「SF作家の曳航」と題された本です。
この本は、作家光瀬龍の未収録エッセイ・コラム、あとがき、昔の作品の一部を集めて、それで伝記を作ってしまうという本です。
評伝ではありませんし、熱心なファンによるパーフェクトカタログ形式のものでもない。 おまけに年表とかもすべての作品について書かれているわけではないし、作品リストもないから資料としては、ちょっと使いにくい本だ。
まあ、このエッセイ集の中から浮かんでくる作者像もあるわけです。
それは編者があまり顔を出さないから、かもしれません。
指先でページをめくるたびに、うっすら浮かんでくる作者の顔。
それをさらにたどり、さらに考え・・・。
そうやって、自分の中の作家像ができていくのも楽しみのひとつだと思う。
なんか、どんな作家でも「ファン意識が強く、語りたがり」の人が作った評伝って、暑苦しいんですよ、おいらには。
「私が(俺が)やんなきゃ誰がやる」
みたいなものが前面に出た作品は、確かに労作が多いけれど、
「その作家がいい悪いは、最終的に読者が判断すればいいじゃん」
と思っていても、編者から
「いいえっ!それは違うでんすっ!アナタは知らないんでしょ?」
って鼻息荒く反撃されそうで・・・それこそ、「贔屓の引き倒し」なんだけどさあ。
だから暴露本好きなのかな、おいら。
この本はまあ、そういう「作者と編者の距離の置き方」には合格です。
光瀬龍さんが好きなおいらには、未読のものを読めるパーフェクトファイルみたいなものも欲しいけど、この本からうっすら浮かびあがってくるものも、好きです。
子供の頃のUFO体験、戦争体験、青春時代・・・。
「熱く語ってくれるのは、ファングラブに任せておけば」
みたいな姿勢が・・・。
まあ、熱心なマニアが掬ってくれた余りものにも、掘り出しものがあるかもしれないってことで・・・。
たたじ、今光瀬の書いたものを探して、これから読もうという人にはあまり役に立たないと思う・・・。
この本は、作家光瀬龍の未収録エッセイ・コラム、あとがき、昔の作品の一部を集めて、それで伝記を作ってしまうという本です。
評伝ではありませんし、熱心なファンによるパーフェクトカタログ形式のものでもない。 おまけに年表とかもすべての作品について書かれているわけではないし、作品リストもないから資料としては、ちょっと使いにくい本だ。
まあ、このエッセイ集の中から浮かんでくる作者像もあるわけです。
それは編者があまり顔を出さないから、かもしれません。
指先でページをめくるたびに、うっすら浮かんでくる作者の顔。
それをさらにたどり、さらに考え・・・。
そうやって、自分の中の作家像ができていくのも楽しみのひとつだと思う。
なんか、どんな作家でも「ファン意識が強く、語りたがり」の人が作った評伝って、暑苦しいんですよ、おいらには。
「私が(俺が)やんなきゃ誰がやる」
みたいなものが前面に出た作品は、確かに労作が多いけれど、
「その作家がいい悪いは、最終的に読者が判断すればいいじゃん」
と思っていても、編者から
「いいえっ!それは違うでんすっ!アナタは知らないんでしょ?」
って鼻息荒く反撃されそうで・・・それこそ、「贔屓の引き倒し」なんだけどさあ。
だから暴露本好きなのかな、おいら。
この本はまあ、そういう「作者と編者の距離の置き方」には合格です。
光瀬龍さんが好きなおいらには、未読のものを読めるパーフェクトファイルみたいなものも欲しいけど、この本からうっすら浮かびあがってくるものも、好きです。
子供の頃のUFO体験、戦争体験、青春時代・・・。
「熱く語ってくれるのは、ファングラブに任せておけば」
みたいな姿勢が・・・。
まあ、熱心なマニアが掬ってくれた余りものにも、掘り出しものがあるかもしれないってことで・・・。
たたじ、今光瀬の書いたものを探して、これから読もうという人にはあまり役に立たないと思う・・・。
でも夢中になるほどではなかったんですよ。
小6の時にヤマトが本放送されて熱くなった
けど、周囲の同級生は裏番組の「猿の軍団」派
ばかりで、自分の目が証明されるのは再放送後
でした。
SF小説だと小松左京かな。
「虚無回廊」読んで凄い人だなぁと思いました。
これをきいて驚きますた。
それはある意味スゴイ!
でも猿は天下の円谷ですからね・・・。
まあ、男女の違いからかもしれませんが、おいらのまわりは「ヤマト」派でした。
しかも相原とか島とか真田とかモテるの。
「相原くんがかわいそう」とか。
SF割と好きですよ。
ただ、ファンジンとかマニアとか、そういうのは、ちょっとかんべんかな・・・普通の読書の一環として楽しんでいただけです。
あと、機関車トーマスの初版ってこの頃だと思います。