「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第24話 祇園の姉と妹
「めでたく、引いて貰うお姉はんが決まったら店出しの当日。
お姉はん、お姉はんのお姉はん(引いてもらう舞妓からみておっきいお姉はん)
先に引かれた姉芸妓、舞妓たちの親戚筋が集まって、義姉妹の固めの盃事が行われる。
ほんでその先は、どちらかが他界するか、妓籍を抜けるまで、
ず~っ姉妹の関係が続く。
ある意味では、ほんまの姉妹よりずっと深い関係と云える。
実はこの姉妹の縁組み、引かれる舞妓よりも引く側のお姉はんの方が
精神的にも肉体的にもずっとエライんや。
というのも、妹がしたことについての責任はすべて姉にまわって来る。
お師匠はんに舞が下手やて叱られたときは、一緒にあやまりに行かんならん。
「おとめ」といって稽古場に残されたときは、飛んで迎えに行かなならん。
また、何らかの理由でお座敷に穴空けたら、お茶屋のお母はんに謝りに行かなならん。
出立ての頃は贔屓のお客はんなど居ないから、お姉はんがお茶屋を連れまわる。
『今度出たうちのいもとどす、よろしゅうお頼申します』と、
お客はんたちに紹介してまわる。
もちろんお客はんに粗相でもしたときは、一緒に謝らんならんのは当然や。
『うちのいもとがえらい事しまして、すんまへんどした』てな。
今でこそそういったことは少なくなったが、毎月の簪(かんざし)を揃えてやったり、
「東京行き」ちゅうて、東京見物にも連れて行かんならん」
「まるで島倉千代子が歌う、『東京だよ、おっかさん』の世界です・・・
何から何までかいがしく世話を焼く姉は、実の姉妹よりも親密ですねぇ」
「当たり前や。それにしてもお前。
その若さで島倉千代子などと言う、死んでしまった歌手のことを良く知ってんなぁ。
そっちのほうこそ、ワシには驚きや。
東京見物だけじゃねぇ。芝居見物や、ご飯食べにも連れて行く。
悩み事があったら相談に乗ってやらなあかん。舞や鳴り物のアドバイスもする。
こんな事やったら妹なんか引かん方がましや、と、つくづく思うときもある」
「それは分かります。姉に指名されたばかりに貧乏くじを引きっぱなしだもの。
後悔しないほうが、嘘になります」
「ところが、祇園と言うのは粋な世界や。
実際のトコ、世話になっとる屋形のお母はんから
「○×はん。今度うちの子、引いて貰えへんやろか?」
と云われたら大概は尻込みをするもんや。
けど結局お母はんとか、自分のお姉はんとかの筋で、どないにしても
断れんようになって来る。
それによく考えたら、自分も昔は、お姉はんに引いて貰うて舞妓になった
いきさつというものがある。
そのお礼返しやと思うたら、引き受けざるをえん。
そないな風にして祇園では、順繰りに、姉妹の関係がつくられて行く。
引かれる舞妓は楽でええやないか、と思うやろうが、案外そうでもない。
舞妓にもまた、せなならへんことが山のようにある。
今でこそ見かけんようになったが、昔は「鏡台磨き」ちゅうて、
毎朝自分のお姉はんのとこまで行って、お姉はんの鏡台まわりの
掃除と水の用意をしたもんや。
それに今の若い子には辛いことやろうが、お姉はんの云うことには絶対に服従や。
お姉はんが「あきまへん」ちゅうたら、どんなことがあってもあかんのや。
一緒にご飯食べに呼ばれても、お姉はんが箸をつけるまでは、
なんぼお客はんが勧めても、決して口にすることは出来ん」
「凄いですねぇ。ある意味で体育会系か、規律が厳しいはずの軍隊以上です。
へぇぇ。上下関係がずいぶんときっちりしているんですねぇ、祇園という花街は」
「こんな風にいうと花街は、なんだかいじめの世界かと誤解される恐れがある。
そやけどもお姉はんにとって、決して妹が憎い筈がない。
他所の妓よりも、自分の妹のほうが可愛いのんは当然のこっちゃ。
よその妓より、自分の妹が舞が上手やったらそら嬉しいもんや。
お師匠はんから誉められたりしたら、我がこと以上の喜びになる。
せやから、をどりが近づいたら気が気でおへん。
あんじょう舞えるやろか、失敗せえへんやろかと、まるで参観日の母親みたいに
妹の稽古ばかりを見つめる。
妹もそないなお姉はんの気持ちが通じてか、お姉はんの名前に傷つけんように、
お姉はんに恥かかはんようにと、一生懸命に稽古に励む。
どうや。なかなかにええもんやろう。祇園という世界の、義理の姉妹は」
第25話につづく
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