店主敬白(悪魔の囁き)

栄進大飯店の店主さがみやがおくる日々の悪魔の囁き。競馬予想や文学・音楽・仕事のグチやちくりまでいろいろ。

女王の教室が終わった

2005-09-27 21:25:50 | Weblog
 いろいろと物議をかもしたこのドラマが終わった。
 最終回近辺の、子供たちがみんなマヤを慕っていくというのは、なんかちょっと無理があるんじゃないのかって思ったし、「子供たちが洗脳」されたみいでイヤだと思う人の気持ちもわかる。
 最終回の「仰げば尊し」についてもなんか無理に感動の最終回にしてるみたいだったし、いろいろ叩かれたぶんあわてて感動を盛り込みはじめたようで不自然このうえない。
 おいら的には、
「子供たちがマヤのいいところはいいところとして認め、マヤの問題も問題としてきっぱり拒絶し、マヤがいなくても自主的に卒業して、卒業式の日にマヤと最後の対決をする」
 というのがいいなぁと思っていたが、それがあんな先生にすりよっていく展開になるとは・・・感動の押し売りだ。
 だいたい「(集団でやるダンスを)どこかの国みたいだからイヤだ」と言ってた子供でさえ、最後は洗脳状態。
 あの醒めた目を持ち続け、そこから解決の糸口を見つければよかったのに。
 あとやたらオトナ批判をやってたけど、
「母親が働きに出る=精神的自立」なの?
 この不景気に和美の母親みたいに甘い夢見て社会に出てくる人って、経済的に困って金のために働いている人間にとっては迷惑だよ。
 それとかマヤが「生活格差のある公立のほうが教育のやりがいがある」とか言いながら、私立受験にこだわってみたりするあたりとか、なんか矛盾・おかしい点多すぎ。
 最後を「洗脳と感動」にすりかえたことで、このドラマは名作から「珍作」になってしまった。
 感動なんていらないんだよ、あそこまで落としたら。
 無理に盛り上げるより、そここにちりばめられたメッセージを子供たちがかみしめながら淡々と終わったっていいじゃん。
 (どうしてこう「感動」「盛り上げ」が好きな人ばっかりなんだろう)
 ついそんなことを考えてしまった。
 そんな珍作だが、おいらがすごいと思ったのはあのマヤというキャラクターだ。
 あの目は慈愛を注ぐ教育者の目ではなく
「こんなふうに教育していったらどうなるんだろう」
 とひたすら何かを見つめる研究者の目である。
 マヤは自分の健康を削り、人並みな生活を削ってまで教育という実験をしたんじゃないか、そんなふうに考えてしまった。