鮮マンゴスチンから食品衛生法の基準値を超える「イマザリル」という農薬が検出され、厚生労働省は輸入業者に同法に基づく検査命令を出した。今後は輸入のたびにサンプル検査が義務付けられるというニュース。輸入された400キロのマンゴスチンはすべて消費されたらしく、イマザリルの検出量は基準値(0.02ppm)の7~8.5倍の値とかで、これは大量に食べても健康に影響を及ぼす濃度ではないそうだ。ではこのニュースはいったい何を問題にしたかったのか分からない。そもそもニュースになるようなことなのか。ここでも基準値の7~8.5倍ということが、さも大きなことのように捉えられているように思った。

 もちろん食品は安全なものでなくてはならないから、そのための検査は必要だ。検査する以上は、安全の目安としての基準値が決められるのも当然だ。その検査をかいくぐって、中国産餃子事件のように極めて高濃度な有害物質が含まれている場合は論外だが、そうかと言って、「ppm」がまるで呪文のようになって、食品に対して必要以上に過敏になるのは考えものではないか。

2009-04-23 09:57:41 | 中国のこと
 西安の李真の息子の佑寧(ヨウニン)、愛称宸宸(チェンチェン)は3ヶ月になった。時々写真をまとめてメールで送ってくれるが、どんどん成長している様子が分かり楽しい。
 

 

 李真が我が子を抱いている姿を見ると、結婚するまでにいろいろと悩んだことは多く、何度も相談に乗ったり励ましたりしただけに感慨深いものがある。そして、もし李真と知り合わなかったら、今の私の生活はかなり変わっているだろうと、人の縁の不思議さを思うことがよくある。

 私が初めて李真を知ったのは、2000年の6月、ある卒業生に誘われて初めて中国(西安・敦煌)に行った時のことだ。その時に李真は私たちツアー団体のガイドをしてくれた。大学を出て間もない李真は初々しく、ツアーのメンバーに気に入られ、私は帰国してからメールを交換しようと約束した。その後メールを遣り取りしているうちに、李真に頼んで再び西安を訪れたのはその年の秋だった。また李真にガイドしてもらえるものだと思っていたら、実は李真はガイドではなく、西安中国国際旅行社で日本からの観光ツアーの計画や手配をする担当だということを知った。普段は事務室で仕事をしていて、時々ガイドもする。最初に李真と知り合ったのはそのような時で、まったくの偶然だったわけだ。

 しかし、そのとき以来中国に興味を持つようになったので、何かというと李真に頼んで計画や手配をしてもらうようになり、そのことでまた何人ものガイドと親しくなった。そのようにして李真から始まって、今に親しい関係が続いている友人に、西安の謝俊麗や袁毅、邵利明、新疆の趙戈莉、上海の孫璇、広東省中山の廖漢波などがいる。廖漢波を通じては広州の伍海珠や貴州の馮彦と知り合い、親しくなった。李真の友人で上海の大学で日本語を教えている孫璇はもちろん、その他の皆も日本語は上手い。そして、廖漢波と馮彦以外は私を爺爺(イエイエ)とかおじいちゃんとか呼んでくれるようになっている。李真や謝俊麗、邵利明の家族とも親しくなった。謝俊麗もよく息子の写真を送ってくれるし、袁毅は西安に行くととてもよくしてくれる。邵利明は一昨年から大阪の商社に勤めているので会う機会は多く、卒業生のHg君夫妻やHr君とも親しくなっている。

 このようにして中国の友人や家族と親しくなったきっかけは、2000年のツアーの時に、普段はあまりしないガイドを、たまたま李真がしてくれたことだ。私が中国に興味を持つようになったのもこれ以来で、私が自称するようになった「中国迷爺爺」も、李真が「爺爺は本当に中国迷(中国好き)だね」と言ったことに由来する。もしあの時李真に出会わなかったら、それ以後のことはだいぶ変わっていただろう。果たして中国をたびたび訪れて中国迷になったかどうかも分からない。もちろん、上に挙げた友人達とも知り合うことはなかっただろう。彼女達と毎日のようにチャットや電話することもないから、今の生活はまったく違ったものになっているだろう。そう思うと、2000年の李真との出会いは、本当に貴重なものだったと思う。

 同じようなことは上海の唐怡荷についても言える。たまたま、上海・蘇州・無錫ツアーのガイドをしてくれたことがきっかけで親しくなり、そこから今東京にいる施路敏(敏敏)や、上海でガイドをしている梁莉(莉莉)と知り合った。敏敏とは毎日のようにチャットして、いろいろ相談に乗ったりしているが、毎晩遅くなると「爺ちゃん、おやすみ。私はもう寝るよ」などとチャットしてくるので孫娘のように可愛く思っている。彼女とは一緒に南京の祖父母に会いに行ったこともある。莉莉も私を家族のように思ってくれている。唐怡荷と知り合ったのも中国によく行くようになってからだから、これも李真とつながっているとも言える。

 人の縁というものは不思議なものだと思う。ちょっとしたきっかけで、多くの人と知り合ったり、生活が変わることもある。私がしばらく中国語を習い、中国の貧困地区の子ども達を援助する会に入り、そのことで日本にも中国にも知人ができたのも、中国に興味を持つようになったからだ。思えば李真から始まった中国や日本での多くの人たちとのつながりは、私の生活を変えた。

 一期一会になろうとも、人との出会いは大切にしなければならない。中国の友人達も縁ということを大切にするようだが、李真達と知り合ったことを本当に幸せに思っている。

劇症肝炎

2009-04-22 09:18:45 | 身辺雑記
 かつて同じ高校に勤めていた同僚の1人が急逝した。詳しいことはよく分からないのだが、少し前までゴルフなどして元気だったのに、鼻血が出たので診てもらったら昏睡状態になり、そのまま果敢無くなったと言う。劇症肝炎だったそうだ。享年73、私よりも2歳若い。劇症肝炎は怖い病気だということは聞いていたが、詳しいことは知らないので調べてみた。

 名前の通り非常に症状の激しい、またたく間に肝細胞が全滅する肝炎で、治療しなければ100%、治療してもおよそ70%が死に至ると言う。ほとんどの原因はウイルス性肝炎で、薬剤によってもおこるらしい。年間約1000人が発症しているそうだ。

 肝臓は再生能力と代謝機能が優れているが、劇症肝炎になると,肝細胞の破壊が急激で広範囲に進むため,再生が間に合わず正常な機能を維持できなくなる。発症までのメカニズムは未解明と言う。一般的な急性肝炎として症状が始まり。急性肝炎はある時点でピークに達した後は時間と共に軽快していくが、症状が悪化の一途をたどり、肝性脳症という意識障害と、全身の出血傾向が出てきたら、これが劇症肝炎のサインだと言う。故人が鼻血を出したり昏睡状態になったのはこのサインだったのだろう。

 発生率は高くはないとは言え、非常に恐ろしい病気だということは再認識できた。故人は発症以前にどのような症状があったのか、ウイルス性肝炎があったのかまったく不明だが、不運なことだと思う。同世代の人の訃報を聞くと、もはや老境に入ったわが身についても、やはりいろいろと考えてしまう。

 

服役150年

2009-04-21 13:17:11 | 身辺雑記
 米国ハワイ州のオアフ島で、2007年にホームステイしていた当時21歳の日本人女性を殺害したとして、仮釈放付きの終身禁固刑の判決が下された24歳の米国人男性に対して、仮釈放申請が可能になるまでの最低服役期間が決定されたというニュースを読んだ。

 ハワイ州の仮釈放審査委員会は、この最低服役期間を150年と決定した。その上この男が服役期間の短縮を申し立てられるのは50年服役後ということも決めた。つまり、この男が50年後、すなわち74歳にならないと、150年の服役期間の短縮を申請できないわけだ。

 被害者の遺体はまだ見つかっておらず、被告は裁判当初は殺害を否認、裁判の途中で、被害者を車ではねてしまい車に乗せたところ、飛び降りて死んだ、遺体は海に流した、などと証言していたようだ。このようなことから仮釈放審査委員会も、「被告の態度は、極めて冷淡で、遺族感情を考慮し、地域の安全に配慮するため、服役期間を最低150年とする」としたようだ。

 ハワイ州の刑法がどのようになっているのかは分らないが、裁判で仮釈放つきの刑が決まると、その仮釈放が実現するまでの期間をその後に審査、決定する仕組みになっているようだ。それにしても服役期間が150年というのは、どのような算定基準に基づくものなのだろうか。判決の終身禁固刑との違いは何なのか。裁判での判決は終身禁固だから、後でそれとは違う150年の有期刑にするのはどういうことなのだろう。また、釈放が可能になるのは50年服役してからというのも、被告の年齢を考えると事実上「仮釈放なし」と同じことだろう。このあたりのことは国情の違いもあってよく分からない。

 米国では州によって刑法はいろいろあるのだろうが、1人の人間がいくつも凶悪犯罪を犯した場合には、個々の事案について判決を出すらしく、死刑のない州では合計して数回の終身刑というようなこともあるようだ。このあたり、私たち日本人にとっては形式的とも非現実的とも思われるようにも思われることだが、犯した行為を一括ではなく、1つひとつ厳密に審議していけばこのようなことになり、合理的と言えるのかもしれない。

 最低服役期間を150年、仮釈放の申請は50年服役後可能と言うのも、加害者の男の行為がいかに悪質なものであったか、それに対する司法判断の厳しさを示したものと考えられるものだ。確かに、単に終身禁固と言うよりも、150年の服役、それも50年たたないと仮釈放の申請は出来ないと言われた方が、受けるショックは大きいかも知れない。

 私は死刑に反対するものではないが、死刑を廃止するのなら終身禁固刑を設けるべきだと思っている。その場合にも仮釈放つきや仮釈放なしと言う条件を付けたほうがよい。仮釈放付きの場合でも、かなり長期に服役しなければ申請を認めないとするべきだ。あるいは、米国のようなことが可能ならば、50年、100年などの有期刑があってもよいと思う。罪を憎んで人を憎まずとも言われるが、犯した罪の大きさがそれによってはっきりさせられるだろう。