讃岐おばさんのひとり言4

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やっぱり台湾 3日目-2

2016-12-03 21:30:00 | 台湾 2016年
13:20、FB友の許さんが会社をわざわざ半休して私たちを待っていてくれました。

ちょっと遅めのお昼は、許さんおすすめのお店、度小月担仔麵にて。
同じ名前のお店が3軒あるんですね、赤崁楼にほど近いこのお店の担仔麵はあっさりとして煮卵や海老、肉そぼろがとっても美味しかったです。

ちょっと量が少ないので、魯肉飯(ルーローハン)を1腕、5人で分けて食べました。

以前台北市内で食べた度小月の担仔麵は八角の味が強くて、それ以来担仔麵は避けていましたが、このお店のなら食べれますok

さて、食事のあとはすぐ近くの赤崁楼へ。
13:50、私は4回来ていますが、何回来てもいいところです。
許さんの案内、本当に日本語がお上手です。






受験の神様を祭っています。

お参りをして、心ばかりのお布施をすると鉛筆がいただけます。
願掛けのお札、皆さんが合格すると良いですね。

次に台湾で最初に建てられた孔子廟へ。
その前に武徳殿、日本統治時代には剣道場で、現在は学校の式場として使われているそうです。

孔子廟は朱塗りの塀に囲まれています。
この小さい門が好きですheart
大成殿の奥の建物の中に、昭和皇太子が孔子廟にいらした際の写真があります。

大成殿。

ここでは歴代総統が就任した時に額を納めています。
前総統の馬さんの額。
手前右側に蔡英文総統の額もありました。

一番手前の右側は現総統の額が飾られることになっているそうで、これらの歴代皇帝や総統の額があるのはこの台南の孔子廟だけだそうで、非常に貴重なものだそうです。
それにしても孔子廟は素晴らしいですね。
府中街の入り口、府中街という通りは400年の歴史がある通りでお洒落なカフェなどがあるそうです。

次に国立台湾文学館へと。
この建物は1916年、日本統治時代の台南州庁として落成、建築家森山松之助氏の手がけた西洋歴史建築様式だそう。
ひと通り中も見学しました。

ここでお世話になった許さんとお別れして、ツアー参加での2人は20時に台北のホテルにお迎えが来るので台湾新幹線の台南駅まで送ってもらい台北へと向かいました。

私たちも2人を見送って高雄の蓮池潭へ。
龍の口から入って虎の口から出て、とりあえず綺麗な体になりました(笑)



最後に三鳳中街まで送ってもらって、朱さんともお別れ、大変お世話になりありがとうございました。
三鳳中街で買ったもの、これと無患子の石鹸も。

大満足で台北へ帰りましょう、と、MRT(地下鉄)高雄駅を目指して歩いていましたが、ふと、餃子のお店が目につきました。
3人で水餃子と焼き餃子をお腹いっぱい食べて。
台湾新幹線の高雄発19:55、台北着21:28、そしてホテルへ戻ったのは21:40くらいだったかな?

明日はいよいよ帰国、あっという間です。

やっぱり台湾 3日目-1

2016-12-03 18:57:00 | 台湾 2016年
6:14、台北駅です。

今日もツアーで来ている2人と合流して5人で台南へと。

7:11発の台湾新幹線なので、ホテルでランチボックスを作ってもらいました。
車内でゆっくり朝食。

台南には9:13到着。
高雄・左営へ行く新幹線を見送って。
出口2にて無事にタクシードライバーさんと会えました。
今年4月に高松に来られた台南在住のFB友の許さんの紹介で、とっても親切なタクシードライバーの朱さんでした。

私の名前を書いたプラカードを持って待ってくれていましたよ。
街役場、朱さんに教えてもらった日本統治時代の建物。
高速道路を走って、10:36、旧台南水道に到着。

日本の台湾総督府の委託で英国人衛生顧問、ウィリアム・バートンの下、浜野弥四郎により設計されたもので1911(明治44)年から計画が始まり1922(大正11)年に竣工。
本当は200段ある石段を上がるのですが、許さんに聞いていたので朱さんには裏に山道を走ってもらいました(笑)
大正時代に完成した「台南水道」は当時、飲み水の供給とともに台湾の人々の衛生状況を大幅に改善したとして現在でも高い評価を受けています。
浄水池区内に生息する台湾カグラコウモリは台湾特有種で、夏だけに住み、冬になるとほかの地域に移動するそうな。このブルーの扉の上の窓から出入りして子育てをしているそうです。



月曜と火曜は閉まっていて、今日は敷地内に入れるけど、建物内には入れなくてちょっと残念でした。

次に烏山頭水庫風景區へ移動します。

11:20、八田興一技師の復元されたお家。
台湾では中学校の歴史教科書『認識台湾』にも掲載され、子供からお年寄りまで、最も尊敬される日本人として知られています。
外代樹夫人像が敷地内にありました。

二男六女の八人の子供を設けています。

1942年5月8日、、八田技師はフィリピンに派遣されて向かう途中、米潜水艦の魚雷により乗っていた太平丸が撃沈し、死没します。

その遺体は一ヶ月後に漁師の網にかかって、台湾に帰ってきました。

その功績は台湾の人たちによって認められ、この5月8日を八田與一の命日とし、慰霊祭を開催しているとのことです。

1945年の終戦で日本人の引き揚げが始まったが夫人は台湾にとどまり、8月31日、長男が戦地から戻ってきた翌9月1日、外代樹夫人は送水口に身を投げました。

更に9月1日は、夫の作ったダムの着工記念日でした。

黒い着物の正装で、飛び込んだ場所には草履をきちんと揃えてあったといいます。
送水口。
可憐な桜が咲いていました。

ダム湖です。

ダム湖が見える場所に八田興一技師の像とお墓がありました。
烏山頭ダムにある八田の銅像はダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたもので、住民々意と周囲意見で出来上がったユニークな像は、固辞していた八田本人の意向を汲み一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置されたそうな。
像の後ろに奥様と一緒の墓碑がありました。

ベルギー製蒸気機関車、ダムの工事に関わる全てで利用されていたそうな。
12:30、ではでは台南市内へ移動します。