つわものたちの夢の跡・Ⅱ
最終話 旅は終わらない
「あなたはわたしのために、わざわざ、戻ってきてくれたんでしょ」
すずの瞳が、真正面から勇作を見つめる。
「しあわせ過ぎるわたしが、ここに住んでいる。
あなたの気持ちには、こころの底から感謝しています。
でもね。申し訳ない気持ちが、わたしの中に山ほどあるの。
あなたは遠く離れた関東で、生活の根を張った人。
福井で暮らした15年よりもはるかに長い歳月を、新田の荘で過ごしてきた人。
今更帰ってこなくてもよかったのよ。無理して、こんな私のところへなんか。
でも素直に嬉しい。そんな風に喜んでいるわたしが、ここに住んでいます」
すずが胸のふくらみに、白い指を置く。
ショールを羽織ったすずの姿が、勇作の眼にまぶしく映る。
ふと視線を外した勇作の眼に、冬の瀬戸内海の美しい景色が飛び込んできた。
丘の麓から見下ろす瀬戸内の海は、涙が出るほど美しい。
北西から吹く湿気を帯びた冬の季節風が、中国山地の北西に雪を降らせる。
湿気を落とし、すっかり乾いた風が、瀬戸内海の隅々まで吹きわたっていく。
かわいた風は、瀬戸内海の空気を澄みわたらせる。
小さな島のひとつひとつ。雲の小さな断片までが、ここではくっきりと目に飛び込んでくる。
この美しさを存分に見るために、義助の墓はここに建てられたのだろう。
「俺たちの旅は終わらないさ。むしろここから始まる。
戻ったら2人で病院へ行こう、すず。
専門医に診てもらい、どうしたらいいのかを2人で考えていこう」
「いまさら急ぐこともありません。勇作。
福井で診断が終ったら、白羽二重の産着をもって群馬へ急ぐ必要が有ります。
わたしたちの共通の友人。お茶目だった朋花がお母さんになる日が近づいているのよ。
あなたも行くでしょ。
旅のきっかけを作ってくれた小生意気な、上州娘のもとへ」
「えっ、もうそんな時期がやってくるのか。
そういえば世話になったなぁ。社会科の先生を目指す小生意気な卵には・・・」
「ふふふ。男の子が生まれてくるそうです。
新田義貞か、プロ野球でがんばっている斎藤佑樹の生まれ変わりになるかもしれません」
「なんだ。もう男が生まれるとわかっているのか。
味気ないんだなぁ、いまどきの医学は」
「超音波機器の発達で、胎児の性別を簡単に判読できます。
むしろ合理的でしょ。どちらが生まれてくるのか出産前から分かっていれば」
「ということは旅の第2ラウンドが、福井へ戻った瞬間からまたはじまるわけか」
「2回、3回と、たぶん果てしなく続きます。
あなたのことを忘れないために、せいいっぱいわたしは頑張ります。
軽度認知障害が何よ。
やっと戻ってきてくれたんだもの。わたしだけのために、わたしの勇作が。
忘れるわけにいかないじゃないの。こうして2人で居る限り」
「無理すんな、すず。忘れたって俺はかまわない。
君がすべてを忘れてしまっても、俺は死ぬまで、君の隣に必ず居る」
「泣かせないで、勇作。
せっかくの美しい景色が、ぼやけて、だんだん見えなくなってきたわ・・・」
「なんだ。今度は視力障害の発生か?。
なんだか病気が多い女だな、お前ってやつは」
「馬鹿。涙でぼやけて、見えなくなっただけのことです。
こんな美しい景色の中で、告白されるなんて考えてもみませんでしたねぇ。
ああ・・・あれから40年。
諦めず待っていた甲斐がありましたねぇ。うふふ、勇作さん」
「そうだな。俺たちはここへたどり着くまでに、40年間も無駄にした。
しかし遠回りしたからこそ、気が付くことも有る。
もう絶対に離さないぞ、すず。
いつまでも俺のそばに、俺のためだけに居てくれ」
「40年前に言ってくれれば、別の人生もひらけていたのになぁ・・・」
「そうだな。15の時、俺のために待っていてくれと、ひとこと言えば
たぶん違う人生もあっただろう。
そのひとことを言えなかったため、君に40年間もつらい想いをさせちまった。
悪かったなぁ、すず。甲斐性のない男で」
「新田義貞や脇屋義助よりも、はるかにたくましい男に見えます。いまの勇作は。
お帰りなさい、勇作。
こんな女になってしまいましたが、こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」
「おう。任せろ」勇作が、すずの肩を引き寄せる。
美しい瀬戸内海を見下ろす丘の麓。
40年間。口に出せなかった言葉をようやく吐き出した男が、最愛の女の肩を抱く。
40年間。ひたすら待ちつづけた女が、こころから安心して男に身体をあずける。
美しい瀬戸内海が、2人のためにキラリと光った様な気がした。
そんな気がする2人の旅の、最初のゴールだ。
(完)
ご愛読、ありがとうございました。
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
最終話 旅は終わらない
「あなたはわたしのために、わざわざ、戻ってきてくれたんでしょ」
すずの瞳が、真正面から勇作を見つめる。
「しあわせ過ぎるわたしが、ここに住んでいる。
あなたの気持ちには、こころの底から感謝しています。
でもね。申し訳ない気持ちが、わたしの中に山ほどあるの。
あなたは遠く離れた関東で、生活の根を張った人。
福井で暮らした15年よりもはるかに長い歳月を、新田の荘で過ごしてきた人。
今更帰ってこなくてもよかったのよ。無理して、こんな私のところへなんか。
でも素直に嬉しい。そんな風に喜んでいるわたしが、ここに住んでいます」
すずが胸のふくらみに、白い指を置く。
ショールを羽織ったすずの姿が、勇作の眼にまぶしく映る。
ふと視線を外した勇作の眼に、冬の瀬戸内海の美しい景色が飛び込んできた。
丘の麓から見下ろす瀬戸内の海は、涙が出るほど美しい。
北西から吹く湿気を帯びた冬の季節風が、中国山地の北西に雪を降らせる。
湿気を落とし、すっかり乾いた風が、瀬戸内海の隅々まで吹きわたっていく。
かわいた風は、瀬戸内海の空気を澄みわたらせる。
小さな島のひとつひとつ。雲の小さな断片までが、ここではくっきりと目に飛び込んでくる。
この美しさを存分に見るために、義助の墓はここに建てられたのだろう。
「俺たちの旅は終わらないさ。むしろここから始まる。
戻ったら2人で病院へ行こう、すず。
専門医に診てもらい、どうしたらいいのかを2人で考えていこう」
「いまさら急ぐこともありません。勇作。
福井で診断が終ったら、白羽二重の産着をもって群馬へ急ぐ必要が有ります。
わたしたちの共通の友人。お茶目だった朋花がお母さんになる日が近づいているのよ。
あなたも行くでしょ。
旅のきっかけを作ってくれた小生意気な、上州娘のもとへ」
「えっ、もうそんな時期がやってくるのか。
そういえば世話になったなぁ。社会科の先生を目指す小生意気な卵には・・・」
「ふふふ。男の子が生まれてくるそうです。
新田義貞か、プロ野球でがんばっている斎藤佑樹の生まれ変わりになるかもしれません」
「なんだ。もう男が生まれるとわかっているのか。
味気ないんだなぁ、いまどきの医学は」
「超音波機器の発達で、胎児の性別を簡単に判読できます。
むしろ合理的でしょ。どちらが生まれてくるのか出産前から分かっていれば」
「ということは旅の第2ラウンドが、福井へ戻った瞬間からまたはじまるわけか」
「2回、3回と、たぶん果てしなく続きます。
あなたのことを忘れないために、せいいっぱいわたしは頑張ります。
軽度認知障害が何よ。
やっと戻ってきてくれたんだもの。わたしだけのために、わたしの勇作が。
忘れるわけにいかないじゃないの。こうして2人で居る限り」
「無理すんな、すず。忘れたって俺はかまわない。
君がすべてを忘れてしまっても、俺は死ぬまで、君の隣に必ず居る」
「泣かせないで、勇作。
せっかくの美しい景色が、ぼやけて、だんだん見えなくなってきたわ・・・」
「なんだ。今度は視力障害の発生か?。
なんだか病気が多い女だな、お前ってやつは」
「馬鹿。涙でぼやけて、見えなくなっただけのことです。
こんな美しい景色の中で、告白されるなんて考えてもみませんでしたねぇ。
ああ・・・あれから40年。
諦めず待っていた甲斐がありましたねぇ。うふふ、勇作さん」
「そうだな。俺たちはここへたどり着くまでに、40年間も無駄にした。
しかし遠回りしたからこそ、気が付くことも有る。
もう絶対に離さないぞ、すず。
いつまでも俺のそばに、俺のためだけに居てくれ」
「40年前に言ってくれれば、別の人生もひらけていたのになぁ・・・」
「そうだな。15の時、俺のために待っていてくれと、ひとこと言えば
たぶん違う人生もあっただろう。
そのひとことを言えなかったため、君に40年間もつらい想いをさせちまった。
悪かったなぁ、すず。甲斐性のない男で」
「新田義貞や脇屋義助よりも、はるかにたくましい男に見えます。いまの勇作は。
お帰りなさい、勇作。
こんな女になってしまいましたが、こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」
「おう。任せろ」勇作が、すずの肩を引き寄せる。
美しい瀬戸内海を見下ろす丘の麓。
40年間。口に出せなかった言葉をようやく吐き出した男が、最愛の女の肩を抱く。
40年間。ひたすら待ちつづけた女が、こころから安心して男に身体をあずける。
美しい瀬戸内海が、2人のためにキラリと光った様な気がした。
そんな気がする2人の旅の、最初のゴールだ。
(完)
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