中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

教師の暴言とそれに対する暴言

2013-04-29 09:21:37 | 身辺雑記

 東京都調布市の市立小学校で2年生の担任だった50代の女性教諭が、複数の児童に暴言を繰り返し、学校の勤務から外されていたことが分かりました。市教委によると、発覚したのは昨年11月中旬で、子どもが登校したがらないのを不審に思った保護者が、子どもにボイスレコーダーを持たせて、授業の様子を録音させました。レコーダーには、教諭の呼び掛けに返事をしなかった児童に「動物じゃないんだから、ちゃんと返事をしなさい」と叱ったり、別の児童には給食の際に「(もらう量を)少なくして。いつも残して迷惑だから。みんなもそう思うよね」とクラスの児童に同意を求める様子が録音されていたそうです。

 私は小学校2年生の子どもに教師のことばを録音させる親の行為には違和感を覚えますが、親は我が子と担任教師の間がうまくいっていないのを心配したのでしょう。録音した子は担任に対して決定的な不信感を持つようになったのではないかと思います。親はそれを教育委員会に持ち込み市教委はすぐ教諭を担任から外し、副校長が担任となりました。1月からは学校に勤務もさせず、都教委に報告して処分も求めましたが、3月に「懲戒処分に当たらない」との判断を受けましたので4月から学校勤務に復帰させようとしましたが、保護者から反対の声が上がり、取りやめたそうです。よほどその担任に対する保護者の不信は強かったのでしょう。 

 録音された教師の発言の中の「動物じゃないんだから、ちゃんと返事をしなさい」も暴言なのかと私にはちょっと分かりませんでしたが、よほどきつい言い方だったのかもしれません。この教師は厳しい指導に定評があったそうですが、昨年6月には校長から言動について口頭で注意を受けていたといいます。それでも繰り返すのはやはりきつい性格なのかもしれません。 

 この記事よりも私がもっと衝撃を受けたのは、このニュースを報じたあるサイトへの書き込みの内容です。書き込みは1000件に達しましたが、そのほとんどはこの教師を批判するものです。いや、批判というよりも悪しざまに罵る罵詈雑言がほとんどで、読んでいると気分が悪くなりました。例えば「バカじゃねこの糞婆教師」、「馬鹿はお前だこの糞クズ教師」などはほんの序の口です。こういう書き込みには「糞」という言葉を使うのは当たり前のようで、私も前に私のブログへのコメントでこのことばを使って罵られたことがあります。 

 書き込みを見ていると、どうも教師、とりわけ小学校教師を見下げる者が多いのか、「昔から小学校の教師なんてきちがいとクズばっかりじゃん何を今更」というのもありこれはひどいと思いました。また「人格破綻者だから、東大出身なのに小学校教諭なんかにおちぶれたのか、東大出身なのに小学校教諭なんかにおちぶれたから、ヤサグレてしまったのか」という悪質なものもありました。この教諭は東大卒なのだそうですが、この書き込み者は、よほど東大出身が優れていて、小学校教師は落ちぶれた存在に思っているのか、小学校教師をしている次男が聞いたら怒るよりも軽蔑して苦笑するだろうと思いました。また許せないような差別観に溢れたものに「まず間違いなく 鬱病のチョン(帰化済み)の日教組だろうな」というものがありました。 

 小学校の幼い児童に乱暴なことばを吐くのは許されることではありません。しかし、だからと言ってこの教師に寄ってたかって聞くに堪えない暴言を浴びせかけることも許されることではありません。これではまるで集団リンチのようなものです。 

 『毎日』の夕刊のコラムに山口誓子の句「遠足の女教師の手に触れたがる」というのがありましたが、今も多くの教師達が子ども達から見ればこのような存在でありたいもので、そのような教師は少なくないと思います。上に挙げたようなひどい書き込みをした人達は、おそらく小学校時代に良い体験をせず、教師に対して親しみを持ったことがなかったのでしょう。可哀そうだと思います。

 

 

 


即席麺

2013-04-27 17:23:15 | 身辺雑記

 即席麺は、日清食品の創業者の故安藤百福氏が1958年に「チキンラーメン」を開発したのが最初ですが、その後50年以上たった今では世界各地に広がっています。私は即席麺はめったに食べないのですが、初めて口にしたのは高校の教師になって間もない頃で、何人かの生徒に誘われてハイキングに出かけた時に生徒の1人が「こんな物があるんですよ」と言ってチキンラーメンを取り出しました。その時には皆がそのままかじったのですが、珍しいものだと思ったものでした。それから後はしばらくはチキンラーメンをよく食べました。最初はチキンラーメンが市場を独占していましたが、模造粗悪品も出たため1964年(昭和39年)には一社独占をやめ、日本ラーメン工業協会を設立し、メーカー各社に使用許諾を与えて製法特許権を公開・譲渡しました。それ以来各社の即席麺が出回るようになり、その簡便さが受けて世界中に広まりました。 

 現在は世界24カ国の即席麺製造大手で作る「世界ラーメン協会」という組織があり、その協会の発表では2012年の全世界の即席麺の消費量が前年比2・7%増の1014億2000万食となり、初めて1000億食を突破したと発表しました。これは袋麺とカップ麺メーカー出荷量から返品などを差し引いた推定値で、消費量を世界の総人口(70億5210万人)で割ると1人あたり14.4食となり、毎月1回以上食べられている計算になるのだそうです。 

 このうち中国、インド、ブラジルなどの経済新興国での消費が目立っているようで、世界ラーメン協会は「経済の発展で、ゆっくり食卓を囲む時間が取れなくなり、即席ラーメンの消費が増えているのではないか」と分析しているそうですが、当たっているとすると少し侘しいことです。国別消費量は、中国・香港が最も多い440億食で、2位はインドネシアの141億食、3位は日本の54億食だったそうで、国民1人あたりの消費量は、1位が韓国の年間72.4食。日本は42.8食で、インドネシア、ベトナムに次いで4位だそうです。(YOMIURI ONLINE)。 

 私は中国に行った時に即席麺を持ち帰ったことがありましたが、中国独特の風味でちょっと口に合いにくいものでした。テレビではよく即席麺のCMをやっていました。韓国産の物は時々スーパーなどで売っていますが、お国柄でかなり辛いものです。このように国によってそれぞれ特徴があるようです。インドネシアやブラジルのものはどんな味かと興味はあります。 

 即席麺は安いし手間いらずで便利ですが、独身の独居男性などは主食のようにしてこればかり食べる人もあるようで、即席麺と缶コーヒーという飲食スタイルはやはり栄養的には偏っていてあまり良いことではないでしょう。


救助をしようとした男性の死

2013-04-27 07:27:00 | 身辺雑記

 大阪市此花区の淀川に架かる橋から60代くらいの女性が転落し、助けようとして飛びこんだ大阪市環境局の51歳の男性が溺れて女性と共に水死しました。大阪市環境局と言うとこれまでに何度か職員の不祥事がありましたが、これはとっさの善行が招いた悲劇です。51歳は私の長男と同い年だけに、まだ若いのにと痛ましく思います。このことについて橋下市長は「業務外でも市民を助けようとする行動に、市役所のトップとして心から敬意を表したい」と話し、記者会見では「いざこういう場面に遭遇して、飛びこめるかと言ったらできない。最大限敬意を表したい」と言っています。大阪市は市長表彰を検討しているようです。


警視庁のツイッター

2013-04-25 11:59:37 | 身辺雑記

 振り込め詐欺など身近な犯罪への注意を呼び掛けるため、警視庁がツイッターを始めましたが、親しみを感じさせるつぶやきで人気を集めているそうです(YOMIURI ONLINE)。犯罪抑止対策本部と言うと名の通り堅い仕事をしていますが、その堅いイメージとのギャップのあるつぶやき、たとえば「本日はノー超勤デー。などと言いながら超過勤務しております」とか「お土産の薄皮まんじゅうをいただきました。つぶあん派です。お茶は、カモミールです」「庁舎に入るとき、電車の定期券を出していました。定期券で庁舎には入れません」などです。 

対策本部が、ツイッターを始めたのは昨年11月で、犯罪の手口分析を担当している40歳代の男性警察官が書き込みを担当し、当初は東京都内で起きたばかりの振り込め詐欺や子供への声かけ、ひったくりの発生状況、被害に遭わないためのアドバイスが柱だったようです。ただ、上司から「それだけではつまらない」と言われ、約2週間後から、日常の出来事をつぶやくようになったと言います。そのようなつぶやきが好感されたようで、閲覧者は開始から半年で2万8千人を超え、官公庁の中では異例の多さになっているとのことです。失敗談を交えた軽妙なつぶやきにネット上では「公僕ツイッター界のカリスマ」などと呼ばれるようになったそうです。 

 ところが世の中には気難しい人がいるようで「軽すぎるのではないか」などとした批判が寄せられ、担当者は、開始4か月後に、一度は断筆を宣言しました。しかし、書き込みやメールで「もったいない」との声が相次ぎ、同庁は組織として男性警察官をバックアップするため、「日常の経験や感想を書き込むことができる」とする公式ツイッターの運用方針を新たに定め、4日後につぶやきを再開させました。 

 お堅い官公庁、特に警視庁としてはなかなか粋な計らいだと思います。あまりふざけるのはどうかと思いますが、警察官の日常の経験や感想を書き込むことは、市民に親しみを感じさせることになり歓迎すべきことでしょう。

 

 

 

 


彦根市長選

2013-04-24 10:52:47 | 身辺雑記

 21日に行われた滋賀県彦根市の市長選で、現職の獅山向洋氏が新人の大久保貴氏に敗れました。彦根は江戸時代末期に幕府の大老だった井伊直弼が藩主でしたが、よく知られている「桜田門外の変」で、水戸藩や薩摩藩の浪人に暗殺されました。維新後も井伊家は彦根で力をもち9期も市長を務めた人があり、いまだに井伊の城下町という趣きがあるようです。 

 それを意識したのかどうか現職の獅山氏は、もう一人の新人候補だった有村国知氏について選挙戦中に「市長にふさわしくない」と攻激しました。有村氏は「桜田門外の変」で井伊大老を襲撃した薩摩藩士である有村次左衛門の子孫で、これを捉えて獅山氏は、「彦根にゆかりの深い井伊直弼の暗殺に加わった浪士の子孫は市長にふさわしくない」などと主張し「私が彦根の歴史と伝統を守る」と訴えました。有村氏は「家系は関係ない」と反論したようです。 告示日の14日の出陣式で獅山氏は「直弼公に代わって選挙戦を戦う」と強調。有村氏陣営は「出自の問題を争点にすべきでない」と反論し、大久保氏も「人権侵害だ」と批判したようです。しかし、獅山氏は19日の総決起大会でも「直弼あっての彦根。(有村氏)一族が市長になると全国の笑いものになる」と訴えていたとのことです。

 獅山氏は有村氏の出馬を「浪士末裔で現代の桜田門外の変」と批判したようですが、「桜田門外の変」は1860年のことで、150年も昔の、それも江戸時代のことを持ち出して対立候補を批判し、「直弼公に代わって選挙戦を戦う」とは、年齢が72歳とは言え、その大時代的なことと時代錯誤、視野の狭さには、いかに井伊家の城下町の彦根であっても呆れます。彦根市民の受け止め方は冷ややかだったようで、獅山氏は大敗しましたが、初当選が決まった後、大久保氏は「政策と関係ない、全く次元の違う話で、コメントしようと思わない」と述べたそうで、それが普通の感覚でしょう。しかし改めていまだに江戸時代がこんなところに生きているのかと思わされました。

  開票結果

  大久保貴氏(49)16903票 

  獅山向洋氏(72) 9600票

  有村国知氏〔38〕 9412票

 

 

 

 


一卵性双生児

2013-04-22 07:55:05 | 身辺雑記

 知り合いのS子さんには6歳年下の双子の弟がいます。一卵性双生児と言うことで2人はよく似ていますが、下の弟の方はよく食べるらしく少々肥満気味ですから、40前になった今ではすぐに区別がつきます。性格も弟の方がおとなしいようです。 

 そんなことでS子さんは今では区別がつきますが、小さい時には見分けにくく、特に赤ん坊の時寝ているとまったく区別がつかなかったそうです。それで小さい頃のS子さんは弟達の靴下にそれぞれの名前の一番上の字、「ま」と「こ」と書いて区別したらしいのですが、お母さんに叱られたそうで何となく可愛らしくて微笑ましく思いました。しかしお母さんはちゃんと区別がついていて、母親とは大したものですとS子さんは言っていました。お父さんには区別がつかなかったそうです。 

 私の母も一卵性双生児でした。私が6、7歳になった頃には母と伯母の顔は少し変わっていましたが、それでもしぐさや声が似ていて、母かと思って近寄っていったら伯母だったので照れくさい思いをよくしました。母達の父親(祖父)は母達が40代になってもよく間違えていました。幼児の頃の母達の写真がありましたが、どんなに見ても区別がつきませんでした。 

 一卵性双生児は一つの受精卵が別れて二つになって成長したもので、元来は1人の人間になるものでした。ですから2人のDNAはまったく同じです。しかし人は環境の影響も大きく受けるので、S子さんの弟達もそうですが、私の母も伯母も結婚後の暮らしがかなり違ったので、互いに様子も性格もだいぶ変わってしまい、晩年の頃はよく似ている程度になってしまいました。 

ふたごの出生頻度は人種によって違いがあるようですが、一卵性双生児の出生頻度は地域・民族・時代に関わりなく一律0.4%なのだそうです。


ボストンマラソンでのテロ

2013-04-20 07:24:26 | 海外あれこれ

 15日に米国のボストンで長い歴史のあるマラソンが開催され2万7千人のランナーが参加しましたが、そのゴールの地点に仕掛けられた手製の爆弾が爆発し、3人の死者と170名を超す重軽傷者が出ました。 

 3人の死者のうちの一人は家族5人で観戦に来ていた8歳のマーチン・リチャード君でした。アイスクリームを買って再びゴール付近に戻ってきたときに1回目の爆発が発生し、慌ててコース上に逃げようとしましたが、沿道に設置されていた柵に阻まれているうちに、数秒後に起きた2回目の爆発に巻き込まれて死亡しました。マーチン君の父親と兄は軽傷でしたが、7歳の妹は片脚を失くし母親は頭部に傷を負いました。妹はマーチン君が大好きでいつも真似をしていたと言いますが、一生心と体に傷を負っていかネバならないのでしょう。 

 何とも痛ましいことで、この事件の犯人には言いようのない怒りを覚えます。当局はテロとしましたが、組織的なものではなく個人的な犯行のようで、警察などはすでに2人の容疑者を特定し、車で逃走しようとした容疑者と銃撃戦になり1人は死亡し、もう1人は逃走しました。2人はチェチェン人の兄弟で、射殺されたのは26歳の兄、逃走中は19歳の弟とのことです。いずれは捕まるのでしょうが、容疑者たちはどういう目的でこのような無差別破壊行為をしたのでしょうか。彼らの暗い心の中には社会への深い嫌悪や恨みがあったのでしょうか。爆発物は圧力鍋を利用した簡単なもので、今後模倣犯が出ないようにと願います。 

 マーチン君のあどけない写真を見ると、リチャード家の深い悲しみが想像され涙を催します。マーチン君の父親のビルさんは「私たちの家族のために祈り続けてください」と呼びかけたそうですが、マーチン君を含めた3人の犠牲者の冥福を心から祈りたいと思います。

                           

                 

 

 

 

 


ラクダを食べる。

2013-04-17 07:47:27 | 海外あれこれ

 『毎日』紙の夕刊一面の最下段の「海外こぼれ話」という欄に、近頃こんな記事がありました。「お礼の気持ち」という題です。 

 西アフリカ・マリでイスラム過激派との紛争に軍事介入したフランスのオランド大統領に、お礼のラクダを再度贈ることになった。

 大統領は2月、マリの古都トンブクトゥを訪れた際にラクダを1頭贈られ上機嫌だったが、託した家族に食べられてしまったことが判明。現地の当局者は「より大きく見栄えの良いラクダをパリまで届ける」と話している。【ロイター共同】

  何となくユーモラスな話ですが、ここではラクダが食べられていることが分かります。中国の西の新疆ウイグル地区や中近東のラクダが飼われている地域では、ラクダが食用にされるということは聞いていました。ラクダの丸焼きもあるそうで豪勢なこととは思いますが、私たち日本人には牛や豚と違ってラクダは食用になるとはどうも思われません。 

 私は一度ラクダを食べたことがあります。私は中国の貧困地区の農村部の子ども達に学費を援助する会に入っていますが、その会で古都西安がある陝西省の西に隣接する寧夏回族自治区を訪れ、帰国する際に区都の銀川で接待を受けたことがありますが、その時の料理にラクダが出ました。もっともステーキのようなものではなく、足の裏の肉を煮込んだもので、とても軟らかくてなかなかおいしいものでした。中国では随分いろいろなもの、イヌやトカゲ、ヤモリ、ヘビ、カエルなどを食べたことはありましたが、ラクダは後にも先にもこの時だけでした。

   

   

 

 

 

 

 

 

 

 


市長選の結果

2013-04-16 08:13:41 | 身辺雑記

 維新の会の兵庫進出の拠点とされた宝塚市と伊丹市の市長選挙は、両市とも現職が維新の会の候補を抑え、維新の会は惨敗しました。市長選だけではなく市会議員の補欠選挙も行われましが、両市とも維新の会の候補者は落選しました。 

 この選挙は維新の会、と言うよりも橋下大阪市長が執念を燃やしたらしく、伊丹市では大量のビラなどの物量作戦だったそうで、当選した現市長は「橋下市長と戦っているようなものだった」と言っています。維新の会は両市で橋下市長など「大物」が街頭演説したのですが、人は集めたものの結果は出ませんでした。伊丹市長は、「維新の候補が橋下さんを前面に押し出して戦ったことで、『伊丹は大阪のものではない』という主張がしやすくなった」と言っていますし、宝塚市長は「橋下氏が『僕は宝塚市民になりたくない』と言ったと聞き、怒りでいっぱいだった」と述べています。維新の陣営でも「政策を聞いてもらえない」「維新と言うと嫌な顔をされる」という声があるようです。橋下市長は「維新にノーをつきつけられた。重く受け止めなければならない。実力不足がそのまま出た結果だ」と言ったということですが、維新の会として実力不足というのか、両市の候補者の実力が不足だったというのかよく分かりません。ある有権者の知人は「お灸をすえられたのですね」と言っていました。

  ともあれ宝塚市民、兵庫県民としては、わが市が維新の「領土拡張」の橋頭保に組み入れられなかったことに一安心しましたが、7月の兵庫県知事選では維新の会は候補者を立てるようです。

 


地震

2013-04-14 07:52:41 | 身辺雑記

 昨日の朝早く地震がありました。私はちょうど夢か現かという状態だったのですぐに目が覚めました。私は地震に対しては少し鈍感な方なので、久しぶりのことだなと思い、少し揺れが長く続いたので、どこか遠くで大きな地震があったのかと思った程度でした。目覚まし時計を見ると5時半頃でした。それからしばらく眠り、起きてからインタネットを見ると震源地は淡路島で、深度は6ということでちょっと驚きました。淡路島と言うと18年前の阪神大震災と震源地は同じです。 

 18年前(1995年1月17日)の大地震は、あれからもうそんなに歳月がたったのかとは思いますが今も忘れられません。あの日私は2階の私の部屋のベッドで寝ていましたが、下から突き上げるような揺れとゴーッという音で目が覚めました。足元の台の上に前の夜に妻が花を生けてくれた花瓶が置いてありましたが、それが脚に飛んできてびしょ濡れになっていました。1月半ばの朝でしたからまだ暗く、手探りで下に降りていきましたら、寝ている妻の上には本棚が倒れ、妻は悲鳴を上げていました。幸い本棚は軽いものでしたから妻は無事でした。当時私は、定年退職後に知的障害者福祉の仕事をしていて事務所は神戸市にありましたので、その後交通機関が一部復旧して大きく迂回して通勤しましたが、神戸市内の惨状は筆舌に尽くせないものでした。 

 それに比べると今度の地震は怪我人や家屋の損傷はありましたが、幸い死者はありませんでした。それでも震源地の淡路やそこに近い所では、18年前の地震の再来かと思って恐怖した人も多かったでしょう。 

 専門家によるとこの地震を、近い将来発生が想定されている南海トラフを震源とする大地震の前兆としたり、阪神大震災の余震とする見方があるようですが、前者の見方が合っているならば気味の悪いことです。気象庁では「さまざまな学説はあるが、前兆的な発生とは今のところ考えていない」と言っていますし、大阪気象台も「すぐに警戒を呼び掛けたりするものではない」と言っていますが、実際問題として常に注意を怠ることは難しいものでしょう。そういうところに大地震の怖さがあります。