中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

2008-04-29 22:27:49 | 身辺雑記
 次男の嫁の父親が亡くなった。数年前から体調が良くなかったが、最終的には脊髄癌と診断され、5ヶ月の闘病の末に空しくなった。享年71歳。私より3歳年下である。自宅は県の西部の加古川市に隣接する町なので、泊りがけで通夜と葬儀に参加した。妻のとき以来、葬儀への参加は10年ぶりのことだった。

 宗旨は真言宗だが、高野山の系統か、その他の派なのかは定かではなかった。真言宗の葬儀はこれまでの記憶にはないが、僧侶は導師はじめ3名という、なかなか立派なものだった。厳かに始まった読経はかなり長くて15分ほど続いた。おそらくは有難い経なのだろうが、如何せん意味はまったく分からず、わずかに途中で何度か「般若波羅蜜多」という言葉と、終わりの方で繰り返された「南無大師遍照金剛」とが聞き分けられたくらいで、それに終わり近くには調子はややリズミカルになったが、どうも梵語らしくてますます分からず、これではうろ覚えの中国語のほうがまだ分かると思ったことだった。それに単調でもあるので、前の席にいた故人の孫の小学1年生の男の子は眠り込んでしまい、私も通夜の夜更かしのせいで危うく眠ってしまうところだった。私の家は神道なので、葬儀でも祝詞があげられるが、これは古代語的でもとにかく日本語だから分かるところもかなりある。

 葬儀・告別式の後は斎場に行くのにも同行し、その後は会場に戻り、最近の風習で、葬儀の締めくくりの儀式である觀骨勤行(かんこつごんぎょう)と同時に初七日の法要も済ませ、さらにその後には食事も振舞われて、通夜から始まったいわばフルコースの諸行事は、初めての体験でいささか疲れたが、すべて終了した。

 改めて葬儀と言うものは大変なものだと思う。妻の時には息子達は家を離れていたから、準備などすべて私がした。葬儀社が取り仕切ってくれるから、それに従っていればよいようなものだが、それでも多くの参会者に接したり、何かと心配りをしなければならないから、心身ともにかなり疲労したものだ。私自身の時はいつ来るのかは分からないが、さほど遠くはないだろう。現役時代からだいぶ年月がたつからあまり大きなことをする必要はないし望みもしない。できれば息子達の家族だけで見送ってくれれば、それで十分だと思っている。次男に最寄のJRの駅まで送ってもらう途中の車の中で、そのように言ったのだが賛成はしなかった。それは僕らの考えることだし、葬式は死んだ者よりも生きている者達のためでもあるし、それを機会に普段あまり会うことのない親戚やきょうだいが集まることができると言う。言わんとすることは分かるのだが、やはり私としてはできるだけ簡単にしてほしいと言う希望は捨て切れない。死んだ後のことまで思い煩うことはないと割り切ってしまえばよいのだが、やはりあれこれと考えてしまう。面倒なことではある。

広東省の旅(9)

2008-04-27 23:13:45 | 中国のこと
端渓硯
 肇慶は端渓の硯の産地としても有名である。中国には有名な硯の産地はいくつかあるが、特に端渓は名硯の産地として知られていて、1300余年の歴史をもち、中国一の生産量である。肇慶市内で硯を加工し販売している店(肇慶中藝名硯廠)に立ち寄った。

 店内には大小さまざまな硯が展示されていて、門外漢の私でも溜息が出る思いをしたほど見事な硯ばかりである。




 展示されている原石。肇慶にはいくつもの硯の原石を掘り出す坑があるが、この2つの原石は最も古い老坑産のもの。


 老坑では今は採掘されないので、この原石が現存する唯一最大のものということだ。重さは1トン以上あるとのこと。


 表面を水で濡らすと原石の自然の色が現れる。


 老坑産出の原石から作られた巨大な硯。端渓の硯は「墨おり抜群で、墨が硯面に吸い付く感覚。長い歳月水に浸かった水岩石であるために石質が非常に温潤」と言う。表面に指を触れて擦ると、幼児の肌のように柔らかい、何とも言えない感触である。さまざまな美しい装飾が施されている。硯の面に丸い白いものが見えるが、これは石眼(せきがん)と言って中生代の古生物の化石だそうだ。この石眼の所在を見分けるのも職人の眼力とのことだ。石眼は墨を磨る部分(墨堂)にあるのは好まれないそうだから、この硯は実用品と言うよりも工芸品なのかも知れない。


 見事な原石。


 店の裏側には加工工場がある。写真撮影は遠慮してほしいと言うことだった。ここでは10人ほどの若い職人たちが、師匠の原図を見ながら複雑な模様を彫っていた。石は柔らかい感じだった。

田の花

2008-04-26 09:41:49 | 身辺雑記
 近所の田は土起こしされているが、1枚だけ放置されていて、そこにはいろいろな植物が生えている。春先には気がつかなかったが、もう終わりに近いものもある。

 
クリムソンクローバー(クリムゾンキング)。





 
 最初は千日紅に似ていると思ったが、


 花のことに詳しいH君夫妻が調べて、ムラサキツメクサ(アカツメクサ。英名レッドクローバー)ではないかと教えてくれた。
 

 花の形が違うので「レッドクローバー」で検索してみると、ある通販会社のカタログに行き着き、クリムソンクローバー(マメ科)と言うものだと分かった。「切り花などによく利用される。「もともとは牧草で、景観形成作物として栽培された」とあるから、園芸用のものが蒔かれたのか。初めて見た花で勉強になった。
 クリムソンクローバー(カタログより)


ハハコグサ。可憐なキク科の植物。




 レンゲ。もう花期も終わり。マメ科で根に窒素を同化する細菌が寄生する根瘤があり、窒素肥料として田の土に鋤きこむ。




 ナズナ。



老後に備えて 

2008-04-25 08:49:45 | 身辺雑記
 次のような記事を見た。

 神奈川県藤沢市に住む73歳の無職の男性が図書館の雑誌8冊(約6,000円相当)を盗んだとして現行犯逮捕された。取調べの結果、自宅に同図書館の蔵書約1500冊(約620万円相当)を持っていたことが分かった。「本が好きで、年を取り図書館に行けなくなったときのために盗んだ」などと供述しているという。

 まことに、いやはやと言いたくなるような事件である。73歳と言えば私とほとんど同い年。「年を取り・・・」と言っているが、もう十分に年を取っていて、悪名高き「後期高齢者」に近いではないか。本が好きであるのだろうが、こういうのを読書家と言うのだろうか。自宅には盗んだ本が大量に積み上げられていたと言うから、家人が気がつかなかったのか。もしかしたら私のような独り者かもしれないと思うと、盗んだ本に囲まれた独居老人の姿が想像されて、何かしら侘しい気持ちになってしまった。
 
 世の中には不可解な行為をする者は多い。普通は年齢を重ねるにつれて分別も身についてくるはずだが、最近はどうもそれも怪しくなってきたようで、首を傾げたくなるような行動をする老人が増えてきているらしいことは前にも紹介したことがある(07年11月14日「暴走老人」)。この男性は恐らく一定の教育も受け、それなりの教養もあるのかも知れない。それなのに、どうして老後に備えて本を盗みためようなどと考えるようになったのか。私も本が好きなだけに、いくつになっても読書したいと言う心情はよく分かるが、盗んでまでとは当然のことながら考えもつかない。1500冊とはかなりの数で、おそらくは盗むことが目的、習慣のようになってしまって歯止めが効かなくなったのだろう。

 「老後のことをよく考えて・・・」と聞かされることは多い。あらためて考えてみると「老後」というのはよく分からない言葉で、「年老いた後で」ということなのだが、ではいくつになれば人は年老いたことになるのか。今の私はまさに老人で、自分でも中国迷爺爺と自称し、孫たちはもちろん中国の若い友人からも「おじいちゃん」と呼ばれているが、しかし「年老いて」と言う表現にはいささか抵抗を感じる。無計画、行き当たりばったりという誹りも受けるだろうが、これまで「老後のこと」を考えないで来た。人生は連続しているものと思うから「第2の人生」ということも考えなかった。ただ毎日をしっかりと生きたいと思ってきた。私はそれでいいと思っているが、やはり大多数はあれこれと行く末に思いを馳せ、そのために何か実行するのだろう。その大多数の中には「年を取り図書館に行けなくなった時のために、蔵書を増やしておこう」と考える者もいるだろうが、そのために図書館の本を盗もうと計画し実行するのはやはり希少な例だろう。まったくこの世は広く、いろいろな人間がいるものだ。


若さ

2008-04-24 10:41:01 | 身辺雑記
 近頃は週に1日、私が入っている中国の貧困地区への教育援助の会の事務所に行く。事務所は大阪にあるので、JRと大阪市営の地下鉄を乗り継いでいく。帰るのは4時過ぎだから、学校帰りの高校生を見ることが多い。

 先日JRに乗って帰る時、ある駅を発車する間際に「バイバアイ」という、けたたましい女の子の声がした。JRのこの線は、大阪市内では地下を走るからこの声はよく反響していた。電車が動き出して窓越しにホームを見ると、女子高校生が2人電車に向かって手を振っていた。電車には友達が乗ったようだった。それだけなら何と言うこともないのだが、その女の子達はホームの真ん中にべったりと座っていたのには呆れた。これまでにも駅舎の片隅や階段で腰を下ろしている高校生の姿は男女を問わず見たことがあって、苦々しい思いをしたが、ホームの真ん中に座り込んでいるのは初めて見た。疲れた年寄りでもこんな格好はするまい。もっともこの子達はいつもやっているのだろう。

 およそ恥ずかしいということを知らない姿だが、それにしても不潔なことで、スカートを広げてべったりと尻を下ろすその神経がどうしても理解できなかった。近頃の若い子は神経質なほどきれい好きだと言われるが、このような姿を見ると本当だろうかと思ってしまう。この子達は極端にしても、電車で見かける高校生、特に男子生徒には、清潔感が感じられない者が少なくないようだ。水木しげるの漫画のゲゲゲの鬼太郎のように顔にかかる長い髪をしているのをよく見るが、いかにも不健康で汚い。それが幼稚な会話を交わし、馬鹿笑いをしているのを聞くと嫌になってしまう。もちろんこのような高校生ばかりではないが、どうも変なのが目に付くような気がするのは年のせいかなと思ったりもする。なにも優等生タイプを求めているのではない。10代後半という本来なら活気のあふれている年齢相応の心地よい姿を見たいと思う。要するにこの年頃にしかない若さが感じるようであってほしい。

 定年退職する時に、勤務校の育友会紙の卒業記念号に、求められて一文を寄稿したが、その中で次のように書いた。

 若さを感じさせられない若者を見る時、いつも思うのは「もったいない」ということだ。若い時に精神のはつらつさを衰えさせてしまうと、生涯それを取り戻すことは恐らく難しい。もともと若さというものは量で示されるものではないと思う。初めにたっぷりとあったものが浪費によって失われたというものではない。年齢とともに質の変化を起こしながら持続していくもので、その質の変化がないままでいると、すぐに消えてしまうのが若さなのだ。その質の変化を起こす刺激になるものはいろいろあるだろうが、特に何事に対しても「立ち向かっていく」ということが大きいのではないか。年齢とともに変わってはいくが、その立ち向かっていく姿が、人に若々しさを感じさせる。

 若者がと云々する前に、今の私が若々しさを人に感じさせるような生き方をすることが、まず大切なのだろう。それにしても、若々しくすっきりした、さわやかな若者の姿をもっと見たいと思う。
 

広東省の旅(8)

2008-04-23 08:37:02 | 中国のこと
七星岩風景区
 肇慶の市街地に面して星湖と言う湖があり、この北側に七星岩風景区がある。天上から七個の星が下って岩となったという伝説があるところで風光明媚な広い公園である。

 入り口から見た風景。 園内は広いし、夕刻だったので、電気カートで回ることにした。


 この岩は天柱岩と言い、この公園内でもっともよい眺めとされている。頂上に東屋がある。






 園内風景










 たくさんの鯉がいる池があり、投げられる餌に群がっていた。




 水月宮という寺院。






 鍾乳洞があり、船で見て回る。中はさほど広くはない。








紅白

2008-04-21 08:47:18 | 身辺雑記
 昨年買って植えた白花のハナズオウ(花蘇芳)が花を着けた。よく見かけるのは紅色のものだが、白色のものも清楚でいい。




 マメ科植物なので、花は蝶形。


 ハナミズキ(花水木)にも白色と紅色がある。




 花弁に見えるのは葉が変形した苞。中央にかたまっているのが花。



 
 ツツジ。






広東省の旅(7)

2008-04-20 11:23:14 | 中国のこと
八卦村
 旺洞村から肇慶に戻る途中で黎槎(リィチャ)村という古村に立ち寄った。村の入り口にある案内板によるとこの村は800年以上の歴史があり、八卦の形状をしているとあり、周易(周代の易学の書)の8種の基本図形云々とあるが、易学や八卦についてはまったくの門外漢である私にはさっぱり理解できなかった。要するにこの村の形は八卦に関係しているもので、故にこの村は八卦村とも呼ばれていることは分かった。案内のリーフレットを見ると、村全体は中央が小高くなった円形(八角形かも知れない)をしている。


 とにかく散策することにしたが、村内は静まり返っていて、人影もあまり見当たらない。道にはゴミもなく清潔である。円形だから村の周りの道路はすべて弧を描いている。


 道路わきのガジュマル(榕樹)の巨木。全部で12本あり、樹齢は100年を超えているとのことである。






 道路わきにある古井戸。明代初期のものである。厚い松の板を使っているので木井と言う。数百年来村民は飲用や米研ぎ用、洗濯用に使ってきた。井戸の周囲は花崗岩が敷かれている。このような古い井戸は他にもあるようだ。


 水を汲み上げる蘇恵清と伍海珠。蘇恵清は活発で元気がよく、伍海珠はおとなしくて対照的だが、それでも中学生の時以来仲が良いと言う。


 道路わきで藁を使って敷物を編んでいる老婦人たち。愛想よく応対してくれた。皆80歳代だと言った。


 村には9つの里(リ)と1つの坊という単位からなっている。それぞれ淳和里、居和里、興仁里などと儒教文化思想によって命名されていると言う。里の位置はこの図には赤字で示されている


 それぞれの里には門楼があり、その名を冠した対聯が掲げてある。






 この門楼をくぐると、頑丈な石造りの家屋の間に巷道(シャンタオ)と言う小路がある。村内には99の巷道があるとのこと。




 祖堂。村民が祖先を祭り礼拝するところ。毎月1日と15日が祭の日。この建築は明清時代の華南地方の居民の特有の建築様式だそうだ。祖堂は村内に8箇所ある。


 村の一番高いところにある鴻運台。中央に八卦図が描かれていて、ここで爆竹を燃やすと願い事が叶えられると言う。


鴻運台の傍らにある太極図。経文のようなものが記されているが、さっぱり分からなかった。


 敦善書舎。数百年の歴史があると言う。ここには孔子を中央にして左右に孟子、荀子の絵が掲げられている。儒教に関係の学舎か。堂内には2本の大きな梁があるのが目立つ。


 片隅にあった水甕.蛙の表情がユーモラスである。
 

香りの記憶

2008-04-19 15:20:02 | 身辺雑記
 電車の座席で本を読んでいたら、急に好い香りがした。横を向くと和服姿の中年の女性がいた。途中の駅から乗ってきたらしい。

 その和服姿は抜き衣紋だったから、私が向けた視線の先にはその女性の襟足があった。目の前に艶めかしいようなものを見たものだからちょっとどぎまぎして、すぐに目をそらしたが、このような抜き衣紋の姿は久しぶりに見たなと思った。もっともこれは私が野暮なので、夜の繁華街の常連なら珍しいものでもなかろう。

 そんなことよりも、私の嗅覚をくすぐった香りの方が気になった。その女性がつけている香水の香りなのだが、見覚えならぬ嗅ぎ覚えがあったのだ。濃厚な強い香りではなくさわやかなもので私にとっては好ましいものだったし、電車が揺れたりするたびに微かに匂ってくるのも悪くなかった。しかし匂うたびに、はて、この香りは何だったろう、確か記憶にあると、それが気になって読書の方が停滞した。

 私は好い香りが好きで、最近はしなくなったが小さい円錐形の香に火をつけて部屋の中に広がるよい香りを楽しんだものだ。中国の寺で白檀の線香を買ったこともある。先だっては東京の施路敏(敏敏)が男性用のオーデトワレを贈ってくれたので時々つけている。しかし女性の香水についてはほとんど知らない。妻がいたころには買ってやったこともあるが、妻が好きだったクリスチャンディオールのディオリッシモなどというもののほかは、覚えていないし、したがって知識はまったくと言っていいほどない。米国の女優のマリリン・モンローの逸話で有名になったシャネルの5番は、名前は知っているが、どんな香りかは知らない。

 電車の中の女性のつけている香りは、妻のディオリッシモのものではなかったと思うし、しかしどこかで嗅いだはずだと思っているうちに目的の駅に着いたので降りた。その女性とは離れたが、鼻腔の奥にはその香りが残っていて気になって仕方がなかったが、やがて考えることを止めた。

 夜、寝ようと思って自分の部屋に上がった時に、突然思い出した。ずっと前に香油を陶器製の小皿に少し垂らして、下から固形燃料の火で温めて蒸発させ、その香りを楽しんだことがあったが、その香りだったはずだと思った。机の引き出しを開けてみると香油の入った小さい管瓶がまだあって、中には少量の香油が残っていた。ラベルを見るとバラだった。栓を取って嗅ぐと、まさしく昼間の女性がつけていた香りで、そうか、そうか、この香りだったのかと納得したが、それにしてはバラとは平凡な結末だった。あの女性はバラの香りの香水をつけていたのだろうが、安っぽい匂いではなかったから、あるいはダマスカスローズとやらだったのかも知れない。ダマスカスローズはイランなどに産するバラの原種で、香りの強い精油(エッセンシャルオイル)が取れることが知られている。この精油は一緒に採れるバラ水とともに高価なものだ。



 五感の記憶というものは強弱はあっても残ることが多い。特に見たものの記憶は強いが、味、音、肌触りなども記憶されていて、時折ふと思い出すことがある。生まれたばかりの我が子の頬にちょっと口づけした時の柔らかい肌触り、温かさ、微かな乳の香りなどは40年以上たった今でも思い出すことができる。妻の声はもちろん今もはっきりと思い出すことができるが、それだけでなく20年以上前に世を去った父の若い頃の声も耳に残っている。臭いの記憶も芳香、悪臭ともに残っていて時々思い出す。戦争中に父方の祖父の家に同居していたが、その家にあった茶室のちょっと黴臭いような匂いの記憶は、70年近くたった今も鮮明だし、それと共に、その薄暗い茶室のひんやりした空気まで思い出す。五感の記憶はただそれだけでなく、それが関係していた雰囲気までも伴って思い出すことができるものだ。

 電車の中で隣に座った女性がつけていた香水の香りから、いろいろなことを考えた。我ながら暇なことではある。

中国嫌い

2008-04-14 22:15:54 | 中国のこと
 チベット問題とそれに関連して北京オリンピックの聖火リレーが妨害されていることが連日のように話題になっている。これで日本では嫌中国の感情はいっそう高まることだろう。日ごろ反中国的な気分を煽っている一部の週刊誌などのマスコミには絶好の材料だろうし、書店の平積みにも、扇情的な題の中国「批判」の本が増えている。オリンピックが近づくほどに反・嫌中国の熱気が高まり、いっそう多くの国民が反・嫌中意識にとらわれるのではないだろうかと思う。

 西安の李真とチャットしていたら、「今年はとても暇です。毎日メールが1通もない」と書いてきた。彼女は西安中国国際旅行社の日本部で、ツアーの計画や手配の仕事をしている。例年4月は結構忙しいのに今年は閑古鳥が鳴いているようだ。ヨーロッパ部とアメリカ部はそんなに減っていないとのことである。やはり例の餃子事件と、チベット問題が影響しているらしいと言う。

 前にも書いたが、私には餃子事件があったからと言って、中国旅行をキャンセルするということがどうしても理解できない。ある知人は私が中国に行くと話したら「大丈夫ですかあ」と大真面目に聞いたので返答に困った。何が大丈夫なのか分からなかった。これが今の大方の日本人の感覚なのだろう。餃子事件やチベット問題が、中国の食べ物一般のことや治安のことにまでに発展して、影に怯えると言うのか、中国のことは何でも悪いように思われて、とにかく不安に駆られてしまうのだろう。

 西安に来る観光客についても微妙な変化があるらしい。「3月にツアーを案内するとき、あるお客様は買い物をしたくなかった、中国の品物を買ったら、奥さんに怒られるって」と李真は書いていた。また「最近、お客様と付き合うのは難しいです。なんか中国のことが嫌いなお客様が多くて」とも言った。

 中国みやげにしようとするならば、何も食品だけではない。いろいろな工芸品なども多い。それさえも中国製だといかがわしい物になるのか、まったくの偏見だと思う。一人前の男が旅してきて、中国の品物を買ったら女房に怒られるとは哀れなことではないか。李真は日本に対して良い感情を持っている。日本人は親切だと好感を持っている。その李真が近頃中国を訪れる観光客と付き合うのが難しいと感じるようになっているのは悲しいことだと思う。中国に対して屈折した感情を持っているのなら、いっそのこと中国に行かなければよいのにと思う。そのような気持ちでせっかく訪れた中国や中国人に接しても、ネガティーブな印象しか持たないことになるだろう。

 李真は「日本人のそういうところはおかしいです」と言った。同じ日本人として私もおかしいと思う。狭い国土にいて、過剰な情報に振り回され、自分に自信がなく、付和雷同するのが日本人の国民性ならこれは悲しいことだ。

 私は中国が好きだ。観念的に好きなのではなく、この10年程の間に何度も中国を訪れて親しい友人もでき、いろいろと得がたい交流をする中で培われてきた感情だ。好きだからこそ、中国や中国人のあり方に疑問を持つことも少なからずある。国と国との関係はとかく建前や面子が前面に出て難しいことが多い。だがどの国の人間でも人間であることには変わりないことは、ささやかでも交わればすぐに理解できる。それが草の根の友好と言うものだろう。やはり嫌いになるよりも好きになった方が気持ちがいい。