中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

淘淘

2012-03-30 09:17:41 | 中国のこと

 西安の李真と同じ旅行社に勤めていて、今は夫婦で父親の会社の経営を引き継いでいる袁毅(イエンイィ)から、李真を通じて娘の淘淘(タオタオ)の写真が送られてきた。去年の7月5日に生まれたから8カ月になる。もうこんなに大きくなったのかと思った。父親似と言うが、袁毅に似て眼の大きな可愛い子だ。電話したら「可愛くてたまらない。幸せ」と言っていた。出張があると淘淘のことを考えて悲しくなるとも言った。

 

     

 

 李真に、息子の宸宸(チェンチェン)のお嫁さんになればいいねと言ったら、私もそう思うと言っていた。3歳違いだからちょうどいいかも知れないが、もし実現したらいいなと思っても、遠い遠い先の話で、もちろん私は見ることができない。こういう時には、後いくらでも時間がほしいと欲が出る。

 

    


戯れ訳

2012-03-29 08:19:51 | 身辺雑記

 (中国の友人たちを迎えて6日間、神戸や大阪のあちこちに出かけたのですが、終えてみるとやはり歳のせいでどうにも疲れがたまり、書きたいことはあるのですが、頭の動きが鈍くなってなかなか書けません。それでしばらくは、これまでに何となく書いたものを出してまいります。) 

 

 近頃は歳のせいか、ついさっきのことを思い出せなかったりするのに、昔のことだったら、例えば流行歌の歌詞などをふっと思い出して口ずさんだりする。さてはそろそろ来たかと不安になったりもするのだが、先日もこんな歌を思い出した。 

  空にゃ今日もアドバルーン
  さぞかし会社で今頃は
  おいそがしいと思うたに
  あゝそれなのに それなのに
  ねえ おこるのは おこるのは
  あたりまえでしょう 

 正確に言うとこの歌そのものではなくて、その英語訳(?)の歌詞の最後のほうを思い出したのだ。この歌は「ああそれなのに」という題で昭和11年に古賀政男が作曲し(作詞は星野貞志)、大ヒットしたものらしい。会社員の、おそらくは若妻のやるせない心情をを歌ったものだ。 http://takurou.co-site.jp/ikoi/aauta.html 昭和11年と言えば戦争末期に近いから、歌詞からしても軍部の規制の対象になっただろうが、私が耳にするようになったのは戦後で、それでも中高生頃だった私の耳の奥にまだ残っているくらいだからかなり流行ったらしい。それに戦後のことで英語も大いに流行り、怪しげな英語を使う者もいた。そういうことで、この歌も誰かがふざけた「英語訳」をし、それがまた中高生(おそらく大学生も)の間で人気があったようだ。私が覚えていたのは、 

  Today adbaloon in the sky.
  Parhaps he is in the company. 
  I think he is very busy.
  Oh, nevertheless, nevertheless, you see?
  I am angry I am angry, it is naturaly. 

 これくらいの英語の単語なら、中高校生程度なら理解できて” you see?”というところなどは大いに気に入ったものだった。一応英語らしい形になってはいるし、韻らしきものも踏んでいるが、英米人が聞いたら理解できるものかは分からない。調べてみると、部分的には使っている単語が違うものがあり。それだけあちこちで歌われたのだろう。 

 これなどはまあ、まともな英語に近いが、その頃には得体の知れない英語訳(?)もあった。例えば、 

  Free care coward tomb be comb miss note 

  というのがあるが、これはいくら辞書を引っくり返しても一つ一つの単語の意味は分かっても、全体としては何のことやら分からない。

 正解は芭蕉の有名な句、 

  古池や蛙(かわず)跳びこむ水の音 

 というから、むちゃくちゃなものだが、当時の私たちは面白がっていた。類似のものに、 

  You might think, but today's cold fish 

 というのがあり、これには

 You might or more head,today's some  fish

 というものもあるが、前の芭蕉の句のものよりもまだ英語風で、つい引っかかってしまう。さて正解(?)は・・・? ヒントは作者不詳だが、日本の寒い冬を詠んだ句として有名なものだ。cold fish がおもしろい。

 一茶の「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」のドイツ語訳(もちろんインチキ)もあったが、忘れてしまった。

 

 

 


ミザクラ

2012-03-28 10:00:08 | 身辺雑記

  街で生花店を営んでいるMさんの家が近所にあるが、そこでは毎年3月も寒いうちに花を着ける。

 

 このミザクラ(実桜)は名前の通りサクランボを着けるが、Mさんの家のものは中国原産のシナミザクラ(唐実桜ともいう)で、普通サクランボとして売っている佐藤錦などのセイヨウミザクラのものとは違って実は小さく、1.5センチ程度で少し酸味がある。 

 今年の3月の初めは寒さ強かったが、それでも例年よりは花が多いように思った。まだ肌寒いうちにこのサクラが満開になっている姿をみると、一足早い春の訪れを感じさせる。

  

 

 

 

 


世間知らず

2012-03-27 13:44:34 | 身辺雑記

 「世間知らずの娘」と言うと、世の波にもまれていない、どこかおっとりしたイメージで、それほど馬鹿にしたニュアンスは無いだろうが、一般に「世間知らず」と言うのはほめ言葉でなく、どちらかと言うと「非常識」に近い、貶めたニュアンスで使われる。

 

 ところで、「世間知らず」とはどういう人たちを指すのだろう。「世間」とは社会、世の中のことであることは言うまでもないが、それを知らないというのは、社会から隔絶されたところで生活していると言うことだろう。それはどんな人たちだろうか。しかし誰しも社会から隔絶されて生きていくことはできないから、要するにそういうことに自覚がないか乏しい人、能動的に社会のことを学ぼうとしない人をを「世間知らず」と言うのか。

 

 反対に「世間を知っている」人とは、どういう類の人なのか。「世故」によく通じている人のことか。「世故」とは「世の中の風俗・習慣など、世間づきあいのうえのさまざまの事がら」(広辞苑)だ。作家などは自分の作品のためにあちこち取材して回るから、社会のことなど裏のことまでかなり詳しく知っているだろうし、世故にも長けているのかも知れない。しかし、だからと言って作家という職業の人たちが、すべて常識を備えているかどうかは分からない。「変わり者」もいるだろうし、奇矯な振る舞いをする人もいるだろう。もしそうだとすると「世間知らず」とはそう変わらないとも言える。

 

 かつて私がそうだった教師という職業は、しばしば「世間知らず」の例として挙げられてきた。実際の教師の社会、学校の様子などをほとんど知りもしないのに、「子どもを人質にとって親を見下す」とか「児童や生徒に対して威圧しながら接する」などのステレオタイプの見方をして、教師の社会は閉鎖的で教師は世間知らずだからそうなるのだなどと言う。中にはそういう教師も無きにしも非ずだから、ここでは一応そういうことにしておいて、それでは他の社会にいる者、例えば企業に勤めている人間は、それほど「世間」を知っているのだろうか。これも実態を知らない者のステレオタイプな見方かも知れないが、朝早く出勤して一日中激務に追われ、夜遅く帰宅する。そういう生活の中でどのようにしてゆとりを持って世間を知ることができるのだろうか。こんな話を人としていて「結局、世間て何なんだ」と改めて問いかけると、話はそこで詰まってしまう。

 

 私が教師だった頃は毎日が実に多忙だった。学生時代の勉強不足のツケが回ってきたから、毎晩遅くまで教材研究に追われたし、クラブ活動の指導で夏休みもなかった。それでも社会の動きに遅れまいと、努力はしたつもりだ。これも実態を知らない馬鹿げたステレオタイプな見方で、「教師=日教組=赤旗を振りまわしてデモばかりしている」というのがあるが、教員組合を通じてそれなりに社会の動きなどを学ぶことはあっても、それに明け暮れていたわけではない。私の次男は小学校の教師をしているが、話を聞いてみると何やかやと仕事が多いし、今は5年生の担任だが、1、2年生を担当していた時には、それこそ休み時間もなくへとへとになったようだ。しかしどこで勉強するのか、いろいろなことをよく知っていて話していても楽しい。休日にはフットサルチームの監督をしたり、最近ではサッカーの審判員の資格も取ったりしている。地域の祭などの行事にも積極的に参加していて、我が息子ではあるが、「世間知らず」とは思えない。

 

 「世間を知る」ということは人によってさまざまだと思う。だから職業によっては、例えば職人などは、日がな一日仕事場で過ごし、世間の雑音などは耳に入らないような人もいるが、それはそれで自分の天職を全うしている姿は尊い。それに反して、まだ20代、30代程度の若さで、さも世間を知っているかのように大きな口を叩き、人を見下したような物の言い方をするのに出会うとうんざりするし、滑稽に思うこともある。

 

 世の中のことは何でも知っているかのように才人ぶってべらべらと饒舌であるよりも、「世間知らず」と言われるほうが「非常識」でない限り苦にすることはないのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吸蜜するメジロ

2012-03-25 21:33:37 | 身辺雑記

 しばらくブログを休むことにした前日は、弟が撮った写真を出しましたが、ブログ再開日もやはり弟の写真です。休んでいる間の弟の写真を開いてみると、アセビの花の蜜を吸っているメジロの写真の色彩が美しかったので紹介します。

  

 明日から相も変わらぬものですが、ブログを再開いたします。どうかよろしく。


水と油のはずだが

2012-03-18 07:59:42 | 身辺雑記

 私がはじめて高校の教師になった時のことだが、社会科にFさんという教師と、国語科にOさんという教師がいた。二人とも私よりも少し年上だが、まだ20代後半だった。

  Fさんは京都大学出身で、在学中はアメリカンフットボールの名の知れた選手で、見るからに頑丈そうで精力溢れる体格だった。それに対して神戸大学出身のOさんは、在学中の経歴は知らなかったが、色の白いいかにもインテリ青年教師という風貌で、低音の声がなかなか良く、性格も温和だった。

   思想上ではFさんは硬骨な右翼で、特定の右翼団体に所属していることはなかったが、Oさんは左翼、おそらくは共産党員らしかった。だから二人は本来、水と油の関係であったのだが、どうしたものか、とても仲が良かった。二人で飲みに行ったりしていたようだし、仲良さそうに話していることもよく見かけた。そういう時のFさんはいかにもOさんを気に入っているような様子で、私に「これは共産党なんや」と紹介したことがある。そんな時にもOさんは穏やかに笑っていた。

 当時は教職員組合の活動も盛んで、私が勤めた高校の教師は全員組合員だった。右翼のFさんも組合に加入していたが、組合の会議には出席したことはなかった。反対にOさんはまじめな組合員で会議中には、穏やかな声で発言していた。

  その後しばらくしてOさんは他の高校に転勤したが、Fさんはずっと留まり、最後はある高等専門学校の教授になった。

  あの頃は今のように組合と言うと異質なもののように見たりすることはなかったし、組合活動が盛んだと言ってもギスギスした雰囲気はなく、活動の主目的は教職員の給与など労働条件の改善要求だった。だからFさんとOさんのような水と油でも混じり合えるような雰囲気があったのだろう。

  Fさんはすでに数年前に物故した。Oさんのその後の消息は知らない。もう80代に入って半ば近くになるだろうが、高校の同窓会誌を見ても物故者の名の中にはないから健在なのだろう。

  社会全体が右傾化し、とくに左翼と見なす者に対する非寛容さがだんだん強くなっているように思われる今頃、思想上は極端に右と左だったが、仲の良かったFさんとOさんを思い出すと、しきりに懐かしくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 


卒業式での監視(2)

2012-03-17 11:04:32 | 身辺雑記

  大阪府立和泉高校の校長の行為について、『東京』のコラム「筆洗」に次のようなものがあった。少し長くなるが全文引用する。

   「製品の中から不良品を血眼になって探し出す工場長の姿と重なって見える。違っているのは、相手にしているのが、生身の人間であるということだ▼大阪市の橋下徹市長の友人で、民間人校長として採用された大阪府立高の校長が、卒業式の君が代斉唱の際に、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかどうかを確認していたという▼約六十人の教職員全員が起立した後、口の動きをチェック。不自然に見えた三人の教師を呼び出した。府教委は、歌わなかったことを認めた一人の処分を検討している▼「起立斉唱の職務命令が出ているのだから、口元を見るのは当たり前で素晴らしいマネジメント」と橋下市長は校長をほめちぎった。起立はするが歌いたくはないという教員は、アイドルグループ並みの「口パク」技術を習得しなければならない▼演劇賞をさらった「歌わせたい男たち」は、君が代斉唱をめぐる校長と教師のせめぎ合いを喜劇チックに描いた永井愛さんの戯曲だ。当初、ロンドンの劇場との提携公演になるはずだったが、あらすじを送ると「もっと文化的に越境が可能なコラボレーションをしましょう」と芸術監督に断られた▼国歌を歌わない、起立しないことで教師が処分される現実は海外で理解してもらうのは至難のようだ。口元を確認してまで歌わせようとする男たちの心象はどう見えるだろう」 

  実際、国家を歌わないことが処分の対象になったり、法廷に持ち出されたりするようなことにまでなるのは日本独特のものらしい。

  『朝日』の夕刊のコラム「素粒子」は少し及び腰で冗談めかしてこう言っている。 

 「では、口パクにするか裏声で歌うか。口の動きを見つめる教頭の目が怖い。それを褒める市長の心はもっと怖い」 

 小学校の教師をしている次男とも話したのだが、私の若い頃は学校の雰囲気がおおらかで良かった。教育委員会は学校現場に対してはそれほど強圧的ではなかったし、国旗・国歌の強制はなかった。校長と教職員の関係も良かった。あの時代が懐かしい。そして今の大阪の状態が、すべて橋下という一人の突出した個性の人物の考えから出ていること、またそれを支持する声が多いという世相を思うと慄然とする。

 

 


卒業式での監視

2012-03-16 09:56:07 | 身辺雑記

  とうとうここまで来たか(しかも急速に)と長嘆息するようなニュースがあった。大阪府岸和田市の府立和泉高校の卒業式の君が代斉唱の際に、校長が教頭に指示して、教職員の起立だけでなく実際に歌っているかどうかを口の動きでチェックしていたことが分かった。式典終了後の事実確認で、1人が起立しただけで歌わなかったと認めたため、府教委が処分を検討しているとのことだ。この校長は橋下大阪市長の友人で弁護士。橋下氏が府知事時代に民間人校長として採用した。 

 校長は自身のブログで、「府教委から、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよいとの指示を得た」とし、「府教育委員会からの職務命令・指示を順守した」と主張しているという。これについて橋下大阪市長は記者団に「起立斉唱の職務命令が出ているのだから、口元を見るのは当たり前で素晴らしいマネジメント」と述べたという。他市にある府立高校という管轄外のことに関してどうしてコメントするのかと思った。それにしても、いつの時代にも権力者に媚びてすり寄る卑小な人物はいるものだが、橋下氏にしたら「さすが俺が目をかけただけのことはある。愛い奴だ」という気持ちだろうし、校長はお褒めの言葉にいたく恐懼感激したことだろう。 

   教職員は歌わなければ処分するが、校長や教頭は歌わないでいいのか。管理職とは何なのか。教職員を下僕のように監視監督する役目なのか。そのようなことをしなかった他の高校の校長には何の咎めもないのか。

   今更のことになるが、1999年(平成11年)に、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が公布・施行されたときに、審議の段階で当時の小渕恵三首相は「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」と答弁している。また、当時この法律の実現に努力した、自民党の官房長官だった野中広務氏は。6月の『朝日』の「争論」というページに「君が代起立条例]が取り上げられた際に、橋下氏の賛成論に対して、反対の立場からこのように言っている。「『起立せなんだら処罰する』なんてやり方は権力者のおごり。教育者を処罰してまで従わせようというのは、国旗・国歌法の制定に尽力した者として残念です」と言い、さらに「日本人は一色に染まりやすい。小泉改革の時も、民主党が政権をとった時も、国中が熱病に侵されたようになってしまった。分かりやすい敵をつくり、徹底的にたたいて支持を広げるポピュリズム政治がはびこる土壌がある」とも言っている。

 和泉高校の校長に賛辞を贈った橋下氏のツイートをみると、本音の表われた凄さまじいものだ。曰く、

 「バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日本国の公務員。税金で飯を食べさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ」

 この品性の悪さ。普通の者がこういう言い方をしたら、多分「育ちが悪いのではないか」という謗りを受けるのではないか。夜ツイートしているうちに感情が激してきたのかもしれないが、彼はよほど感情の抑制ができない性格のようだ。とても大阪という大自治体の長とは思えない低次元さだが、これに喝采を送ったり、痛快に思ったりする大阪市民が多いとしたら、大阪市民は自分のおつむに合った帽子をかぶっていることになる。

 ある女性のツイートにこんなのがあった。

 「橋下さんにとって国歌でなくても構わないんだろう。取り締まることが第一であり、それがたまたま国歌だっただけ。多分「ポニーテールとシュシュ」でも同じ様に取り締まると思う」     *「シュシュ」は髪飾りの一種。

   こんなことを橋下氏に言ったところで青臭いと一笑、一蹴されるだろうが、日本の最高法規は憲法で、その第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と謳われている。いかに「思想・良心の自由」の日本での歴史が非常に浅いと言っても、いやしくも弁護士資格がある橋下氏は最低限の法順守の精神を持つべきだろう。まさかルイ14世の「朕は国家なり」ではないが、「俺が法律だ」と考えているわけではあるまい。