トシヤが通っているガッツびーと西で、年に数回行われている国学院大学の柴田先生との面談が今月もあったようで、聞き取りの原稿を頂きました。
今回は、トシヤの願いが述べられていました。
ちいきでどうやっていきるかということです。
なんでもできなくてもにんげんなのだから、ちいきでいきていきたいです。
ぼくのいいたいことは、まだまだにんげんあつかいしてくれるしゃかいになっていないといういみです。
りそうは、ぼくたちをしゃかいがにんげんとしてみとめることです。
なぜちいきでいきたいかというと、あたりまえにいきたいからです。
のぞまないどうぶつあつかいをはやくやめてもらいたいです。
ごんごんときもちがわいてきます。りかいされたよろこびはとてもおおきいいですから、せっかくのよろこびをもっとおおきくひろげたいです。
※一部を抜粋しました
言葉がない=思考がない。と思う人はまだ多いと私も思います。
そこに居るのに「居ない」ことにされたことがなんと多かったことでしょう。
親である私たちも、トシヤが地域で生きていけるように少しずつ布石を打っています。
まだ私も動きが取れて、トシヤも若いうちに意識をはっきりさせられてよかったと思います。