「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第76話 京番茶
小染め姉さんが、2杯目のお茶に手を伸ばす。
旨そうに目を細め、ほうじ茶を口に運ぶ。
その様子をしげしげと見つめながら、サラがまた不思議そうに首をかしげる。
手にしているお茶は、普段、屋形で呑むお茶とは似ても似つかぬものだ。
口に入れた瞬間、なんともいえない煙のような香りを感じる。
(なんなんやろ。これ・・・初めて呑む、お茶どすなぁ)
たまりかねたサラが隣にいる女将に、小声でそっと問いかける。
「京都といえば、日本三大茶のひとつ、宇治茶が有名どす。
宇治と言えば、玉露か、深蒸しの煎茶が定番どすなぁ。
けど、ウチが呑んでいるこれには、妙な味が混じってます。
なんで小染めお姉さんは、宇治の高級なお茶より、こない妙な味のする
ほうじ茶のほうが、好みなんどすか?」
「ほうじ茶はたしかに、玉露や煎茶よりはるかに下位どす。
玄米茶などと同位に位置づけられる、庶民のお茶どす。
けどなぁ。この京都には、むかしから、このほうじ茶を呑むという習慣が、
根深く根付いておんのどす。
上等のほうじ茶が、料亭の改まった席で供されるのも、
決して珍しいことではおへんのや」
「京番茶、いうんどす、それ」と、女将がさらに補足する。
「京番茶・・・?。なんどすかこれ。ウチが、初めて聞くお茶の種類どす!」
サラが青い目を見開き、大きく口を開けて驚いて見せる。
「あんた。祇園に住んでおるくせに、京都人の飲む京番茶を知らんのかいな。
まぁ・・・紅茶かコーヒーで育った帰国子女では、無理もない話どす。
いい機会ですからお教えしましょ」女将が、サラに向かって膝を乗り出す。
「京都で、ほうじ茶と言えば、京番茶のことを指すんどす。
書いて字のごとく、番茶はお茶のランクでいえば、番外のお茶どす。
炒るのではなく、焙ったお茶の事どす。
玉露を摘み取った後に残っている、大きくて固い葉と枝を刈り落としたものが、
京番茶の原料になるんどす。
大きくて硬すぎるため蒸したあと、手で揉むことができまへん。
葉のまま乾燥させて、出荷前に、大きな鉄釜を使って強火で焙るんどす。
こうすることで京都人に好まれる、「手焙り京番茶」が完成します。
京番茶には、香りの中に独特の癖があるんどす。
そのために人によって好みが、はっきりと分かれるんどすなぁ。
初めて呑む方は、独特の香りと見た目に、たいへん驚ろきます。
「タバコ臭い」「煙臭い」「落ち葉の様だ」「鉛筆のような枝が有る」
などと、それぞれにおっしゃります。
ですが呑み慣れてくると、これ以外に戻れなくなる魅力を秘めてます。
手焙り京番茶は煎茶やほうじ茶のように、急須では入れません。
やかんを使い、すこし長めに煮出すんどす。
茶葉を取り除いたあと、熱くても冷たくてもどちらでも美味しくいただけます。
小染め姉さんのむかしからの大好物、それがこの京番茶なんどす」
「へぇぇ・・・お茶にもいろいろ有るんどすなぁ。ウチ初めて知りました」
とサラがまたまた、青い目を丸く見開く。
「あざやかな緑色をした宇治玉露は、あんたのお母さん勝乃はんの好みどす。
もちろん玉露は、日本茶の最高級品どす。
似たようなランクで、『かぶせ』という銘柄もあんのどす。
こちらは宇治玉露の風味と、宇治煎茶のさわやかさを同時に持ち合わせた
これもまた少々お高いお茶なんどす。
同期の女将であんたもよく知っている明花は、この『かぶせ』専門どす。
でもなぁ。同期の3人の中で、ウチだけが番外なんどす。
何故か、経済的に出来とんのです。
生まれた時から、京番茶ばかりを専門に呑んどります。
もともとはと言えば、そこに座っておる小染め姉さんのせいどす。
赤子のときから、ウチに京番茶ばかり呑ませておったそうどす。
この子は絶対にあたしの後継ぎにする。
そう言うて、無理矢理、子供の頃から京番茶ばかり呑ませとったんどす。
あたしが早めに芸妓を引退したため、後継ぎにはなれませんどしたが、
京番茶の伝統だけは、ちゃんと引き継いでおります。へぇ」
「これこれ。あんたも詰まらんことを、よう喋べはりますなぁ。
どや、サラちゃん。意外といけるやろ、女将が淹れてくれるこの京番茶は」
「はい。なんとなくですが、味がわかりかけてきました。
ただこの、なんというか煙臭い香りだけが、なんとも好きになれませぬが・・・」
「ははは、無理をせんでもええ。そのうちきっと好きになる」と、
小染め姉さんが、嬉しそうに目を細めて笑う。
その手にはすでに、3杯目の京番茶が、しっかりと握られている。
第77話につづく
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