中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

幼い子どもの虐待死

2010-01-31 11:28:23 | 身辺雑記
 7歳の長男に殴るけるの暴行を加えて死亡させたとして、東京の31歳の電気工の男と22歳の妻が逮捕された。

 彼らは先日の夜、小一時間にわたって7歳になる小学1年生の長男を正座させた状態で顔を平手で殴ったり、太ももを蹴ったりするなどしたと言う。暴行後男の子はぐったりしたので妻が119番通報し病院に搬送したが死亡した。2人は容疑を認め、「普段から食べるのが遅く、きちんと食べるようしつけをしていた。今回もしつけの一環でやった」と話しているようだ。

 これまでにも「しつけ」と称して子どもに暴行を加えて、時には死に至らせる事件は少なくなかった。ほとんどは若い夫婦で、それに被害者の子どもが女性の連れ子であることがよくあった。この事件も妻の連れ子だった。22歳で7歳の子どもというのは、まだ10代半ばで産んだ子どもだろうが、母親としてだけでなく人間としてまったく未熟だったのではないだろうか。

 私は幼い子ども達が大好きだ。街で子ども達に出会うとその無邪気な顔や仕草につい顔がほころんでしまう。それだけに、新聞で子どもの死を伝える記事を読むと、他人事のような気がせずに痛ましい思いにとらわれて、いつも「かわいそうに」と呟いてしまう。ましてや事故死の場合はなおさらだ。だからそれが親による暴行の挙句の死の場合には、その親に対して激しい怒りを覚え、憎悪さえ感じてしまう。

 これまでにも類似の事件の場合に、親が「しつけのためにやった」と言ったことがよくある。これを聞くとなおさら怒りが増幅されてしまう。こういう自制心のない品性の低い親こそが、幼い頃から成長期にかけてしつけらしいことは何も受けてこなかったのではないだろうか。今回の事件も、男の子の食べるのが遅いからというのを理由にしているが、しょせんはそれに対して苛立ちと怒りを覚えた結果であろうし、「しつけ」などとはおこがましいにも程がある。顔を平手で殴ったと言うが、よほど強く執拗に叩いたのだろうし、太ももを蹴ったというが、多分腹も蹴り内臓に障害を与えたのではないか。いずれにしてもこのような人間は重く罰するべきだと思う。

 この事件のように子どもが女性の連れ子である場合にいつも思うのだが、血を分けていない男が暴行を加えるのを、腹を痛めた母親として子どもをかばうことをしないで、しばしば一緒になって暴行を加えることがあるのはどうしたことなのか。「母親」としての女性が、男との関係でただの「女」になるとこういうことが起こるということを聞いたことがあるが、母性というものはそのように脆いものなのだろうか。


 




閣僚の不規則発言

2010-01-30 11:07:53 | 身辺雑記
 亀井金融・郵政改革担当大臣は、参衆議院予算委員会で答弁中ヤジを飛ばした自民党議員に対して「うるさい!」と発言し、自民党がこれに抗議して、翌日の予算委員会の開会がおよそ1時間遅れた。

 2009年度2次補正予算案の審議では与野党の応酬に閣僚も加わってヤジを飛ばすので、自民党が「品位を欠く」と猛反発した。このため臨時の閣僚懇談会が開かれ、官房長官が28日、閣僚全員に自制を促す事態となった。

 衆参両院の補正予算審議では、閣僚の不適切な言動が目立っていると言う。野党の質問に「大臣をバカにするな」と怒鳴ったり、「(経営破綻した日本航空を)危機のたびに救ってきたのは誰か」との質問に、問われていない人が「自民党」と叫んだりすることもあったようだ。 これに業を煮やした自民党は、衆院議院運営委員会で「閣僚の不規則発言が目に余る」と抗議し、亀井大臣と菅副総理、福島消費者担当相を名指しで批判したようだ。この3人はとくに目立ったらしく、こんなところでもきっちり連立ぶりを発揮しているようだ。

 ところが当の亀井大臣はどこ吹く風とばかり、相変わらずの人を食ったような態度だ。記者会見の様子をインタネットの動画ニュースで見たが、「うるさいからうるさいと言っただけの話だ」とまったく頓着していない。ある記者が「野党は大臣は品位がないと言っていますが、大臣は品位がないとは少しも思っていないのですか」と質問すると、「あんたはどう思うんだよ」と逆質問し、記者が「それはともかくとして・・」と言い淀むと、おっ被せるように「あんたはどう思うんだよ。それを聞いてるんだよ。あんたと俺とどっちが品位があるんだよ。俺も品位がないかもしれないけどね」と言った。威圧するようなものではなく薄笑いを浮かべての発言だが、まことに不愉快な態度で、いかにも品位がないことを証明しているようなものだった。だいたい質問されてそれには答えず「あんたはどう思う?」のように逆質問するのは傲慢か、自信がない人物、いずれにしても小者のすることだ。

 それにしても閣僚達のヤジ(不規則発言)を品位がないと自民党は問題にしているが、ヤジいうものは閣僚から出ると品位がなく、一般の議員が発するのは議場を活性化させる正当な言論活動とでも言うのだろうか。私には国会での与野党のヤジ合戦は品位のない罵り合いのようにしか思えない。ヤジがすべて悪いとは言わない。発言者の発言の合間に寸鉄人を刺すような辛辣なヤジを投げ入れたり、ユーモアのあるヤジを飛ばしたりのようなものなら気持ちがいいが、今の国会議員達にそれを望むのは無駄なことかも知れない。いずれにしても、発言も聴かずに騒然とした雰囲気の中で喚き散らすようなものは、単なる雑言だ。

 答弁の最中に執拗にヤジを飛ばされては腹も立ち、「うるさい!」と言いたくなる気持ちは分かるが、そこは小人相手にせずの余裕があるべきだろう。このような亀井大臣の言動を気骨があるとか言って持ち上げることはするべきではない。


閉じこもり予防

2010-01-29 10:29:07 | 身辺雑記
 市の財団法人の保健福祉サービス公社の地域包括支援センターというところから男性の訪問があり、「高齢者閉じこもり予防推進員」という名刺を差し出した。社会福祉士とあった。

 名称はあまり良くないのですがと前置きして訪問の趣旨の説明をしたが、要するに地域に居住する高齢者を訪問してその動静を尋ね、必要があれば援助のアドバイスをする役目のようで、「お一人で不便ではありませんか」とか「家事はどうなさっておられますか」、「外に出られることはありますか」などと問われるままに私の状況を話した。穏やかな人物で、これなら老人も安心して話すだろうと思った。

 私の周辺には独居老人が私の他に5人いるが、私以外は皆女性だ。1人は少々行動に覚束ないところがあったのか、最近施設に入所したようだが、他は皆元気だ。とりわけ道路を隔てた前の家のおばあさんは、80代前半だが、足腰はおそらく私よりもしっかりしていて、家の前に見事な鉢植えの野菜を作るのが趣味で、時々おすそ分けにあずかる。もう1人80代の女性がいるが、この人もいたって達者なおしゃべり好きで、毎日買い物に出ていて道でよく出会い挨拶を交わす。高齢者ではないが、近所のご婦人方はなかなか活発で、私は親しくしている。1人、特に旅行中などに世話になっている60代の婦人がいるが、日常いろいろと気を遣ってくれるのが有り難い

 妻が元気だった頃から近所のご婦人たちとは努めて親しく接するようにしていたが、今になってそうしておいてよかったと思う。男性は得てして近所づきあいが苦手で、挨拶もしない、できないというのが少なくないようだが、私のように思いも寄らず独居生活をしなければならなくなることもあり得るのだから、元気なうちはせいぜいご近所づきあいを心がけておいたほうがいい。推進員が帰った後、今の生活はかなりだらしないが。今のところ閉じこもりにはほど遠いようだからいいのではないかと思った。




女性差別漢字?

2010-01-28 10:33:51 | 中国のこと
 女偏の漢字は手元にある中国語辞典を見るとざっと130字余りある。大きな漢和辞典などではもっと多いだろう。女偏だから女性に関したものはもちろん多いが、中には『委』『要』『妥』『始』などは私の貧弱な知識では、なぜ女偏なのか分からない。

 このほど中国のある弁護士が16の女偏の漢字、たとえば『妖』『嫌』『奴』などは女性差別の意味があるので改めて、行人偏にするべきだと政府に求めたと言う。この弁護士はフェミニストとして知られている人物らしく、メディアの取材に対して「私たちが今日使っている漢字には、男性優位の封建社会の名残りがあり、マイナスイメージを持つ女偏の漢字が多く、女性の社会的評価を下げている」と言い、1例として『嫉妬』を挙げて「男女共通の感情なのに、女偏をつけるのは女性に対し不公平だ」と指摘したそうだ。「娯楽」の『娯』も、女性が男性を楽しませるという意味が込められており、学校で子どもに教えると、男尊女卑の意識を助長する恐れがあるとも言ったそうだ。

 そう言われてみるとそのようにも思えるが、この提案が国家言語文字委員会に対してインタネット上で提案されると、さすがは漢字の国、大きな話題になって賛否両論が寄せられたようだが、反対意見が圧倒的に多いという。例えば、「『好』『妙』『嬌』などプラスイメージの女偏の漢字も多く、それなりにバランスがとれており、変える必要はない」とか、「男という字は『田』に『力』と書く。男性だけが田んぼで力仕事をしなければならないということになり、漢字は別に男性優位にはなっていない」とか言う意見が殺到しているそうでなかなか面白く、もっと知りたいと思い、亡くなった漢文学者で古代漢字学者の白川静先生ならどう言われるだろうかとも考えた。

 北京師範大学の女性教授で漢字学者の王寧氏は「漢字は伝統文化が積み重ねられる中で形成されており、それ自身は差別の意味はなく符号に過ぎない。このように言葉狩りをするなら、現代社会に合わない古代の人々の意識や社会制度を反映する漢字を全部変えなければならないので、きりがない」とコメントしたそうだがもっともだと思った。日本でもかつて差別問題が議論される中で、古くから使われてきた言葉が「差別語」と指摘され、マスコミなどでは過剰なほどの自己規制も行われ、一部では「言葉狩り」という批判もあった。私もかつて教育委員会にいた頃、ある女性市会議員と話をしている時に「それは片手落ちですね」と言ったら「それは差別語よ」と言われたことがあった。「片手が落ちている」すなわち身体障害者に対する差別語ということらしかったが、それでは「手落ち」もいけないのかと、いまだに釈然としていない。

 それはともかくとして、弁護士の提案に従って、試みに『妖』『嫌』『奴』『嫉妬』などの女偏を行人偏に置き換えて書いてみたが、見慣れないせいもあって字形の座りも悪く、どうにも違和感が強かった。長い歴史の中での文化的産物をあまり弄り回すのはどうかと、私も反対論に傾いた。


「美人すぎる」

2010-01-27 11:05:41 | 身辺雑記
 自民党大会が開かれたという記事を見ると、総裁よりも注目されたのは、アピール文を読み上げた、週刊誌などで「美人すぎる」と騒がれたらしい青森県八戸市の市会議員と、開会宣言をしたり青年代表として発言したりした、元首相自ら「親バカですが」と言って衆議院選に出して当選させた、世襲4代目の息子の議員だったようだ。

 「美人すぎる市議」については、私のパソコンを開くとチャットで使っているWindows Live Messengersに付随して画面に現れるMSNというS新聞社が担当しているニュース欄で、一時しきりに取り上げていたので記憶はあった。私がとっている新聞では見た記憶がないのだが、S新聞社はよほどこの市議がお気に召したようで、何度も取り上げ、世界の美人政治家投票でトップになったことまで仰々しく記事にしていた。どうやら週刊誌に乗っかっていたらしい。写真を見ると確かに美人と言われる範疇には入るようだが、私にとってはどうでもいいことだった。第一、政治家の容姿を騒ぎ立てること自体が理解できなかったし、またぞろ週刊誌あたりが造りだしたらしい「美人すぎる」という言葉も嫌いだった。この「美人すぎる」はこのMSNでは、他にも「可愛すぎる歌手姉妹」などというのが紹介されていたので、どうやらこの「すぎる」は最近はよく使われるらしいが、「とても」くらいの意味なのだろう。

 ところで自民党はこの市議を参議院選挙の比例区へ擁立するらしいとのことだ。29歳と若く、地方都市の政治家としてどれほどの実績があるのかは定かではないが、わざわざ党大会で壇上に立たせるくらいだから、保守政治家で党員なのだろう。少し週刊誌に「美人すぎる」と騒がれただけで、すぐに国会議員の候補者として白羽の矢を立てようとするのは、与党時代に有名スポーツ選手など著名人を多く擁立したこの党らしい。政治や党の運営は長老たち古参者が取り仕切り、この議員たちは採決の時に挙手をすればいいということなのだろう。しかし新聞記事によると、参議院選の候補者選びは辞退者が続出して難航しているようだし、与党時代には業界、官界、芸能界から希望者が殺到したのに、今回はさっぱりだと言う。栄枯盛衰は世の習いとは言うがこの党も例外ではないようだ。「美人すぎる市議」や世襲4代目の新人の人気を当てにしているようでは、党勢回復も覚束ないのではないか。


トン族の建築物(2)

2010-01-26 09:20:43 | 中国のこと
 トン族は客を大切にする習わしがあると言われている。礼儀正しく老人を敬い幼児を大切にし、人を助けることが好きで、公共事業を重視するのが伝統的な習俗と美徳とされている。誰でも歌うことができるのを誇りとしていて、トン族の住む地域は「詩歌の大海原」と言われているそうだ。

 黎平県肇興村で歌うトン族の男女。




 鼓楼とともにもう1つトン族の優れた建築技術を示している伝統的建造物に風雨橋がある。これは川に架けた橋の上に屋根つきの廊下(回廊)や楼閣を乗せた構造になっていて、鼓楼と同じく設計図はなく、釘もまったく使われていない。

 黎平県地坪(ティピン)風雨橋。


 清の光绪八年(1882年)建てられた。長さ57.61 幅5.2ートル。2001年6月25日に国クラス文物保護単位に指定された。私が訪れたのは2004年の5月だったが、その直後の7月20日に3日間続いた大雨で大洪水が発生し、この橋は流失した。しかし、その後2006年2月に修復工事が始まり、2007年6月19日に竣工したようだ。おそらく流失した橋材を回収したのだろう。あの優美な姿が戻ったのは喜ばしいことだ。



 この風雨橋は、本来の橋としての機能だけでなく、回廊の両側にはベンチが備え付けてあって、若い男女の語らいの場にもなっていると言う。いわば付近の村々の青年男女の文化娯楽や社交活動の場にもなっている。

 程陽(チェンヤン)永済橋。




 三江トン族自治県の県城(県都)の北20キロの程陽村にある。1916年に建造されたもので長さは76、幅3.4、高さ10.6メートルある。橋の上には五層の楼閣が建ててあり、全体としては1本の長廊式の歩道橋になっている。歩道の両側には長椅子が設けられて通行人が雨を避けたり休憩できるようになっている。この橋も釘は使われていないで、大木を使ってホゾでつなぎ合わせている。全国重点文化財保護単位に指定されている。中国最大の風雨橋と言うだけあって優美で雄大だが、橋の長廊の両側は地元の婦人達の観光客目当てのみやげ物売り場になっていたのには少々興醒めした。


 肇興(ジャオシン)村(前出)の風雨橋。規模は小さいが、古色があり風格がある。


 黎平県腊水(ラァシュイ)村(前出)の鼓楼のそばにある小さな風雨橋。比較的新しいもののようだった。




 

トン族の建造物

2010-01-25 10:50:35 | 中国のこと
 中国の少数民族のトン族(侗)は人口約251万人、貴州省や広西チュワン(壮)族自治区、湖南省などに居住しているが、貴州省には最も多くトン族全人口の過半数の140万人が住む。2005年に貴州省の黔東南ミャオ族トン族自治州(黔は貴州の略称)のミャオ族の祭を見に行ったときに トン族の村もいくつか訪れた。

 トン族は建築技術にきわめて優れていて、その建造物は有名である。そのうちの鼓楼はトン族の村のシンボルとも言うべきもので、この宝塔形の塔は村の建物の中でもひときわ高く、これが望見されるとトン族の集落(侗寨)ということがすぐ分かる。集落によって形には変化がある。
 
 
 一夜宿泊した黎平(リイピン)県肇興(ジャオシン)村はトン族の大きな村で、ここには鼓楼が5つあり、それぞれ、仁・義・礼・智・信を表しているとのことだ。基本的には同じような形状だが、大きさやデザインが違っている。

 仁の鼓楼。鼓楼の第一層は正方形だが、それから上の各層は多角形でひさし(飛檐)がある。設計図もなく伝承と経験に従って村民たちが建造するようで、釘はまったく使われていない。頂楼には太鼓が1つあり、事があるとこれを打って村人を集め、協議したと言われるが、現在はどうしているか分からない。村の慶事や祭などでは、ここが娯楽センターになると言う。


義の鼓楼


礼の鼓楼


智の鼓楼


信の鼓楼


 黎平県腊水(ラァシュイ)村の鼓楼。第一層は壁で囲まれ集会室のようになっている。入り口には立派な龍の彫り物がある。


 三江(サンジャン)トン族自治県馬安寨(マアンツァイ)の鼓楼。各層はすべて方形で、第一層はホールになっている。


若者言葉

2010-01-24 11:03:01 | 身辺雑記
 パソコンの画面に小さな四角の枠で囲んだ広告があった。コミックでよく描かれているような目の極端に大きい年齢不詳の女の子の絵があって、そこに「今って時間あったりしますか」と、何ともイラつくような気色の悪いフレーズが付いている。それをクリックすると無料のインタネットゲームに入るのだが、興味はないのでそれ以上は進まなかった。

 この「今って時間あったりしますか」という言い方はおそらくは若い女の子が使うもので、「今、時間はありますか」という程度のことだろう。それを「今って」とか「時間あったり」と言うから感じが悪い。若者の間ではこのような言い方がされているのだろうか。よく若者言葉が話題になるが、私の近辺では、たとえば電車の中などではあまり耳にしたことがない。関西は関東とは違うのかも知れないが、それでも学校や街中では使われているのだろう。

 いわゆる若者言葉は調べてみると実に多くあり、消長も激しいようだが、中には「マジ」、「・・・的」、「微妙」、「・・・な人(たとえば、私はお酒を飲めない人ですから)」などのように若者以外にも使われているものもあるようだ。「チョウ(超)」などは西安の袁毅が「チョウおいしい」と言ったのでおかしかった。「うそ!」「うっそう!」などと「本当?」という意味ではもう普通に使われているようだ。

 若者言葉は30代を境にして使われなくなる傾向があるそうだ。それは新しく出てきた言葉、たとえば「ウザい」、「キモい・キショい」、「ヤバい」などは使わなくなるほうが多いと言う。このうちの「ヤバい」は本来は「危ない」という意味だったが、若者言葉では、予想外のことを体験してしまい、その衝撃でどうにかなってしまいそうなほど凄いという意味で、たとえばレストランなどで頼んだものを一口食べた途端に「やばい」と使うようだ。どうも分かりにくいが、まあ30も過ぎたいい大人がこのような言葉を使うのは、本人がいつまでも自分は若いのだということをひけらかしているようで、みっともないと思う。

 私が嫌いなのは「・・的」という使い方だ。いつかNHKのテレビの番組で美人の30代の女優が「わたし的には・・・」と言ったので、この女優はかなり賢そうだと思っていたのにがっかりして、なぜ「わたしとしては」と言わないのかと思ったことがある。テレビと言えばある損保会社のCMに、ティアラをつけた若い女の子に知り合いらしい女性が、のっけから「てゆうか、それ何?」と言うのがあり、奇妙に思ったことあった。この「てゆうか」もよく使われるようで、これは「と言うか」が崩れたもので、本来は接続詞的なものだが、注意喚起の意味合いで最初に言ったり、「なんか」のように言葉に詰まった際のつなぎとして使われるとのことだ。ぶっきらぼうには「つーかさぁ〜」と言うらしいが、こうなると外国語のようだ。

 言葉は絶えず変化するもので、若者言葉だからと言っても若者以外にも広がることはあるし、特にテレビなどで使われると影響は大きい。しかし本来はスラング的な言葉が広がることはあまり感心したことではない。スラングのようなものがいつしか普通に使われるようになることもあるようだから、あまり目に角を立てることでもないかも知れないが、基本的には正しい言葉遣いをすることを心がけることは、自戒もこめて大切だと思う。


腐敗認識指数

2010-01-23 10:53:41 | 身辺雑記
 こういうものがあることを初めて知った。きっかけはインタネットで、韓国の政治腐敗はかなりのもので腐敗認識指数は世界で39位という記事がたまたま目に止まったことだ。

 腐敗認識指数とはWikipediaによると、

 「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)が、1995年以来毎年公開しているもので、公務員と政治家がどの程度腐敗していると認識されるか、その度合を国際比較し、国別にランキングしたものである。 2009年の調査では、180カ国を対象とし、10の機関が調査した13種類のアンケート調査の報告書を統計処理して作成されている。指数は、最も清潔な状態を意味する10から、最も腐敗していることを示す0までの範囲で採点されており、7割の国が5未満で、開発途上国では9割以上の国が5未満となっている」

 というもので、09年度の180カ国のランキング表を見るとなかなか興味深い。やはり気になるのは日本だが、これはイギリスと並んで7.7で17位、まあまあというところか。最も指数が高いのはニュージーランドの9.4で、以下10位までは、デンマーク、シンガポール、スウェーデン、スイス、フィンランド、オランダ、オーストラリア、カナダ、アイスランドとなっている。アイスランドの指数は8.7だ。

 ワースト5は、イラクの1.5以下スーダン、ミャンマー、アフガニスタンと続き、最下位はソマリアの1.1となっている。最初に挙げた韓国は5.5で辛うじて5を上回っている。役人の汚職がよくニュースになり、地方高官が死刑になったりすることもある中国は3.6の79位とかなり悪い。経済力では日本を追い抜くと言われている中国も、公務員や政治家の腐敗ということでは発展途上国ということか。最近のニュースでは過去30年間に不正蓄財して海外に逃亡した公務員は4000人にも達し、1人当たりの持ち出し資産は13億6千万円にもなっていると言う、中国が真の大国として認められるには、賄賂や汚職が横行するような風潮を改めることに真剣に取り組まなければならないだろう。大国と言えばロシアはもっとひどく、2.2の146位で、いかにソ連崩壊後の官のモラルが低下したかが想像できる。米国は日本とイギリスに次いで7.5の19位にランクされている。少し意外だったのはベトナムの120位(2.7)で、清潔無私な政治家だったホーチミンに率いられて貧困から立ち上がったこの国も、経済的に発展するにしたがって建国の精神が失われて役人の腐敗が進んだのだろうか。

 公務員と政治家にはどの国でも腐敗は付き物なのだろうし、日本でも政治家にまつわるカネの問題は絶えず取り沙汰されている。古いタイプの政治家ほど何かいかがわしい感じが付きまとう。公務員も誘惑が多いらしい。役職を利用して収賄するのは薄汚い行為だが跡を絶たないようだ。私は教育委員会の事務局にいた頃に、学校出入りの制服納入業者で、新聞で疑惑が報じられたのがあったが、その業者を呼んで事情聴取した後で食事に誘われたことがあり、「何であんたに食事をおごられなければならないのだ」と厳しく言ったことがある。どんな些細なようなことでも蟻の一穴だ。公務員は常に身辺に注意しなければならない。



「40人学級」見直し

2010-01-22 10:16:17 | 身辺雑記
 公立小中学校の1学級あたりの標準的な児童生徒数は、国の基準で「40人」とされているが、これが人数を減らす方向で改定することになったようだ。文部科学省の政務三役が決めた方針と言う。来年の通常国会で法律を改正して、2011年度から数年かけて完全実施することを想定しているそうだ。

 ところで、この新聞記事を見てちょっと驚いたのは、この国の基準の見直しは、1980年度に45人から40人に減って以来で30年ぶりとあったことだ。40人学級になって以来もうそんなにたったのかと思ったからだ。私は高校に勤務していたから、高校は直接には国の基準には縛られないが、それでも中学校で学級人数が減ると高校でも同じようになっていく。45人から40人になった時にはずいぶん減ったものだと思ったものだ。

 私が始めて勤務した50年ほど前の1958年当時は、高校では1学級は50人以上だった。それ以後生徒たちの体格も大きくなってきたこともあって、50人になったが、僅か数人減っただけで、学籍簿の記載やテストの採点、通知表の作成などの手間がずいぶん減ったと思ったりした。

 私が小学校に入学した頃の学級の児童数は55人で、私の出席簿の番号は53番だった。あの頃の担任はさぞ大変だったのではないだろうかと思いもするが、それで普通だったのかも知れない。中国の農村部の中学校の授業を見たことがあるが、クラスの生徒数は60人かそれ以上で、40人学級を見慣れた目には非常に多いように見えた。あれでは理科などの実習を伴う教科はどうなるのかと思ったが、実験、実習などはないのかも知れない。

 40人から減らされると言うと35人と言うことになるのだろうが、国の基準は必ず守らなければならないものでなく、国の基準人数を下回る編成は各都道府県が独自に編成でき、現に小学校では35人以下の学級編成をしているのが10県ほどあるそうだ。

 学級人数を減らすのは、少人数編成でより決めの細かい指導ができるようにするためで必要なことではあるが、この先少子化に伴ってどれくらい学級人数が減るのだろうか。専門的なことはよく分からないが、あまり少人数になるとグループ・ダイナミックスの面で問題があるということ、要するに集団としての活性に問題が出てくるとも聞いたことがある。