高校の頃、得意ではなかったけれど、数学は好きでした。
答えが一つだから、ではなく、逆に、答えにたどり着くまでの解は一つではない、というところが気に入ってました。
問題を解くにあたって、どの公式をどの段階で使うかはその人次第。参考書の模範回答が必ずしも最良の解ではなく、無難な解、不器用な解、美しい解、様々な解があって、その問題の解き方に、その人の個性が現れる。そこに大きな魅力を感じていました。
大学では日本美術史を専攻しました。
歴史には、答えなどありません。
残された史料で事実は確認できますが、それをどう解釈するかは、人によって千差万別で、どれが正解と一概に決めつけられません。関係者の思いなどは、公式な記録には出てこない話であって、尚更把握が難しくなります。
この出来事は本人にとってどのような意味があり、社会にとってはどのような影響があり、その結果、歴史がどのように展開したのか。教科書にもっともらしいことが書いてあっても、全ては当事者ではない後世の人間の推測に過ぎません。
そもそも、当事者にとっても、立場によって同じ出来事が全く違う意味を持ちます。新たな史料一つで、それまでの定説が簡単に覆ったりもします。
「正しい歴史認識」など、この世界のどこにもありません。
歴史は、人の多様性を感じることができる学問であり、そこが一番の魅力でした。
世界は一様ではない。
だから生きていける。
答えが一つだから、ではなく、逆に、答えにたどり着くまでの解は一つではない、というところが気に入ってました。
問題を解くにあたって、どの公式をどの段階で使うかはその人次第。参考書の模範回答が必ずしも最良の解ではなく、無難な解、不器用な解、美しい解、様々な解があって、その問題の解き方に、その人の個性が現れる。そこに大きな魅力を感じていました。
大学では日本美術史を専攻しました。
歴史には、答えなどありません。
残された史料で事実は確認できますが、それをどう解釈するかは、人によって千差万別で、どれが正解と一概に決めつけられません。関係者の思いなどは、公式な記録には出てこない話であって、尚更把握が難しくなります。
この出来事は本人にとってどのような意味があり、社会にとってはどのような影響があり、その結果、歴史がどのように展開したのか。教科書にもっともらしいことが書いてあっても、全ては当事者ではない後世の人間の推測に過ぎません。
そもそも、当事者にとっても、立場によって同じ出来事が全く違う意味を持ちます。新たな史料一つで、それまでの定説が簡単に覆ったりもします。
「正しい歴史認識」など、この世界のどこにもありません。
歴史は、人の多様性を感じることができる学問であり、そこが一番の魅力でした。
世界は一様ではない。
だから生きていける。