従軍慰安婦問題で内外に物議をかもした橋下大阪市長が、外国特派員協会で「私の認識と見解」という文を配布し講演しましたが、その日本語の全文を見ました。読んでみると弁解と責任の転嫁と、自らの政治家像を述べることに終始し。何かしらけるような印象を持ちます。
彼は「私の発言をめぐってなされた一連の報道において、発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられることによって、本来の私の理念や価値観とは正反対の人物像・政治家像が流布してしまっていることが、この上なく残念です」と言っています。要するにマスコミの「誤報」だという主張ですが、いったいどのような文脈であったのかという説明はありません。「断片のみが伝えられた」と言いますが、報道された「あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」という彼の発言は「断片」かもしれませんが、彼の考えをよく示しています。彼は自分が分かるとは言っていないと言いますが「誰だって分かる」とはどういうことか。自分にも分かるということでしょう。
彼は「私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています」と言っていますが、彼の首長として大阪でやった数々のこと、例えば全市職員を対象にした思想調査や、教職員への君が代強制と懲戒処分など強権的独裁的な、やり方を思い返すと、彼のことばは虚しく感じます。憲法改正の主張もそうです。
彼は沖縄の米軍司令官に風俗業の活用を勧めたことについて米国民と米軍には謝罪しましたが、従軍慰安婦問題についての発言については謝罪も撤回もしていません。ここにも対米従属的な卑屈なものを感じます。彼は「こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています」と言っていますが、かつて週刊誌に暴露され、彼も認めたクラブホステスとのスキャンダルを思い出すと、何が女性の尊厳を大切にしているかと馬鹿らしくなります。
外国特派員協会では2時間半にわたって長広舌を振るい、特派員の中には一定の評価する声もあったそうですが、批判も多く、たとえばフランスの保守系のフィガロ紙は「3時間に及ぶ支離滅裂な弁明の果てに、報道陣は有名な市長が何を言いたかったのかわからないままに退出した」と辛らつです。
特派員協会で配布した「私の認識と見解」は何度か読み返しましたが、建前と弁解、責任転嫁に終始していて心に響くものがなく、饒舌という印象でした。このようなことばだけが上滑りする政治家は不要です。