私はよく町民センターを利用するので、時間帯によって下校の子どもたちに
出会う機会が時々あります。子どもたちの方から先に大きな声で「こんにちは」
「こんばんは」とあいさつされることが多いので私もすぐそれに応えるように
あいさつしています。元来、私は子どもたちに話かけるのはとても苦手なタイプで、
特に小さい子どもには上手に話かけられないので、こちらから話かけることは
ほとんどありません。子どもたちと上手に話をやり取している大人をみるととても
羨ましくなります。少し努力をしなければと常日頃思っています。あいさつだけは
必ずしています。
でも今日(6月16日)は何か違った雰囲気でした。
昼間町民センターにはかなりたくさんの小・中学生と玄関やロビーで出会いました。
ほとんどの子が何も言わないのです。何か普段と違った異様な感じを受けました。
私から「こんにちは」と声をかけてみましたが、あまり反応がありません。
私もあいさつするのを止めてしまいました。まるで知らない人には挨拶しないようにと
「箝口令」でもしかれたかのように感じました。
これが単なる私の思い違い、考え過ぎであればよいのですが。
先日議会事務局から私に次のような注意文書が渡されました。いろいろある中の
一つに「以前のことになるが、町民センター等で、小中学生などに声をかけている
点、不審に感じて親に話している子どもがいた。そうした対応が必要なのかどうか、
再考して欲しい。」というものでした。
声をかけている不審者と思しき人間が、まるで私であると特定したかのような言わ
れ方で書かれていました。私は他の誰かの間違いではないかとしか思われません。
一体誰が何のために声をかけているのは“私”と特定できるのか? また私と分か
っているなら、何ら問題ないはずです。公人ですからどこの誰かわかるはずです。
だからわざわざ議会事務局に連絡したのか(職員が言ったのか)と思います。
しかし他に“声”をかけている人はたくさんいるはずです。なぜなら子どもたちから
「こんにちは」「こんばんは」とあいさつすることは多くの町民のみなさんもよく
知っているからです。ニセコ町の最もすばらしい、誇るべき教育の一つと思っています。
町民センターというまさに公共である公の場で、入り口には受付窓口があり誰か
必ずこちらを向いて出入りの人たちを見守っています。私も必ず出入りするごとに挨拶
して通ります。町民センターは主に町民が出入りする、町内で一番安全な場所の一つ
のはず、まるで“声をかける”ことが犯罪でもあるかのような注意書に唖然という
しかありませんでした。
これが人通りのない暗い場所で知らないおじさんから一人で歩いている小さな子どもに
“声”をかけていろいろ聞かれたという問題になればちょっと心配になりますが、
町民センター内でも、“声”もかけられないのか、これはむしろ“おかしい”、異常に
感じて私はその文書を持って弁護士に相談に行きました。すると弁護士はすぐに
「これは誰が書いた文書か」、「書いた人は一体どういう立場でこの文書を書いたのか」
と聞かれました。確認してすぐに誰かはわかりましたが、これは大変恐ろしいことです。
書いた本人が気づいていないことがまた怖いのです。
また然る校長にもすぐ相談しました。校長は“声”かけは大変大事な事、これからも
どんどん“声”かけをして下さい、と言われました。男性からは“声”がかけしづらいが、
女性の方からの“声”かけはしやすいと思う。ということでした。
“声”かけの盛んなところでは犯罪は起きづらいが、“声”かけのないところは犯罪
の温床になると専門家は指摘しています。
ニセコ町の0歳~18歳までの子どもの数は2016年の時点で817人とデータにあります。
わずか800人余りの子どもの数しかいない町で全ての子どもたちを町民が見守っても
良いのではないかと思います。これからはどんどん“声”かけをするように努力して
いきます。安全で安心して住める町にするためには子どもへの“声”掛けは非常に大切な
ことです。
一体、ニセコ町はどこに行くのか、「相互扶助」を謳うまちは、ただの“掛け声”だけに
過ぎないのか、反対の方向に向かっているのではないかと危惧しています。
「個人情報保護」への誤った認識が人間への信頼と関係性をむしろ阻害して、
人間関係を分断し、孤立化させて行くようにしか思えません。
出会う機会が時々あります。子どもたちの方から先に大きな声で「こんにちは」
「こんばんは」とあいさつされることが多いので私もすぐそれに応えるように
あいさつしています。元来、私は子どもたちに話かけるのはとても苦手なタイプで、
特に小さい子どもには上手に話かけられないので、こちらから話かけることは
ほとんどありません。子どもたちと上手に話をやり取している大人をみるととても
羨ましくなります。少し努力をしなければと常日頃思っています。あいさつだけは
必ずしています。
でも今日(6月16日)は何か違った雰囲気でした。
昼間町民センターにはかなりたくさんの小・中学生と玄関やロビーで出会いました。
ほとんどの子が何も言わないのです。何か普段と違った異様な感じを受けました。
私から「こんにちは」と声をかけてみましたが、あまり反応がありません。
私もあいさつするのを止めてしまいました。まるで知らない人には挨拶しないようにと
「箝口令」でもしかれたかのように感じました。
これが単なる私の思い違い、考え過ぎであればよいのですが。
先日議会事務局から私に次のような注意文書が渡されました。いろいろある中の
一つに「以前のことになるが、町民センター等で、小中学生などに声をかけている
点、不審に感じて親に話している子どもがいた。そうした対応が必要なのかどうか、
再考して欲しい。」というものでした。
声をかけている不審者と思しき人間が、まるで私であると特定したかのような言わ
れ方で書かれていました。私は他の誰かの間違いではないかとしか思われません。
一体誰が何のために声をかけているのは“私”と特定できるのか? また私と分か
っているなら、何ら問題ないはずです。公人ですからどこの誰かわかるはずです。
だからわざわざ議会事務局に連絡したのか(職員が言ったのか)と思います。
しかし他に“声”をかけている人はたくさんいるはずです。なぜなら子どもたちから
「こんにちは」「こんばんは」とあいさつすることは多くの町民のみなさんもよく
知っているからです。ニセコ町の最もすばらしい、誇るべき教育の一つと思っています。
町民センターというまさに公共である公の場で、入り口には受付窓口があり誰か
必ずこちらを向いて出入りの人たちを見守っています。私も必ず出入りするごとに挨拶
して通ります。町民センターは主に町民が出入りする、町内で一番安全な場所の一つ
のはず、まるで“声をかける”ことが犯罪でもあるかのような注意書に唖然という
しかありませんでした。
これが人通りのない暗い場所で知らないおじさんから一人で歩いている小さな子どもに
“声”をかけていろいろ聞かれたという問題になればちょっと心配になりますが、
町民センター内でも、“声”もかけられないのか、これはむしろ“おかしい”、異常に
感じて私はその文書を持って弁護士に相談に行きました。すると弁護士はすぐに
「これは誰が書いた文書か」、「書いた人は一体どういう立場でこの文書を書いたのか」
と聞かれました。確認してすぐに誰かはわかりましたが、これは大変恐ろしいことです。
書いた本人が気づいていないことがまた怖いのです。
また然る校長にもすぐ相談しました。校長は“声”かけは大変大事な事、これからも
どんどん“声”かけをして下さい、と言われました。男性からは“声”がかけしづらいが、
女性の方からの“声”かけはしやすいと思う。ということでした。
“声”かけの盛んなところでは犯罪は起きづらいが、“声”かけのないところは犯罪
の温床になると専門家は指摘しています。
ニセコ町の0歳~18歳までの子どもの数は2016年の時点で817人とデータにあります。
わずか800人余りの子どもの数しかいない町で全ての子どもたちを町民が見守っても
良いのではないかと思います。これからはどんどん“声”かけをするように努力して
いきます。安全で安心して住める町にするためには子どもへの“声”掛けは非常に大切な
ことです。
一体、ニセコ町はどこに行くのか、「相互扶助」を謳うまちは、ただの“掛け声”だけに
過ぎないのか、反対の方向に向かっているのではないかと危惧しています。
「個人情報保護」への誤った認識が人間への信頼と関係性をむしろ阻害して、
人間関係を分断し、孤立化させて行くようにしか思えません。