落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(最終回) 第三幕・第二章「生命に悔いなく」

2012-11-08 10:59:16 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(最終回)
第三幕・第二章「生命に悔いなく」





 「生命に悔いることなく生きぬく・・・それが順平君からのメッセージだ。
 生きることへの心からの賛歌が、碌山のテーマ―だ。
 黒光は、まさにその象徴と呼ぶのにふさわしい、素晴らしい女性だと思う。
 西口や時絵が言うように、まさにやりがいのある新しい舞台に
 なりそうだね、茜ちゃん」



 座長の優しい目が、頬を上気させている茜を見つめます。
茜は石川君の目の前で、ちずるに両肩を抱かれたまま、まだ立ち往生をしています。
ちずるが、茜の肩からあわてて両手を離しました。



 「あら、わたしとしたことが。
 よろしくお願いいたしますなどと、石川さんに挨拶をしておきながら、
 いままで茜を抱きしめっぱなしだったわ・・・・
 野暮だわねぇ~あたしったら」



 「じゃあ、私たちもこの辺で、失礼をします。
 だいぶ遅い時間になってしまいましたが、
 これからレイコのおばあちゃんの家に、行きたいと思います。
 結婚が決まったら、いつも真先に報告に行きたいと、レイコは、いつも口にしていました。
 それを知っていながら、もう10年以上もレイコを待たせていました。
 今度の脚本を書き始めた時から、
 書き上がった時点で、正式にプロポーズをするつもりでいました。
 みんなが盛りあがっているすきに、『どうする、俺たちも結婚するか?』と聞いたら
 『こんなムードも何もないところじゃ、絶対に嫌。』と、
 あえなく拒否をされてしまいました。
 そんな訳で、これから川内の山奥まで行って、おばあちゃんの家で泊まってきたいと思います。
 当然のこことして、すでにおばあちゃんは眠っているとは思いますが、
 それでもレイコは、今夜だけは、そのおばあちゃんの家で眠りたいそうです」



 「順平君。
 その、おばあちゃん家へ行ってまでも、
 レイコちゃんに、再びプロポーズを断られたらどうするの?
 ありうる話だぜ・・・・」



 「それって・・・・え~、まったくの想定外です。
 その時はその時で、当たって砕けます、座長」



 「冗談だよ。
 もうレイコさんの顔は、承諾をしているよ。
 良い事が有ると、女性は美人になるというが、それは本当の話だね」


 笑う声に送られて、順平とレイコも稽古場を後にしました。
残されてしまった形の石川君と茜も、隙を見て退散しようと先ほどから
なりゆきと、その空気を読んでいました。



 
 「茜。
 石川さんがしびれをきらしているから、もうあなたも行きなさい。
 わたしたちに遠慮することはないわ。
 石川さん、こんな妹ですがよろしくお願いしますね。
 今のうちに言っておきますが、案外とこの子には強情なところもありますので、
 取り扱いには、充分に気をつけてください。
 98%まではとても聞き分けのよい良い子なのですが、2%だけ、
 頑固な部分が残っています。
 私から見れば可愛いものなのですが、時としてその2%に
 男の人は手を焼くようです・・・・
 ま、石川さんは優しい人ですので、そんな心配は無いとおもいますが
 そこも考慮の上、大事にしてあげてくださいね」



 「お姉ちゃんたら・・・・」



 「解りました、お姉さん。
 それに、これからは義兄にもあたるの座長。
 僕らも今日はこれで、帰ります。
 僕たちも、座長の病気で力になれることが有れば、なんでも応援をしますので
 遠慮なく、何でも言ってください。
 しっかりと茜と二人で、支えたいと思っています」



 「嬉しいね・・・・
 ちずるが戻ってきてくれたばかりか、
 こんな可愛い妹と、義弟まで早速出来るなんて感謝のかぎりだ。
 こちらこそ、末永く頼みます」



 じゃあ、と手を上げて石川君と茜も稽古場を後にします。
わずかの時間のうちに、劇団員たちが立ち去ってしまった空間には
物音ひとつ聞こえない、静かさが戻ってきました。



 「ねぇ!」



 ちずるがテーブルの上に整っている宴の様子に目を置いたまま、座長を呼びます。
ワイングラスが2個並んだ横には、赤いリボンが結ばれたワインが一本、
氷の中に傾けられて置かれています。
その隣には、赤いリボンが掛けられた大きな包みも置かれています。
あいつら、いったい、いつのまに・・・・
それらを覗き見る座長が、一枚のメッセージカードを見つけました。






 「お帰りなさい、われらがちずる。
 生命ある限り、座長と私たちの心は常に一緒です。
 素晴らしきその再婚を祝して。」




        座員一同







 癪な真似を・・・・と座長がいいかけた隣で、ちずるが歓声を上げました。
ちずるによって開封された包みからは、お揃いのピンクのパジャマが出てきました。
この歳で、さすがにこの色は派手すぎるだろう・・・・と覗いていると
もうひとつの小さな包みが、さらに下から出てきます。
開封してみると、ブルーとピンクの赤ちゃん用の可愛いうぶ着が出てきました。



 「なんだ、これは、あいつら・・・・」



 「座長・・・・
 すべてをあきらめるなという、
 みんなからのメッセージが入っていました。




  『限りある生命と、限りない未来のために、俺たちはひとつ。
 万に一つでも可能性が有れば、前に進もうと言うのが劇団創設時の
 座長からのメッセージでした。
 10年間の活動休止の時を経て、劇団は奇跡の復活を遂げ、
 見事に最初の奇跡を作りだしました。
 同じく10年の時を経て、一度はあきらめたはずの男女の縁(えにし)が、
 これもまた、2度目の奇跡ともいえる復活を遂げてみせました。
 2度にもわたるこの奇跡は、他ならぬ座長の生命力、そのものです。
 われらは3度目の奇跡を信じて、これらのプレゼントを心をこめて用意をいたしました。
 一人よりも二人、二人よりも三人。
 3度目の奇跡はまじかです、幸運はすぐそこまで来ています』



 
  なんということを・・・・
 座長、劇団員の皆さんが、絶対にあきらめるなと大合唱をしています。
 ほんとに、ユニークで優しい人たちばかりです。
 座長、これから先が大変です。
 病気になんかに、負けてはいられないですね」




 「その通りだ・・・・
 負けてたまるか、病になんか。
 頼むぜちずる、俺も頑張るから、俺の人生を支えてくれ」



 座長が見上げる天窓からは、明るい月の光が差し込んでいます。
明治の末期に建てられたのこぎり屋根の稽古場は、たった二人を残して
また、再び静まり返りました。
ちずるがワインの栓を抜き、グラスへ注ぎます。



 「ねぇ、私たちの生まれた年と同じ年代物のワインだわよ。
 私たちのために、わざわざ、見つけ出してくるなんて、
 どこまでいっても洒落ているわねぇ、
 わが劇団員たちは・・・・」



 芳醇なワインの香りが、静まりきった稽古場の中に
ゆっくりとした余韻を引いて、少しずつひろがりはじめました。
あと2カ月余りでこの年も終わり、時代は1980年代の後半に
はいろうとしていました。

 (完)






 ・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 
 

▼2月3日(金)
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」

『あとがきにかえて』

 1970年代の青春を描いた処女作「アイラブ桐生」からはじまり、
1970年代の後半を舞台にした「アイラブ桐生・レイコの青春」へとつづき
1980年代の前半を描いた本編の「アイラブ桐生・舞台裏の仲間たち」で、
約2年余りをかけた私の3部作が、おかげさまで完結をしました。


 ひとえに読者の皆さんに支えられた結果と、あらためて感謝を申し上げます。
また、最後に当たって感謝の一文をあえて掲載をしたのは、この物語の舞台となった
桐生天満宮周辺が、この夏の歴史的遺産としてその登録をめざして
その活動を活性化したからにほかなりません。



 今日の桐生市の基盤が出来あがったのは、天正時代と言われています。



 徳川家康の領地となった桐生領を治めるために、
代官大久保長安の手代・大野八右衛門が派遣されます。


 桐生地域を発展させるためには、未開拓の南部の土地、
「荒戸原」と呼ばれていた久方村、荒戸村の一部を割いて町立てが必要だと考えられ、
赤城森といわれていた現在の天満宮の地に、久方村の梅原天神を遷座しました。
ここを宿頭にして南へ一直線の道路を拡幅し、その両側に人々を住まわせる
施策の実行に着手しました。
天正19年(1591年)のことです。



 本町六丁目までのまち並みが完成したのは
慶長11年(1606)頃と考えられていますから、およそ15年かかりました。
道路の両側の土地を間口6~7間、奥行き約40間に区割りして、これをひと区画として、
支配下の各村から積極的に分家させたり、近郷から入植者を
募ったりしたと考えられています。



 梅原天神は旧桐生領54ヶ村の総鎮守とされたものです。
桐生新町はあたかも門前都市、政治都市を兼ねたような形ですが、
幕藩体制下、大名が居住した封建都市などとは全く異なり、
他の町に比べると、町に住む人が主体的に活動できた在郷町であったようです。

 かつて、西の西陣、東の桐生といわれたほど、
絹織物産業で栄えた桐生は、まち並みの成り立ちにも深く関わっており、
現在の本町一、二丁目周辺地区には、歴史的建造物や創設当時の地割、
まち並みを構成する環境物件など、江戸時代から今に至る歴史の姿が色濃く残っています。



 また本町1、2丁目周辺は特に織物の街としての発展をしました。
現在も、土蔵造りの店舗、レンガ倉庫、ノコギリ屋根工場など繊維産業で栄えた街並みが
戦前からの面影を伝えています。



 今回、市が指定した伝建地区(敷地面積13・4ヘクタール)
にある建物430棟のうち、築50年以上の238棟が、伝統的建造物」の候補になりました。
建造物の指定には所有者の同意が必要で、171棟の所有者から同意が得られています。
市伝建群推進室では「これまで災害に無防備だった市民が、
東日本大震災を契機に、保存に前向きになってきた」と分析をしています。



 歴史的建造物の保存を目指すNPO法人「本一・本二まちづくりの会」も、
「同意への機運が一気に高まったのは、震災がきっかけだった」と明かしています。
桐生では震災で、県内最大の震度6弱を記録しました。
昨年4、5月に本町1、2丁目で被災した昭和20年以前の建築物を調査したところ、
58%にあたる133棟に被害がありました。
被災した建築物には特殊な瓦が使われて入手困難なために、
現在も復原修理工事は進んでいません。



 懐かしい桐生1丁目、2丁目の建物たちが、「伝統的建造物」として
脚光を浴びるのは嬉しい半面、被災地の復旧と相まって修復を待つ姿には
見るにつけ、痛々しいものを感じます。
機会を見て、これらも伝統的建造物の画像なども紹介したいと思います。
このサイトを訪問していただいた皆さんに感謝を申し上げながら
ひとまず、筆を置きたいと思います。



 ひきつづきこちらのサイトでは、処女作の掲載をいたしますが
創作活動の方は、2ヵ月ほどの休眠状態にはいります。
すでに次回作の構想は決まっていますが、居酒屋稼業とゴルフとソフトボールの
日程で、四苦八苦状態が続いています。


追記

 桐生市の1丁目と2丁目は、この作品が書きあがって以降、
昨年8月に晴れて、重要建築群保存地区として国よりの指定を受けました。

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