落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (56) 「放浪の果てに」(3)その2

2012-07-03 09:34:06 | 現代小説
アイラブ桐生 第4部
(56)最終章 「放浪の果てに」(3)その2




 「小春も、小春だ。
 旦那の話は相変らず断り続けて、言い寄って口説く男には見向きもせずに、
 一人身を通して続けて、それから10年も待ち続けた。
 一口に言うが10年だぞ、10年。
 女の10年だ。
 女が一番いい時期を、小春は平然と棒にふった。
 10年間も平然と待たせた挙句、こいつはふらりと祇園に舞い戻ってきた。
 祇園に戻ってきたものの、今度は此処で天ぷら屋なんぞを始めた。
 まぁ食えれば、仕事なんか、なんでもいいさ。
 それで小春のことが、なんとかなるのかと思っていたら
 それもまた、どうにもならず、また相も変わらぬ昔のままだ。
 こいつと小春は、着くでもないし、かといって離れる訳でもない。
 周囲をやきもきさせたまま、所帯を持つわけでもなく、
 別れるわけでもなく、それからまたまた、足かけで10年近くが経っちまった。
 ええ加減にせいよ、まったく。
 可哀想だろうよ。小春が」


 壮絶な話です。
あの日垣間見た仲のよさそうな二人の姿からは、想像もできない話でした。
始めて聞かされた、順平さんの生き様と、小春姉さんの哀しいまでの恋ごころです。
3杯目をコップに注いでいる順平さんがようやくのことで、静かに口をひらきました。




 「いまさら所帯なんぞはもてないが、それでもいいのかと小春に聞いたら
 それで良いと、あいつは俺に言いきった。
 お互いに長い間にわたって意地を張リ続けてきたんだ。
 当然ともいえる結果だろう。
 俺も、実家をはじめ、祇園にも多くの迷惑をかけ過ぎてきた。
 そいつは、小春だって同じことがいえた。
 祇園にも、女将さんにも、多くの贔屓(ひいき)筋にも、
 長年にわたって、迷惑をかけてきたんだ。
 俺たちは二人して、ずいぶんと、あちらこちらに迷惑をかけてきた。
 いまさら、二人だけで良い思いはできへんやろう、と言う話になった。
 俺も一人身で過ごすが、小春も一人身のままだ。
 祇園に居て、近くに住んでいられるというだけでも、充分な話さ。
 お互いに、祇園で世話になって、食っているんだ。
 もう、これ以上のことは、望めん。」



 沈黙が訪れてしまいました。
3杯目のコップをつかんだまま、源平さんは固まってしまいました。
順平さんが、目を伏せたまま、静かに盃を口元に運んでいます。




 「お前もそうだぞ。間違えるなよ。」



 突然、源平さんの視線が、こちらを向きます。
まったく予期していない段階で、源平さんの矛先が私に向いてきました。





 「男が決断するときは、絶対に時期を間違えるな。と、いう話だ。
 ここで決めなければならないというタイミングが、人生にはきっと来る。
 そのタイミングを、絶対に間違えるなということだ。
 間違えると、一人だけではなく、周りも含めて全部を不幸にしてしまう。
 こいつは、小春こそ殺さなかったが、小春の「女」としての
 一番良い季節を、根こそぎそれこそ枯らしてしまった。
 女の華を、惜しげもなく殺しちまったんだ・・・・
 こいつもこいつなら、小春も小春だ。
 むごい話だろう、つらい話だ。」



 また、3杯目のコップを源平さんが一気に呑みほしました。
今度は自分で徳利を持ちあげます。
持ちあげたまま、目で促してから、順平さんの盃に酒を注ぎ始めました。



 「なぁ順平よ。
 職人なんてものは、自分が食うために仕事を覚えるわけじゃねえ。
 他人さまを食わせるために、自分の技術を磨くものだろう。
 人様を食わせるっていう意味は、
 自分に関わるすべての人間を食わせるために働くということだ。
 お前はもう充分、人を食わせる腕になったと、俺は今でも思ってる。
 これだけの腕前に仕上って、一流だと言われるようになっても、
 それでも、まだお前は駄目なのか。
 大勢に・・・他人には、お前の天ぷらを食わせてやっても
 たかが女一人に、小春に、飯を食わせてやる事が出来ないのかよ。
 俺には、それが解らない」



 順平さんは何も言わずに、自分の盃を空けました。
源平さんの空になったコップを引き寄せると、無言のまま、なみなみと酒を注ぎ始めます
「お前もコップでやれ」そう言うと、私のコップにも同じように酒を注ぎはじめます。


 「そう言えば、お前も、ごっつう丁寧な仕事をする。
 よほど恵まれた師匠に仕込まれてきたやないかと思えるほどだ。、
 基礎そのもんが、まるっきり違う。」




 「ん、こいつのはなしか?
 基礎が違うって・・・腕はいいのか」



 「料理の腕はこれからだ。
 料理という仕事に限らずに、職人には、まず基礎が一番だ。
 こころ構えみたいなものが、後になってから仕事を支える大切な部分に変わる。
 なあに・・・・それほど難しいことじゃない。
 基礎や、基本にあたる部分をいつも丁寧にこなすこと、それが一番大切だ。
 こいつの下ごしらえは、実に丁寧ですごいものがある。
 俺でもそこまで、下準備はしない。
 つまり、食材の基本と言うやつを、しっかりと仕込まれてきた証がある。
 それを、おろそかなんぞにしないと言う考えかたが、すごい。」


 「職人の心構えってやつ。か。」




 「そないな話や。
 ところがこの心構えってやつが、仕込もうと思ってもなかなか身につかへん。
 些細なところまでも、手を抜かないで丁寧にやるという気持ちが。実は大切だ。
 仕事の手を抜かないというえ方は、職人の基本中の基本だが
 これが出来る様でいて、なかなかできない。
 なかなか、身にもつかない。
 職人を育てるのに、一番苦労する部分がここにある。
 そないな簡単なことが、実は職人のもっとも大事な基礎になる。
 お前はんを仕込んだ親方はんは、それがわかっている人間だ。」



 「親方のはなしか・・・
 そいえば、俺の親方もそないな職人やった。
 仕事や技術なんぞは、何時でも覚えられるが、職人の心構えというものは、
 最初に育てておかないと、後ではどうにもならなくなる。
 一生食えるだけの職人を育てるために、まず、忍耐力を根気強く教え込むもんだ。
 まァ、それが職人を育てる第一歩になる。
 それが、どうしたって?」


 「こいつの親方のはなしだ。
 良い仕事をするために、職人として最初に必要なことをしっかりと仕込んんである。
 いまどきの若いのにしては珍しく、しっかりした基礎をもってはる。
 基礎さえあれば、後は本人のやる気次第だ」




 「お前と同じで、お千代も同じことを言っとったな。
 絵もそうらしい、素質らしい物はあるが、本人がよそ見をしている。
 まだ何か、別のものを探したいるみたいだと、よくこぼしてたなぁ。
 おい小僧。お前の探し物とは、一体何だ?」


 それは・・・・京都で初めてお千代さんに会ったときに、
最初に言われた言葉、そのものでした。
見えそうで見えない、私の気持ちの中で今でも揺れ続けている、目標と夢の話です。
どう生きていきたいのか、何を成し遂げたいのか・・・・
心のなかに漂っているもやもやは、まだ一向に晴れる気配がありません。



 「まぁいい。そないに難しい顔をすることもないだろう。
 行くもよければ、いさぎよく戻のも、また同じ男の決断や。
 ただし、そのタイミングだけは間違えなさんな。
 この順平みたいにしくじると、本人も長い間泣くが、添いたいはずの小春までも泣く。
 その巻き添えを食わされて、屋形のおかあさんや、俺やお千代まで泣かされる。
 小僧、お前は、女だけは泣かせるな・・・」




 女を泣かせている?
泣いている女が、どこかにいるのでしょうか・・・・
男3人によるコップ酒の宴は、夜が更けても終わる気配がありません。






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