6:14、台北駅です。
今日もツアーで来ている2人と合流して5人で台南へと。
7:11発の台湾新幹線なので、ホテルでランチボックスを作ってもらいました。
車内でゆっくり朝食。
台南には9:13到着。
高雄・左営へ行く新幹線を見送って。
出口2にて無事にタクシードライバーさんと会えました。
今年4月に高松に来られた台南在住のFB友の許さんの紹介で、とっても親切なタクシードライバーの朱さんでした。
私の名前を書いたプラカードを持って待ってくれていましたよ。
街役場、朱さんに教えてもらった日本統治時代の建物。
高速道路を走って、10:36、旧台南水道に到着。
日本の台湾総督府の委託で英国人衛生顧問、ウィリアム・バートンの下、浜野弥四郎により設計されたもので1911(明治44)年から計画が始まり1922(大正11)年に竣工。
本当は200段ある石段を上がるのですが、許さんに聞いていたので朱さんには裏に山道を走ってもらいました(笑)
大正時代に完成した「台南水道」は当時、飲み水の供給とともに台湾の人々の衛生状況を大幅に改善したとして現在でも高い評価を受けています。
浄水池区内に生息する台湾カグラコウモリは台湾特有種で、夏だけに住み、冬になるとほかの地域に移動するそうな。このブルーの扉の上の窓から出入りして子育てをしているそうです。
月曜と火曜は閉まっていて、今日は敷地内に入れるけど、建物内には入れなくてちょっと残念でした。
次に烏山頭水庫風景區へ移動します。
11:20、八田興一技師の復元されたお家。
台湾では中学校の歴史教科書『認識台湾』にも掲載され、子供からお年寄りまで、最も尊敬される日本人として知られています。
外代樹夫人像が敷地内にありました。
二男六女の八人の子供を設けています。
1942年5月8日、、八田技師はフィリピンに派遣されて向かう途中、米潜水艦の魚雷により乗っていた太平丸が撃沈し、死没します。
その遺体は一ヶ月後に漁師の網にかかって、台湾に帰ってきました。
その功績は台湾の人たちによって認められ、この5月8日を八田與一の命日とし、慰霊祭を開催しているとのことです。
1945年の終戦で日本人の引き揚げが始まったが夫人は台湾にとどまり、8月31日、長男が戦地から戻ってきた翌9月1日、外代樹夫人は送水口に身を投げました。
更に9月1日は、夫の作ったダムの着工記念日でした。
黒い着物の正装で、飛び込んだ場所には草履をきちんと揃えてあったといいます。
送水口。
可憐な桜が咲いていました。
ダム湖です。
ダム湖が見える場所に八田興一技師の像とお墓がありました。
烏山頭ダムにある八田の銅像はダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたもので、住民々意と周囲意見で出来上がったユニークな像は、固辞していた八田本人の意向を汲み一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置されたそうな。
像の後ろに奥様と一緒の墓碑がありました。
ベルギー製蒸気機関車、ダムの工事に関わる全てで利用されていたそうな。
12:30、ではでは台南市内へ移動します。