落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(86)

2013-09-14 10:51:56 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(86)
「物語は、新しい人物の登場で意外な方向へと急展開を見せる」



 群馬の真夏は、すこぶるの高温多湿です。
関東平野の南から押し寄せてきた熱気が、屏風のようにそそり立っている赤城山の山裾から
一気に上昇をはじめ、やがて積乱雲へと姿を変えます。
この雲が、やがて激しい雷鳴を伴って山麓の一帯へ瞬間的な激しい雨を降らせて回ります。
この雨が実は有力な河川を持たない山麓一帯にとっては、恵みの水にかわります。
山間地の野菜たちが真夏にすくすくと育つのも、毎日やってくるこの夕立のおかげといっても
決して過言ではありません。


 なぜ赤城山には、主要な河川ができないのでしょうか?。
沢と呼ばれる小さな水の流れはありますが、河川と呼ばれるほどの川は発生をしていません。
山頂には広大な面積を誇る火口湖の大沼と小沼を持ち、さらには高山湿原の
覚満淵(かくまんぶち)まで所有しているというのに、この休火山は、
一級河川と呼ばれる、大きな流れを生み出してはいません。
おそらくは、広大すぎる山麓の傾斜地帯が、ほとんどの雨を地中へと吸い込んでしまうために
河川の流れを生み出すまでにいたらないのだろうと、考えられています。


 ちなみに赤城山に降ったおおくの雨は、標高が50~60m近辺の平坦地で湧出をします。
赤城山からの伏流水として、伊勢崎市から太田市あたりにかけて数多くの地下水が湧出を見ます。
太平記の時代に巨大な荘園を形成し、新田義貞を輩出したことでも知られている
『新田荘(にったのしょう)』も、この赤城山の湧水に水源を得たことによる、
大規模を誇った水田地帯です。



 康平と千尋の順調な交際が続く中、いつの間にか8月も終わりに近づきました。
夏の火照りが終わり、朝夕には、秋の気配などが垣間見えるようにもなってきました。
ひとつだけ気がかりな事といえば、身重になった美和子が呑竜マーケットの康平の店に
顔を出す機会が、めっきりと減ってきたことです。
それとは裏腹に、貞園と千尋の急接近が始まり、このふたりは事あるごとに
外でお茶などをするようになってきました。



 春蚕(約30日間)、夏蚕(約22日間)と続いてきた蚕の飼育が、
7月から8月初めにかけて掃き下ろされた(桑を食べ始めた)初秋蚕(しょしゅうさん)が、
繭を作る時期にはいりました。
千尋に頼まれその飼育がはじまった徳次郎の『群馬黄金』も、母屋の2階で
回転まぶし(蚕に個別に繭を作るための道具)に移されて、繭をつくる段階に入っています。
繭の完成を待ちかねている千尋が、徳次郎宅へ足を運ぶ回数も当然のこととして増えてきます。
千尋が帰る時間になると、どこからともなく貞園の真っ赤なBMWが現れ、
拉致するかの如く千尋を乗せ、風のようにどこかへ消えていってしまいます・・・・


 ともあれ日本の四季が、また、あたらしい季節の幕を開けはじめました。
9月の新メニューのために、秋茄子を使った料理を仕込んでいる康平のもとへ
同級生の五六が、客人を伴ってひょいと現れました。



 「よお。頑張っているな。康平。
 また客人を連れてきた。お前さんに、おりいっての相談があるそうだ。
 お前さんさえよかったら、徳次郎じいさんからは、
 すでに、全面的に協力をするというお墨付きはすでにもらってある。
 詳しい話は、こちらの客人から聞いてくれ。
 じゃあな。確かに引き渡したぜ。俺は仕事中だから、これで帰る」


 「おい。待て、五六。
 突然に来て、いったい何の話だ。皆目意味がわからねぇ・・・・」


 「だから要件と真意は、客人のこいつから聞け。
 おっ、そうだ。忘れるところだった。電話で頼まれていた採りたての秋茄子だ。
 山ほど置いていくから、頑張れよ。じゃあな!」


 カウンターの上へドンと秋茄子の袋を置くと、五六はそのまま立ち去ってしまいます。
(なんだよ、あの野郎。、あっという間に来たと思ったら、疾風のように消えちまいやがる)
腰に両手を当て憮然と仁王立ちする康平の前に、気の弱そうな一人の青年が立ちました。
180cmをこえる長身ですが、まるでキュウリのような細身です。



 「ウェブデザイナーをしている小杉英太郎と申します。京都からやってきました。
 お初にお目にかかります」


 「あ。康平と言います。
 わざわざ京都からとは、こんな田舎の街まで、はるばるとご苦労様です。
 ウェブデザイナーとはずいぶんとまた、先進的で現代的な職業です。
 で、早速ですが、俺にどんな用件でしょうか」


 「クワを育てようと思い、はるばるここまでやって来ました」


 「くわ?。くわと言うのは、蚕が食べる、あの桑の葉のことですか」


 「そうです。そのクワです。
 その桑の木を育ててみたくて、この地までやってきました」



 「話がよく見えません。
 農業を始めたいというならわかりますが、何故、桑の木を育てたいのですか?
 第一、いまの時代に手間暇かけて、桑の木なんか育てたところでロクな使い道がありません。
 ドドメ(桑の実)が、最近の研究で有効性のある果実だということがわかり、
 見直されていますが、それと関連でもあるのですか?」


 「へぇ。桑は葉を蚕が食べるだけではなく、果実までつけるのですか?」


 「知識に関しては、まるでど素人レベルの反応ですね。
 そんなあなたがクワを育てたいと考えるには、なにか特別の理由でもあるのですか。
 思いつきだけで出来るほどいまの農業は、甘くはありません。
 例えばあなたは、その手で土をいじったことがありますか?」


 「保育園と幼稚園での砂遊びなら、多少の体験があります。
 しかし小学校と中学、高校の時の校庭はコンクリートでしたし、街中はすべてが舗装です。
 そういえば最近、土に触ったという記憶は、まったくもってありません」


 「お先真っ暗というべき、実に、模範的な回答ぶりです・・・・
 わかりました。それでもやるとあなたが考えているのには、
 よほどの理由があるということで理解をしました。
 徳次郎老人にも会ってきたというお話ですが、なにをどうされたいのか
 詳しく説明してください。
 ことと次第によっては、俺も協力をしましょう」


 「なるほど、流石です。
 康平なら必ずそう答えるだろうと、案内をしてくれた五六さんが太鼓判を押していました。
 詳しい説明をしますが、その前に椅子へ座ってもいいですか。
 少々、足が疲れてきてしまいました」


 「どうぞ、ご遠慮なく。
 あなたも面白い人ですね。とてもこれから農業を始める人には見えませんが、
 なにやら、一通りでない決意だけは、あなたから伝わってきました」



 お茶でも入れますから、話はその後にしましょうと康平が支度をはじめます。
腰を下ろしようやく落ち着いたのか、長身の青年が額の汗をハンカチで押さえています。



 「五六は俺の同級生で、徳次郎老人は、遠い血縁関係にあたります。
 田舎ですから古い血縁関係をたどっていくと、必ずどこかで同族にたどり着いてしまいます。
 本家が存在し、新宅やら分家が作られて、隠居なんて言葉が生き残っているのは
 もはや、この辺りの山あいの寒村だけのことです。
 観光で、日本の原風景を見に来るのならうってつけですが、
 赤城の山麓は、とても都会からの人が住む場所ではありません」


 はいどうぞ、と茶碗をさしだす康平の目を、長身の青年が正面から見つ目め返します。
眼鏡越しのその目には、すでに真剣そのものと思える光が宿っています。


 「ダメと言われても、すでに前橋にワンルームマンションを借りてきてしまいました。
 母親には二度と帰らないつもりだから、親不孝を許してくれと詫びてきました。
 田舎でもとりあえずネットさえ繋がっていれば、仕事の面のやりくりはなんとかなります。
 しかしゆくゆくは、専業でクワを育て暮らしていきたいと考えています。
 私は、そこから人生そのものを『出直し』たいと考えているのです」





・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
 詳しくはこちら http://saradakann.xsrv.jp/

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