「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第27話 清乃が辞めた理由
「正直。殺風景すぎる部屋だと思うてんやろ、あんた。
ウチ。ごちゃごちゃしたのが嫌いなの。
家具も最小限度有れば間に合うし、着物は全部、置屋のお母はんのトコに置きっぱなし。
うふふ。期待を裏切ってごめんなさい。
もっと女の色気がムンムンしとる、色っぽい部屋を想像しとったんとちゃう?」
背中から降りた佳つ乃(かつの)が、しっかりとした足取りでキッチンへ向かう。
「コーヒーでいいでしょ?」すぐにお湯が沸くという電気ポットを手に、
佳つ乃(かつの)が笑う。
呆気にとられたまま路上似顔絵師が、部屋の真ん中で立ち尽くす。
綺麗にかたずけられている佳つ乃(かつの)の部屋は、まるで家具が多めの
ビジネスホテルの一室の様な状態だ。
ベッドの上に無造作に置かれた女もののパジャマが、かろうじて部屋の持ち主が
若い女性であることを示している。
だがそれ以上に驚いたのは、南に面した窓をさえぎっている大きな本棚の存在だ。
その下には、勉強用に使う机がドンと置いてある。
机に並んだ本棚には、高校生が使う参考書がずらりと一列に並んでいる。
高校生がいまでも勉強しているような様子が、そこに漂っている。
「そら清乃がついこの間まで使っとった、勉強机や。
鏡台磨きに毎日やって来て、ついでにそこに座って、通信教育の勉強をしとったわ。
6年間。あの子は毎日欠かさんとやって来て、ウチの鏡台を磨いてくれた。
あ・・・祇園の妹芸妓がお姉はんのためにする、鏡台磨きのことは知っとる?」
「はい。おおきに財団の理事長から、教えてもらいました」
「清乃は、15で祇園へやってきて、16歳で舞妓になった。
舞妓暮らしがまる3年。成人式を前に清乃は、予定通りに芸妓に襟替えをした。
ほんでそこから先は、置屋へのお礼奉公がまるまる3年。
舞妓になるまでにかかった費用や、お世話になったことへの感謝も込めて
一生懸命に清乃は、身体に鞭打って頑張った。
なんだかんだで、合計6年間。
清乃は屋形へのお礼奉公も、通信教育も、同じように頑張リ抜いた。
すくなくても病気が発覚する、あの日まではね・・・・」
(病気が発覚した、あの日までは?)佳つ乃(かつの)が発したひとことに、
路上似顔絵師の耳が、異常なまでの反応を見せる。
「あっ!。しまった。言ってはいけないひとことを、思わず口にしてしまった!」
狼狽えた佳つ乃(かつの)が、カップを準備する手を思わず停める。
(やっぱり酔いすぎているなぁ、今夜の私は)と、心の中でペロリと舌を出す。
(佳つ乃(かつの)さんの困った顔の中には、やっぱりなにか秘密が有りそうだ。
円満引退だとばかり思っていたが清乃ちゃんには、実は、公にはできない、
なにかの事情が隠れていそうだな・・・)
だが、それ以上こちらから突っ込むことは、野暮すぎる。
聞かなかった振りをして路上似顔絵師が、清乃が使っていた勉強机を見つめる。
佳つ乃(かつの)が無言のまま、キッチンから戻って来る。
「どうぞ」とコーヒーカップを似顔絵師にすすめる。
佳つ乃(かつの)が涼しい横顔を見せたまま、ソファーの対面に腰を下ろす。
「いただきます」と頭を下げたものの、路上似顔絵師のほうも、
次の言葉がなかなか口から出ない。
2人の間を気まずい時間だけが、刻々と流れていく。
その間。なぜか見つめあうことも出来ず、お互いに気まずい気持ちを抱いたまま
何も見えない窓に向かって同じように視線を投げる。
「帰ります」一口だけコーヒーをすすった路上似顔絵師が、ソファから立ち上がる。
「あ・・・今日はいろいろとおおきに。
さいぜんのキッチンでのひとことは気にせんといてな。ただの独り言やから。
それと、あんた。一週間後の水曜日の夜。お休みは取れる?」
「休もうと思えば、いつでも休みはもらえます。
でも、なんで一週間後の水曜日の夜なんですか・・・
意図がよくわかりませんが?」
「じゃここへ来て。午後の8時に」と佳つ乃(かつの)が名刺を手渡す。
名刺には「富美代」と、お茶屋の屋号が書いてある。
「富美代」といえば、「一力亭」などと肩を並べる、祇園の老舗だ。
「え・・・いきなり老舗お茶屋のお座敷へ伺うのですか。
ぼ、僕には、し、敷居が高すぎます!」
「安心してな。ここのおぶ屋はんには小さなホームバーが有ります。
お座敷を終えたら、飛んでいくから待っててな。
あ、ウチのボトルが入っているから、遠慮せんで呑んでてや。」
事実上の、佳つ乃(かつの)からのデートの誘いだ。
その瞬間、路上似顔絵師がいままでのいきさつを忘れたことは言うまでもない。
「一週間後の水曜日。午後8時。富美代のホームバー」ひたすら呪文のように、
その言葉を繰り返しながら、路上似顔絵師はふわふわと家路をたどった。
第28話につづく
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江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第27話 清乃が辞めた理由
「正直。殺風景すぎる部屋だと思うてんやろ、あんた。
ウチ。ごちゃごちゃしたのが嫌いなの。
家具も最小限度有れば間に合うし、着物は全部、置屋のお母はんのトコに置きっぱなし。
うふふ。期待を裏切ってごめんなさい。
もっと女の色気がムンムンしとる、色っぽい部屋を想像しとったんとちゃう?」
背中から降りた佳つ乃(かつの)が、しっかりとした足取りでキッチンへ向かう。
「コーヒーでいいでしょ?」すぐにお湯が沸くという電気ポットを手に、
佳つ乃(かつの)が笑う。
呆気にとられたまま路上似顔絵師が、部屋の真ん中で立ち尽くす。
綺麗にかたずけられている佳つ乃(かつの)の部屋は、まるで家具が多めの
ビジネスホテルの一室の様な状態だ。
ベッドの上に無造作に置かれた女もののパジャマが、かろうじて部屋の持ち主が
若い女性であることを示している。
だがそれ以上に驚いたのは、南に面した窓をさえぎっている大きな本棚の存在だ。
その下には、勉強用に使う机がドンと置いてある。
机に並んだ本棚には、高校生が使う参考書がずらりと一列に並んでいる。
高校生がいまでも勉強しているような様子が、そこに漂っている。
「そら清乃がついこの間まで使っとった、勉強机や。
鏡台磨きに毎日やって来て、ついでにそこに座って、通信教育の勉強をしとったわ。
6年間。あの子は毎日欠かさんとやって来て、ウチの鏡台を磨いてくれた。
あ・・・祇園の妹芸妓がお姉はんのためにする、鏡台磨きのことは知っとる?」
「はい。おおきに財団の理事長から、教えてもらいました」
「清乃は、15で祇園へやってきて、16歳で舞妓になった。
舞妓暮らしがまる3年。成人式を前に清乃は、予定通りに芸妓に襟替えをした。
ほんでそこから先は、置屋へのお礼奉公がまるまる3年。
舞妓になるまでにかかった費用や、お世話になったことへの感謝も込めて
一生懸命に清乃は、身体に鞭打って頑張った。
なんだかんだで、合計6年間。
清乃は屋形へのお礼奉公も、通信教育も、同じように頑張リ抜いた。
すくなくても病気が発覚する、あの日まではね・・・・」
(病気が発覚した、あの日までは?)佳つ乃(かつの)が発したひとことに、
路上似顔絵師の耳が、異常なまでの反応を見せる。
「あっ!。しまった。言ってはいけないひとことを、思わず口にしてしまった!」
狼狽えた佳つ乃(かつの)が、カップを準備する手を思わず停める。
(やっぱり酔いすぎているなぁ、今夜の私は)と、心の中でペロリと舌を出す。
(佳つ乃(かつの)さんの困った顔の中には、やっぱりなにか秘密が有りそうだ。
円満引退だとばかり思っていたが清乃ちゃんには、実は、公にはできない、
なにかの事情が隠れていそうだな・・・)
だが、それ以上こちらから突っ込むことは、野暮すぎる。
聞かなかった振りをして路上似顔絵師が、清乃が使っていた勉強机を見つめる。
佳つ乃(かつの)が無言のまま、キッチンから戻って来る。
「どうぞ」とコーヒーカップを似顔絵師にすすめる。
佳つ乃(かつの)が涼しい横顔を見せたまま、ソファーの対面に腰を下ろす。
「いただきます」と頭を下げたものの、路上似顔絵師のほうも、
次の言葉がなかなか口から出ない。
2人の間を気まずい時間だけが、刻々と流れていく。
その間。なぜか見つめあうことも出来ず、お互いに気まずい気持ちを抱いたまま
何も見えない窓に向かって同じように視線を投げる。
「帰ります」一口だけコーヒーをすすった路上似顔絵師が、ソファから立ち上がる。
「あ・・・今日はいろいろとおおきに。
さいぜんのキッチンでのひとことは気にせんといてな。ただの独り言やから。
それと、あんた。一週間後の水曜日の夜。お休みは取れる?」
「休もうと思えば、いつでも休みはもらえます。
でも、なんで一週間後の水曜日の夜なんですか・・・
意図がよくわかりませんが?」
「じゃここへ来て。午後の8時に」と佳つ乃(かつの)が名刺を手渡す。
名刺には「富美代」と、お茶屋の屋号が書いてある。
「富美代」といえば、「一力亭」などと肩を並べる、祇園の老舗だ。
「え・・・いきなり老舗お茶屋のお座敷へ伺うのですか。
ぼ、僕には、し、敷居が高すぎます!」
「安心してな。ここのおぶ屋はんには小さなホームバーが有ります。
お座敷を終えたら、飛んでいくから待っててな。
あ、ウチのボトルが入っているから、遠慮せんで呑んでてや。」
事実上の、佳つ乃(かつの)からのデートの誘いだ。
その瞬間、路上似顔絵師がいままでのいきさつを忘れたことは言うまでもない。
「一週間後の水曜日。午後8時。富美代のホームバー」ひたすら呪文のように、
その言葉を繰り返しながら、路上似顔絵師はふわふわと家路をたどった。
第28話につづく
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