西安の李真の友人の謝俊麗が、メールで次のような手記を送ってくれた。少し長いので適当に整理した。
中国迷爺爺の「善意」を読んで、私も同じようなことを経験したことを思い出しました。
2005年の11月、3連休を利用して水俣に住んでいる大学時代の先生を訪ね た。来日してから初めての新幹線に一人で乗るし、住んでいる東大和市から目的地までは5回乗り換えなければならないので少し心配だった。あらかじめインタネットで調べたり、友人にも電話して確認したりして準備した。
家を出て東京駅に着くまでは不安だったが、いったん新幹線に乗ったら落ち着いた。好奇心で眠れないだろうと思っていたが、意外によく眠った。新八代までは順調だった。博多から新八代までの新幹線では親子連れの人に席を交換してあげた。そばのお婆ちゃんは私より不安そうに、何回もチケットを見て確認しているようだったが、しばらくすると、「すみません」と声をかけてきた。お婆ちゃんの目的地も新水俣で、もう何年ぶりなので、いま乗っている新幹線は正しいかどうか、次の乗り換えも心配のようだった。外国人の私は本の知識しかなかったが、説明して安心させてあげた。日本で日本人に説明するなんて、私にとっては嬉しいことで、自信も戻って、ほっとした。
しかし、「楽しみ極まれば悲しみ生ずる」。新八代で降りたら、すぐ向こうに新幹線が停車していた。まだ時間があるのにと思ったが、お婆ちゃんが乗ったので、中国ではよくあることで、多分早めに着いたのだろうと思いながら乗った。指定された座席に座ると、チケットを持って私の席に来た女の人があった。座っている私を見たら、不思議そうな顔をして自分のチケットを見た。それで私も自分のチケットを見たが、確かにチケットに書いてある席に座っていることを確認したのでその人に見せた。この人も「あれっ」と言いながら2枚のチケットを見比べた。その時急に新八代では降りてから30分後の新幹線に乗るようにと先生から聞いたことを思い出した。私が間違えました!すみませんと言って慌てて降りようとしたら、列車はもう動き出した。絶望!!もうどうしようもないので私はその人にどうしたらいいかと聞いた。「車掌さんに聞いた方がいいよ」と教えてもらって、空いている席に座って車掌さんを待っていた。きっと先生はいま駅で待っているでしょう、携帯がない先生にどうやって連絡できるか、頭の中ではいろいろ考えが混乱していた。例のお婆ちゃんは多分この場面を見たので、自分も間違えたと気が付いたようだった。すぐ私のそばに移動して、どうしよう、どうしようと言った。すると、隣の1人の女の人は自分の鞄から本を出して何か調べ初めた。そして「次の駅で降りて、30分ぐらいすると新水俣行きの新幹線があるようだ」と教えてくれた。話してみると、九州に住んでいる人で私が外国人であることを分ってくれた。
やがて車掌さんが来ると、その女性は私の代わりに事情を説明してくれ、それを聞いた車掌さんは早速自分の案内書を調べて、乗り換えの時間と場所を教えてくれた。それに、間違えて乗り換えたという証明書も書いてくれたし、女性の車掌さんに私を世話するように言ってくれた。この間、前の新幹線で席を交換してあげた家族や、隣の女の人もいろいろ慰めてくれた。隣の女の人は自分の名前と携帯番号も書いて、また何かあったら電話くださいとおっしゃった。私はとてもとても感動した。そして皆に教えていただいた通りにお婆ちゃんを連れて順調に目的地に着いた。待っておられた先生に、間違えて乗り換えたことと、優しい皆さんのことを話した。ずっと心配して待っていてくださった先生も感動されたようだった。
あれからもう一年以上経ったけれど、今でもあの時の場面を映画を見ているように思い出す。日本に来る前に、日本での犯罪はほとんど外国人、特に中国人だとよくニュースで聞いていたので、きっと日本人は中国人に悪い印象を持っているから冷たいだろうと思い込んでしまっていた。まさか日本でこんな優しい人たちに会えると思わなかった。もしチャンスあれば、もう一度彼女らに会いたい、もう一度ありがとうございますと言いたい。ただ、残念なことは親切にしてくださった女の方からいただいたメモをなくしてしまったので、無事着いたことを伝えてお礼が言えなかったことだ。中国人は親切にしてもらっても後は知らぬ顔と思われていないかと心配している。
中国迷爺爺の「善意」を読んで、私も同じようなことを経験したことを思い出しました。
2005年の11月、3連休を利用して水俣に住んでいる大学時代の先生を訪ね た。来日してから初めての新幹線に一人で乗るし、住んでいる東大和市から目的地までは5回乗り換えなければならないので少し心配だった。あらかじめインタネットで調べたり、友人にも電話して確認したりして準備した。
家を出て東京駅に着くまでは不安だったが、いったん新幹線に乗ったら落ち着いた。好奇心で眠れないだろうと思っていたが、意外によく眠った。新八代までは順調だった。博多から新八代までの新幹線では親子連れの人に席を交換してあげた。そばのお婆ちゃんは私より不安そうに、何回もチケットを見て確認しているようだったが、しばらくすると、「すみません」と声をかけてきた。お婆ちゃんの目的地も新水俣で、もう何年ぶりなので、いま乗っている新幹線は正しいかどうか、次の乗り換えも心配のようだった。外国人の私は本の知識しかなかったが、説明して安心させてあげた。日本で日本人に説明するなんて、私にとっては嬉しいことで、自信も戻って、ほっとした。
しかし、「楽しみ極まれば悲しみ生ずる」。新八代で降りたら、すぐ向こうに新幹線が停車していた。まだ時間があるのにと思ったが、お婆ちゃんが乗ったので、中国ではよくあることで、多分早めに着いたのだろうと思いながら乗った。指定された座席に座ると、チケットを持って私の席に来た女の人があった。座っている私を見たら、不思議そうな顔をして自分のチケットを見た。それで私も自分のチケットを見たが、確かにチケットに書いてある席に座っていることを確認したのでその人に見せた。この人も「あれっ」と言いながら2枚のチケットを見比べた。その時急に新八代では降りてから30分後の新幹線に乗るようにと先生から聞いたことを思い出した。私が間違えました!すみませんと言って慌てて降りようとしたら、列車はもう動き出した。絶望!!もうどうしようもないので私はその人にどうしたらいいかと聞いた。「車掌さんに聞いた方がいいよ」と教えてもらって、空いている席に座って車掌さんを待っていた。きっと先生はいま駅で待っているでしょう、携帯がない先生にどうやって連絡できるか、頭の中ではいろいろ考えが混乱していた。例のお婆ちゃんは多分この場面を見たので、自分も間違えたと気が付いたようだった。すぐ私のそばに移動して、どうしよう、どうしようと言った。すると、隣の1人の女の人は自分の鞄から本を出して何か調べ初めた。そして「次の駅で降りて、30分ぐらいすると新水俣行きの新幹線があるようだ」と教えてくれた。話してみると、九州に住んでいる人で私が外国人であることを分ってくれた。
やがて車掌さんが来ると、その女性は私の代わりに事情を説明してくれ、それを聞いた車掌さんは早速自分の案内書を調べて、乗り換えの時間と場所を教えてくれた。それに、間違えて乗り換えたという証明書も書いてくれたし、女性の車掌さんに私を世話するように言ってくれた。この間、前の新幹線で席を交換してあげた家族や、隣の女の人もいろいろ慰めてくれた。隣の女の人は自分の名前と携帯番号も書いて、また何かあったら電話くださいとおっしゃった。私はとてもとても感動した。そして皆に教えていただいた通りにお婆ちゃんを連れて順調に目的地に着いた。待っておられた先生に、間違えて乗り換えたことと、優しい皆さんのことを話した。ずっと心配して待っていてくださった先生も感動されたようだった。
あれからもう一年以上経ったけれど、今でもあの時の場面を映画を見ているように思い出す。日本に来る前に、日本での犯罪はほとんど外国人、特に中国人だとよくニュースで聞いていたので、きっと日本人は中国人に悪い印象を持っているから冷たいだろうと思い込んでしまっていた。まさか日本でこんな優しい人たちに会えると思わなかった。もしチャンスあれば、もう一度彼女らに会いたい、もう一度ありがとうございますと言いたい。ただ、残念なことは親切にしてくださった女の方からいただいたメモをなくしてしまったので、無事着いたことを伝えてお礼が言えなかったことだ。中国人は親切にしてもらっても後は知らぬ顔と思われていないかと心配している。