連載小説「六連星(むつらぼし)」第13話
「日帰り温泉・日光やしおの湯」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6d/91984181f5f35e830e50ead4917f8807.jpg)
「ほうら、見つけた。やっぱリ有ったわ」
あいかわらずシートベルトを外したまま、ずっと俊彦の肩にもたれていた響が
日帰り温泉施設「日光やしおの湯」の駐車場で、一番目立つところに
停められている自分の愛車を見つけました。
「真っ赤なミニクーパーで、ナンバーも3298(ミニクパ)。
日本中を探したって、これと同じ車なんか、ほかには一台もありません。
お母さんが乗る時にはすんなりと言うことをきいて動く癖に、
私が乗ると、ジャジャ馬に変身してしまう車なの。
欲しくて、欲しくて、短大へ行く時に、無理やりやっと買ってもらったんだけど、
燃費が悪いうえに、シートは固くて座りにくいのよ。
おまけにエンジンブレーキが利きすぎて、
アクセルを離すと、ガックンガックンとノッキングをするんだもの・・・・
まったく乗りにくいったらありゃしない。
扱いにくい車だったわ」
「過去形の表現だね。それって・・・・」
「私の手には負えなかったので、今は、母が愛車にしています。
へぇ~こんな谷あいに、市営の温泉施設が有るなんて、はじめて知ったわ。
広々としていて、見るから清潔そうだし、モダンな感じで私好みの建物の外観だ。
あ、・・・・ほらほら。やっぱり居た!
ガラス越しで、もうお母さんが、手なんか振ってる。
でも、あの顔は見るからに怪しいなぁ。
本気で私に手を振っているつもりかしら、あれで。
電話をわざわざかけてきたくらいだもの、やっぱり本命はトシさんなのかな。
そうなると、結局私はただの、おじゃま虫だ・・・・(まいったなぁ)」
日光市営の公共温泉施設「やしおの湯」は、
日光宇都宮道路・清滝インターチェンジの近くの山間に、
1990年代の後半、当時の日帰り温泉ブームにのって建設されたものです。
国際観光都市の日光らしく、洗練された外観を保ち、中も広々と設計をされています。
天然温泉の泉質の良さが売り物で、市民のみならず、観光客たちにも好評です。
国際観光都市・日光の市内地にある隠れた名所の一つにもなっています。
無色透明でとろりとしているお湯は、アルカリ性の単純温泉です。
肌がつるつるになると女性に評判が良く芸者の清子も、ここは温泉の大ファンです。
天井はすこぶる高く、大きなガラス窓で囲まれた広い休憩スペースの一番奥のソファでは、
笑顔の清子が、沢山の荷物の間でちょこんと座って待機をしていました。
「あら、ご機嫌よう、トシさん。
娘の響がたいへん、お世話になっています。
ひとり親で育てたせいで、なにかと躾(しつけ)なども行き届いておりません。
くわえて自由奔放な性格の持ち主ですので、なにかにつけて私も手を焼いています。
ご迷惑をしていませんか?。
なにしろ突然家出をしたあげく、これまた突然桐生に現れて、
勝手にトシさんの処へ転がりこんでしまったようです。
ごめんなさいね。親子で面倒ばかりをかけてしまって・・・・うふふふ」
「それが、案外とそうでもないようです、お母さん。
殺風景な部屋に、華があるなどと言って、
トシさんは予想外なほど、嬉々として、私の登場をよろこんでくれているようです!」
「これっ、響。
ご免なさいね。本当に躾が行き届いていなくて。
一人っ子のために余りきついことも言わずに、甘やかしすぎて私が育ててしまいました。
親の責任です。これほどまでに、たしなみが足りないのは」
「俺も、驚きっぱなしだ。
君に、まさかこんな大きな娘さんが居たなんて、夢にも思わなかった。
響とは、ひょんなことから知り合いになったのだが、
そう言われてみると、どことなく昔の君の面影もあるようだ。
もっとも君は・・・・こんなジャジャ馬では無かったような気もするが。
現代っ子らしくていいんじゃないか」
「ここは、お肌がつるつるになって、
美人にもなるという効能がある、天然の温泉だそうです。
しかも源泉100%の掛け流しとくれば、もう言うことなどはありません。
私は、ひと足お先にお風呂へいってまいります。
どうぞお二人は、心おきなくお話を続けてください。
邪魔者は(気を利かせて)さっさとお風呂に消えますので。」
清子が用意をしてきた沢山の荷物の中から、入浴セットを受け取ると、
響が、鼻歌まじりで立ち去ってしまいます。
苦笑しながら響の後ろ姿を見送っている清子の横顔を、俊彦の強い目線が射ぬきます。
「あら、どうかなさいましたか。それほどまでに怖い目をして・・・・。
なにか、お気に触ったことでも、ありましたかしら」
「ひとつだけ、君に確認したい。
此処だけの話だ。あの子は自分で21歳と自己紹介をしたが、
それは、本当の話か」
「何が知りたいの。なんで響の歳にそれほどまでにこだわるの?」
「毎年、足尾での植樹で君とは行き会ってきた。
一年に一度の楽しみとして、七夕みたいでそれもいいなと思い続けてきた。
だが長い付き合いの中で一度として君から、子供がいると言う話を聞いた覚えがない。
先日、君からかかってきた電話で、実は大仰天をした。
娘が家出をしてしまったという君の告白に正直、俺はおおいに面食らった。
かならず桐生に現れるだろうと言う、君の予見も大当たりをした。
娘が居ると言うことと、桐生に現れるだろうと言うふたつの事実をもとにして、
俺は、もしかしたらという可能性について、考えはじめた。
だがあの子は、自分の年齢は21歳だと言いはっている。
しかし実際はそれよりも3年前のことで、もしかしたらあの子は、
響きは、24歳になるのかもしれない。
それならば、俺にも少なからず心当たりがある。
どうなんだ、お前。
俺のただの・・・・勘ぐりすぎか?」
「何が知りたいの・・・・」
「本当のことが、知りたい。
根拠は無いが、もしかしたら、この子は俺の娘かもしれない・・・・
なぜか初めて出会った時から、俺にはそんな胸騒ぎが有る。
違うのか?」
清子がそれまで崩していた足を戻します。
俊彦をしっかりと見つめたまま、静かに背筋を正しました。
小柄な清子は正座をすると、さらに一回りも華奢に見えてしまいます。
「あれはたしか・・・・」と言いかけただけで、
続きを言うかと思いきや、やはり躊躇をみせてそのまま目線を伏せてしまいます。
そのまま数呼吸、清子の両肩だけが静かに上下を繰り返しています。
昼下がりの休憩スペースには、ほとんど人の気配が有りません。
がらんとした広い空間の中に、刻々と静かに沈黙の時間だけが流れていきます。
やがて覚悟を決めたと思える清子が、凛とした眼差しを俊彦に向けます。
「あなたとは、20歳の時に湯西川温泉の伴久ホテル別館で、別れました。
あの特別室『嬉し野』で、私のほうから一方的に離縁の宣言をして、
いぶかるあなたと、無理やりに別れたのは、たしかに今から25年前の話です。
それから7ヵ月の後に、私は、2700グラムの女の子を産みました。
その女の子があの子で、響です。
母子ともに健康で、すこぶる安産でした。
そういう意味では、あの子は生まれた時から実に親孝行な娘です。
何が有ってもこの子を産みたいと、私がひとりで決めたのは、
あなたと別れる少し前の時でした。
心細いという思いはありましたが、それ以上にもう一方での心配ごとは、
中途半端なままになっている芸者の修業のほうでした。
15歳で芸妓にあこがれて、ひたすらその想いだけで
私は、花柳界へ飛び込んでしまいました。
パトロンや旦那様という制度に支えられて、芸妓の道をまっとうするのが、
当時のほとんどの芸者さんたちの生き方です。
普通に結婚するのは無理だろうと、私も、最初から覚悟は決めていました。
そうして始まったはずの私の芸者修業も、たった5年で挫折をしてしまいました。
板前修業をはじめたあなたが、まさか湯西川へ来るとは考えても居ませんでした。
あなたへの初恋の想いなんか、忘れたふりをして、
きっちりと封印をしておけばよかったのに、
私には、そうすることがどうしても出来ませんでした・・・・
あなたが現れて、初めての男性となり、同時に初めての生命まで授かりました。
今までの決意とは裏腹に、お腹の生命が急に愛おしくなり、日を追うごとに、
なにがあっても産みたいと、その時もまた勝手に未来を決めてしまいました。
我儘な私を支えてくれたのは、湯西川の女たちです。
私を白い目で見るどころか、万事のすべて呑みこんで
目をつぶって面倒を見てくれたのが、置き屋のお母さんと、伴久ホテルの若女将です。
産むと決めた私を、陰ひなたとなって文字通り全力で支えてくれました。
そうして産まれた響もまた同じように、我が子のように可愛がってくれました。
田舎の温泉街で、一人身の見習い芸者が子供を産むという前代未聞の不祥事です。
最初の頃は、たしかに好奇の目もありましたが、
お母さんと、老舗の若女将の全面的な後楯が、私たち親娘の強い味方になってくれました。
響は、湯西川の粋な女たちの愛に見守られて育ってきた女の子です。
小学校の入学前に、お友達の岡本さんと宇都宮でばったりと
遭遇した時には、さすがに私も肝を冷やしました。
でも、あの人も約束を守ってくれて、このことは一切口外をしなかったようです。
ずっと響のことは、胸に秘めたままにしておきたかったのですが、
響が、それを許してはくれなかったようです。
こんな形で、父と娘が出あうようになるなんて、私は夢にも思いませんでした」
「響が俺の前に現れなかったから、君は一生秘密にしておくつもりだったのか・・・・
君の覚悟ぶりは、それでよくわかった。
だが何故か、俺にもそんなかすかな予感がしていたんだ。
それにしても今日まで・・・・ずいぶんと苦労をしただろうに」
「ささいな苦労ならありました。
でもそれ以上に、小さな響が私にすべての元気と勇気をくれました。
私はいまでも、あの子を産んでよかったと、心の底から思っています。
こんな事態になってしまった事だけが、想定外ですが・・・・」
「俺はあの子の父親としては、失格という意味なのか」
「いいえ、あなたに一切の落ち度はありません。
私が一人で決めて、身勝手なままに産んでしまった娘です。
第一、他に恋人がいたことを充分にしりながら、
それでもあなたを、承知の上で誘惑をしてしまったという私自身の罪です。
小学校3年のときからの初恋でしたもの。
その念願が思わぬ形で成就をして、
そのうえ新しい生命まで残してくれたことに、今でも感謝はしています。
もう、そこから先はあなたとの思い出だけでも生きていくことができると考えました。
それなのに、あなたったら、せっかくその人と結婚をしたくせに、
わずか数年で離婚してしまうんだもの、
そっちの出来事にこそ、私はびっくりしました。
それもまた・・・・私にすれば想定外の出来ごとのひとつです」
「人にはいろいろ事情が有る。
だが、響はいい子だ。なんだか周りを華やかにしてくれる。
あの子を見ていると、良質の感動の中で育てられてきたという気がしてならない。
湯西川温泉の温かい人情は、ああいう娘を育ててくれるんだな。
有りがたい話だ
俺には、もったいないくらいの娘だと思う」
「どうしたいの、あなたは。
響に、実は俺が父親だと名乗り出る? 」
「まだ、何も決めていない。
いまさらという気もするし、響に拒絶されたりすると俺が辛くなる」
「響には内緒だよ・・・・あんた。
あんたと行き会ったその翌日、実は響から、メールが届いているの。
『お父さんらしい人を、桐生で見つけたわ』って書いてきた。
どう、それに心当たりは有る?」
「え!、・・・・いや、まったく気がつかなかった」
「でしょうね。
ただ、そんな予感がするとだけ書いてきたもの。
それとも、よりを戻して私たちが結婚をしてみるっていうのは、どうよ。
それなら、響は晴れてあんたの娘になるわ」
「い、いまさらか・・・・」
「あら、いやなの。それでは?
響は、24年間も父親の登場を待ち続けたけど、
私も同じように、亭主になってくれる人を24年間も待ち続けているもの。
でも、桐生になんか絶対に住まないわよ。
清子は一生、湯西川で現役の芸者を続けます。これは運命だもの」
「俺も、20年間続けた『六連星』を閉めるわけにはいかねぇ」
「湯西川へ来いなどとは、ひとことも言っていません・・・・」
「じゃ、どうすんだよ」
「いいんじゃないの、お互い、単身赴任同士の中距離恋愛でも。
用が有る時だけ会いに来れば。
もう若くはないんだもの、それほどの用事も無いか、うっふふふ・・・・」
「あのなぁ・・・・」
「湯西川芸者というものは、粋と身持ちが堅いことで、つとに有名です。
私も、たった一度の過ちだけをのぞいては、
それを常に、頑(かたく)なまでに通しています。
ねぇ・・・・あんた以外は・・・・うふふふ」
「勝手にしろっ・・・・」
(14)へ、つづく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c7/8e5272b1e2137cce8adde0471382626a.jpg)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
・新作小説は、こちらで更新中です
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (46)会津の盆踊り
http://novelist.jp/62648_p1.html
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.html
「日帰り温泉・日光やしおの湯」
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「ほうら、見つけた。やっぱリ有ったわ」
あいかわらずシートベルトを外したまま、ずっと俊彦の肩にもたれていた響が
日帰り温泉施設「日光やしおの湯」の駐車場で、一番目立つところに
停められている自分の愛車を見つけました。
「真っ赤なミニクーパーで、ナンバーも3298(ミニクパ)。
日本中を探したって、これと同じ車なんか、ほかには一台もありません。
お母さんが乗る時にはすんなりと言うことをきいて動く癖に、
私が乗ると、ジャジャ馬に変身してしまう車なの。
欲しくて、欲しくて、短大へ行く時に、無理やりやっと買ってもらったんだけど、
燃費が悪いうえに、シートは固くて座りにくいのよ。
おまけにエンジンブレーキが利きすぎて、
アクセルを離すと、ガックンガックンとノッキングをするんだもの・・・・
まったく乗りにくいったらありゃしない。
扱いにくい車だったわ」
「過去形の表現だね。それって・・・・」
「私の手には負えなかったので、今は、母が愛車にしています。
へぇ~こんな谷あいに、市営の温泉施設が有るなんて、はじめて知ったわ。
広々としていて、見るから清潔そうだし、モダンな感じで私好みの建物の外観だ。
あ、・・・・ほらほら。やっぱり居た!
ガラス越しで、もうお母さんが、手なんか振ってる。
でも、あの顔は見るからに怪しいなぁ。
本気で私に手を振っているつもりかしら、あれで。
電話をわざわざかけてきたくらいだもの、やっぱり本命はトシさんなのかな。
そうなると、結局私はただの、おじゃま虫だ・・・・(まいったなぁ)」
日光市営の公共温泉施設「やしおの湯」は、
日光宇都宮道路・清滝インターチェンジの近くの山間に、
1990年代の後半、当時の日帰り温泉ブームにのって建設されたものです。
国際観光都市の日光らしく、洗練された外観を保ち、中も広々と設計をされています。
天然温泉の泉質の良さが売り物で、市民のみならず、観光客たちにも好評です。
国際観光都市・日光の市内地にある隠れた名所の一つにもなっています。
無色透明でとろりとしているお湯は、アルカリ性の単純温泉です。
肌がつるつるになると女性に評判が良く芸者の清子も、ここは温泉の大ファンです。
天井はすこぶる高く、大きなガラス窓で囲まれた広い休憩スペースの一番奥のソファでは、
笑顔の清子が、沢山の荷物の間でちょこんと座って待機をしていました。
「あら、ご機嫌よう、トシさん。
娘の響がたいへん、お世話になっています。
ひとり親で育てたせいで、なにかと躾(しつけ)なども行き届いておりません。
くわえて自由奔放な性格の持ち主ですので、なにかにつけて私も手を焼いています。
ご迷惑をしていませんか?。
なにしろ突然家出をしたあげく、これまた突然桐生に現れて、
勝手にトシさんの処へ転がりこんでしまったようです。
ごめんなさいね。親子で面倒ばかりをかけてしまって・・・・うふふふ」
「それが、案外とそうでもないようです、お母さん。
殺風景な部屋に、華があるなどと言って、
トシさんは予想外なほど、嬉々として、私の登場をよろこんでくれているようです!」
「これっ、響。
ご免なさいね。本当に躾が行き届いていなくて。
一人っ子のために余りきついことも言わずに、甘やかしすぎて私が育ててしまいました。
親の責任です。これほどまでに、たしなみが足りないのは」
「俺も、驚きっぱなしだ。
君に、まさかこんな大きな娘さんが居たなんて、夢にも思わなかった。
響とは、ひょんなことから知り合いになったのだが、
そう言われてみると、どことなく昔の君の面影もあるようだ。
もっとも君は・・・・こんなジャジャ馬では無かったような気もするが。
現代っ子らしくていいんじゃないか」
「ここは、お肌がつるつるになって、
美人にもなるという効能がある、天然の温泉だそうです。
しかも源泉100%の掛け流しとくれば、もう言うことなどはありません。
私は、ひと足お先にお風呂へいってまいります。
どうぞお二人は、心おきなくお話を続けてください。
邪魔者は(気を利かせて)さっさとお風呂に消えますので。」
清子が用意をしてきた沢山の荷物の中から、入浴セットを受け取ると、
響が、鼻歌まじりで立ち去ってしまいます。
苦笑しながら響の後ろ姿を見送っている清子の横顔を、俊彦の強い目線が射ぬきます。
「あら、どうかなさいましたか。それほどまでに怖い目をして・・・・。
なにか、お気に触ったことでも、ありましたかしら」
「ひとつだけ、君に確認したい。
此処だけの話だ。あの子は自分で21歳と自己紹介をしたが、
それは、本当の話か」
「何が知りたいの。なんで響の歳にそれほどまでにこだわるの?」
「毎年、足尾での植樹で君とは行き会ってきた。
一年に一度の楽しみとして、七夕みたいでそれもいいなと思い続けてきた。
だが長い付き合いの中で一度として君から、子供がいると言う話を聞いた覚えがない。
先日、君からかかってきた電話で、実は大仰天をした。
娘が家出をしてしまったという君の告白に正直、俺はおおいに面食らった。
かならず桐生に現れるだろうと言う、君の予見も大当たりをした。
娘が居ると言うことと、桐生に現れるだろうと言うふたつの事実をもとにして、
俺は、もしかしたらという可能性について、考えはじめた。
だがあの子は、自分の年齢は21歳だと言いはっている。
しかし実際はそれよりも3年前のことで、もしかしたらあの子は、
響きは、24歳になるのかもしれない。
それならば、俺にも少なからず心当たりがある。
どうなんだ、お前。
俺のただの・・・・勘ぐりすぎか?」
「何が知りたいの・・・・」
「本当のことが、知りたい。
根拠は無いが、もしかしたら、この子は俺の娘かもしれない・・・・
なぜか初めて出会った時から、俺にはそんな胸騒ぎが有る。
違うのか?」
清子がそれまで崩していた足を戻します。
俊彦をしっかりと見つめたまま、静かに背筋を正しました。
小柄な清子は正座をすると、さらに一回りも華奢に見えてしまいます。
「あれはたしか・・・・」と言いかけただけで、
続きを言うかと思いきや、やはり躊躇をみせてそのまま目線を伏せてしまいます。
そのまま数呼吸、清子の両肩だけが静かに上下を繰り返しています。
昼下がりの休憩スペースには、ほとんど人の気配が有りません。
がらんとした広い空間の中に、刻々と静かに沈黙の時間だけが流れていきます。
やがて覚悟を決めたと思える清子が、凛とした眼差しを俊彦に向けます。
「あなたとは、20歳の時に湯西川温泉の伴久ホテル別館で、別れました。
あの特別室『嬉し野』で、私のほうから一方的に離縁の宣言をして、
いぶかるあなたと、無理やりに別れたのは、たしかに今から25年前の話です。
それから7ヵ月の後に、私は、2700グラムの女の子を産みました。
その女の子があの子で、響です。
母子ともに健康で、すこぶる安産でした。
そういう意味では、あの子は生まれた時から実に親孝行な娘です。
何が有ってもこの子を産みたいと、私がひとりで決めたのは、
あなたと別れる少し前の時でした。
心細いという思いはありましたが、それ以上にもう一方での心配ごとは、
中途半端なままになっている芸者の修業のほうでした。
15歳で芸妓にあこがれて、ひたすらその想いだけで
私は、花柳界へ飛び込んでしまいました。
パトロンや旦那様という制度に支えられて、芸妓の道をまっとうするのが、
当時のほとんどの芸者さんたちの生き方です。
普通に結婚するのは無理だろうと、私も、最初から覚悟は決めていました。
そうして始まったはずの私の芸者修業も、たった5年で挫折をしてしまいました。
板前修業をはじめたあなたが、まさか湯西川へ来るとは考えても居ませんでした。
あなたへの初恋の想いなんか、忘れたふりをして、
きっちりと封印をしておけばよかったのに、
私には、そうすることがどうしても出来ませんでした・・・・
あなたが現れて、初めての男性となり、同時に初めての生命まで授かりました。
今までの決意とは裏腹に、お腹の生命が急に愛おしくなり、日を追うごとに、
なにがあっても産みたいと、その時もまた勝手に未来を決めてしまいました。
我儘な私を支えてくれたのは、湯西川の女たちです。
私を白い目で見るどころか、万事のすべて呑みこんで
目をつぶって面倒を見てくれたのが、置き屋のお母さんと、伴久ホテルの若女将です。
産むと決めた私を、陰ひなたとなって文字通り全力で支えてくれました。
そうして産まれた響もまた同じように、我が子のように可愛がってくれました。
田舎の温泉街で、一人身の見習い芸者が子供を産むという前代未聞の不祥事です。
最初の頃は、たしかに好奇の目もありましたが、
お母さんと、老舗の若女将の全面的な後楯が、私たち親娘の強い味方になってくれました。
響は、湯西川の粋な女たちの愛に見守られて育ってきた女の子です。
小学校の入学前に、お友達の岡本さんと宇都宮でばったりと
遭遇した時には、さすがに私も肝を冷やしました。
でも、あの人も約束を守ってくれて、このことは一切口外をしなかったようです。
ずっと響のことは、胸に秘めたままにしておきたかったのですが、
響が、それを許してはくれなかったようです。
こんな形で、父と娘が出あうようになるなんて、私は夢にも思いませんでした」
「響が俺の前に現れなかったから、君は一生秘密にしておくつもりだったのか・・・・
君の覚悟ぶりは、それでよくわかった。
だが何故か、俺にもそんなかすかな予感がしていたんだ。
それにしても今日まで・・・・ずいぶんと苦労をしただろうに」
「ささいな苦労ならありました。
でもそれ以上に、小さな響が私にすべての元気と勇気をくれました。
私はいまでも、あの子を産んでよかったと、心の底から思っています。
こんな事態になってしまった事だけが、想定外ですが・・・・」
「俺はあの子の父親としては、失格という意味なのか」
「いいえ、あなたに一切の落ち度はありません。
私が一人で決めて、身勝手なままに産んでしまった娘です。
第一、他に恋人がいたことを充分にしりながら、
それでもあなたを、承知の上で誘惑をしてしまったという私自身の罪です。
小学校3年のときからの初恋でしたもの。
その念願が思わぬ形で成就をして、
そのうえ新しい生命まで残してくれたことに、今でも感謝はしています。
もう、そこから先はあなたとの思い出だけでも生きていくことができると考えました。
それなのに、あなたったら、せっかくその人と結婚をしたくせに、
わずか数年で離婚してしまうんだもの、
そっちの出来事にこそ、私はびっくりしました。
それもまた・・・・私にすれば想定外の出来ごとのひとつです」
「人にはいろいろ事情が有る。
だが、響はいい子だ。なんだか周りを華やかにしてくれる。
あの子を見ていると、良質の感動の中で育てられてきたという気がしてならない。
湯西川温泉の温かい人情は、ああいう娘を育ててくれるんだな。
有りがたい話だ
俺には、もったいないくらいの娘だと思う」
「どうしたいの、あなたは。
響に、実は俺が父親だと名乗り出る? 」
「まだ、何も決めていない。
いまさらという気もするし、響に拒絶されたりすると俺が辛くなる」
「響には内緒だよ・・・・あんた。
あんたと行き会ったその翌日、実は響から、メールが届いているの。
『お父さんらしい人を、桐生で見つけたわ』って書いてきた。
どう、それに心当たりは有る?」
「え!、・・・・いや、まったく気がつかなかった」
「でしょうね。
ただ、そんな予感がするとだけ書いてきたもの。
それとも、よりを戻して私たちが結婚をしてみるっていうのは、どうよ。
それなら、響は晴れてあんたの娘になるわ」
「い、いまさらか・・・・」
「あら、いやなの。それでは?
響は、24年間も父親の登場を待ち続けたけど、
私も同じように、亭主になってくれる人を24年間も待ち続けているもの。
でも、桐生になんか絶対に住まないわよ。
清子は一生、湯西川で現役の芸者を続けます。これは運命だもの」
「俺も、20年間続けた『六連星』を閉めるわけにはいかねぇ」
「湯西川へ来いなどとは、ひとことも言っていません・・・・」
「じゃ、どうすんだよ」
「いいんじゃないの、お互い、単身赴任同士の中距離恋愛でも。
用が有る時だけ会いに来れば。
もう若くはないんだもの、それほどの用事も無いか、うっふふふ・・・・」
「あのなぁ・・・・」
「湯西川芸者というものは、粋と身持ちが堅いことで、つとに有名です。
私も、たった一度の過ちだけをのぞいては、
それを常に、頑(かたく)なまでに通しています。
ねぇ・・・・あんた以外は・・・・うふふふ」
「勝手にしろっ・・・・」
(14)へ、つづく
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