落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ・桐生 (15) ただいま、放浪中(2)

2012-05-18 12:24:39 | 現代小説
アイラブ・桐生
(15)第1章 ただいま、放浪中(2)




 守は、気にせずに居候(いそうろう)をしていろと言ってくれたものの
栃木のお下げ髪と鉢合わせする可能性もあることを考えると、少し歯がゆくなり
結局、一息つく前に早々に仕事と居場所を探すことにしました。
さすが大都会というだけのことはあり、新聞の求人欄には、
田舎では考えられないほどの求人広告が、びっしりと載っています。



 丹念に見て行くうちに、ひとつ気になったのが
中野にある、ホームインテリャの3行文の求人広告でした。
「寮あり三食付き、高給優遇、夜間の仕事あり経験不問。」
夜間の仕事ありと言う表現が若干だけ意味不明でしたが、
経験不問と言う文字に引かれ、飯つき、寮ありもありがたいと、
さっそく応募することにしました。



 電話をかけると、
面接をしますので、すぐにでも来てくださいという話になりました。
場所は意外に近くでした。
笹塚駅の反対側の道を、5分ほど歩いたところにある住宅街の一角です。


 こんなところにあるのかしらと、半分疑いながらも、
教えられた通りの道順を辿っていくと、現れたのはやはり普通の民家です。
看板もなく、それらしい雰囲気さえもありません・・・・
とりあえず、玄関のベルを鳴らしてみると、
「は~い」と元気よく、先ほどの電話の声が聞こえました。
どうぞと案内をされてそのまま応接間へ通されました。
そこには私と同じ歳くらいの青年と、ひげのご主人らしき男の人がいて、
顔を見るなりいきなり、短刀直入の質問が飛んできました。



 「いつから来られる?
 君さえ良ければ、今夜からでも仕事に来てくれたまえ。」





 あれ?今日は面接に来ただけですが、と答えたら、

 「そういうな。
 てんてこまいで、梃子(てこ)が今すぐ必要なんだ。
 よかったら今夜から手伝ってくれ。」

 ひげの親父が、此方の都合も聞かずにさらに言葉を重ねます。
電話では透き通った声で、感じのよい応答をしてくれた奥さんが、
見かねたように助け船を出してくれました。



 「ごめんね、ぶっきらぼうすぎる話で。
 この人ったら気が早すぎて、いつもこうなのよ。
 実は、私がこうなっちゃったもので、現場にはいけないものだから、
 急きょ、お手伝いさんを募集したところなの、
 あなたみたいに感じが良くて、お若い人がきてくれるとうちも大助かりだわ。
 それに、茨木君の良い話し相手にもなれそうだし、
 ねぇ、茨城くん。」



 そんな風に説明をして、自分のおなかを指さした後、
奥さんが、ひげ親父の背中を叩きながら、すこぶる明るく笑いこけています。



「うん、そういうことだ。じゃあ手伝ってくれたまえ。
 早速で悪いが名前だけでも教えてないか。
 どうにも、呼び方に困る。」



 あっというまに面接がおわり、
ともあれ、その夜から仕事に行くことが決まってしまいました。
仕事というのは、営業が終わったデパートで、1階から3階までの階段部分の
カーペットを張り替えるという作業でした。
踏まれて傷つき汚れたカーペットを剥がして、滑り止めをつけ直し
カーペットを新しく敷き詰めるという作業です。



 午後の9時を過ぎると、巻いたカーペットと、
接着剤のはいった作業箱と掃除用具を積みこんで、自宅を出発しました。
目的のデパートに着くと、小物の入った道具箱を担ぎあげながら
それぞれに、1階から3階に分かれて張り替え作業が始まりました。


 とりあえず、
カッターナイフを渡されて、階段の幅にカットしてくださいと言われました。
慎重に切ったつもりでしたが、実際に合わせてみると
階段には大きな隙間ができてしまいました。



 2階から「茨城」君が降りてきました。
「そういう時は、こうするの」と、
隙間のサイズに合わせて別のカーペットを切りとります。
床に両面テープを貼りつけると、その上からほつれた部分を強く擦り合わせます。
さらに、ヘラを使って両側の角を潰すように抑えこんでから、ローラーを滑らせ、
短時間のうちに、綺麗に修正してしまいました。



 「遠目で見たらわからないだろう・・こんなもんでいいんだ。
 失敗なんか気にしないで、どんどんカットして作業をしてくれ。
 失敗は成功のもとだ。
 慣れれば誰にでもできる簡単な仕事だよ。
 問題は、どうやって上手にごまかすかだけさ、
 なぁ、群馬。」



 それだけいうと茨城くんは、また持ち場の二階に戻って行きました。
なるほど、上手にごまかせばいいんだ・・少し気が楽になり、
言われた通りの作業を、ひたすら延々と繰り返すことになりました。



 半分ほど作業が終えた処で、休憩時間になりました。
ひげの社長は、夜食を運んでくるために自宅へ戻って行きました。
作業中の階段に腰をおろして、手持ち無沙汰に夜食の到着だけを待っていたら、
「おい、飲めよ」と、茨城くんがジュースを持って降りてきました。




 「ありがとう」と受け取って、ひと口飲んでから
「もう長いの、この仕事?」と聞き直したら、自慢そうに茨木君が鼻をこすりあげます。


 「もう、3年になる。
 見た通りに、あの社長も奥さんもいい人で、
 居心地が良すぎて、いつの間にか3年がたっちまったぜ。
 こう見えても、本当は、漫画家志望だ。」


 えへへと、もう一度自分の鼻をこすりあげます。
へぇ~めずらしいなぁ~漫画家志望なんてすごいねぇ、と聞き返すと



 「なぁに、そんなことくらい、
 この東京じゃ、ちっともめずらしくなんかあるもんか。
 此処は日本を代表する大都会だぜ。
 東京には、ごまんといるんだ、そういう奴が。
 みんなあこがれて上京をして、いろんな仕事で食いつなぎながら、
 漫画家として芽がでるまでの、辛い辛抱をしているんだ。
 おい群馬、お前、
 マンガには興味があるか?。」


 デザイナー志望だと答えたら
「それならまんざら畑違いでもない訳だ。じゃぁ、あとで俺の部屋に来い、
いいものを見せてやるぜ。」と誘われました。
茨城君の言う、いいものとは一体なんでしょう・・・・
そんなことを考えながら、初日のこの仕事は朝の7時になって
ようやく一段落をしました。



 朝食は、社長の自宅です。
まかないつきというのは、奥さんの手料理のことでした。
典型的な日本食の献立です。
びっくりしたのは、本格的なぬか漬けが朝の食卓に出てきたことでした。
専用のぬか床が作られていて、それが日替わりで
3食ごとに出てくるそうです。



 「俺も、こいつにだまされた。」



 ひげの社長が、漬物をつまみあげながらささやきました。

 「初めてこいつのアパートに行ったときのことだ。
 旨い手料理と一緒に、何気なくポンと出されたのがこの漬物だ。
 おふくろみたいな味だった・・・
 男は、胃袋で騙せと良く言うが、まさに俺がその通りだった。
 そのままこいつのところに住みついて、
 気が付いたら、いつのまにか、
 このありさまだ。」



 奥さんの大きくなったおなかを指さして、
ひげの社長が、愉快そうにカラカラと大きな声で笑います。




 「ずいぶんとあなたったら、省略をしたお話ですね
 そのペースでいくと、あと3分くらいで
 還暦のはなしにまでいってしまいそうです。
 騙されないで下さいね。
 本当は、この人が実家から、秘伝のぬか床を分けてもらってきたの。
 頼むから、これで俺に、旨いぬか漬けを食わせてくれと言うもんだから、
 はい、わかりました、
 そのくらいならお安いご用ですと、
 つい私も、その気になってしまいました。
 だからあたしは、いつまでたっても、
 この人と、我が家のぬか味噌の番人なのです。」

 「そんなこともあったかな~」と社長がとぼけています。




 はなしの中身から察すると
進学で上京をした奥さんを追いかけるように、
一目ぼれをしていたひげ社長が、郷里を飛び出してきたようです。
その日のうちから、大学に通っていた奥さんをとにかくしつこく求愛し続けていた
というのが、どうやら話の真相のようです。
同級生の間柄ということですが、チラリっと小耳に挟んだ、
奥さんの実家との不仲話が少し気になりました。


 身寄りのいない東京で、
どうやって子供を産んで育てていくるのだろう・・と、
所帯経験もないくせに、思わず先行きの心配をしてしまいました。



 田舎では奥さんが実家へ里帰りをして、
出産するのが常で、それ自体が習わしのようなところがあります。
子育てに関しても、近所をあげての総がかりです。
実際、私もも8つ離れた妹を背負いながらよく近所で遊びました。
それもまた田舎では、ごく当たり前の風習でした。


 話の様子では、病院で産んで退院をしたあとは、
奥さんが一人で子育てをするようです。
若い夫婦だけで、都会での孤独な子育てが始まる・・
それはそのまま、この時代を象徴する核家族のはじまりでした。




 田舎では2世代や3世代の同居が当たり前です。
長年にわたるこの世帯構成の形が、生きるための知恵を産み、相互に関わることで、
円滑に子供を育て、日々の暮らしのやり繰りしてきました。
しかし、急激に人口が膨れ上がったこの大都会では、初体験だらけの新米夫婦が
孤独の中で、手探りの子育てを始めます。

 こうした核家族の急増は、この後に保育園や、
幼稚園を大量に必要とする時代のきっかけをつくりだします。
しかしこの物語は、まだ日本の経済が急成長からバブルへと走り出す
ほんの少し前の時代です。
働く女性たちにとっての、仕事と育児の両立は、
やっと始まったばかりとも言える、これからの社会問題のひとつです。




(16)へつづく
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/


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