からっ風と、繭の郷の子守唄(95)
「静かに更けていく病室で、貞園が見つづける夢と諦める夢」
静かな寝息を漏らしながら眠り続けていた貞園が、
ようやく目を覚ましたのは、治療を受けてからほぼ3時間あまりが経過をしていました。
10月が近づいてきた窓の外は、なぜか夜半になるにつれ、月の光が青白く輝やきを増します。
(薄暗いわねぇ。いったい何時になるのかしら・・・)
目覚めた貞園が、一段階落とされた病室のほの暗い照明の中で、腕時計を覗き込みます。
「まもなく12時になる。
シンデレラの馬車が、油断をしているとかぼちゃに変わる時間だ」
「それは残念だ。
こんなことになるのなら、今日だけは。ガラスの靴を履いてくるんだった」
「それだけ元気ならもう大丈夫だろう。心配したぜ、一時は」
「康平。喉が乾いた。
お水よりも、なにか甘くて冷たいジュースが飲みたい。
先生がダメだというのなら我慢しますが、朝が来るまでは持ちそうもありません」
「アルコール以外なら俺が許可する。ついでにコーヒーも買ってくる」
「じゃあ。あたしもついでに、甘めのコーヒー」
(わかったよ)と答えながら、康平が廊下へ出ます。
一人病室に残された貞園が、ポツンとのこされている点滴の容器を下から見上げています。
(まいったなぁ・・・・みんなが居るところで、いつもの発作が来るとは思わなかった)
唇を噛みしめながら、前髪をかきあげています。それが定番のいつもの貞園の癖です。
いつものように、なにか失敗をしでかしたあとには、必ず自嘲気味に
こうして唇を噛み、前髪をかきあげてから、軽く肩をすぼめておどけてみせます。
(ベッドの上では、今日はさすがにそれには無理がある・・・・)
「買ってきたぜ。すぐに飲むなら栓をあけてやる」
「飲みたい」
貞園がベッドから上半身だけを起こします。
差し出されたコーヒーを美味しそうに一口だけ飲んでから、冷えた缶を額へ押し付けます。
冷たさが瞬時に脳内を駆け抜けていきます。
身震いを引き起こしそうなほど、渡された缶は存分なまでに冷え切っています。
「無茶するな。無人状態のロビーから買ってきたんだぜ。
夜中になると自販機の飲み物は、極度なほど、これでもかとよく冷える。
まして真夏のままの設定だと、この季節には、冷えすぎてしまうこともよくある。
そろそろ温かいものが恋しくなる、そんな季節だ」
「千尋ちゃんが居ると思ったら、康平が残ってくれたんだ」
「千尋なら明日の朝、入院用の用具を揃えて、また此処へ来てくれる。
光太郎さんへは、陽子ママから伝言をしてくれるように、さっき電話で頼んでおいた。
なんだよ。病室へ俺が残ったのでは不満か」
「嬉しいとは言えないでしょう。ちひろちゃんの手前。
あたしの持病が、すっかりみんなにばれちゃったわね。・・・まいったなぁ」
「いつ頃から過呼吸だ?」
「自分で自覚するようになって、もう随分になるかしら。
だいぶ前から、なんの覚えもないうちに急に呼吸が浅くなってきて、息苦しくなった。
突然発作がやってきて指先がしびれたり、意識が朦朧としたの。
それを、過呼吸症だとお医者さんから診断されたのが、今から3年くらい前かしら。
でもね、今日のように人前で発作が来るのは、初めてです。
慣れているはずなのに、気持ちが動転しすぎて、自分でも何がなんだかわからない。
ああいうのを、突発性のパニック状態というんだろうね。
ごめんね。見苦しくて、無様な姿を見せてしまって、」
「すこし治療をしたほうがいいと、女医先生が言っていた。
光太郎氏の許可が出れば、数日間は入院をして検査をしてもらったほうがいい」
「来るもんか、あいつは。再婚の準備でやたらと有頂天で、うわの空だもの」
「それも原因のひとつなのかな。今回の発作の」
「いいえ。あたし自身の内面の問題。
あたしの中に、もう一人の自分が住んでいて、そいつが時々反乱を起こす。
嫌な時でも嫌とは言えないし、辛いのに無理して愛想を良くしている自分がいる。
わかっているくせに、人様の前で、また上手に取り繕っている私自身がいるの。
元気で活発だねって褒められるたびに、もう泣き始めている、
もうひとりの私が、別にいる」
「知ってるさ。君がガラスのような繊細な心の持ち主だってことくらい」
「よく言うわ。またかと思って今回も、呆れているくせに。
わかっているわよ。本当は軽蔑をしているんでしょう、こんな私のことなんか」
「あまり自分を責めるな。君は心の中に闇を持ちすぎているだけだ」
「こころの闇?」
「光だけで生きている人間など、何処にもいないさ。
誰の心の中にも「闇」の部分は存在をしている。
光と闇は、双子のように、一心同体の関係だ。
愛と悲しみの感情だって、もともとは入り混じりながら心の中に生まれてくる。
たまたま環境と条件に恵まれれば、愛の部分が大きく育ち
悲しみを覆い隠して自分自身を支配してくれる。
だが忘れてはいけない。悲しみそのものが根底から消えたわけじゃない。
愛が破綻を見せたその瞬間に、再び悲しみは蘇ってくる。
そうしたことが繰り返されるたびに、自分の中で「闇の部分」が大きくなる。
貞園は、マザーテレサのことを知ってるかい」
「1979年にはノーベル平和賞を受賞した、インド貧民街の聖女マザーテレサのこと?」
「マザーは1997年に87歳で、インドのコルカタで他界した。
マザーが始めた献身的で犠牲的な奉仕活動「神の愛の宣教者会」の活動は、
この当時で、世界の123カ国にまで広がり、それに従事するシスターの数は、
3914人にのぼたそうだ。
マザーの葬儀には自由主義の諸国ばかりでなく、
社会主義圏の国々もこぞって追悼文を送ったというほど盛大だった。
だがその後の調査で、慈愛に満ちたカトリックのマザーテレサが、
実は深い心の闇を引きずりながら、長年にわたり活動を続けてきたことが明らかにされた。
カトリックの神父たちとの間で交わした、40通以上もの手紙が、
一冊の本として出版された(*2007年・DOUBLEDAY RELIGION発行)。
そしてそこに掲載されたマザーの手紙の内容が、世界中に大きな衝撃と反響を巻き起こした。
興味があるなら続きを話すが、どうする?」
「聞きたい」
「よし。そのかわりちゃんとベッドに横になってくれ。
今の君は、身体も心もちゃんと休めて休養をとるのが一番だそうだ。
子守唄代わりに続きの部分を話すから、とりあえず、リラックスしてくれ」
「了解。康平」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「静かに更けていく病室で、貞園が見つづける夢と諦める夢」
静かな寝息を漏らしながら眠り続けていた貞園が、
ようやく目を覚ましたのは、治療を受けてからほぼ3時間あまりが経過をしていました。
10月が近づいてきた窓の外は、なぜか夜半になるにつれ、月の光が青白く輝やきを増します。
(薄暗いわねぇ。いったい何時になるのかしら・・・)
目覚めた貞園が、一段階落とされた病室のほの暗い照明の中で、腕時計を覗き込みます。
「まもなく12時になる。
シンデレラの馬車が、油断をしているとかぼちゃに変わる時間だ」
「それは残念だ。
こんなことになるのなら、今日だけは。ガラスの靴を履いてくるんだった」
「それだけ元気ならもう大丈夫だろう。心配したぜ、一時は」
「康平。喉が乾いた。
お水よりも、なにか甘くて冷たいジュースが飲みたい。
先生がダメだというのなら我慢しますが、朝が来るまでは持ちそうもありません」
「アルコール以外なら俺が許可する。ついでにコーヒーも買ってくる」
「じゃあ。あたしもついでに、甘めのコーヒー」
(わかったよ)と答えながら、康平が廊下へ出ます。
一人病室に残された貞園が、ポツンとのこされている点滴の容器を下から見上げています。
(まいったなぁ・・・・みんなが居るところで、いつもの発作が来るとは思わなかった)
唇を噛みしめながら、前髪をかきあげています。それが定番のいつもの貞園の癖です。
いつものように、なにか失敗をしでかしたあとには、必ず自嘲気味に
こうして唇を噛み、前髪をかきあげてから、軽く肩をすぼめておどけてみせます。
(ベッドの上では、今日はさすがにそれには無理がある・・・・)
「買ってきたぜ。すぐに飲むなら栓をあけてやる」
「飲みたい」
貞園がベッドから上半身だけを起こします。
差し出されたコーヒーを美味しそうに一口だけ飲んでから、冷えた缶を額へ押し付けます。
冷たさが瞬時に脳内を駆け抜けていきます。
身震いを引き起こしそうなほど、渡された缶は存分なまでに冷え切っています。
「無茶するな。無人状態のロビーから買ってきたんだぜ。
夜中になると自販機の飲み物は、極度なほど、これでもかとよく冷える。
まして真夏のままの設定だと、この季節には、冷えすぎてしまうこともよくある。
そろそろ温かいものが恋しくなる、そんな季節だ」
「千尋ちゃんが居ると思ったら、康平が残ってくれたんだ」
「千尋なら明日の朝、入院用の用具を揃えて、また此処へ来てくれる。
光太郎さんへは、陽子ママから伝言をしてくれるように、さっき電話で頼んでおいた。
なんだよ。病室へ俺が残ったのでは不満か」
「嬉しいとは言えないでしょう。ちひろちゃんの手前。
あたしの持病が、すっかりみんなにばれちゃったわね。・・・まいったなぁ」
「いつ頃から過呼吸だ?」
「自分で自覚するようになって、もう随分になるかしら。
だいぶ前から、なんの覚えもないうちに急に呼吸が浅くなってきて、息苦しくなった。
突然発作がやってきて指先がしびれたり、意識が朦朧としたの。
それを、過呼吸症だとお医者さんから診断されたのが、今から3年くらい前かしら。
でもね、今日のように人前で発作が来るのは、初めてです。
慣れているはずなのに、気持ちが動転しすぎて、自分でも何がなんだかわからない。
ああいうのを、突発性のパニック状態というんだろうね。
ごめんね。見苦しくて、無様な姿を見せてしまって、」
「すこし治療をしたほうがいいと、女医先生が言っていた。
光太郎氏の許可が出れば、数日間は入院をして検査をしてもらったほうがいい」
「来るもんか、あいつは。再婚の準備でやたらと有頂天で、うわの空だもの」
「それも原因のひとつなのかな。今回の発作の」
「いいえ。あたし自身の内面の問題。
あたしの中に、もう一人の自分が住んでいて、そいつが時々反乱を起こす。
嫌な時でも嫌とは言えないし、辛いのに無理して愛想を良くしている自分がいる。
わかっているくせに、人様の前で、また上手に取り繕っている私自身がいるの。
元気で活発だねって褒められるたびに、もう泣き始めている、
もうひとりの私が、別にいる」
「知ってるさ。君がガラスのような繊細な心の持ち主だってことくらい」
「よく言うわ。またかと思って今回も、呆れているくせに。
わかっているわよ。本当は軽蔑をしているんでしょう、こんな私のことなんか」
「あまり自分を責めるな。君は心の中に闇を持ちすぎているだけだ」
「こころの闇?」
「光だけで生きている人間など、何処にもいないさ。
誰の心の中にも「闇」の部分は存在をしている。
光と闇は、双子のように、一心同体の関係だ。
愛と悲しみの感情だって、もともとは入り混じりながら心の中に生まれてくる。
たまたま環境と条件に恵まれれば、愛の部分が大きく育ち
悲しみを覆い隠して自分自身を支配してくれる。
だが忘れてはいけない。悲しみそのものが根底から消えたわけじゃない。
愛が破綻を見せたその瞬間に、再び悲しみは蘇ってくる。
そうしたことが繰り返されるたびに、自分の中で「闇の部分」が大きくなる。
貞園は、マザーテレサのことを知ってるかい」
「1979年にはノーベル平和賞を受賞した、インド貧民街の聖女マザーテレサのこと?」
「マザーは1997年に87歳で、インドのコルカタで他界した。
マザーが始めた献身的で犠牲的な奉仕活動「神の愛の宣教者会」の活動は、
この当時で、世界の123カ国にまで広がり、それに従事するシスターの数は、
3914人にのぼたそうだ。
マザーの葬儀には自由主義の諸国ばかりでなく、
社会主義圏の国々もこぞって追悼文を送ったというほど盛大だった。
だがその後の調査で、慈愛に満ちたカトリックのマザーテレサが、
実は深い心の闇を引きずりながら、長年にわたり活動を続けてきたことが明らかにされた。
カトリックの神父たちとの間で交わした、40通以上もの手紙が、
一冊の本として出版された(*2007年・DOUBLEDAY RELIGION発行)。
そしてそこに掲載されたマザーの手紙の内容が、世界中に大きな衝撃と反響を巻き起こした。
興味があるなら続きを話すが、どうする?」
「聞きたい」
「よし。そのかわりちゃんとベッドに横になってくれ。
今の君は、身体も心もちゃんと休めて休養をとるのが一番だそうだ。
子守唄代わりに続きの部分を話すから、とりあえず、リラックスしてくれ」
「了解。康平」
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