からっ風と、繭の郷の子守唄(87)
「ウェブデザイナーが熱い思いで見る、クワの木を育てる男の夢」
「ウェブデザイナーと、桑の育成を両立させるつもりなのですか?
どちらも中途半端になり、結局、両方で挫折するという結果になりかねません。
デザイナーという仕事にも大変なものがあるでしょうが、本格的にクワを育てるとなると
肉体的にも精神的にも、想像を絶する厳しいものがあります。
そのあたりの覚悟が、あなたには出来ているのですか」
「桑の育成に成功するまでは、デザイナーと農家の2足のわらじで頑張りたいと考えています。
軌道にさえ乗れば、一人立ちして桑園農家になりたいと本気で思っています。
もう決めたことです。あとに退けません」
「養蚕で農家が食えない時代になってから、もう30年以上も経ちました。
小規模ながら各地に養蚕農家が残っていますが、蚕を飼うだけでは暮らしが成り立たず、
野菜つくりや米麦の兼業などでやりくりをしています。
今の時代に蚕を飼うという意味は、伝統文化として養蚕の姿を残していくことか、
伝統工芸品の生糸を作り、付加価値をつけた絹をうみだすだけに限定をされています。
桑の木には、どれほど苦労したところで、それほどの明るい未来は見えません。
それでもあなたは、あえて此処でクワの木を育てるというのですか」
「さすが上は州人。養蚕の実態のことを良くわかっています。
私がやりたいのは、蚕を育てて繭を作り、その繭を使って生糸を紡ぐ人のために
役に立ちたいというだけです。
その人のために、私は一生をかけてでもクワを育てなければなりません。
償いというか、男として、その程度の責任をとる必要がどうしてもあるのです」
「風向きが変わってきましたね。
京都から来たと、そう最初にあなたは言いました。
ひとりだけ俺にも心当たりがあるのですが、もしかしたらあなたは、
その人のあとを追って、はるばるこの群馬までやってきたのと違いますか?」
「彼女が書くブログを通じ、群馬で座ぐり糸作家の道を歩き始めたことを知りました。
大学時代に交際をしていたのですが、ふとしたことから疎遠となり、別れてしまいました。
しかし、しばらく経ってから、彼女のほうから何故あえて別れていったのか、
その本当の理由を、共通の友人から聞くことができました。
自分なりに悩み続け母親と対立をしているうちに、10年近い年月が経ってしまいました。
ようやく見通しがつき、やっとこうして群馬へ来ることができたのです」
「本題を伺いましょう。俺はあなたのために何をすればいいのですか?」
「細かいことを、もっといちいち聞かないのですか。あなたは」
「のちのちに伺えば、それで済むことです。
裏の畑にある一ノ瀬の大木は、かつての桑苗の原木だと聞いたことがあります。
畑を貸して苗を育てたいという話なら、いちもにもなく賛成をします。
ただし、どうすれば桑の苗が育ち、畑を桑園にするためには何をどうしたらいいのかは、
俺には、まったくわかりません。
そのあたりの事は、徳次郎老人と話がついているようなので問題はないと思います。
ただし、ひとつだけ話を聞いていて不安に思うことがあります」
「別れた、千尋のことですか・・・・」
「あなたは千尋さんには内緒のまま、桑畑を作りたいと考えていますね。
たぶん、複雑な事情が、おそらくあなたをそうさせるのでしょうが、
本当にそれで構わないのですか。
俺たちは最近になってから付き合い始めていますが、別に遠慮することはありません」
「それは初耳です・・・あなたは自分に正直な人だ。
自分に何ができるだろうか考えたとき、千尋のために桑畑を作ろうとひらめきました。
まさに、只の突然の思いつきというか、ひらめきです。
責任を取る形を長年考えていたのに、一度も思いつかなかったアイデアです。
それを思いついた瞬間、矢も盾もたまらずに一刻も早く群馬へ飛んできたくなりました。
たいそうな時間をかけて仕事の段取りをつけ、猛反対する母を振り切って、
群馬へやっと来たものの、実は右も左もわかりません。
千尋のブログに書いてあった、徳次郎老人のお宅を訪ねたところから、
一気に話が、このように急展開になりました」
「一杯やりますか」
英太郎の返事も待たず、康平がビールの栓を抜いています。
「景気づけです」と笑いながら英太郎のグラスへ、まずなみなみと注ぎます。
自分のグラスへも同じように注ぐと、「まずは乾杯」と、グラスを高々と持ち上げました。
「徳次郎爺さんがついているのなら、結果は何とかなるでしょう。
今からあれこれ、病んでいても始まりません。
いいでしょう。全て手伝いますから、明日からでも始めましょう」
「え。明日から早速ですか?」
「善は急げ。鉄は熱いうちに叩け。です。
たぶん、とりあえず手がける準備だけでも山のようにあるはずです。
俺も全くの素人で、農業のことは何一つ自分では出来ませんし、分かりません。
だが、裏の畑に桑の原種が未だに残っているのも、きっとなにかの縁だと思います。
そういえば千尋さんとの出会いも、やはりあの桑の木でした。
英太郎さんとの出会いも、やはり、あの桑の木があいだに入ってのめぐり会いです。
たぶん、何かを始めろというシグナルかと思いました。
使わずに放置してある畑が、約5反。
すべてを鍬畑にするつもりで、二人で取り組みましょう」
※1反=約991.74平方メートル=約9.9174アール。概ね「10アール」と表示をされます。
「おそろしく決断が早い人ですね・・・・あなたは。
それにしても、5反すべてを桑畑にしょうという発想にも、凄いものがあります。
私には、想像すらつきません」
「大人の着物を1着作るのに必要な和服地の量のことを、1反と呼んでいます。
この1反の着物をつくるために必要な生糸の重量は、約4,9キロ。
4,9キロの生糸を作るためには、約2600個の繭が必要となり、
2600個の繭のためには、2700頭の蚕が必要になります。
100頭ほど不足が出るのは、繭を作らなかったり死んでしまうための自然消滅です。
この2700頭の蚕が食べる桑の葉の量は、98キロと言われています。
1反(10アール)で採れる桑の総重量は、2000キロ前後です。
ということは、1反の桑の木から作れる絹は大人20人分になります。
5反全部を桑畑にしても、100人分の着物しかつくれない計算になってしまいます。
ちなみに、熟練した座ぐり糸職人さんは、1日で400gの糸を生産するそうです。
10日で4キロ。100日で40キロになりますが、
5反の桑畑から最終的に生み出される生糸の量は、92,5キロです。
1年間休むことなく糸を引き続けると、200日とちょっとで、
繭が在庫不足になってしまいます。
どうですか。そう計算をすると、あまり大げさな数字でもないでしょう」
「なるほど。言われてみれば、たしかにその通りです。
しかし詳しいですね。完全に脱帽です」
「県都前橋、生糸(いと)の街、と歌われたほどの、ここは伝統的な生糸生産の土地です。
小学生向けの郷土のカルタでも歌われているくらいですから、このくらいの事なら
一般常識として、上州人なら全員が知っています」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら http://saradakann.xsrv.jp/
「ウェブデザイナーが熱い思いで見る、クワの木を育てる男の夢」
「ウェブデザイナーと、桑の育成を両立させるつもりなのですか?
どちらも中途半端になり、結局、両方で挫折するという結果になりかねません。
デザイナーという仕事にも大変なものがあるでしょうが、本格的にクワを育てるとなると
肉体的にも精神的にも、想像を絶する厳しいものがあります。
そのあたりの覚悟が、あなたには出来ているのですか」
「桑の育成に成功するまでは、デザイナーと農家の2足のわらじで頑張りたいと考えています。
軌道にさえ乗れば、一人立ちして桑園農家になりたいと本気で思っています。
もう決めたことです。あとに退けません」
「養蚕で農家が食えない時代になってから、もう30年以上も経ちました。
小規模ながら各地に養蚕農家が残っていますが、蚕を飼うだけでは暮らしが成り立たず、
野菜つくりや米麦の兼業などでやりくりをしています。
今の時代に蚕を飼うという意味は、伝統文化として養蚕の姿を残していくことか、
伝統工芸品の生糸を作り、付加価値をつけた絹をうみだすだけに限定をされています。
桑の木には、どれほど苦労したところで、それほどの明るい未来は見えません。
それでもあなたは、あえて此処でクワの木を育てるというのですか」
「さすが上は州人。養蚕の実態のことを良くわかっています。
私がやりたいのは、蚕を育てて繭を作り、その繭を使って生糸を紡ぐ人のために
役に立ちたいというだけです。
その人のために、私は一生をかけてでもクワを育てなければなりません。
償いというか、男として、その程度の責任をとる必要がどうしてもあるのです」
「風向きが変わってきましたね。
京都から来たと、そう最初にあなたは言いました。
ひとりだけ俺にも心当たりがあるのですが、もしかしたらあなたは、
その人のあとを追って、はるばるこの群馬までやってきたのと違いますか?」
「彼女が書くブログを通じ、群馬で座ぐり糸作家の道を歩き始めたことを知りました。
大学時代に交際をしていたのですが、ふとしたことから疎遠となり、別れてしまいました。
しかし、しばらく経ってから、彼女のほうから何故あえて別れていったのか、
その本当の理由を、共通の友人から聞くことができました。
自分なりに悩み続け母親と対立をしているうちに、10年近い年月が経ってしまいました。
ようやく見通しがつき、やっとこうして群馬へ来ることができたのです」
「本題を伺いましょう。俺はあなたのために何をすればいいのですか?」
「細かいことを、もっといちいち聞かないのですか。あなたは」
「のちのちに伺えば、それで済むことです。
裏の畑にある一ノ瀬の大木は、かつての桑苗の原木だと聞いたことがあります。
畑を貸して苗を育てたいという話なら、いちもにもなく賛成をします。
ただし、どうすれば桑の苗が育ち、畑を桑園にするためには何をどうしたらいいのかは、
俺には、まったくわかりません。
そのあたりの事は、徳次郎老人と話がついているようなので問題はないと思います。
ただし、ひとつだけ話を聞いていて不安に思うことがあります」
「別れた、千尋のことですか・・・・」
「あなたは千尋さんには内緒のまま、桑畑を作りたいと考えていますね。
たぶん、複雑な事情が、おそらくあなたをそうさせるのでしょうが、
本当にそれで構わないのですか。
俺たちは最近になってから付き合い始めていますが、別に遠慮することはありません」
「それは初耳です・・・あなたは自分に正直な人だ。
自分に何ができるだろうか考えたとき、千尋のために桑畑を作ろうとひらめきました。
まさに、只の突然の思いつきというか、ひらめきです。
責任を取る形を長年考えていたのに、一度も思いつかなかったアイデアです。
それを思いついた瞬間、矢も盾もたまらずに一刻も早く群馬へ飛んできたくなりました。
たいそうな時間をかけて仕事の段取りをつけ、猛反対する母を振り切って、
群馬へやっと来たものの、実は右も左もわかりません。
千尋のブログに書いてあった、徳次郎老人のお宅を訪ねたところから、
一気に話が、このように急展開になりました」
「一杯やりますか」
英太郎の返事も待たず、康平がビールの栓を抜いています。
「景気づけです」と笑いながら英太郎のグラスへ、まずなみなみと注ぎます。
自分のグラスへも同じように注ぐと、「まずは乾杯」と、グラスを高々と持ち上げました。
「徳次郎爺さんがついているのなら、結果は何とかなるでしょう。
今からあれこれ、病んでいても始まりません。
いいでしょう。全て手伝いますから、明日からでも始めましょう」
「え。明日から早速ですか?」
「善は急げ。鉄は熱いうちに叩け。です。
たぶん、とりあえず手がける準備だけでも山のようにあるはずです。
俺も全くの素人で、農業のことは何一つ自分では出来ませんし、分かりません。
だが、裏の畑に桑の原種が未だに残っているのも、きっとなにかの縁だと思います。
そういえば千尋さんとの出会いも、やはりあの桑の木でした。
英太郎さんとの出会いも、やはり、あの桑の木があいだに入ってのめぐり会いです。
たぶん、何かを始めろというシグナルかと思いました。
使わずに放置してある畑が、約5反。
すべてを鍬畑にするつもりで、二人で取り組みましょう」
※1反=約991.74平方メートル=約9.9174アール。概ね「10アール」と表示をされます。
「おそろしく決断が早い人ですね・・・・あなたは。
それにしても、5反すべてを桑畑にしょうという発想にも、凄いものがあります。
私には、想像すらつきません」
「大人の着物を1着作るのに必要な和服地の量のことを、1反と呼んでいます。
この1反の着物をつくるために必要な生糸の重量は、約4,9キロ。
4,9キロの生糸を作るためには、約2600個の繭が必要となり、
2600個の繭のためには、2700頭の蚕が必要になります。
100頭ほど不足が出るのは、繭を作らなかったり死んでしまうための自然消滅です。
この2700頭の蚕が食べる桑の葉の量は、98キロと言われています。
1反(10アール)で採れる桑の総重量は、2000キロ前後です。
ということは、1反の桑の木から作れる絹は大人20人分になります。
5反全部を桑畑にしても、100人分の着物しかつくれない計算になってしまいます。
ちなみに、熟練した座ぐり糸職人さんは、1日で400gの糸を生産するそうです。
10日で4キロ。100日で40キロになりますが、
5反の桑畑から最終的に生み出される生糸の量は、92,5キロです。
1年間休むことなく糸を引き続けると、200日とちょっとで、
繭が在庫不足になってしまいます。
どうですか。そう計算をすると、あまり大げさな数字でもないでしょう」
「なるほど。言われてみれば、たしかにその通りです。
しかし詳しいですね。完全に脱帽です」
「県都前橋、生糸(いと)の街、と歌われたほどの、ここは伝統的な生糸生産の土地です。
小学生向けの郷土のカルタでも歌われているくらいですから、このくらいの事なら
一般常識として、上州人なら全員が知っています」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら http://saradakann.xsrv.jp/
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