落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(31)

2013-07-17 10:22:28 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(31)
「岡本と美和子は、一度だけ会ったことがある古い顔見知り」




 それからしばらく経った頃、混み合う店内で忙しく立ち働いていた辻ママが、
一度厨房へ引っ込んだ後、器を片手に、あらためて4人のところへ挨拶へやってきました。
手にしている器には、見るからに新鮮で美味しそうな刺身の盛り合わせが並んでいます。


 「ありがとうございます。
 先程は、無理やりの相席などをお願いいたしまして、大変に失礼をいたしました。
 これは私からの、ほんの気持ちですのでよかったらぜひどうぞ。
 特に、快く承諾をいただきましたこちらの岡本さまには、
 心よりの、感謝などを申し上げます」


 「おいおい、ママ。大げさをいわないでくれ。
 余計な事にまで気を使わないでいい。
 そこまでされては、こちらのほうがかえって恐縮をする。
 それにしても美味そうだな・・・・、どれも俺の大好物の刺身ばかりが揃ってやがる。
 そうだな。それではこの若いふたりのために、なにかを適当に見繕って持ってきてくれ。
 飲み物も二人の希望を聞いて、じゃんじゃんと出してやれ。
 いいからいいから。若いお前さんたち二人はなにも気にすることはねぇ。
 どうせ支払いをするのは、俺とこのトシのふたりがまとめて全部、割り勘で払う羽目になる。
 遠慮しないで、今夜は楽しくやろう」


 「お気遣い、ありがとうございます。
 それでは、あたしたちも遠慮をしないで好意に甘えて、それぞれに頂戴したいと思います。
 ママさん。あたしは、冷えた生酒が大好きです。
 近藤酒造の赤城山があればもう、それだけで最高です。
 在庫にありますか?」


 「あら。こちらのお嬢さんは見た目はお若いというのに、
 日本酒がよく分かっていらっしゃいますね。なかなかイケル通なお方のようです。
 はい、かしこまりました。よろこんで受け承ります。
 康平くんは、今飲んでいらっしゃる黒霧島のお湯割りでよろしいですね?
 はい。毎度ありがとうございます。
 今夜もおかげさまで、大繁盛にて大忙しになりました。
 さてさて、商売、商売。うっふっふ」


 辻ママが愛想笑いを残し、メモをした注文伝票を片手に厨房へ消えていきます。
ママの後ろ姿を見送った美和子が膝を揃えなおし、あらたまった顔で岡本を振り返ります。



 「気が利いていらっしゃるし、配慮にも長けています。
 やはり噂通りに素敵です、こちらの辻のママさんという女性は。
 水商売を仕切れる方は、やはりあのくらいの如才がないと務まらないと思います。
 さてあらためまして、もう一杯をいかがでしょう。岡本さん」

 
 「おっ、やっぱり。お前さんも俺の名前を覚えていたか。
 ということは、やはり俺たちは何処かで行き会っていたはずなんだ。
 だが、いまだにそれがわからねぇ。
 お前さんの顔には、たしかに見覚えはあるんだが、
 なんの折りにいきあったのか、どうにもさっぱり思い出せないままでいる。
 最近でないことだけははっきりしているんだが、いつ頃だったかもやっぱり思い当たらねぇ。
 そろそろ種明かしをしてくれてもいいだろう。
 いったい俺たちは、いつごろ、どこで行き合ったんだ?」


 「種明かしは簡単ですが、少々、ワケなどもありまして人目をはばかります。
 のちほど小耳などを拝借をして、そっと種明かしをいたします。
 いかがでしょうか、そういうお話で」


 流し目の美和子が、岡本のグラスに酒を次ぎながら低い声で応えています。



 (なるほどなぁ・・・・
 たしかにこの子が言う通り、俺たちは何処かで一度の面識がある。
 だがそれも、人目をはばかるようなワケ有りの場所だったというのも、たぶん事実だろう。
 それにしても俺の記憶力もずいぶんと落ちてきたもんだ・・・・やっぱり、歳には勝てねえ)
 岡本も納得をしたのか、そのまま話題を切り上げてしまいます。


 4人のあいだにほんの一瞬だけ、ぎこちない沈黙の時間が訪れます。
が、再び登場をした辻ママの乱入によって、あっけなく元の賑やかさが戻ってきます。
赤城山の冷酒を抱えたママがお尻を振りながら、乱暴に康平と美和子の間へ割り込んできます。


 「おいおい。ママが若い者の仲を切り裂いていたのでは、いかにもまずいものがあるだろう。
 少しは手加減をしてやれ。それが原因でこの若いふたりが別れることにでもなったら、
 その原因は、すべてママのせいという事になる。憎まれると後が怖いぞ」

 
 「あら。やっぱりそうなの? やっぱり付き合っているの、あんたたち?」


 真正面から見つめてくる辻ママの眼差しを前に、康平がグラスを手にしたまま、
思わず、ズシリと音を立てて固まってしまいます。
(あらら、真正面からの切り込みだ。康平は一体、どんなふうに答えてくれるのかしら)
美和子も好奇心を隠したまま、何食わぬ顔と涼しい目で、静かに康平を見つめています。
グラスを宙に停めたまま困り果てている康平から目線を外した辻ママが、いたずらっぽいその目を、
何故か今度は、美和子の涼しい目元へむけてきました。



 「入ってきた瞬間から、見るからに仲の良い雰囲気が漂っておりましたもの。お二人とも。
 てっきり、水面下でお付き合いをしているお二人かと、ピンと来てしまいました。
 なんだぁ~、わたしのただの早とちりですか。
 でも本当は、実はこれからお付き合いをはじめるんでしょ、あなたたち。
 康平くんが俊彦さんに連れられて初めてやってきたのは、いまから10年くらい前のことかしら。
 その後も思い出したように寄ってくれましたが、来るたびにいつもお一人でした。
 私の記憶の限りでは、康平くんはまったく女っ気のない好青年のひとりです。
 そうそう、そういえば一度だけですが、うちで働いていたおさげ髪の千恵ちゃんに、
 ひそかに横恋慕などをした時期などもありましたっけ」



 「ほう。こいつがあのおさげ髪で人妻の千恵ちゃんに、道ならぬ恋をしたのか。
 うん、そういえば、よく見るとこちらのお嬢さんにも、同じように良く似た雰囲気がある。
 そうか。ひょっとするとこのお嬢さんの代理であの千恵ちゃんを好きになったのか、お前。
 なんだ康平、お前も隅にに置けない男だな。
 代理で想いを寄せられた千恵ちゃんも、すこぶるはた迷惑な話だ。
 へぇ、そんな武勇伝があったのか。
 男と女と言うものは、いつまでたっても摩訶不思議な縁がつきまとうようだな。
 そうか。俺も思わず、誰かに恋をしたくなってきたぜ。むっふっふ」


 手元のグラスをカラカラと鳴らしながら、俊彦が康平を見つめて面白そうに笑います。
なにも言い返せないでいる康平の様子に、黙って見つめていた美和子がようやく助け舟を出します。



 「高校時代からの古い知り合いです、あたしたち。
 多少の縁は有ったもののなぜかその先へ進まずに、ほろ苦い想いをお互いに残したまま、
 それからもう、早いもので10年あまりが経ちました。
 それにあたしは今はもう人妻ですので、お嬢さんではありません」


 「あら。やっぱりワケ有りのおふたりなの。
 いいじゃないの、それだって。別にかまうことなんか一切ありません。
 傍目から見ていたって、好き同士という気持ちが、いまだに濃厚に漂っているもの。
 なんとかなるわよ、諦めない限り。この先で」
 
 「おいおい、辻ママ。いう事が唐突で乱暴すぎる。
 付き合ってもいない若い二人に、いまさら不倫をすすめてどうするんだ。
 こういう場合に普通は真面目に、人の道を説くのがママの仕事のはずだろう。
 あきれたなぁ、ほんとうに。辻ママの嗅覚とアドバイスには。
 常に、ハラハラドキドキの自由奔放が溢れっぱなしだ!まいったねぇ実に・・・・」



 「あら。不良で、私なんかよりも、さらに自由奔放に生きているあなたに、
 そんな風に人の道を、いちいち言われたくなんかありません。
 いいじゃないの。若い人達が一度や二度、勢いに乗ったまま間違いを起こしたって。
 あんたたちだって、今までの間違いを数え上げたらきりがないでしょう。
 どうせ人生のほとんどは、間違いと勘違いの繰り返しです。
 それに気がついていさぎよく元へ戻ることを、本当の勇気と呼ぶ場合もあるけれど、
 多くの場合、瓢箪から駒が出る場合もあるわ。
 人生は一歩先が分からないから、生きていて愉しんじゃないの。
 心あたりを数えあげたら岡本さんもトシさんも、実はたくさんあるでしょう。
 特に任侠道で生命を賭けて、男を売っている岡本くんの場合は、それは山ほどもあるでしょう。
 ねぇぇ。うっふっふ」




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