最近何冊か、社会の「いま」を描いた小説読んだ。
別に厳しい現実を社会派ドキュメントタッチに書いてあるものじゃなく、ありふれた日常がはらむ問題や、ありがちな世界の中からじわじわとはみだしてくる「崩壊」について書かれたものばかりだ。
どれもこれも女性作家だったので、描写は繊細なほどにていねいで、ありがちなものの中にも、それぞれの作家の視線が生かされ、ハッとすることも、そうだよな・・・と思うこともあった。
でもなんかもの足りない。
それは何か・・・なんかドロドロした問題を扱っていても、なんか小説の密度が薄いのだ。氷で薄まったカルピスみたいに、なんか足りないのだ。
足りないと言うのは贅沢かもしれないけど、なんか小説全体から
「汚いものやイヤなものは薄めてしまえ」
みたいな何かが感じられた。
読後感、あと味が悪いとまずい・・・嫌がられるってのもあるだろうな。
そういうの嫌う人、いるらしいし。
そんな中でやっぱドロドロを書くと面白い、桐野夏生である。
今回は「メタボラ」
「グロテスク」「ママ、アイムソーリー」とかに比べると、南国沖縄が舞台なぶん、一見(あの華やかなカバー装丁に騙されるかも)そんなにドロドロでもなそうなんだけど、出るわ出るわ・・・いろんな問題が。
記憶を失った主人公のドロドロの過去、主人公の「魂の相棒」ジェイクのどうしようもなさ、沖縄と内地の問題、内地から沖縄に来る人たちのハラの中、悪いコじゃないけどうざい女、沖縄を出ようとする食い詰めた連中。
まあ、そういうのがバームクーヘンみたいに層になって、一見地上の楽園みたいな沖縄世界を作っているのだ。
でもこの作品は他の桐野作品よりかは少しは明るい。
その明るさはジェイクの、育ちのよさからくるあの野放図なまでの楽天性からきているのかもしれない。
これでくたばらずに生き延びろよジェイク、それがギンちゃんの救いなんだから・・・とおもわずおいらも思ってしまうのだった。
別に厳しい現実を社会派ドキュメントタッチに書いてあるものじゃなく、ありふれた日常がはらむ問題や、ありがちな世界の中からじわじわとはみだしてくる「崩壊」について書かれたものばかりだ。
どれもこれも女性作家だったので、描写は繊細なほどにていねいで、ありがちなものの中にも、それぞれの作家の視線が生かされ、ハッとすることも、そうだよな・・・と思うこともあった。
でもなんかもの足りない。
それは何か・・・なんかドロドロした問題を扱っていても、なんか小説の密度が薄いのだ。氷で薄まったカルピスみたいに、なんか足りないのだ。
足りないと言うのは贅沢かもしれないけど、なんか小説全体から
「汚いものやイヤなものは薄めてしまえ」
みたいな何かが感じられた。
読後感、あと味が悪いとまずい・・・嫌がられるってのもあるだろうな。
そういうの嫌う人、いるらしいし。
そんな中でやっぱドロドロを書くと面白い、桐野夏生である。
今回は「メタボラ」
「グロテスク」「ママ、アイムソーリー」とかに比べると、南国沖縄が舞台なぶん、一見(あの華やかなカバー装丁に騙されるかも)そんなにドロドロでもなそうなんだけど、出るわ出るわ・・・いろんな問題が。
記憶を失った主人公のドロドロの過去、主人公の「魂の相棒」ジェイクのどうしようもなさ、沖縄と内地の問題、内地から沖縄に来る人たちのハラの中、悪いコじゃないけどうざい女、沖縄を出ようとする食い詰めた連中。
まあ、そういうのがバームクーヘンみたいに層になって、一見地上の楽園みたいな沖縄世界を作っているのだ。
でもこの作品は他の桐野作品よりかは少しは明るい。
その明るさはジェイクの、育ちのよさからくるあの野放図なまでの楽天性からきているのかもしれない。
これでくたばらずに生き延びろよジェイク、それがギンちゃんの救いなんだから・・・とおもわずおいらも思ってしまうのだった。
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