斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

あれから25年~

2020-01-17 07:13:48 | 地震災害
5時47分、まだ真っ暗だった。突然の激しい長い揺れに起こされた。
地震だ!まるで頭の上に轟音と共にブルドーザーが迫ってくるような感じ
だった。寝室の大きな洋箪笥が上下の揺れで動いたせいだった。しかし
倒れることはなかった。起き上がってカーテンを開けて外を見ると静まり
かえっていた。何ごともなかったのか???

なぜかすぐに家中を見て歩き写真を撮って歩いた。2階の洗面所の棚に置い
てあった陶器のコップが落ちて1個割れていた。1階のギャラリーケースの
中に飾ってあった高さ30センチ位のベネチアドールが倒れていたが、被害は
なかった。地下のワインセラーの棚に置いてあったワインが転がり落ちて数本
割れていた。すぐに気付いた被害はそのくらいだった。
被害はほとんどなかった!に等しい。
少し経って明け方の薄明りの中で隣の人が犬を連れて散歩をしている姿があった。
なぜこんなに静かなんだろう!不思議な気がした。少しずつ明るくなってきたが
外が騒がしい様子はなかった。

私の家は神戸の西区の中でも西の端にあったので、震度7はなかったと思う。
後でよく近所の人とも話したが、多分震度6前後?位いだったのでは?
同じ団地の中で同時に新築され、隣どうしで並んでいる建売住宅でも地盤の関係
で被害がかなり違っていたことが後でわかった。

一方数百メートル離れた隣の団地では住民がみな外へ飛び出し車の中に避難した
とも聞いた。また知人がタンスや本棚の下敷きになって怪我をしたり、救出して
もらったことも知った。近所の家の瓦屋根が落ちて瓦が散乱していた。

地震が起きてから数時間は電気もガスも水道も電話も正常だった。異変が起きた
のはそれから3時間後位の8時頃からだったように思う。テレビで長田・兵庫区
の様子が写し出され、死者は数人から始まり、またたく間に数十人から週百人へ
と増えていった。それから電気もガスも水道も電話も止まり、一番復旧に時間が
かかったのは水道で3週間位断水がつづいた。お風呂は全く入れなかった。
洗濯もできなかった。神戸に住んでいてもその住む場所と地盤で大きく違ってくる。
夫はその日車で会社に出かけて行った。が昼頃には帰って来た。しかし翌日からは
正常通り通勤していた。

阪神淡路大震災から25年!死者・不明者6434人!
震災の怖さを目の当たりにし、その凄まじさを本当に実感させられたのはそれから
少し経って日を追うごとに現状が分かってきてからだった。1年以上に渡り大小さま
ざまな余震の不安の中で過すことになる。

震災から3週間後長田・兵庫区に炊き出しボランティアに通った。それから
ニセコに移住するまでの11年間ボランティア活動に専念することになる。


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