先月で朝ドラの《なつぞら》が終わりました。前半は戦災孤児である主人公の「なつ」が逞しく生きていく様を、後半はアニメーション草創期にアニメーターを目指して行く様を描いていました。後半の「奥原なつ」は「奥山玲子」さんを、夫の「坂場一久」は「高畑勳」さんをモデル・参考にしていたそうです。他に「宮崎駿」さん達をモデルとしたとされている登場人物もいました。また、「奥山玲子」さんの実際の夫の「小田部羊一」さんがアニメーションの時代考証をしていました。
私は特に後半を感慨深く観ていました。実は父が1966年頃にアニメーションの制作会社に勤務していて、背景画を描いていました。月~土の夕方の10分間、ロバくん(声:愛川欽也)が出て来る物語でした。徹夜の仕事も度々あり、ドラマでもそんな場面がありましたが、机に座ったまま仮眠していたそうです。過労死しないか心配でした。でも、2年程で放送が終わり、会社も無くなってしまいました。
特別な思いで観ていた時に、「京都アニメーション」の放火殺人事件がありました。一瞬にして多くの尊い命と才能が失われてしまいました。悲しく残念な事件でした。犠牲者たちの冥福をお祈りいたします。この事件で「京都アニメーション」を知る事になりました。作品を観る事が供養になるのではと思い、まずは【響け! ユーフォニアム】を観てみたいと思います。
事件現場の中央のらせん階段の映像を見て、ふと昔の事を思い出しました。私が小学校低学年の頃まで父が「街頭紙芝居」の絵を描いていました。描いた絵は紙芝居の貸元の方が取りに来るのですが、仕上がっていない時は母が次の日に届けに行きました。その時に私も度々付いて行きました。3~4社程と仕事を請け負っていましたが、私は金町駅と堀切駅に良く行ったのを覚えています。どちらだったか忘れましたが、1階の中央にらせん階段があって、ニスの入った大きな缶がたくさん置いてありました。上に張ったロープに仕上げのニスを塗った絵がぶら下がっていました。印象的な光景だったので、鮮明に覚えていました。
私2歳・弟1歳位と両親 <おまけの画像> / 父が紙芝居を描いているところ
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こんにちは、お父さまのお仕事を思い出して
いらっしゃるあなたの言葉に優しさが感じられて
素敵でした。
素敵なご両親と可愛いあなた、弟さんお写真を見て
和やかな気持ちになりました。
台風が近づきました。お気をつけてください。
台風は大丈夫でしたか?風が強く怖かったですが、私の方は特に被害はありませんでした。
テレビの普及などによって「街頭紙芝居」は急激に衰退し、父はずっと続けていた仕事を失いました。その後、デザイナーのアシスタント、劇画家の助手、アニメーションの背景画など職を変えて苦労しました(家族も)。
最後にアクリル看板の会社に勤務し、「切り文字」の紙の下書きと安定した職を得て定年退職しました。今は趣味の油彩画を描いて余生を過ごしています。
素敵なお父さまお母さまの雰囲気があなたの
ことばでわかりました。
下町育ちの私は、紙芝居を楽しみました。水飴、おせんベ、酢昆布たまにクイズもありました。楽しかったです。
黄金バット、が好きでした。
戦後でしたから左翼的な物もありました。でも何でも
楽しく見ました。懐かしいです。
その後自分で紙芝居を作りましたが、従妹弟に評判が
良くなくてすぐ終わりになりました。
台風は怖かったですね、15号の時はもっと怖かったです。
私も下町育ちだったので、近くの公園に紙芝居を観に通いました。水飴は味が変わる訳ではないのに、白くなるまで棒を捏ねていました。「型抜き」も楽しみの1つでした。
「黄金バット」は父も描いていました。その後、テレビのアニメーションで放送された時は懐かしく観ていました。
凄いお父さまですね。
従弟は寝ぼけて、黄金バットは高らかに笑うワッハッハ
なんて寝言を言って、いつまでもからかわれていました。
従弟が取っていた本で、少年王者が好きでした。
結末が分からなかったのですが、
大分前に、佐倉市の美術館で、山川惣治の展覧会で
少年王者の結末が載っている古本を買いました。
やっと牧村少年のこと、お父さんのこと、悪役のことが分かり、うれしかったです。
自分想い出ばかり書いてごめんなさい。
父は紙芝居作家ではないので、「黄金バット」も大体の話の筋や登場人物のキャラクターに関する要望を聞き、ラフスケッチを元に描いて完成させていました。色々な作品があるので、絵の参考にする為にスクラップブックをたくさん作っていました。その中に「山川惣治」の絵も幾つかありました。
以前、佐倉市立美術館の「高橋真琴展」に行った時に「少年ケニア」の表紙のミニスケッチブックを売っていました。懐かしかったので、お土産に父に買ってきました。「山川惣治展」があったのですね。行ってみたかったです。