店主敬白(悪魔の囁き)

栄進大飯店の店主さがみやがおくる日々の悪魔の囁き。競馬予想や文学・音楽・仕事のグチやちくりまでいろいろ。

うすい膜のかかったような人

2007-10-13 21:47:36 | 小説・読んだ本
 実家の隣のマンションが建ったとき、おいらはぶっとんだ。
 実家とまったく同じような間取りで、数年しか違わないのに値段は3倍。
 横浜の本牧にある、地元の連中だけで細々とやっていた小さな、ロックのかかるバーで飲んでいると、別にロックとは関係なさそうで、やたら金のかかった服をきた「品川ナンバー」の車のやつが、バラバラと店に金を落としていく。
 ライブハウスがばんばん増え、踊りに行く誘いにのると、そこで知り合った知らないオジサンが、どんどんおごってくれる・・・。
 「たかが横浜の片隅で遊んでいただけ」のおいらにもバフルの迷惑と恩恵はちょっとはあったのだろう。
 別にその時代を懐かしいとも思ってないし、(それはやはり、それほどに人生の花盛りがアレ、と思ってないせいかも)一部の小説のようにアレこそが華、アレこそ懐かしい時代とも考えたくない(理由はいろいろあるが、過去ばっか見ててもダメじゃん)しね。
 そんな時代の話が、林真理子の「アッコちゃんの時代」である。
 主人公のアッコは、人も羨む美貌、ついでに適度にいい家柄のお嬢様であの時代を「群がる男たち」によって「楽しく」過ごさせてもらっている。
 ま、本人サイドには不満もあるだろうし、スキャンダルにもなっちゃったので傷ついたりもするので、完全に幸せとは言いがたいようである。

 でも、ここからが問題だ。
 本のコシマキにあるように、
「男を奪ったことなど一度もない。男が私を求めただけ」
 というのは、確かにそうなのだ。
 その点彼女はすがすがしくさえ思える。
 恋に対して、すがりつかない、潔い…そこはステキだ。
 スキャンダルをかぶってさえ、優しさがほのみえる。
 だけど・・・
 同女史の「花探し」の主人公にしても、このアッコちゃんにしても、決して
「狂おしいほど誰かを恋する」
 ことがないのだ。
 おいらがこのブログのタイトルのように思い、イマイチこのふたりに違和感を覚えるのもここなのだ。
 男とはつきあう、フラれたらすぐ次の恋人を探す。
「男がいないとミジメだから」
 誰かとつきあっても、情熱がない。情念がない。
 オシャレだけど、スパイスがきいてない恋しかできない人。
 だからこの小説も、斉藤美奈子が言うところの「援交物語」なのである。
 


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2 コメント

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Unknown (冷やしコアラ)
2007-10-13 22:57:54
マンションにすると高層階と言う事で資産価値が上がる為値段が上がるのはしゃあないですな・・・(^^;
悲惨な例として、今までのアパートが取り壊されて高層マンションになり、優先的に入居できたのは良いけど、固定資産税が5倍になったというのがありまつ・・・
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Unknown (さがみや)
2007-10-15 13:12:30
 おいらの知り合いもバブルのときに、平屋を地上げされて等価交換でマンションに入った人いるけど、電気代だけで月10万円かかるので、しばらくしてから売ったらしい。
 そういういやな世の中を懐かしがる人もいるんだねぇ・・・。
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