からっ風と、繭の郷の子守唄(92)
「貞園の左手首に白い包帯、まさかのリストカットかと驚く康平」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/39/e7196286d61932be860f0b6e0007f2d8.jpg)
九月も半ばを過ぎると、激しかった夏の暑さも一段落をみせます。
日暮れの時間が少しずつ早くなり、午後の6時を過ぎたばかりだというのに呑竜マーケットの
細長い路地道では、早くも暗い影が長く尾をひきはじめます。
「冬至に向かって、1週間に10分ずつ日暮れが早くなるそうです。
真夏には7時を過ぎても明るかったというにのに、真冬になると5時でもう真っ暗です。
今日のゴルフはスタートが遅すぎたから、日没のために、3ホールが回れなかった・・・・
ついていないのよ。最近の私は。公私ともに」
秋物のゴルフウェア姿で貞園が、久しぶりに康平の店へ顔を出しました。
そろそろ店を開けようと思っていた康平が、貞園の手首を見つめて驚き思わず立ち止まります。
貞園の左手首には、巻かれたばかりと思われる白い包帯が光っています。
ようやくのことで本妻との離婚が成立をしたパパの光太郎は、その後の身の振り方については、
周囲に、一向に明らかにしていません。
しかし先日聞いたばかりの幸太郎の噂が、一瞬にして康平の脳裏を横切っていきます。
前橋市に誕生をした小さな町の電気屋さんが、家電量販時代の波に乗り、
商魂たくましい新たな営業戦略を駆使した結果、店舗数をじわりじわりと増やしはじめ、
いつしか、全国的に展開をしていこうという野望さえ持ち始めました。
家電量販店の社長は、幸太郎より2年ほど年上になりますが、
光太郎とは同級生で、早々とバツイチとなった美しい女性は、その妹にあたります。
遺恨めいた話がひとつ残っています。別の女性との結婚を決めた光太郎に未練を残しながらも、
好きでもない男に嫁いだと、その時は巷でもおおいに噂をされていました。
それを見事に証明するかのように、一年も持たずに、この妹が離婚を決めてしまいます。
その女性の存在こそが、今回の幸太郎の離婚劇の背景だろうという噂が、
まことしやかに、飲み屋街で飛び交っています。
密かに結婚などを夢見ていた貞園にしてみれば、思いもかけていないところでの、
まさかと言える、強力すぎるライバルの急浮上です。
「お前。まさか、その手は・・・・」
業を煮やした貞園が、強行策のリストカットでも遂にやらかしたと、康平が早合点をしています。
『ああ、これのこと?』と、自分の左手首を見つめ、貞園が軽く鼻で笑ってみせます。
ヒョイと持ち上げた手首を、まるでバイバイでもするかように、軽く左と右へ振ってみせます。
が、突然押し寄せてきた痛みに『駄目だ』とばかりに、顔をしかめてしまいます。
「そうか。
そういう技で、パパに揺さぶりをかけるという手法もあったのか・・・・。
でもこちらを振り向かせるために、卑怯な小細工を使うのは、私の流儀じゃないもの。
落ち着かない毎日を送ってはいますけど、事態はまだそれほど深刻じゃありません。
康平こそ、もう真夏は過ぎたというのに、見るからに日に焼けて真っ黒けじゃないの
毎日何をやってんのさ。最近はろくに遊んでくれないと、
千尋ちゃんが泣いているわ」
「そうか。リストカットじゃなかったんだ。よかったぜ、俺も安心をした」
「馬鹿な心配なんかしないでよ。手首なんかは切りません。私は。
突然の腱鞘炎で痛むから、湿布をして、ただ包帯をまいているだけの話よ。
悪かったわね、リストカットもできないほど強情で、それでいて情けない女で。
それよりも先に質問に答えなさいよ。
最近、男どもがなにやらこそこそと、何かを始めているでしょう。あんたたち」
「野菜を作っていない畑で、男たちが園芸クラブをたちあげた。
ただ、それだけのことさ。」
「怪しいなぁ。
毎日、赤いトラクターが畑の中を駆け回っているし、
先日は高所作業車を動員をして、男どもが朝から晩まで大騒ぎをしていたと聞いているわ。
なにやら尋常でない作業などを始めたと、千尋ちゃんから聞かされています」
「もう嗅ぎつけたのか、早いなぁ。
畑で、3000本の桑の苗を育て始めた。ただそれだけのことだ」
「なんのために?」
「決まっているだろう。畑に桑を育てるためだ」
「いまさら、桑なんか育ててどうするの?」
「蚕に食わせるためだ。本格的な蚕の飼育も、さきざきで考えている」
「ふぅ~ん。で、あんたと一緒に働いている長身の相棒だけど、あれはいったいどこの何者なの。
千尋が言うには、どうもあの背格好には見覚えがあると言う話だわ。
白状しなさい。何者なの?」
「今は白状できないが、まぁ、いい男で、俺たちの仲間の一人だ。
それよりそっちはどうなんだ。勝算はあるのか、この先の事態の展開というやつで」
「確率って言いなさい。勝算という言葉は好きじゃない」
「では聞きなおす。確率的にはどうなんだ」
「ゼロかなぁ。有っても、5か10%・・・・、そんなものでしょう、確率的には」
「ゼロってお前。まさかなぁ・・・・いいのか、それでも」
「パパが決めることだもの。私にはどうにもなりません。
それとも康平が言うように、今からでも手首を切って驚かして見せようか。
でもさぁ。分かってはいても、そういことができない女なんだよ、あたしっていう女は」
「大丈夫か、お前」
「なにが?」
「精神的にさ。本当は、まいっているんじゃないのか。無理してないか?」
「ありがとう。そういう風に、本気で心配をしてくれるのは康平だけだ。
大丈夫だよ。なるようにしかならないもの・・・・
でもさぁ。私のことよりも、あんたのところだって、千尋をめぐって男同士で呉越同舟の仲でしょ。
あたしのところは、どうにもならないジレンマで、針のムシロ状態だし。
世の中。かんたんにはうまくいかないわね・・・・」
「みんなお見通しか。
あの男が、京都時代の恋人だと気がついているのかな。千尋は」
「うすうすとね。でも終わったことだと、本人はきっぱりと宣言をしていた。
だけどねぇ。男と女のことだけは、先のことがわかりません。
美和子の歌の文句じゃないけれど、あたしの赤い糸は、どこへつながっているんだろう。
康平。あんたこそ、赤い糸の結んだ先は、はどこなのさ?」
「俺の赤い糸だって、あっちとこっちで、全部まとめて切れちまいそうな気配が漂ってきた。
たしかに、恋路の先のことは誰にもわからない。一杯飲むか。おごるぞ」
「いいねぇ、やけ酒か。
うん。康平のおごりなら、死ぬほどたっぷりと飲む!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/58/312d7a468c6945961be84109717b065e.jpg)
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「貞園の左手首に白い包帯、まさかのリストカットかと驚く康平」
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九月も半ばを過ぎると、激しかった夏の暑さも一段落をみせます。
日暮れの時間が少しずつ早くなり、午後の6時を過ぎたばかりだというのに呑竜マーケットの
細長い路地道では、早くも暗い影が長く尾をひきはじめます。
「冬至に向かって、1週間に10分ずつ日暮れが早くなるそうです。
真夏には7時を過ぎても明るかったというにのに、真冬になると5時でもう真っ暗です。
今日のゴルフはスタートが遅すぎたから、日没のために、3ホールが回れなかった・・・・
ついていないのよ。最近の私は。公私ともに」
秋物のゴルフウェア姿で貞園が、久しぶりに康平の店へ顔を出しました。
そろそろ店を開けようと思っていた康平が、貞園の手首を見つめて驚き思わず立ち止まります。
貞園の左手首には、巻かれたばかりと思われる白い包帯が光っています。
ようやくのことで本妻との離婚が成立をしたパパの光太郎は、その後の身の振り方については、
周囲に、一向に明らかにしていません。
しかし先日聞いたばかりの幸太郎の噂が、一瞬にして康平の脳裏を横切っていきます。
前橋市に誕生をした小さな町の電気屋さんが、家電量販時代の波に乗り、
商魂たくましい新たな営業戦略を駆使した結果、店舗数をじわりじわりと増やしはじめ、
いつしか、全国的に展開をしていこうという野望さえ持ち始めました。
家電量販店の社長は、幸太郎より2年ほど年上になりますが、
光太郎とは同級生で、早々とバツイチとなった美しい女性は、その妹にあたります。
遺恨めいた話がひとつ残っています。別の女性との結婚を決めた光太郎に未練を残しながらも、
好きでもない男に嫁いだと、その時は巷でもおおいに噂をされていました。
それを見事に証明するかのように、一年も持たずに、この妹が離婚を決めてしまいます。
その女性の存在こそが、今回の幸太郎の離婚劇の背景だろうという噂が、
まことしやかに、飲み屋街で飛び交っています。
密かに結婚などを夢見ていた貞園にしてみれば、思いもかけていないところでの、
まさかと言える、強力すぎるライバルの急浮上です。
「お前。まさか、その手は・・・・」
業を煮やした貞園が、強行策のリストカットでも遂にやらかしたと、康平が早合点をしています。
『ああ、これのこと?』と、自分の左手首を見つめ、貞園が軽く鼻で笑ってみせます。
ヒョイと持ち上げた手首を、まるでバイバイでもするかように、軽く左と右へ振ってみせます。
が、突然押し寄せてきた痛みに『駄目だ』とばかりに、顔をしかめてしまいます。
「そうか。
そういう技で、パパに揺さぶりをかけるという手法もあったのか・・・・。
でもこちらを振り向かせるために、卑怯な小細工を使うのは、私の流儀じゃないもの。
落ち着かない毎日を送ってはいますけど、事態はまだそれほど深刻じゃありません。
康平こそ、もう真夏は過ぎたというのに、見るからに日に焼けて真っ黒けじゃないの
毎日何をやってんのさ。最近はろくに遊んでくれないと、
千尋ちゃんが泣いているわ」
「そうか。リストカットじゃなかったんだ。よかったぜ、俺も安心をした」
「馬鹿な心配なんかしないでよ。手首なんかは切りません。私は。
突然の腱鞘炎で痛むから、湿布をして、ただ包帯をまいているだけの話よ。
悪かったわね、リストカットもできないほど強情で、それでいて情けない女で。
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最近、男どもがなにやらこそこそと、何かを始めているでしょう。あんたたち」
「野菜を作っていない畑で、男たちが園芸クラブをたちあげた。
ただ、それだけのことさ。」
「怪しいなぁ。
毎日、赤いトラクターが畑の中を駆け回っているし、
先日は高所作業車を動員をして、男どもが朝から晩まで大騒ぎをしていたと聞いているわ。
なにやら尋常でない作業などを始めたと、千尋ちゃんから聞かされています」
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畑で、3000本の桑の苗を育て始めた。ただそれだけのことだ」
「なんのために?」
「決まっているだろう。畑に桑を育てるためだ」
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それよりそっちはどうなんだ。勝算はあるのか、この先の事態の展開というやつで」
「確率って言いなさい。勝算という言葉は好きじゃない」
「では聞きなおす。確率的にはどうなんだ」
「ゼロかなぁ。有っても、5か10%・・・・、そんなものでしょう、確率的には」
「ゼロってお前。まさかなぁ・・・・いいのか、それでも」
「パパが決めることだもの。私にはどうにもなりません。
それとも康平が言うように、今からでも手首を切って驚かして見せようか。
でもさぁ。分かってはいても、そういことができない女なんだよ、あたしっていう女は」
「大丈夫か、お前」
「なにが?」
「精神的にさ。本当は、まいっているんじゃないのか。無理してないか?」
「ありがとう。そういう風に、本気で心配をしてくれるのは康平だけだ。
大丈夫だよ。なるようにしかならないもの・・・・
でもさぁ。私のことよりも、あんたのところだって、千尋をめぐって男同士で呉越同舟の仲でしょ。
あたしのところは、どうにもならないジレンマで、針のムシロ状態だし。
世の中。かんたんにはうまくいかないわね・・・・」
「みんなお見通しか。
あの男が、京都時代の恋人だと気がついているのかな。千尋は」
「うすうすとね。でも終わったことだと、本人はきっぱりと宣言をしていた。
だけどねぇ。男と女のことだけは、先のことがわかりません。
美和子の歌の文句じゃないけれど、あたしの赤い糸は、どこへつながっているんだろう。
康平。あんたこそ、赤い糸の結んだ先は、はどこなのさ?」
「俺の赤い糸だって、あっちとこっちで、全部まとめて切れちまいそうな気配が漂ってきた。
たしかに、恋路の先のことは誰にもわからない。一杯飲むか。おごるぞ」
「いいねぇ、やけ酒か。
うん。康平のおごりなら、死ぬほどたっぷりと飲む!」
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