「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第78話 これから、ランチや。
モルガンお雪の話が、佳境に突入した。
が、『ちょっとここらで一息、いれまひょか」と小染め姉さんが話を停める。
ゆるりと4杯目の京番茶に、手を伸ばす。
もう片方の手がそわそわと、帯の隙間を探していく。
「・・・おや。もう、こんな時間かいな。」
帯に忍ばせておいた和装用の提げ時計を、ちらりと覗く。
和装に、腕時計は似合わない。
着物を着た場合。帯に挟むように細工された和装時計を用いる。
見やすい白い文字板に、特徴がある。
帯に装着しやすいよう、やや長めの提紐が装着されている。
時刻をもう一度確かめた小染め姉さんが、申し訳なさそうにお茶を置く。
「わるいなぁ、サラちゃん。あたしゃこれからランチの約束があんのどす。
モルガンお雪さんの話は、また、今度の機会にいたしまひよ」
襟を直した小染め姉さんが、両手を膝にあてる。
両足の位置を動かさないまま、腰を浮かせる。
身体を揺らさないように、おだやかに立ち上がる。
91歳だというのに、小染め姉さんの立ち姿は、凛として美しい。
頭の先から糸で吊られているかのように、背筋がピンと伸びていく。
1畳をおよそ5歩(自然な歩幅)で滑るように、なめらかに歩く。
畳に入るときには必ず右足から入り、出るときは左足から出ていくのも、
すっかり身体に染み込んだ、長年の作法だ。
廊下へ出たところで、くるりと小染め姉さんがサラを振り返る。
「お前も行くかい、ランチに。お腹が空いただろう」と声をかけてくる。
小染め姉さんからの突然の提案に、サラが大きな目をさらに大きくして驚く。
「えっ・・・いいんですか。あたしみたいな下っ端が、
お姉さんのランチのお供をしても!」
「かまいまへん。お茶ばっかり呑んでいてもお腹はふくれません。
どうせ集まってくるのは、喜寿(77歳)や、傘寿(さんじゅ・80歳)
の爺さんたちばっかりだ。
どうってことはおへん、ただのおいぼれどもの集まりどす。
長年続いてきた、ご贔屓さんたちの定例の食事会や。
若い子を見れば、有頂天になって喜ぶこと、請け合いどす。
みんな棺桶に片足を突っ込んでいるような、連中ばかりどすからなぁ」
「いけません、小染め姉さん!」女将が慌てて、止めに入る。
「サラちゃん。あんたも簡単に、お誘いに乗ったらいかん。
誰が集まると思うとんねん。市議会のお偉いさんや、商工会の重鎮ばっかりどす。
京都の町を仕切る、凄いメンバーばっかりが集まるんや。
デビュー前のおちょぼが、浴衣で顔を出せるような食事会や、おまへん」
「かまへんやろ。別だん。
駆け出しのおちょぼが浴衣で祇園を駆けまわるのは、当たり前の事や。
デビューの前から顔を売っておけば、あとあと何かと好都合になる。
そや。浴衣のままでいけんと言うなら、お前さんの羽織るものを貸せばええ。
この間作った羽織が有るやろ。
派手すぎて着れないと、たしか嘆いておったのう。
あれでええやろ。この子にそれを羽織らせれば、外観が出来上がる。
それならええやろ。文句は無いな。分かったらはよせいや。
もう。おいぼれ連中が首を長くして、まだかまだかと待ってはる」
「けど。あれはウチが、清水の舞台から飛び降りたつもりで買うた、
加賀友禅の逸品どすえ。
道中着のコートとしても使える、優れものどす。
こないな駆け出しに着せるなんて、もったいないと思いまへんか!」
「あんたも諦めのわるい女やのう。
似合わんものを、箪笥にしまっておいてもしょせんは無駄どすやろ。
もうあまり、時間があらへん。
サラ。構わんから女将から羽織をもらって、羽織っておいで」
えっえ~、そんなぁ無茶なぁ・・・・と絶叫するお茶屋の女将を尻目に、
小染め姉さんが、スタスタと廊下を立ち去って行く。
(かなわんなぁ。大きなお姉さんには・・・)と、女将もようやく覚悟を決める。
「ウチからのご祝儀やと思って、羽織っていき」
取り出してきた加賀友禅の羽織を、ふわりとサラの背中にかけてやる。
「けどなぁ、あんた。
小染め姉さんのランチは1軒やないで。3軒や。
イタリアンに中華。最後が和食と、むかしから順番は決まっとんのどす。
集まるご贔屓さんも、それぞれのお店で、姉さんが顔を出すのを
いまかいまかと待ってます。
それにしても、あんたのことがよっぽど気にいったんやなぁ、姐さんは。
おちょぼをお伴を指名するなんて、この40年ではじめてのことどす。
サラ、あんた。元気にきばらなあきまへんで」
女将にポンと背中を押されたサラが、あわてて廊下を飛んでいく。
お茶屋の玄関先では、小染め姉さんがにこにこと笑いながら、サラが出てくるのを
「まだかいな。待つのは嫌いや。置いてくでぇ」と、小さな声で
つぶやいている。
第79話につづく
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