実家の隣のマンションが建ったとき、おいらはぶっとんだ。
実家とまったく同じような間取りで、数年しか違わないのに値段は3倍。
横浜の本牧にある、地元の連中だけで細々とやっていた小さな、ロックのかかるバーで飲んでいると、別にロックとは関係なさそうで、やたら金のかかった服をきた「品川ナンバー」の車のやつが、バラバラと店に金を落としていく。
ライブハウスがばんばん増え、踊りに行く誘いにのると、そこで知り合った知らないオジサンが、どんどんおごってくれる・・・。
「たかが横浜の片隅で遊んでいただけ」のおいらにもバフルの迷惑と恩恵はちょっとはあったのだろう。
別にその時代を懐かしいとも思ってないし、(それはやはり、それほどに人生の花盛りがアレ、と思ってないせいかも)一部の小説のようにアレこそが華、アレこそ懐かしい時代とも考えたくない(理由はいろいろあるが、過去ばっか見ててもダメじゃん)しね。
そんな時代の話が、林真理子の「アッコちゃんの時代」である。
主人公のアッコは、人も羨む美貌、ついでに適度にいい家柄のお嬢様であの時代を「群がる男たち」によって「楽しく」過ごさせてもらっている。
ま、本人サイドには不満もあるだろうし、スキャンダルにもなっちゃったので傷ついたりもするので、完全に幸せとは言いがたいようである。
でも、ここからが問題だ。
本のコシマキにあるように、
「男を奪ったことなど一度もない。男が私を求めただけ」
というのは、確かにそうなのだ。
その点彼女はすがすがしくさえ思える。
恋に対して、すがりつかない、潔い…そこはステキだ。
スキャンダルをかぶってさえ、優しさがほのみえる。
だけど・・・
同女史の「花探し」の主人公にしても、このアッコちゃんにしても、決して
「狂おしいほど誰かを恋する」
ことがないのだ。
おいらがこのブログのタイトルのように思い、イマイチこのふたりに違和感を覚えるのもここなのだ。
男とはつきあう、フラれたらすぐ次の恋人を探す。
「男がいないとミジメだから」
誰かとつきあっても、情熱がない。情念がない。
オシャレだけど、スパイスがきいてない恋しかできない人。
だからこの小説も、斉藤美奈子が言うところの「援交物語」なのである。
実家とまったく同じような間取りで、数年しか違わないのに値段は3倍。
横浜の本牧にある、地元の連中だけで細々とやっていた小さな、ロックのかかるバーで飲んでいると、別にロックとは関係なさそうで、やたら金のかかった服をきた「品川ナンバー」の車のやつが、バラバラと店に金を落としていく。
ライブハウスがばんばん増え、踊りに行く誘いにのると、そこで知り合った知らないオジサンが、どんどんおごってくれる・・・。
「たかが横浜の片隅で遊んでいただけ」のおいらにもバフルの迷惑と恩恵はちょっとはあったのだろう。
別にその時代を懐かしいとも思ってないし、(それはやはり、それほどに人生の花盛りがアレ、と思ってないせいかも)一部の小説のようにアレこそが華、アレこそ懐かしい時代とも考えたくない(理由はいろいろあるが、過去ばっか見ててもダメじゃん)しね。
そんな時代の話が、林真理子の「アッコちゃんの時代」である。
主人公のアッコは、人も羨む美貌、ついでに適度にいい家柄のお嬢様であの時代を「群がる男たち」によって「楽しく」過ごさせてもらっている。
ま、本人サイドには不満もあるだろうし、スキャンダルにもなっちゃったので傷ついたりもするので、完全に幸せとは言いがたいようである。
でも、ここからが問題だ。
本のコシマキにあるように、
「男を奪ったことなど一度もない。男が私を求めただけ」
というのは、確かにそうなのだ。
その点彼女はすがすがしくさえ思える。
恋に対して、すがりつかない、潔い…そこはステキだ。
スキャンダルをかぶってさえ、優しさがほのみえる。
だけど・・・
同女史の「花探し」の主人公にしても、このアッコちゃんにしても、決して
「狂おしいほど誰かを恋する」
ことがないのだ。
おいらがこのブログのタイトルのように思い、イマイチこのふたりに違和感を覚えるのもここなのだ。
男とはつきあう、フラれたらすぐ次の恋人を探す。
「男がいないとミジメだから」
誰かとつきあっても、情熱がない。情念がない。
オシャレだけど、スパイスがきいてない恋しかできない人。
だからこの小説も、斉藤美奈子が言うところの「援交物語」なのである。
悲惨な例として、今までのアパートが取り壊されて高層マンションになり、優先的に入居できたのは良いけど、固定資産税が5倍になったというのがありまつ・・・
そういういやな世の中を懐かしがる人もいるんだねぇ・・・。