からっ風と、繭の郷の子守唄(73)
「美和子に訪れた人生の分岐点と、貞園の憂鬱」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/30/5a508077809eff5bfcddd83d7ed703f6.jpg)
ふたりがやってきたのはアーケード通りに昔からある喫茶店です。
階段を上っていくと、懐かしい雰囲気の扉がいつものようにふたりを出迎えてくれます。
24時間営業のスタイルなので、買い物がてらにふらりと主婦たちが立ち寄ったり、
飲み帰りのサラリーマンたちが、歩道を見下ろしながらあがりの一杯を頼んだりするなど、
いろいろなスタイルにあわせて利用されています。
本を読むのも良いし、友達とおしゃべりするのにも格好のスペースです。
名物のカレーチーズ焼きと自家製のハンバーグも絶品で、フードメニューも充実しています。
かつてあべ静江が歌った『コーヒーショップで』をそのまま再現したような雰囲気が、
重厚な古い木造の店内に充満をしています。
「で、それは良い話なの?それとも悪い話かしら?」
コーヒーカップを両手で包み込んだ貞園が、美和子の瞳を見つめています。
人の気持ちの中へ、躊躇うことなくまっすぐに切り込んでくるという貞園の性格を
知り尽くしているだけに、美和子も思わず失笑を返します。
「面と向かうと照れますね。
体調が悪いの。今日も病院へ行った帰りです。
でも、お医者さんのお話では順調だそうです。あたしにはまだまったく自覚がありませんが」
「え?。・・・・ということは、赤ちゃんがはじまったの」
「そう。ついに出来ちゃった」
「夫婦だもんね。それは、できても当たり前の話です。
そうなんだ。よかった。おめでとう。ついに出来ちゃったのか・・・・赤ちゃんが。
で、どうするの。康平には。
黙っておくの、それとも何げなくどこかで知らせるの?」
「貞ちゃん。おめでとうの言い方が、他人行儀でそっけないわ」
「じゃあ、あえて美和子に聞きますが、美和ちゃんは
心の底から、本当に、今回の妊娠を喜んでいるわけなの?」
「あんたはそうやっていつも、平気で、土足のまま人の胸の中へ踏み込むのね。
なんとかならないのかしら、その無遠慮な性格は」
店内に流れていたBGMが、いつのまにか切り替わりました。
軽快なボサノバのリズムが消えて、哀愁を帯びたギターのソロ演奏が流れてきました。
コーヒーショップの最大の売りが、マスターが秘蔵をしている数多くのLPレコードです。
長く通いつめている常連さんたちが、思いつくままにリクェストをします。
デジタルが全盛になってしまったこの時代に、いまだにアナログのままのステレオからは、
何故か温かく心にしみるような響きを持った音響が流れてきます。
「何年になるの。結婚してから」
「まる6年。色々とあったけれど、もう今年でまるまる6年目」
「そうか。早いわね、わたしのところもダラダラしたままで、もうまる7年目。
似たようなものです。清純さを失ってからの女の期間は」
「産めるときに産んでおきたいし、
なんだかこのあたりで分岐点に差し掛かったという気もするの。
どっちつかずのまんまじゃ、この先で、あたしも康平もどうにもならなくなってしまうもの。
いい加減で決着をつけろと、お腹の中から赤ちゃんがそうわたしに問いかけてきた。
ちょうどいいきっかけかもしれない。もうそんな歳だし、潮時だもの」
「産むという結論に決めたのね、今回は。
まぁ、夫婦のことだから私はとやかく言えませんが、決めたというならそれも運命です。
そうなると美和ちゃんはこれで、康平の争奪戦からはリタイヤをするわけだ。
あとは邪魔者さえ入らなければ、やがて康平は私のものになる。
でもさぁ、それはそれでいいとして、もうひとつ心配なことが・・・・」
と言いかけた貞園が、次の言葉を飲み込んでしまいます。
厚めの美和子のファンデーションを気にしていた貞園が、ふと横顔を見せた瞬間に
両方の目の淵へ、かすかに残る青い痕跡のようなものを見つけてしまいます。
窓から入る外部光線に浮かび上がってきたのは、夫から受けたと思われる暴行の跡です。
(やっぱり、DVの跡だ!)先程まで薄々と抱いていた疑念が、庭園の中で
それが、確信へと変わります。
ドメスティック・バイオレンス(DV)とは「パートナー等の親密な関係にある(あった)
カップルの間でふるわれる暴力」のことを指しています。
かつて何度か美和子からも打ち明けられたことのある、夫婦間の暴力の跡です。
『普段はそれなりに優しいし、おとなしい人なの。
だけど、お酒を飲んで酔ったときに何かの拍子で暴力をふるうの。
でも本人は、お酒が抜けた次の日になると、優しく打って変わって私を介抱をしてくれる。
どちらも彼の本当の姿だと思うけど、それでも長く一緒に暮らしてくると
今更簡単に分かれるわけにもいかないし、それにあの人は・・・・』
と毎度のように美和子はそこまでを語り、同じようにそこで言葉を断ち切ってしまいます。
まだ何かを隠していることがあると受け止めていながら、貞園もそこであえて詮索を打ち切ります。
結婚についての詳しい経過は知らないものの、どこかに秘密めいた事柄をいまだに密かに
持ち続けている美和子へ、それ以上の質問ができないでいる貞園がいます。
(50歩100歩で、私のところも似たようなものだもの。
むやみに傷口を広げる必要もないし、これ以上聞いても、お互いに辛くなるだけの話だ)
貞園にDVの体験はありません。
しかし最近の内閣府の調査によれば、既婚女性の3人に1人がDV被害を経験し、
23人に1人の女性が、生命に危険を感じる程の暴力を受けていることが明らかにされています。
DVの本質として、支配する側の力による女性への心と体への暴力があげられます。
殴る、蹴る、引きずりまわす、物を投げつけるなどの身体的暴力にはじまり、
大声で怒鳴る、罵る、脅すなどの心理的な暴力に及び、やがて性行為を強要したり
避妊に協力しないなどの、性的暴力などにも発展をします
生活費を渡さない。働きに行かせないなどの経済的暴力や、
女性の行動の制限、友人に会わせないなどの社会的暴力なども、やはりDVの範囲に入ります。
何よりも辛い事は、身体に受けた傷やアザだけでなく、目に見えない心に受けた傷が
被害者女性にとって一番辛く、長い時間をかけての心のケアを必要とします。
DVにおいては心理的暴力もまた、身体的な暴力とほぼ同等であると考えられています。
こうしたDVの背景にあるものは、性差別の社会概念です。
経済的、社会的に男性が優位に立つ社会。女性が経済力を持つことが困難を伴う社会。
子育てが女性の役割とみなされ、その労働に対して経済的価値が付与されていない社会。
妻には夫を世話し支える役割があるとされている社会。
男性の攻撃性や暴力性が男らしさの証と容認されているような社会。
このような社会意識(ジェンダー)のあり方が、DVを許してきた根源として挙げられます。
※ジェンダー・・・生物学的性差(セックス)ではなく、
社会的・文化的・歴史的に作られた性差別のこと。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」
「男だったら・・・」「女のくせに・・・・」とか「妻は夫に服従するものだ」
「家事や育児は女の仕事だ」という刷り込みなどのことを言います※
しかし、予測不可能な突然の激しい暴力は、いつ起こるかわかりません。
安心で安全な状況にない日々を恐怖で過ごすことは、精神的、肉体的に大きなダメージを
女性の全身と心に深く刻むことなります。
身体的、心理的暴力を度重なって受けた結果、被害者女性たちは「私がいたらないから」
「私が悪いから暴力をふるわれる」と、やがて自分を責めていく傾向が次第に
強くなっていくのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b2/848cd35b5ea88384f1681788d960d04d.jpg)
・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「美和子に訪れた人生の分岐点と、貞園の憂鬱」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/30/5a508077809eff5bfcddd83d7ed703f6.jpg)
ふたりがやってきたのはアーケード通りに昔からある喫茶店です。
階段を上っていくと、懐かしい雰囲気の扉がいつものようにふたりを出迎えてくれます。
24時間営業のスタイルなので、買い物がてらにふらりと主婦たちが立ち寄ったり、
飲み帰りのサラリーマンたちが、歩道を見下ろしながらあがりの一杯を頼んだりするなど、
いろいろなスタイルにあわせて利用されています。
本を読むのも良いし、友達とおしゃべりするのにも格好のスペースです。
名物のカレーチーズ焼きと自家製のハンバーグも絶品で、フードメニューも充実しています。
かつてあべ静江が歌った『コーヒーショップで』をそのまま再現したような雰囲気が、
重厚な古い木造の店内に充満をしています。
「で、それは良い話なの?それとも悪い話かしら?」
コーヒーカップを両手で包み込んだ貞園が、美和子の瞳を見つめています。
人の気持ちの中へ、躊躇うことなくまっすぐに切り込んでくるという貞園の性格を
知り尽くしているだけに、美和子も思わず失笑を返します。
「面と向かうと照れますね。
体調が悪いの。今日も病院へ行った帰りです。
でも、お医者さんのお話では順調だそうです。あたしにはまだまったく自覚がありませんが」
「え?。・・・・ということは、赤ちゃんがはじまったの」
「そう。ついに出来ちゃった」
「夫婦だもんね。それは、できても当たり前の話です。
そうなんだ。よかった。おめでとう。ついに出来ちゃったのか・・・・赤ちゃんが。
で、どうするの。康平には。
黙っておくの、それとも何げなくどこかで知らせるの?」
「貞ちゃん。おめでとうの言い方が、他人行儀でそっけないわ」
「じゃあ、あえて美和子に聞きますが、美和ちゃんは
心の底から、本当に、今回の妊娠を喜んでいるわけなの?」
「あんたはそうやっていつも、平気で、土足のまま人の胸の中へ踏み込むのね。
なんとかならないのかしら、その無遠慮な性格は」
店内に流れていたBGMが、いつのまにか切り替わりました。
軽快なボサノバのリズムが消えて、哀愁を帯びたギターのソロ演奏が流れてきました。
コーヒーショップの最大の売りが、マスターが秘蔵をしている数多くのLPレコードです。
長く通いつめている常連さんたちが、思いつくままにリクェストをします。
デジタルが全盛になってしまったこの時代に、いまだにアナログのままのステレオからは、
何故か温かく心にしみるような響きを持った音響が流れてきます。
「何年になるの。結婚してから」
「まる6年。色々とあったけれど、もう今年でまるまる6年目」
「そうか。早いわね、わたしのところもダラダラしたままで、もうまる7年目。
似たようなものです。清純さを失ってからの女の期間は」
「産めるときに産んでおきたいし、
なんだかこのあたりで分岐点に差し掛かったという気もするの。
どっちつかずのまんまじゃ、この先で、あたしも康平もどうにもならなくなってしまうもの。
いい加減で決着をつけろと、お腹の中から赤ちゃんがそうわたしに問いかけてきた。
ちょうどいいきっかけかもしれない。もうそんな歳だし、潮時だもの」
「産むという結論に決めたのね、今回は。
まぁ、夫婦のことだから私はとやかく言えませんが、決めたというならそれも運命です。
そうなると美和ちゃんはこれで、康平の争奪戦からはリタイヤをするわけだ。
あとは邪魔者さえ入らなければ、やがて康平は私のものになる。
でもさぁ、それはそれでいいとして、もうひとつ心配なことが・・・・」
と言いかけた貞園が、次の言葉を飲み込んでしまいます。
厚めの美和子のファンデーションを気にしていた貞園が、ふと横顔を見せた瞬間に
両方の目の淵へ、かすかに残る青い痕跡のようなものを見つけてしまいます。
窓から入る外部光線に浮かび上がってきたのは、夫から受けたと思われる暴行の跡です。
(やっぱり、DVの跡だ!)先程まで薄々と抱いていた疑念が、庭園の中で
それが、確信へと変わります。
ドメスティック・バイオレンス(DV)とは「パートナー等の親密な関係にある(あった)
カップルの間でふるわれる暴力」のことを指しています。
かつて何度か美和子からも打ち明けられたことのある、夫婦間の暴力の跡です。
『普段はそれなりに優しいし、おとなしい人なの。
だけど、お酒を飲んで酔ったときに何かの拍子で暴力をふるうの。
でも本人は、お酒が抜けた次の日になると、優しく打って変わって私を介抱をしてくれる。
どちらも彼の本当の姿だと思うけど、それでも長く一緒に暮らしてくると
今更簡単に分かれるわけにもいかないし、それにあの人は・・・・』
と毎度のように美和子はそこまでを語り、同じようにそこで言葉を断ち切ってしまいます。
まだ何かを隠していることがあると受け止めていながら、貞園もそこであえて詮索を打ち切ります。
結婚についての詳しい経過は知らないものの、どこかに秘密めいた事柄をいまだに密かに
持ち続けている美和子へ、それ以上の質問ができないでいる貞園がいます。
(50歩100歩で、私のところも似たようなものだもの。
むやみに傷口を広げる必要もないし、これ以上聞いても、お互いに辛くなるだけの話だ)
貞園にDVの体験はありません。
しかし最近の内閣府の調査によれば、既婚女性の3人に1人がDV被害を経験し、
23人に1人の女性が、生命に危険を感じる程の暴力を受けていることが明らかにされています。
DVの本質として、支配する側の力による女性への心と体への暴力があげられます。
殴る、蹴る、引きずりまわす、物を投げつけるなどの身体的暴力にはじまり、
大声で怒鳴る、罵る、脅すなどの心理的な暴力に及び、やがて性行為を強要したり
避妊に協力しないなどの、性的暴力などにも発展をします
生活費を渡さない。働きに行かせないなどの経済的暴力や、
女性の行動の制限、友人に会わせないなどの社会的暴力なども、やはりDVの範囲に入ります。
何よりも辛い事は、身体に受けた傷やアザだけでなく、目に見えない心に受けた傷が
被害者女性にとって一番辛く、長い時間をかけての心のケアを必要とします。
DVにおいては心理的暴力もまた、身体的な暴力とほぼ同等であると考えられています。
こうしたDVの背景にあるものは、性差別の社会概念です。
経済的、社会的に男性が優位に立つ社会。女性が経済力を持つことが困難を伴う社会。
子育てが女性の役割とみなされ、その労働に対して経済的価値が付与されていない社会。
妻には夫を世話し支える役割があるとされている社会。
男性の攻撃性や暴力性が男らしさの証と容認されているような社会。
このような社会意識(ジェンダー)のあり方が、DVを許してきた根源として挙げられます。
※ジェンダー・・・生物学的性差(セックス)ではなく、
社会的・文化的・歴史的に作られた性差別のこと。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」
「男だったら・・・」「女のくせに・・・・」とか「妻は夫に服従するものだ」
「家事や育児は女の仕事だ」という刷り込みなどのことを言います※
しかし、予測不可能な突然の激しい暴力は、いつ起こるかわかりません。
安心で安全な状況にない日々を恐怖で過ごすことは、精神的、肉体的に大きなダメージを
女性の全身と心に深く刻むことなります。
身体的、心理的暴力を度重なって受けた結果、被害者女性たちは「私がいたらないから」
「私が悪いから暴力をふるわれる」と、やがて自分を責めていく傾向が次第に
強くなっていくのです。
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