アイラブ桐生
(18)第1章 デッサンの合間に
『お下げからの電話』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ed/a1a8b31cb0aff29a5e61d5d23a7f9eb5.jpg)
上京から早くも3か月目になろうとしています。
東京の暮らし方にも随分と慣れてきました。
温かい日も多くなり、公園で見かける桜のつぼみもだいぶ大きくなりました。
青柳インテリャでは朗報が生まれました。
まもなく子供が生まれようとしている新婚家庭へ、今まで好意的ではなかった
奥さんの実家から、母親だけが単身で上京をしてきました。
奥さんには内緒で、ひげ社長が奥さんの実家へ何度も足を運んだという結果でした。
頭を畳にこすりつけて、ただひたすら頼みこんできたといいます。
あらためて結婚の許可を願い出たうえに、出産にいたるまでの顛末を
ただひたすらに詫びてきたと、ひげの社長は笑っています。
「お父さんは意地をはっていますが、なにそのうちに、初孫の顔を見れば
あとは自分で何とか進退を考えるでしょう。初孫が可愛くないはずなどありません、
まぁもう我を張るのも・・・・風前の灯でしょう。」
と娘の顔を見ながらおばあちゃんは、高らかに笑いのけています。
これでようやく産後の環境が整って、奥さんも安心して出産に臨めるようになりました。
デッサン会のほうも、実に順調にすすんでいます。
さっちゃんも顔をだすようになり、5人での勉強会がまめに開催されるようになりました。
テーマーと書く素材が決められると、決められた時間内でそれぞれが一斉に書きはじめます。
決められた時間が終了すると、それぞれが自分のデッサン帳を隣に渡します。
また新しいページを開けて、再び次のデッサンを始めます。
ぐるりと一周をしていく自分のデッサン帳が、手元に戻ってくるまで
この勉強会は、時間をかけて延々と続きます。
こうすることでと、5人全員の画が自分の手元に残ることになります。
他人が書いたものと見比べると、技術はもとより、その人の思考や感性の違いまでを
目の当たりに見ることが出来ます。
何がどう違うのか・・・サンプルの同時比較ともいえるこのデッサンの勉強会は、
実に分かりやすいうえに、それなりの幾多の収穫もありました。
驚ろいたのは、群を抜いている姐肌の持つ図抜けたデッサン力とその技量ぶりです。
姐ごのデッサンは、磨きぬかれた線一本で、
見事なまでに的確に、対象物をぞんぶんなまでに表現しきっています。
姐ご肌が書きあげるデッサンの出来栄えには、驚嘆すべきものがいくつも潜んでいます。
この人の才能は、常に別格です。
どの作品を見ても、 瞬時にそう思えるほどの出来栄えでした。
ただ、たいへん残念なことに、このメンバーに茨城くんは混ぜてもらえません。
何で俺だけ・・と度あるごとに茨城君は嘆いています。
どうも・・・・当人の恋の行方と似たようなところがあって、いまだに
悪女たちには焦らされ続けているようです。
そう言えばいまだにさっちゃんも確信的に、茨城君を焦らし続けています。
(う~ん・・、可愛い顔をしているくせに、こいつもやっぱり悪女の一人だ。)
新築住宅でのカーテンレールの取り付けが予定よりも早く終わり、
今日はもう、こんなところで早じまいでいいだろうと、3時過ぎに戻ってきた日のことです。
産み月が迫ってきて(おなかが)ずいぶんと大きくなり、
歩くのがやっとに見える奥さんが、帰宅と同時に私に声をかけてきました。
「ねぇ、群馬くん。
もう東京で、彼女などができましたか?。
どうしても会ってお話がしたいって、
女の子から何度も、泣きそうな声で電話がかってきてましたよ。
隅におけませんねぇ・・・あなたも。
あまり、女性を泣かせないようにしてくださいな。」
と笑いながら、ひげ社長や茨城くんには見えないように
袖に隠しながら、電話番号のメモなどを私に渡してくれました。
そんなに大げさなことをしなくても・・・と思って手元をよく見たら
一万円札も一緒に入っています。
「給料日前でしょう。女性から呼び出されてデートともなればでも、
なにかとお金もかかります。でも、利息はちゃんといただきますから・・・・」
と、にっこりと笑っています。
アパートに戻ってから電話をかけると、お下げはすぐに出ました。
しかし電話口に出た気配はあるものの、肝心の声はいつまで待っても耳には届いてきません。
良からぬ話かもしれないと腹をくくった上で、こちらから話を切り出すことにしました。
ほどなくして、聞き覚えのある声がようやくのことで、
(周りを気にするような雰囲気を伴いながら)私の耳に小さく響いてきました。
「これから会ってもらえますか」と短く言い切りました。
それだけ言うと、電話はまた、もとの無言状態に戻ってしまいます。
今日はもう、別に用事もありませんので何時からでも大丈夫ですが、と応えました。
快諾の返事を届けた瞬間に、電話の向こうからは何故かほっとしたような
そんな感じの空気だけが伝わってきました。
お下げに指定されたのは、駅近くの喫茶店でした。
そういえば、お下げとこんな時間に、お店以外で行き会うのは初めてのことです。
太陽の下で見ると意外なほどに色白で、薄いお化粧の下でちょっとだけ
そばかすが目立つことに、たったいま初めて気がつきました。
しかし今日は、いつも見る飲み屋の時の雰囲気とは、だいぶ異なっています。
素顔に近いお化粧のため、別人のように見えるだけではなく、
いつもの持ち前のあの元気さが、今日はまったく鳴りを潜めていました。
いつまで経ってもうつむいたままで、なかなか話を切り出してくれません。
(たぶん、難しい話か。他人には言いにくいことだ・・・)そんな気配が濃厚に漂よっています
やはりまた、こちらからきっかけを作りました。
「今日はもう仕事が終わりですので、時間はたっぷりとあります。
ゆっくりとすることもできます。
よかったら、すこし歩きましょうか、
座っているよりも、天気が良いので、公園の辺りも良い雰囲気だとと思います。
まあ、歩く相手が私でよければという話ですが・・」
無言のままのお下げ髪と、喫茶店を出て公園を目指す露路を歩き始めました。
お下げは頑なに固まったまま、いつまでも数歩遅れて着いてきます。
公園にはまったく人影も無く、静かそのものの空間が二人を待っていました。
(静かすぎるなあ・・・ある意味これは、逆効果になるかもしれないぞ・・・)
時間の経過と共に、これはもう、面と向かって話してもらえるような
内容ではないという推測が、やがて私の中で確信に変わってきました。
絶対に、すこぶるつきの厄介な話だ・・・
その話を聞いたところで、今の俺の手に負えるのだろうか・・・
そんな風に考え始めると、歩いている周りの景色さえ私の目に入らなくなってきました。
いくら待っても埒があかないために、やはり私の方から、また一歩目を踏みこむにしました。
呼びだされた用件を、真正面から聞いてみることに覚悟をきめました。
しかしその寸前に、ようやく決意を固めたお下げの目線が私の方へ向かってきました。
「お願い事があって、守さんのお友達であるあなたにお電話をしたのですが・・・、
どうにも、勝手過ぎて厚かましすぎるような気がしてきました。
うまく説明ができません。
たぶん、私が一人でなんとかしなければならない問題なのです。
出来ることなら、どなたかに相談をしたいのですが、
私には、東京で相談出来る相手などは、たったのひとりもいません。
今の私には・・」
「守には相談が、出来ないようなことですか?。」
お下げの目に、哀しい色が浮かんでいます。
まさかと思っていた私の最悪の推測が、お下げ髪の核心を突いたようです。
小さな声で、その返事が返ってきました。
「実は、できれば、明日・・
産婦人科へ・・・一緒に行ってもらえませんか・・」
お下げ髪がそれだけのことを、
すべての想いを込めて、やっとのことで言いきりました。
まだいっぱい残っているはずの、この状況を説明すべきたくさんの言葉を、
全部まとめて呑みこんだまま、お下げ髪が再び無口状態になってしまいました。
固く結ばれたお下げ髪の唇に、全ての想いが強く滲んでいます。
やがて、公園のベンチへ崩れるようにして、お下げ髪がペタリと座り込んでしまいました。
お下げ髪の京子の頼み事に、思わず本意ではないものの、
ついに承諾の返事を返してしまいました。
何ともやるせないズシリとした重い気持ちを引きずりながら、アパートまでは
なるべく遠回りの道を選びながら、ゆっくりと戻りました。
重大な決断をしてしまったその直後に必ず訪れる、後悔に激しく揺れている気持ちが
もう私の胸の中で騒ぎ始めました。
じっと噛みしめているうちに、本当にこれでよかったのかどうかと何度も逡巡をする、
なんともやりきれないざわめきが、いくら止めようとしても
後から後から、フツフツとこみあげてきます。
「これはもう、俺の手にはおえない・・・」
人口中絶。
最近のマスコミの報道などで、よく耳にしている言葉です。
無軌道な若者たちを中心に、性モラルの荒廃によって生みだされてきた
(当然の結果ともいえる)現代の社会悪のひとつです。
安易で危険な人工中絶もまた、必要悪として流行をするきざしを見せてきました。
そして例外無く守と京子もまた、そうした問題に直面をしました。
お下げ髪の京子は、守の荷物にはなりたくないから、
黙って堕してしまいたいと、最後にきっぱりと言い切りました。
私一人の力ではどうやっても、まったく説得することなどはできません。
やりきれない気分のまま、天井を眺めて部屋の中でゴロゴロしながら時間を過ごします。
しかしどうにも、気持ちがやりきれません・・・・
(堕ろすことが正解とは思えないが、現状ではどうにもならない事も有る・・)
段々と、いたたまれない気分になってきたために、
少し気晴らしのために、表へ出て歩くことにしました。
表に出てから、いつもの新聞店の角を無意識に左へ曲がりました。
しかしそのまま交差点に行き当ったところで、思わずハタと立ち止まってしまいました。
右か左か・・・・どちらへ行こうかと今頃になってから思案しています。
とりあえず、表には出てきたものの、何処かへ行くあてなどはまったくありません。
途方に暮れかけたその時でした。
薄茶色のサングラスをかけた(きわめて若いと思われる)女性に、ポンと肩を叩かれました。
白いスーツに全身を包み、見るからにお洒落で洗練された都会風のいい女です。
誘惑的な、甘い香水の香りが心地よく私の鼻をくすぐります。
(へぇ~、いい女だね。、こういうのが、大人の女の匂いなのかな?)
「なにしてんのさぁ、群馬!」
あれれ・・・まったくの意外でした。
洗練された都会の女の正体は、百合絵です。
3人娘のリーダ格で、姐ご肌の本名は、百合絵といいます。
それにしても・・・・
いま目の前に居る百合絵は、普段とは完璧に別人です。
私の知っている百合絵は、髪を振り乱しながらいつも一心に画筆を動かしている、
飾り気のまったくない、そばかすだらけで色白の乙女です。
それが、綺麗にお化粧をしたうえに、純白のスーツを着こなしてしまうと
どこからどう見ても、成熟しきった大人の、別の女性に見えてしまうから不思議です。
「失礼な目で見るわねぇ~あんた。群馬。
あんたのその失礼な目付きは、まるっきり女に飢えているという目だわ。
それともいい女をみるのは、これが初めてなのかしら。
そんなにジロジロと見ないで頂戴。
これでも私としては、今日は精一杯におめかしているのよ。
どう・・・・私もまんざらでしょう。
いい女に見えるかしら、群馬にも。」
たしかにいい女です。
「ごめんごめん、そんなつもりは・・」と、こちらもしどろもどろで答えます。
「これからお仕事で出勤なの。
で、あんたは今頃、どうしたの。
所在なさそうだけど・・暇してるみたいだわねぇ~
どうする?
あたしも時間が少しあるから、その辺でお茶でもしますか。
めったにいい女に変身しないんだもの、今日の百合絵はおすすめだわよ。
そういえば・・・あんたには、女の気配がまったく見えないわね。
彼女は居ないの? それともつくらない主義?
わたしはどうよ。
まんざらでもないでしょう。」
体をくねらせながらマリリンモンローのように、
百合絵がきわめて色っぽく、かつ官能的に腰を揺らし、その上ウインクまでされてしまいました。
平常時の気分のままに行き会えば、たしかに完璧に悩殺されていたかもしれません。
しかしあまりにも無感動に近い反応ぶりと、さえない顔つきの様子を見破られて、
ついに、百合絵に問い詰められてしまいました。
切り出し難いために少しばかり口ごもっていると、いきなり百合絵が距離を詰めてきました。
2歩ほどあった空間が一気に狭まり、形の良い唇と甘い香りが急接近をしてきました。
さらに百合絵の長いまつげが、私の顔の正面に迫ってきます・・・・
その迫力についに負けてしまい、さこほどの出来ごとのすべてを、
白状する羽目になってしまいました。
「そうか・・・わかった。
それは、突然に降ってわいたような災難だ。
よし、この百合絵さんが一肌脱ごう・・・・他ならぬ群馬のためだ。
お店が終わったら、少し考えてみるから時間を頂戴な。
まかせてよ、こうみえても私は田舎の大家族の出身なのよ。
家族の話なら、大の得意中の得意だわ。」
家族のはなしとは若干違うとは思いましたが・・
百合絵は悠然と、形の良い胸を張って「任せろ」と見えをきっています。
「じゃ、また、明日」と、後ろ姿で手を振りながら、百合絵は颯爽とお尻を振りながら
お店へ出勤をしていきます。
あれ・・・・あいつもなんとなく、レイコに似た雰囲気を持っている・・・・
百合絵の後ろ姿を見送りながら、漠然とそんなことを感じました。
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/
(18)第1章 デッサンの合間に
『お下げからの電話』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ed/a1a8b31cb0aff29a5e61d5d23a7f9eb5.jpg)
上京から早くも3か月目になろうとしています。
東京の暮らし方にも随分と慣れてきました。
温かい日も多くなり、公園で見かける桜のつぼみもだいぶ大きくなりました。
青柳インテリャでは朗報が生まれました。
まもなく子供が生まれようとしている新婚家庭へ、今まで好意的ではなかった
奥さんの実家から、母親だけが単身で上京をしてきました。
奥さんには内緒で、ひげ社長が奥さんの実家へ何度も足を運んだという結果でした。
頭を畳にこすりつけて、ただひたすら頼みこんできたといいます。
あらためて結婚の許可を願い出たうえに、出産にいたるまでの顛末を
ただひたすらに詫びてきたと、ひげの社長は笑っています。
「お父さんは意地をはっていますが、なにそのうちに、初孫の顔を見れば
あとは自分で何とか進退を考えるでしょう。初孫が可愛くないはずなどありません、
まぁもう我を張るのも・・・・風前の灯でしょう。」
と娘の顔を見ながらおばあちゃんは、高らかに笑いのけています。
これでようやく産後の環境が整って、奥さんも安心して出産に臨めるようになりました。
デッサン会のほうも、実に順調にすすんでいます。
さっちゃんも顔をだすようになり、5人での勉強会がまめに開催されるようになりました。
テーマーと書く素材が決められると、決められた時間内でそれぞれが一斉に書きはじめます。
決められた時間が終了すると、それぞれが自分のデッサン帳を隣に渡します。
また新しいページを開けて、再び次のデッサンを始めます。
ぐるりと一周をしていく自分のデッサン帳が、手元に戻ってくるまで
この勉強会は、時間をかけて延々と続きます。
こうすることでと、5人全員の画が自分の手元に残ることになります。
他人が書いたものと見比べると、技術はもとより、その人の思考や感性の違いまでを
目の当たりに見ることが出来ます。
何がどう違うのか・・・サンプルの同時比較ともいえるこのデッサンの勉強会は、
実に分かりやすいうえに、それなりの幾多の収穫もありました。
驚ろいたのは、群を抜いている姐肌の持つ図抜けたデッサン力とその技量ぶりです。
姐ごのデッサンは、磨きぬかれた線一本で、
見事なまでに的確に、対象物をぞんぶんなまでに表現しきっています。
姐ご肌が書きあげるデッサンの出来栄えには、驚嘆すべきものがいくつも潜んでいます。
この人の才能は、常に別格です。
どの作品を見ても、 瞬時にそう思えるほどの出来栄えでした。
ただ、たいへん残念なことに、このメンバーに茨城くんは混ぜてもらえません。
何で俺だけ・・と度あるごとに茨城君は嘆いています。
どうも・・・・当人の恋の行方と似たようなところがあって、いまだに
悪女たちには焦らされ続けているようです。
そう言えばいまだにさっちゃんも確信的に、茨城君を焦らし続けています。
(う~ん・・、可愛い顔をしているくせに、こいつもやっぱり悪女の一人だ。)
新築住宅でのカーテンレールの取り付けが予定よりも早く終わり、
今日はもう、こんなところで早じまいでいいだろうと、3時過ぎに戻ってきた日のことです。
産み月が迫ってきて(おなかが)ずいぶんと大きくなり、
歩くのがやっとに見える奥さんが、帰宅と同時に私に声をかけてきました。
「ねぇ、群馬くん。
もう東京で、彼女などができましたか?。
どうしても会ってお話がしたいって、
女の子から何度も、泣きそうな声で電話がかってきてましたよ。
隅におけませんねぇ・・・あなたも。
あまり、女性を泣かせないようにしてくださいな。」
と笑いながら、ひげ社長や茨城くんには見えないように
袖に隠しながら、電話番号のメモなどを私に渡してくれました。
そんなに大げさなことをしなくても・・・と思って手元をよく見たら
一万円札も一緒に入っています。
「給料日前でしょう。女性から呼び出されてデートともなればでも、
なにかとお金もかかります。でも、利息はちゃんといただきますから・・・・」
と、にっこりと笑っています。
アパートに戻ってから電話をかけると、お下げはすぐに出ました。
しかし電話口に出た気配はあるものの、肝心の声はいつまで待っても耳には届いてきません。
良からぬ話かもしれないと腹をくくった上で、こちらから話を切り出すことにしました。
ほどなくして、聞き覚えのある声がようやくのことで、
(周りを気にするような雰囲気を伴いながら)私の耳に小さく響いてきました。
「これから会ってもらえますか」と短く言い切りました。
それだけ言うと、電話はまた、もとの無言状態に戻ってしまいます。
今日はもう、別に用事もありませんので何時からでも大丈夫ですが、と応えました。
快諾の返事を届けた瞬間に、電話の向こうからは何故かほっとしたような
そんな感じの空気だけが伝わってきました。
お下げに指定されたのは、駅近くの喫茶店でした。
そういえば、お下げとこんな時間に、お店以外で行き会うのは初めてのことです。
太陽の下で見ると意外なほどに色白で、薄いお化粧の下でちょっとだけ
そばかすが目立つことに、たったいま初めて気がつきました。
しかし今日は、いつも見る飲み屋の時の雰囲気とは、だいぶ異なっています。
素顔に近いお化粧のため、別人のように見えるだけではなく、
いつもの持ち前のあの元気さが、今日はまったく鳴りを潜めていました。
いつまで経ってもうつむいたままで、なかなか話を切り出してくれません。
(たぶん、難しい話か。他人には言いにくいことだ・・・)そんな気配が濃厚に漂よっています
やはりまた、こちらからきっかけを作りました。
「今日はもう仕事が終わりですので、時間はたっぷりとあります。
ゆっくりとすることもできます。
よかったら、すこし歩きましょうか、
座っているよりも、天気が良いので、公園の辺りも良い雰囲気だとと思います。
まあ、歩く相手が私でよければという話ですが・・」
無言のままのお下げ髪と、喫茶店を出て公園を目指す露路を歩き始めました。
お下げは頑なに固まったまま、いつまでも数歩遅れて着いてきます。
公園にはまったく人影も無く、静かそのものの空間が二人を待っていました。
(静かすぎるなあ・・・ある意味これは、逆効果になるかもしれないぞ・・・)
時間の経過と共に、これはもう、面と向かって話してもらえるような
内容ではないという推測が、やがて私の中で確信に変わってきました。
絶対に、すこぶるつきの厄介な話だ・・・
その話を聞いたところで、今の俺の手に負えるのだろうか・・・
そんな風に考え始めると、歩いている周りの景色さえ私の目に入らなくなってきました。
いくら待っても埒があかないために、やはり私の方から、また一歩目を踏みこむにしました。
呼びだされた用件を、真正面から聞いてみることに覚悟をきめました。
しかしその寸前に、ようやく決意を固めたお下げの目線が私の方へ向かってきました。
「お願い事があって、守さんのお友達であるあなたにお電話をしたのですが・・・、
どうにも、勝手過ぎて厚かましすぎるような気がしてきました。
うまく説明ができません。
たぶん、私が一人でなんとかしなければならない問題なのです。
出来ることなら、どなたかに相談をしたいのですが、
私には、東京で相談出来る相手などは、たったのひとりもいません。
今の私には・・」
「守には相談が、出来ないようなことですか?。」
お下げの目に、哀しい色が浮かんでいます。
まさかと思っていた私の最悪の推測が、お下げ髪の核心を突いたようです。
小さな声で、その返事が返ってきました。
「実は、できれば、明日・・
産婦人科へ・・・一緒に行ってもらえませんか・・」
お下げ髪がそれだけのことを、
すべての想いを込めて、やっとのことで言いきりました。
まだいっぱい残っているはずの、この状況を説明すべきたくさんの言葉を、
全部まとめて呑みこんだまま、お下げ髪が再び無口状態になってしまいました。
固く結ばれたお下げ髪の唇に、全ての想いが強く滲んでいます。
やがて、公園のベンチへ崩れるようにして、お下げ髪がペタリと座り込んでしまいました。
お下げ髪の京子の頼み事に、思わず本意ではないものの、
ついに承諾の返事を返してしまいました。
何ともやるせないズシリとした重い気持ちを引きずりながら、アパートまでは
なるべく遠回りの道を選びながら、ゆっくりと戻りました。
重大な決断をしてしまったその直後に必ず訪れる、後悔に激しく揺れている気持ちが
もう私の胸の中で騒ぎ始めました。
じっと噛みしめているうちに、本当にこれでよかったのかどうかと何度も逡巡をする、
なんともやりきれないざわめきが、いくら止めようとしても
後から後から、フツフツとこみあげてきます。
「これはもう、俺の手にはおえない・・・」
人口中絶。
最近のマスコミの報道などで、よく耳にしている言葉です。
無軌道な若者たちを中心に、性モラルの荒廃によって生みだされてきた
(当然の結果ともいえる)現代の社会悪のひとつです。
安易で危険な人工中絶もまた、必要悪として流行をするきざしを見せてきました。
そして例外無く守と京子もまた、そうした問題に直面をしました。
お下げ髪の京子は、守の荷物にはなりたくないから、
黙って堕してしまいたいと、最後にきっぱりと言い切りました。
私一人の力ではどうやっても、まったく説得することなどはできません。
やりきれない気分のまま、天井を眺めて部屋の中でゴロゴロしながら時間を過ごします。
しかしどうにも、気持ちがやりきれません・・・・
(堕ろすことが正解とは思えないが、現状ではどうにもならない事も有る・・)
段々と、いたたまれない気分になってきたために、
少し気晴らしのために、表へ出て歩くことにしました。
表に出てから、いつもの新聞店の角を無意識に左へ曲がりました。
しかしそのまま交差点に行き当ったところで、思わずハタと立ち止まってしまいました。
右か左か・・・・どちらへ行こうかと今頃になってから思案しています。
とりあえず、表には出てきたものの、何処かへ行くあてなどはまったくありません。
途方に暮れかけたその時でした。
薄茶色のサングラスをかけた(きわめて若いと思われる)女性に、ポンと肩を叩かれました。
白いスーツに全身を包み、見るからにお洒落で洗練された都会風のいい女です。
誘惑的な、甘い香水の香りが心地よく私の鼻をくすぐります。
(へぇ~、いい女だね。、こういうのが、大人の女の匂いなのかな?)
「なにしてんのさぁ、群馬!」
あれれ・・・まったくの意外でした。
洗練された都会の女の正体は、百合絵です。
3人娘のリーダ格で、姐ご肌の本名は、百合絵といいます。
それにしても・・・・
いま目の前に居る百合絵は、普段とは完璧に別人です。
私の知っている百合絵は、髪を振り乱しながらいつも一心に画筆を動かしている、
飾り気のまったくない、そばかすだらけで色白の乙女です。
それが、綺麗にお化粧をしたうえに、純白のスーツを着こなしてしまうと
どこからどう見ても、成熟しきった大人の、別の女性に見えてしまうから不思議です。
「失礼な目で見るわねぇ~あんた。群馬。
あんたのその失礼な目付きは、まるっきり女に飢えているという目だわ。
それともいい女をみるのは、これが初めてなのかしら。
そんなにジロジロと見ないで頂戴。
これでも私としては、今日は精一杯におめかしているのよ。
どう・・・・私もまんざらでしょう。
いい女に見えるかしら、群馬にも。」
たしかにいい女です。
「ごめんごめん、そんなつもりは・・」と、こちらもしどろもどろで答えます。
「これからお仕事で出勤なの。
で、あんたは今頃、どうしたの。
所在なさそうだけど・・暇してるみたいだわねぇ~
どうする?
あたしも時間が少しあるから、その辺でお茶でもしますか。
めったにいい女に変身しないんだもの、今日の百合絵はおすすめだわよ。
そういえば・・・あんたには、女の気配がまったく見えないわね。
彼女は居ないの? それともつくらない主義?
わたしはどうよ。
まんざらでもないでしょう。」
体をくねらせながらマリリンモンローのように、
百合絵がきわめて色っぽく、かつ官能的に腰を揺らし、その上ウインクまでされてしまいました。
平常時の気分のままに行き会えば、たしかに完璧に悩殺されていたかもしれません。
しかしあまりにも無感動に近い反応ぶりと、さえない顔つきの様子を見破られて、
ついに、百合絵に問い詰められてしまいました。
切り出し難いために少しばかり口ごもっていると、いきなり百合絵が距離を詰めてきました。
2歩ほどあった空間が一気に狭まり、形の良い唇と甘い香りが急接近をしてきました。
さらに百合絵の長いまつげが、私の顔の正面に迫ってきます・・・・
その迫力についに負けてしまい、さこほどの出来ごとのすべてを、
白状する羽目になってしまいました。
「そうか・・・わかった。
それは、突然に降ってわいたような災難だ。
よし、この百合絵さんが一肌脱ごう・・・・他ならぬ群馬のためだ。
お店が終わったら、少し考えてみるから時間を頂戴な。
まかせてよ、こうみえても私は田舎の大家族の出身なのよ。
家族の話なら、大の得意中の得意だわ。」
家族のはなしとは若干違うとは思いましたが・・
百合絵は悠然と、形の良い胸を張って「任せろ」と見えをきっています。
「じゃ、また、明日」と、後ろ姿で手を振りながら、百合絵は颯爽とお尻を振りながら
お店へ出勤をしていきます。
あれ・・・・あいつもなんとなく、レイコに似た雰囲気を持っている・・・・
百合絵の後ろ姿を見送りながら、漠然とそんなことを感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/01/d76bd2f82e8d06e743380e0a0242dafe.jpg)
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます