トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズを、子供のときから読んでいる。
もう何度読み直したかわからないが、これらの作品には、子供の時には子供の時らしい、そして大人になってからもその時々で違った感銘を受けることがある。
文体は優しいし、特に流行にも左右されてないから、いつ読んでも読みやすいそのなかに、人生の諸問題(っていうほどの大げさな表現ではないが)や、冒険、哲学までいろんなものが詰め込まれている、奥深い作品である。
まあ、その中でおいらが一番好きなのは、
「ムーミン谷の十一月」
なのである。
「楽しいムーミン一家」みたいに心温まる家族の物語でも、「彗星」みたいにロマンスあり冒険ありパニックありのスペクタクルでもないし、「ムーミンパパの思い出」みたいに爽快な裸一貫立身物語でもない、ちょっと地味な作品だ。
しかも、話の中に実際には「ムーミン一家」は登場しない。
サブキャラたちだけで作られた物語なのだ。
だからなんとなく、話は淡々としている。
ちょうど十一月の、華やかな夏も消し飛び、白く厳しい冬の来る前のちょっと微妙な、間のぬけたような季節・・・。
ムーミン一家にそれぞれの目的があって「会いにきた」人たちの間でくりひろげられる物語は、個性的なキャラどうしがうまくかみあわなくて、なんとなく人と人との結びつきがズレまくっている。
十一月のさみしく、もの悲しい風景そのままに淡々と話が進んでいくなかで、なかなかそのズレは埋まっていかない。
(でも最後には・・・とか書くとレビューで結末バラシはいかんと言われるので、それ以上はナイショ)
でもその奇妙なズレが、「淡白でつまんない物語」にならなくて、おいらがどくんどん惹かれていくあたりが、小説家としてのヤンソンの力量だ。
オトナ向けにこの本は楽しい。
さておいらが登場人物の中で好きなのは、スクルッタおじさんとホムサかな。
おじさんの強引なまでの自由人ぶり、(親戚一同に宛てた置き手紙は、特に傑作、いいぞ、じんさん!)ホムサのあの年にしてすでに自分の世界を作っちゃっているわけのわかんないすごさ。
あれだけ大人に媚びずに自分の世界があると、ホムサは、将来すごいアーティストになってるような気さえする。
もう何度読み直したかわからないが、これらの作品には、子供の時には子供の時らしい、そして大人になってからもその時々で違った感銘を受けることがある。
文体は優しいし、特に流行にも左右されてないから、いつ読んでも読みやすいそのなかに、人生の諸問題(っていうほどの大げさな表現ではないが)や、冒険、哲学までいろんなものが詰め込まれている、奥深い作品である。
まあ、その中でおいらが一番好きなのは、
「ムーミン谷の十一月」
なのである。
「楽しいムーミン一家」みたいに心温まる家族の物語でも、「彗星」みたいにロマンスあり冒険ありパニックありのスペクタクルでもないし、「ムーミンパパの思い出」みたいに爽快な裸一貫立身物語でもない、ちょっと地味な作品だ。
しかも、話の中に実際には「ムーミン一家」は登場しない。
サブキャラたちだけで作られた物語なのだ。
だからなんとなく、話は淡々としている。
ちょうど十一月の、華やかな夏も消し飛び、白く厳しい冬の来る前のちょっと微妙な、間のぬけたような季節・・・。
ムーミン一家にそれぞれの目的があって「会いにきた」人たちの間でくりひろげられる物語は、個性的なキャラどうしがうまくかみあわなくて、なんとなく人と人との結びつきがズレまくっている。
十一月のさみしく、もの悲しい風景そのままに淡々と話が進んでいくなかで、なかなかそのズレは埋まっていかない。
(でも最後には・・・とか書くとレビューで結末バラシはいかんと言われるので、それ以上はナイショ)
でもその奇妙なズレが、「淡白でつまんない物語」にならなくて、おいらがどくんどん惹かれていくあたりが、小説家としてのヤンソンの力量だ。
オトナ向けにこの本は楽しい。
さておいらが登場人物の中で好きなのは、スクルッタおじさんとホムサかな。
おじさんの強引なまでの自由人ぶり、(親戚一同に宛てた置き手紙は、特に傑作、いいぞ、じんさん!)ホムサのあの年にしてすでに自分の世界を作っちゃっているわけのわかんないすごさ。
あれだけ大人に媚びずに自分の世界があると、ホムサは、将来すごいアーティストになってるような気さえする。